ダレン・ネイシュ『世界恐竜発見史』

恐竜をどのように紹介・解説していくか、例えば『大人のための「恐竜学」』はQ&A方式で進むものだったし、恐竜図鑑のように種類ごとにならでいるものや、三畳紀ジュラ紀白亜紀と時代順に進むもの(例えば『恐竜時代』)もあるだろうし本によって色々なやり方があると思うのだが、この本は、恐竜が発見されていく歴史にそって並べられている。
いつどこで誰が発見し、どのようなものだと考えられ、そして今ではどのように考えられるようになったのかという観点で、たくさんの恐竜が紹介・解説されている本。


手に取るまで大判の本だと気付いていなかったのだけどw やっぱ恐竜の本といったら大型で図版もばしばし載ったフルカラー本だよねとも思うので、楽しかった。ハードカバーの大型本なんて読んだの、ほんといつ以来だろう。すごく久しぶりだと思う。
復元イラストも写真も沢山載っている。サブタイトルが「恐竜像の変遷そして最前線」なので、復元図も、現代のものだけでなく、昔のものも載ってたりする。
本の構成についてもう少し述べておくと、大きくは、19世紀、20世紀初頭、1960〜80年代、90年代、2000年代と5つに章分けされている。さらにその中で、1見開きで1つの項目があげられている。

一言感想の羅列

コープとマーシュの話をもっと知りたいなあ
アンドリュースのゴビ砂漠探検の本は、なんか子どもの頃読んだことがあるような気がする
ノプシャ男爵なんて人がいたんだなあ
「種の老化」とか子どもの頃読んだ本に確かに書いてあったわ
董枝明って結構上の世代の人だったんだなあとか
デイノケイルスは、マイアサウラより前に発見されていたのかとか、そういう、これって意外と前に発見されていたんだとか、逆にこんな最近発見された奴だったのかみたいなのがあった。
デイノケイルスといえば、最近、小林快次が調査しており、Webマガジン幻冬舎に連載が載っている。デイノケイルスの話だけでなく、恐竜発掘にまつわる話も載っていて面白い。
第1回 冒険のはじまり|小林快次 未知の恐竜を求めて|Webマガジン幻冬舎
第2回 デイノケイルスの発見地を求めて砂漠をさまよう|小林快次 未知の恐竜を求めて|Webマガジン幻冬舎
第3回 デイノケイルスの謎とは?|小林快次 未知の恐竜を求めて|Webマガジン幻冬舎
第4回 デイノケイルスを食べた犯人は?|小林快次 未知の恐竜を求めて|Webマガジン幻冬舎
第5回 “師匠"フィリップ・カリー教授との議論|小林快次 未知の恐竜を求めて|Webマガジン幻冬舎
第6回 デイノケイルス発見!|小林快次 未知の恐竜を求めて|Webマガジン幻冬舎
小林快次のモンゴル調査といえば、今日、テリジノサウルス類の営巣地を発見したというニュースがあったところだった。
北大など、モンゴルで世界初となる「テリジノサウルス」類の営巣地を発見 | マイナビニュース
厚頭竜類が実はかなり謎めいたグループだっての知らなかった。
同じ恐竜でも、研究が進むにつれ分類が変わってくることがあるのって、言われてみれば当たり前だけど、全然気付いてなかったので面白かった。子どもの頃は、分類って固定されたものだと思ってたし。
ワイト島、恐竜見つかりすぎw
ウルトラサウルスはいなかったけど、スーパーサウルスはいたんだな。アルゼンチノサウルスとかサウロポセイドンとか、ほんと竜脚類はでかいなー
ディロング・パラドクススって名前かっこよすぎw
あと、ドゥラコレクス・ホグワルトゥシアって名前もやばいw しかもこいつ、見た目もファンタジーだしw

恐竜について

  • この本について

恐竜についての見解が、証拠にしっかりと裏づけられているから定着するとは限らないのだ、ということを頭に入れておかなければならない。その主題について最初に発表された見解だから、または、誰もきちんと取り組む時間を確保しようとしなかったから、などという理由で受け入れられることがしばしばある。

恐竜研究については、1900年代の研究が60〜70年代に覆されるまで定説とされていた。

恐竜についての古い見解を、幼稚で見当違い、もしくは馬鹿げたものとさえ見なしたくなるが、そのような見解を持っていた人々は知識も経験も豊富であり、ただ、今日の人々のような後知恵には恵まれていなかっただけだ、ということを忘れてはならない。

CTスキャンや3Dモデリングなどの新しい技術を使った研究アプローチが生まれている一方、化石の発見・発掘のスキルや技術は100年のあいだでほとんど変わっていないとも。

  • 恐竜とは何か?

前眼頭窓は、主竜類の特徴
外側の指の退化、上腕骨の三角胸筋稜の発達、頸骨の発達など。
1842年、オーウェンの見解:椎骨が癒合してできた仙骨、頑強な肢、巨大な体→後に肢が華奢で小さな今恐竜も発見されている。仙骨は今も恐竜の特徴としてあげられている
1880年代、シーリーが鳥盤類と竜盤類の区別を唱え、これらは別々の祖先から進化したと考えられるようになった。
1974年、バッカーとガルトンが、恐竜類というクレードの復活を主張
クレードというのは、単一の祖先を共有する(つまり単系統の)生物群のこと。この本、最後に用語解説があるのだが、目、亜目、下目、科といった階層的な分類用語は、最近ではあまり使われなくなってきていると書かれている。最近読んだ恐竜の本がみんな、竜盤目、鳥盤目とは書かずに竜盤類、鳥盤類と書いていたのはそのためか、と納得したりしつつも、科についてはこの本の中でも結構書いてある。あと、上科とか。

  • 恐竜の多様性

1400種以上知られているらしいが、そのうち52%は良好な化石による裏付けはない状態。
ちなみに、恐竜類に属する鳥類は、現生のもので1万種、新生代全体だと100万種以上と推定されている。

  • 恐竜時代の地球

三畳紀は、パンゲア大陸とそれを取り囲むパンサラッサという海があった。砂漠やソテツの森。
ジュラ紀後期には、ローレンシア大陸ゴンドワナ大陸に分裂し、テチス海が生まれた。より湿度の高い環境。
白亜紀には、ゴンドワナ大陸が分裂、ヨーロッパは島嶼化。アメリカ西部とアジアが繋がっていたが、アメリカ東部は繋がっていなかった。現代的なタイプの植物も進化していた。
中生代全体を通じて温暖だったが、何故そんなに温暖だったのかはっきり説明はされていない。また、氷河などに覆われていた時期もあったかもしれない


本書では、恐竜の名前は属名と種小名の両方が書かれているが、以下では、特に種小名が重要でない限りは属名だけ書いている。

初期の恐竜発見

  • 19世紀
  • 最初の獣脚類

1842年、メガロサウルスがバックランドによって記載。骨自体は、1700年代から採集されていたっぽい。典型的な獣脚類とされ、その後獣脚類が発見されると、全然違うものでも、メガロサウルス類と分類されていたりしたらしい。
聖書と適合するように解釈したりなんだりの論争とか

  • マンテルとイグアノドン類

1825年、イグアノドンがマンテルにより記載。

1834年に発見され、1836年に記載されたテコドントサウルスは、最初に発見された三畳紀の恐竜だが、かなり無名である。
発見された当初、小型で仙骨も見つかっていなかったため、恐竜だとは気付かれず槽歯類と分類された。その後、ハクスリーが恐竜との類似性に気付き、1890年代には、マーシュが三畳紀の恐竜との類似性に気付き、獣脚類に属するとしたが、1932年に竜脚形類として分類された。
テコドントサウルスの標本が保存されていたブリストルの博物館は、二次大戦中に空襲を受けて破壊されていたが、戦争以前にマーシュに提供されていて無事だった。

  • 化石ハンティング

最初に発見された竜脚類は、1841年にオーウェンによって記載されたケティオサウルス。
オーウェンは恐竜だと思っていなかったので、42年に「恐竜」が提唱された時、入っていなかった。
竜脚類は今では陸生だと考えられているが、長い間水陸両生だと考えられていた。何故そう考えられたのかはっきりとはわかっていないが、オーウェンがケティオサウルスを、クジラに似た骨をもつ海生のワニ類と同定したのが影響を与えているのかもしれない。

  • 最初のカモノハシ竜類

ハドゥロサウルスは、1858年ニュージャージー州で発見され、ライディによって記載された。
ライディは、ハドゥロサウルスが、二足歩行と四足歩行をしていたことや、水陸両生だったことを示唆していた。また、ライディの見解はコープへと受け継がれていった。

  • 始祖鳥の登場

1861年、ドイツの古生物学者ワーグナーが、医師ヘーベルラインの所有していた化石が、羽毛のついた爬虫類だと公表、同年、フォン・マイヤーがアルカエオプテリクスという学名を記載。ヘーベルラインは後にこれを大英博物館に売却(それで「ロンドン標本」と呼ばれている)。
2番目に発見されたアルカエオプテリクスは、フンボルト博物館が入手し「ベルリン標本」
爬虫類と鳥類の中間種として、進化論の証拠となるものだが、あまりそういう議論はなされなかった模様。

  • 忘れられたスケリドサウルス

1858年に発見され、1861年オーウェンによって記載されたスケリドサウルス
最初に発見されたほぼ完全な骨格だったらしいが、オーウェンはこの時期忙しくてあまり取りかかれなかったよう。

  • 新たな小型恐竜

1861年ワーグナーがコンプソグナトクスを記載。ワーグナーは、これをトカゲの一種と考えたが、鳥と類似した特徴をもっていた。ゲーゲンバウルが、爬虫類と鳥との中間種だと指摘、1866年にコープがコンプソグナトクスを恐竜と認めた。1869年に、ハクスリーもまた鳥と恐竜の類縁関係について記述する際にコンプソグナトクスに触れている。

  • ヒプシロフォドンと鳥恐竜

1849年、イギリスのワイト島から発見されたヒプシロフォドンは、当初、マンテルとオーウェンからはイグアノドンの幼体だと考えられていた。1869年、ハクスリーがヒプシロフォドンとして記載する。恥骨が後方を向いているという鳥の骨盤と同様の特徴を持ち、ハクスリーの恐竜から鳥が進化したという考えの中核になる恐竜だった。
ただ、その後、1870〜90年代に復原されたヒプシロフォドンの姿は、四足歩行のトカゲのようだった。1895年、マーシュによって二足歩行する恐竜として描かれる。

  • 死体を掘り起こす
  • アメリカの剣竜類「屋根をもつ爬虫類」

1877年、マーシュによってステゴサウルスは記載された。1879年には、コープがヒプシロフスという新種を命名しているが、これはステゴサウルスであることが明らかになっている。
ステゴサウルスは前肢が短く、当初マーシュは二足歩行していたと認識していたが、1885年、ほぼ完全な姿の標本が発見されている。

トゥリケラトプスの化石が最初に発見された時、マーシュはそれを新種のウシ類としていた。アメリカの地質の情報がまだ少なく、デンバーの地層が白亜紀のものがそれ以後のものかまだ論争が分かれていたし、角のある恐竜がまだ発見されていなかったためでもある。
1889年、新たに発見された化石について、マーシュはトゥリケラトプスと命名、以前発見した「ウシ」が同じ種類であることにも気付く。
その後、トゥリケラトプスの新種は次々に発見され、トゥリケラトプス属に16の種が知られていたが、現在ではそれらのほとんどは実は同じ種であるとされ、認められているのは2種だけである。

ステゴサウルスのほぼ完全な標本が発見された採石場と同じ場所で、カマラサウルスが発見され、1877年、コープが記載している。1877年には、コープもマーシュも陸生だと考えていたのに、翌年には2人とも水生だと考えるようになっている。
1870年代は、モリソン層から次々と新種が発見されていた。
マーシュは、アパトサウルスやディプロドクスを記載している。また、ブロントサウルスもマーシュが命名しているが、後にアパトサウルスと同属であることが確認されている。

恐竜発見の大ラッシュ

  • 20世紀初頭

アメリカとカナダでは、オズボーンに雇われたバーナム・ブラウンや、スターンバーグ親子が発掘を行っていた。
また、アフリカやアジアでの発見が相次いだ時期でもあった。
しかし、20世紀半ばには恐竜研究は「暗黒時代」へと入る。恐竜は発見され尽くされたと考えられ、また恐竜は鳥の祖先ではないという考えが一般的になった。

ブラウンが発見し、1905年にオズボーンが記載。
オズボーンは、ティランノサウルスを「定向進化」説の裏付けと考えた。
また、当初は3本指で復原されていた。2本指であることが確認されたのは1988年。

  • 巨大な癒合したトカゲ

アンキロサウルスは、モンタナ州カイゼンによって発見され、1908年、ブラウンによって記載された。
最初に発見された鎧竜だが、ブラウンは当初剣竜類として分類していた。ブラウンの復原は、不明な部分を剣竜類の化石で補ったため、不正確なところが多い。短い尾、弓なりの背中など。

  • バーナム・ブラウンのハドゥロサウルス類

トサカのついていた恐竜として最初に発見されたのは、ブラウンが1913年に記載したヒパクロサウルスであるが、より有名なのは、同じくブラウンが1912年にレッドディア川で発見し14年に記載したコリトサウルスである。このコリトサウルスは、ほぼ完全な姿で関節した状態で発見され、また皮膚の一部も保存されていた。

スティラコサウルスは、1913年、アルバータ州で、スターンバーグによって発見され、ランベによって記載された。

タンザニア(旧ドイツ領東アフリカ)のテンダグルは、世界有数の恐竜化石発見場であった。ベルリン自然史博物館の調査により発見された巨大な竜脚類は、1914年、ヤネシュによって、ブラオキサウルス・ブランカイと命名された。
ブラキオサウルス自体は、1903年コロラド州で発見され、ブラキオサウルス・アルティトラクスとして記載されいてたが、頸と頭蓋が分からず復原図が描かれていなかった。テンダグルのブラキオサウルスブランカイは、より完璧な状態で発見されたため、ブラキオサウルスの復原図はこちらの方が有名になる。ちなみに、アルティトラクスを発見したリッグスは、竜脚類が陸生動物であることを既に主張していた。
現在では、アメリカのブラキオサウルスとアフリカのブラキオサウルスは別属であることが分かり、アフリカ種は、ギラッファティタン・ブランカイと名付け直されている。
ちなみにブラキオサウルスは、前肢が長いという、他の竜脚類には見られない特徴がある。

ゴビ砂漠で発見され、1923年、オズボーンによって記載された。
オズボーンはこれを新しい科としたが、角竜との比較を何故か行わなかった。1970年代に角竜に分類されるまで、鳥脚類に分類されていたが、1925年にはすでに角竜との類似が指摘されていた。

  • アジアの獣脚類という新世界

ゴビ砂漠で恐竜を発見した自然史博物館の探検隊を率いたアンドリュースの目的は、現生人類の祖先を探すことだったらしい。そちらの目的は果たせなかったが、恐竜をたくさん発見している。
ゴビ砂漠で発見された獣脚類について、オズボーンは、ヴェロキラプトル、オヴィラプトル、サウロルニトイデスを記載した。
オヴィラプトルには叉骨があったが、オズボーンはこれに気付いていなかった。また、プロトケラトプスの卵を襲っていると誤解され、「卵泥棒」と名付けられていた。これらの恐竜については、60,70年代になるまで詳細な分析が行われていなかった。

  • 管状のトサカをもつハドゥロサウルス類

レッドディア川で発見されたパラサウロロフスは、1922年に記載された。20年代から40年代まで、水陸両生説が言われてきたが、今では誤っていることが分かっている。

20世紀初頭のヨーロッパにおいて恐竜研究に大きな貢献をしたのはハンガリー人の、フランツ・ノプシャ男爵。
彼は、ルーマニアのハツェグ盆地で、ハドゥロサウルス類のテルマトサウルス、鳥脚類のザルモクセス、鎧竜のストゥルティオサウルスを発見し、記載している。
ハツェグ盆地で発見された恐竜が小型であることから、ハツェグ盆地が白亜紀には島であったという「島嶼化」説を提唱した。
彼は他にも、恐竜の性的二形や、顎の機能、飛行の起源、地殻変動などについて論じていた。

1830年代に発見されながらも謎の存在だったプラテオサウルスを、20世紀に入ってからフォン・ヒューネが分析した。ヒューネは、プラテオサウルスが二足歩行だと考えた。また、竜脚形類という新たな分類を創設した。

  • カトラーの関節した鎧竜類

1920年、レッドディア川で発見され、1924年に記載されたディオプロサウルスによって、鎧竜はブラウンが考えていたような短い尾ではなかったことが明らかになった。
1915年、同じくレッドディア川で、カトラーが発見したより完全な状態のディオプロサウルスの化石は、1928年にノプシャ男爵によってスコロサウルスと命名された。
現在、スコロサウルス=ディオプロサウルス?はエウオプロケファルスであるといわれている(少なくとも本書はその立場)。

  • 中国初の恐竜

エウヘロプスは、1922年、中国山東省で中国=スウェーデン共同遠征隊が発見し、1929年、スウェーデンのワイマンによって記載された。
当時知られていたなかでは、最も頸椎の数が多い。また壊れやすい頭蓋がきれいに保存されていた。
ワイマンもまた水陸両生だと考えていた。

  • 鳥類は恐竜か?
  • ゴーストランチの獣脚類

コエロフィシスは、1889年にコープによって記載されていたが、1947年に完全に近い骨格が大量に発見された。

  • 最後のケントゥロサウルス類

1950年、アルバータ州でスターンバーグが記載したパキリノサウルスは、角竜ではあるが、鼻に角ではなく瘤があった。スターンバーグは、「種の老化」説を当てはめて考えていた。種の老化は、今では誤りだと知られている。

恐竜ルネッサンス

  • 1960〜1989年

オストロムの鳥類恐竜起源説とその弟子バッカーの恐竜温血動物説といった考え方が、大きな論争をもたらした時代
多くの研究者が恐竜へと関心をもつようになった

  • 2つのトサカをもつ獣脚類

1942年、アリゾナ州で発見された獣脚類は、1954年、ウェルズによってメガロサウルスの新種であるとして記載された。当時まだ、メガロサウルスは「何でも箱」として使われていた。しかし、のちに再調査して、2本のトサカが発見され、1970年、ディロフォサウルスという新属として命名されなおされた。

1977年に四川省ジュラ紀の地層から発見された獣脚類は、董枝明(ドン・チミン)らによってヤングアノサウルスと命名された。
ジュラ紀の東アジアは、固有種のいる島大陸だったという考えの裏付けとなった。白亜紀になって、ヨーロッパと繋がったらしい。ただし、最近の研究では中国のジュラ紀の恐竜も近縁種がヨーロッパにいたことがわかっている。
ちなみに、同じく中国ジュラ紀の恐竜として有名なマメンキサウルスは、1954年に四川省で発見されている。

  • 「恐ろしい手」と闘争恐竜

ポーランド=モンゴル遠征隊が1965年に発見し、1970年、オスモルスカとロニエヴィッツによって記載されたのが、「恐ろしい手」という名前のデイノケイルスである。
腕だけで2メートルもある謎の恐竜

  • 良き母親トカゲ

マイアサウラは、1978年、ジャック・ホーナーらによって発見された。1982年には、同じ巣を何度も使っていたことをホーナーは発表している。
ホーナーのこの発見は、雑誌やテレビなどに大きく取り上げられ、本格的な恐竜ルネッサンスの始まりとなった。
80年代の終わりから90年代にかけて、孵化しだ段階で幼体の脚が十分に成長していたかどうかでワインシャペルとの間で論争があった。

  • 分厚い頭の恐竜

石頭恐竜で知られる厚頭竜類は、いまだにあまりよく分かっていないグループらしい。
最初に発見されたのは、1924年に報告されたステゴケラスだが、トゥロオドン類だと考えられてきた。1945年にスターンバーグが、ステゴケラスとパキケファロサウルスパキケファロサウルス科と分類した。
上述したポーランド=モンゴル遠征隊によって、ホマロケファレを始めとする3種の厚頭竜類が見つかっている。そして、マリヤンスカとオスモルスカは、厚頭竜類の生態についての推論を展開した。厚頭竜類にはくちばしがなく唇があったという説や、頭突き説であるが、これらについては後に疑問視されるようになった。

  • 異なる歯を持つ恐竜

61、62年のイギリス=南アフリカ共同遠征隊が南アフリカで発見したヘテロドントサウルスは、その名の通り、異形歯性であり、鳥盤類の中でも最も基盤的なクレードである。

オウラノサウルスは、ニジェールで1965年に発見された、アフリカで最も有名な白亜紀の恐竜。
神経弓棘が非常に高く、帆があったとされるが、その機能は謎で、97年には本当に帆があったかどうか疑問視する説もでている。
鳥脚類のどこに位置づけられるかで、論争が続いている。

  • 驚異のテリズィノサウルス類

1973年、ソビエト=モンゴル古生物学調査団によってゴビ砂漠から発見されたセグノサウルスは、モンゴルの古生物学者パールによって79年に命名された。
獣脚類とされているが、恥骨が後ろ向きという鳥や鳥盤類の特徴を有している。竜脚形類ではないかという説もあり、分類が定まっていない。

1977年、アルゼンチンの古生物学者ホセ・ボナパルテは、ムスサウルスの幼体を発見した。
竜脚類は、プラテオサウルスなど19世紀から知られていたが、幼体や巣、卵が発見されたのはこれが初めてだった。

  • 恐竜のイメージ
  • 「重い爪」とスピノサウルス類

1983年、イギリスで発見されたのが、「重い爪」という名前のバリオニクスである。
当初は謎の恐竜であったが、80年代後半、フランスの古生物学者ビュフェトーとアメリカのイラストレーターのポールが、アフリカのスピノサウルスと似ていることを指摘。
ピノサウルス類は、がっしりとした前肢と長い顎を持っていた、魚食恐竜である。

  • ジム・ジェンセンの巨大恐竜

かつてジュラ紀竜脚類が多く産出され、その後新しい発見はないと思われていたモリソン層から、1970年代に新しい竜脚類が発見された。
恐竜ジムことジェームズ・ジェンセンによるもので、ジムは1985年に、スペルサウルスSupersaurs、ウルトゥラサウルス、ディスティロサウルスと命名した。ただし、その後の再調査で、ウルトゥラサウルスの椎骨はスペルサウルスのもの、肩口烏口骨はブラキオサウルス類のもの、ディスティロサウルスはスペルサウルスであることが判明した。
スペルサウルスは、ディプロドクス類の一種で、13m以上という最長の頸をもっている。

  • カスモサウルスの化石密集層

1938,39年にテキサス州で発見されていた化石が倉庫で放置されつづけ、1989年、カスモサウルス・マリスカレンシスという新種として記載された。

羽毛と毛皮――新たな多様性――

  • 1990年代

分岐分類学的な手法が発達。オストロムの説は広く認められた。南米や中国での発見が相次いだ。

  • オーストラリアの見事な鎧竜

ミンミはオーストラリアで初めて発見された鎧竜(1964年発見、1980年記載)
島嶼化によって小型化していたのではないかという仮説がある。
89年の標本では、装甲が関節でつながった状態で見つかった。また、胃の内容物も見つかり、果物を食べていたとされている。

  • 最古の恐竜

アルゼンチンにおいて、1961年にヘルレラサウルス、1993年にエオラプトルという最も原始的な恐竜がそれぞれ発見されている。
ヘルレラサウルスは原竜脚類、エオラプトルは獣脚類として分類されたが、後に、竜盤類のさらに基盤的なクレードであると判明した。

  • 肉食の雄牛恐竜とその近縁種

1985年、アルゼンチンのホセ・ボナパルテによって発見されたカルノタウルスは、角があり、平坦な背中と奇妙な前肢など、多くの獣脚類と異なっていた。また、皮膚が保存されており、鱗で覆われていた。

1991年、アルゼンチンのサルガドとボナパルテは、長い棘が背中に延びたディプロドクス類、アマルガサウルスを記載した。帆となっていたのか、棘として突き出していたのか確定できず、その姿は謎のままである。
ボナパルテは、ティタノサウルス類のサルタサウルスやアンデサウルス、アルゲンティノサウルスを80年から93年にかけて命名している。
南米、白亜紀の恐竜は、北米の恐竜と異なっており「変わり者」と考えられていたが、これらの種はジュラ紀には広く分布していたと考えられており、むしろ白亜紀の北米西部やアジアの恐竜の方が、むしろ「変わり種」なのではないかと考えられるようになっている。

  • 大型のドゥロマエオサウルス類

91年、ユタ州から、ディノニクスよりもさらに巨大な(7m)ドゥロマエオサウルス類、ウタラプトルが発見されている。
93年に映画『ジュラシック・パーク』が公開されており、ウタラプトルの発見はセンセーションを巻き起こした。
ジュラシック・パーク』に登場したドゥロマエオサウルス類は、ウタラプトルだという者もいたが、作中ではヴェロキラプトルと呼ばれている。しかし、モデルになったのはディノニクスである。クライトンが、ディノニクスとヴェロキラプトルが似ていたという説を採用したためだが、この説はのちに否定されている。

  • 恐竜を描く
  • 歯の多いダチョウ型恐竜

1993年、スペインで、ヨーロッパでは初めてのオルニトミモサウルス類、ペレカニミムスが発見された。頭蓋がペリカンを思わせるため、この名がついたが、驚くべき特徴は歯の数で、それはポリオドン(たくさんの歯)という種小名にあらわれている。
オルニトミモサウルス類はたいてい歯がないが、ペレカニミムスは200本以上もの歯があった。
詳細な報告はまだなされていない。

  • 進化進行中

マイアサウラが発見されたことで有名なツーメディスン層から、ホーナーらは、スティラコサウルスとパキリノサウルスの中間種と思われる角竜を1987年に3種、発見した。
1995年、その角竜はサンプソンによって、エイニオサウルス、アケロウサウルスと命名された。もう一種については命名できるほど情報がなかった。
キリノサウルスとアケロウサウルスで一つのクレードになっていて、鼻に瘤があった。これらとエイニオサウルスがさらに一つのクレード。これとは別に、スティラコサウルスとケントゥロサウルスからなるクレードがあって、これら全部をあわせて、ケントゥロサウルス類となる。

  • 南の大陸のスーパー肉食恐竜

ギガノトサウルスは、アルゼンチンで1991年に発見され1995年に記載された。約12mとティランノサウルスに匹敵する巨大なアッロサウルス類である。頭蓋骨だけで1.9mもある。
ギガノトサウルスの近縁として、カルカロドントサウルスというのも発見されている。こちらは、1927年に北アフリカから発見され命名されているが、95年、ポール・セレノによってあらたに頭蓋が発見され、これは1.5mあった。

モノニクスは、87年にゴビ砂漠で発見され、93年、パールらによって記載された。
穴掘りに適したような前肢と、穴掘りに適していないような長い首と前肢をもつ。パールらは、鳥類であると考えていたが、反論された。マニラプトル類ではないかと考えられたが、オルニトミモサウルス類という説もあった。
その後、ボナパルテが、90年代にアルゼンチンで発見されたパタゴニクス、アルヴァレズサルスとあわせて、アルヴァレズサウルス類とした。
アルヴァレズサウルス類は、さらにモンゴルから、96年にパルヴィクルソル、98年にスヴウィアが命名されている。

  • 南極の「凍ったトサカ」恐竜

クリオロフォサウルスは、92年に南極で発見された。南極からはすでに恐竜が発見されていたが、特に保存状態がよかった。
アッロサウルスに似ていたが、頭蓋に特徴的なトサカがあり、またジュラ紀前期と非常に古いものだった。アッロサウルスの起源がより古くに遡ると考えられたが、2007年の完全な記載によって、アッロサウルスとは似ていなかったことが分かった。同じくジュラ紀前期のディロフォサウルスの仲間とされる。
これらのトサカは結構脆い構造をしていたらしい。

  • ヨーロッパの新たなハンター

イギリスのワイト島から発見されたアッロサウルス類、ネオヴェナトル(1978年発見、1996年記載)

  • ズーニー盆地の角竜類

ニューメキシコ州ズーニー盆地で発見されたズニケラトプス(96年発見、98年記載)
角竜類の中間種を示すとされている。
額の角は、ケラトプス科に限られると考えられていたが、ケラトプス科ではないズニケラトプスにも額に角があった。ウルフとカークランドは、額に角のある角竜類のクレードに対して、角竜形類という新しい名前を創設。

21世紀の恐竜たち

  • 21世紀

新たな手法と技術により、生体力学が出現。解剖学から新たに学ぶものはなく、遺伝学が唯一のフロンティアであるという90年代の考えは間違いであることが分かった。
90年代から発見されていた羽毛恐竜は21世紀にも発見が続いた。また、獣脚類に比べると「ニュース」にはならないが、原竜脚類の研究も蓄積された。また新種の竜脚類も発見されている。

2000年に記載されたサウロポセイドンは、全長が28m、頸の長さ12mという最大のブラキオサウルス類である。
北米では、ジュラ紀竜脚類はたくさん見つかるが、白亜紀竜脚類は少なかった。そこで、北米の竜脚類は、白亜紀には鳥盤類に取った変わられたと考えられてきた。
しかし、北米では、竜脚類の多くが、アストゥロドンかプレウロコエルスのどちらかに分類されていたことや、ジュラ紀後期のモリソン層に対して、白亜紀の地層があまり広がっていないことによって、種類が少ないと思われていただけだったのかもしれない。
90年代後半から2000年代にかけて、白亜紀の地層からあらたな竜脚類が次々と発見されている。
ジュラ紀竜脚類がディプロドクス類やカマラサウスル類であったのに対して、白亜紀竜脚類ブラキオサウルス類やティタノサウルス類で占められているという特徴がある。

  • 一風変わった初期の暴君

19世紀から多くの恐竜を産出したイギリスの白亜紀前期の地層、ウィールデン層は、20世紀になっても、バリオニクスやネオヴェナトルが発見されてきた。97年には、同じくワット島から、さらに新たな獣脚類が発見されている。
ティランノサウルスの近縁にあたる、エオティランヌスである。ティランノサウルス類が9m以上なのに対して、7mに満たなかった。ティランノサウルスの直接的な先祖ではないが、より基盤的なティランノサウルス類だと考えられており、ティランノサウルスの進化がヨーロッパで始まったかもしれないこをと示唆している。

  • 指の長い小型獣脚類

内モンゴル自治区から発見されたエピデンドゥロサウルス、遼寧省から発見されたスカンソリオプテリクス、同じく内モンゴル自治区から発見されたエピデクシプテリクス。これらは、まとめてスカンソリオプテリクス類とされている。
エピデンドゥロサウルスは非常に小さく、長い手と尾を持っていた。スカンソリオプテリクスは、枝を掴めるような手をしており、羽毛の痕跡が残っていた。エピデクシプテリクスは長い歯を持ち、尾椎からリボン状の構造が伸びていた。
スカンソリオプテリクス類は、マニラプトル類の鳥類に近いグループだと考えられているが、まだ謎は多い。発見されたものは、幼体であると考えられており、成体は姿が違うかもしれない。

  • スーという名のティランノサウルス

ティランノサウルス属に、いくつの種があるかは論争が続いている。
ティランノサウルス・レクスは、30体の標本が知られているが、その中でも最も保存状態がよく完全な状態で残っているのが、90年にスーザン・ヘンドリクソンが発見した、「スー」と呼ばれている標本。
ブラックヒルズ研究所が発掘→土地の所有権に問題があり→FBIが押収→オークション→ディズニーとマクドナルドが落札→今は、フィールド自然史博物館(シカゴ)
CTスキャンによって頭蓋の内部構造が調べられ、大きな嗅球があったことが分かっている。内耳から平衡感覚が優れていたことや、優れた視覚をもっていたことも分かっている。
その性別について、ワニ類との比較からメスであるとする説もあるが、03年の完全な記載では性別は確定できないとされた。

  • 恐竜の復原
  • アジアのランベオサウルス類

黒竜江省で発見されたカロノサウルス(2000年記載)、ロシアのアムール地方で発見されたオロロティタン(03年記載)により、アジアにもランベオサウルス類がいることがわかってきた。
カロノサウルスはおそらくパラサウロロフスのようなトサカをもち、オロロティタンは手斧型のトサカをもっていた。オロロティタンの発見されたツァガヤン層群からは、より基盤的なランベオサウルス類が見つかっており、また、広西チワン族自治区からも同様の種が発見されている。また、1936年に命名されたニッポノサウルスがランベオサウルス類であることが04年に示されている。
こうしたことから、ランベオサウルス類はアジアで進化し、それが北米に渡り、コリトサウルスやヒパクロサウルスが生まれ、それらがさらにアジアに戻ってきたのではないかと考えられる。

  • 毛皮のある小型ティランノサウルス類

90年代に、ティランノサウルス類がコエルロサウルス類の仲間とされ、トーマス・ホルツによって原始的なティランノサウルスについて、小型な「ティランノラプトル」というイメージとして論じられた。エオティランヌスは、部分的にはこれにあっていたが、ホルツが想像していたほど小型ではなかった。
04年、徐星(シュウ・シン)らが遼寧省白亜紀前期の地層から、ディロング・パラドクスス(「逆説的な」「皇帝の竜」)を発見した。全長1.8m、繊維状の原羽毛で覆われていた。上顎骨や鼻孔はティランノサウルス類の特徴を持っている。第三指が細長い。ティランノサウルス類では第三指はなくなっている。
06年に、徐星は、ジュラ紀後期の、グアンロングを記載している。鼻の上部にトサカがあるのが特徴である。
ところで、小型獣脚類の羽毛は、90年代にシノサウロプテリクスなどによって証明されていた。これらも徐星らが発見したものである。ディロングの発見によって、ティランノサウルス類など大型獣脚類でも羽毛が生えていたことが分かった。

  • 「竜の王」ドゥラコレクス

06年にバッカーらが記載した厚頭竜類は、ドゥラコレクス・ホグワルトゥシアといい、属名は竜の王を意味し、種小名は、ホグワーツ魔法学校にちなんでいる。
その頭蓋にはドームがなく、スパイクが額や鼻や横から突き出している。嘴がなく、バッカーは、マリヤンスカとオスモルスカが考えたように、唇があるのではないかと考えた。
厚頭竜類において、ドームのある種がより進化したものだと考えられているが、(ドームを持たない)ドゥラコレクスがドームをもつ種の子孫だとバッカーらは主張しているが、よくわかっていない。
ホーナーらは、ドゥラコレクスが、パキケファロサウルスの幼体だと主張している。
厚頭竜類の頭突きについて、97年のカーペンター、04年のグッドウィンとホーナーの研究によって、構造的に向いていないとされている。

  • 恐竜の死の苦悶
  • 新しい巨大な角竜

北米からは、21世紀になっても新種の角竜が発見されている。
アルバータ州で発見され、呉肖春らが記載したエオトゥリケラトプスなどである。
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世界恐竜発見史―恐竜像の変遷そして最前線

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