筒井清忠編『大正史講義』(一部)

本書については、以前も読んだことがある(筒井清忠編『大正史講義』 - logical cypher scape2)。その際、興味のある章を拾い読みしただけだった。木村靖二『第一次世界大戦』 - logical cypher scape2を読んだので、そういえば、『大正史講義』の第一次世界大戦関連は何書いてあったかなと思ったら、ちょうど読んでいなかったので、今回は、第一次世界大戦に関係している章だけ読んだ。

第4講 第一次世界大戦と対華二十一カ条要求 奈良岡聰智

日本が参戦するに至った流れと、対華二十一カ条要求について。
山東省にいるドイツに対して日英同盟にかこつけての参戦。だが、日英同盟に参戦義務はなくイギリスも日本の中国権益拡大を警戒して参戦を望んではいなかった。
参戦については、国内世論が圧倒的に支持する形で盛り上がっていて、例外は石橋湛山東洋経済くらいだったというのはさもありなんという感じなのだけど、山県有朋も慎重論を唱えていたというのは意外だった。
加藤外相の目的は、実は満州満州権益は日露戦争の際に獲得されたが、租借権の期限が迫っていたので、山東と引き換えに租借権を99年に引き上げる目論見だった。
ただ、ドイツの権益をどうするかは本来、戦後の講和会議で決めるべきものだが、一方、名目上は中国をドイツから解放することなので、中国に即時返却せよ、という話も出てくる。
満州の租借権については中国と交渉する話でもあり、中国に対して日本の要求を伝えることになる。
で、上述の通り、加藤外相としては、山東と引き換えに満州権益を確保できればという目論見だったが、国内世論はエキサイトしていく。
一般からの意見も集約した上でまとめられたのが、二十一カ条要求で、実は大きく5つに分けられている。そのうち、4つは山東権益や満州権益についても求めるもので、結局、引き換えではなくて、山東も日本のものとする内容にはなっている。ただ、この内容は、当時の国際状況では常識的内容ではあり、諸外国からも異論は出てこなかったという。問題は、5つめで、これは、国民から出てきた意見をもとにした内容なのだが、当時の国際政治的にもアウトな内容が多くて、日本政府も前半4つから要求レベルを下げた形で作成し、さらに諸外国に事前に見せる案の中には入れていなかった。
ところが、中国側にこの5番目を含んだ形でリークされてしまい、中国の反日世論が盛り上がっていくことになる。
まあ最終的には、当時の常識レベルのところで日本の権益が認められる形にはなっていったようなのだが、日本国内の中国に対してエスカレートしていく世論をコントロールできず、中国国民の反日感情も高めてしまったという結論なのかな、と。。
この章では冒頭に、あまり意識されていないが日本も第一次大戦で戦死者を出しているし関わりがあるのだということを述べて始まっているのが、しかし、戦死者も人数で比較してしまうとやはり日本における第一次世界大戦インパクトは低いよなあ(あと、総力戦を経験しなかったのが後にヨーロッパと日本の差になったというようなことは書かれていた)とは思うのだけど、盛り上がる世論をコントロールできない、というのはヨーロッパの状況と似ているなと思った。

第8講 パリ講和会議ヴェルサイユ条約国際連盟 篠原初枝

この章は、タイトルにある通り、パリ講和会議ヴェルサイユ条約国際連盟についての章で、日本側のことも書かれているが、これらについての概要としてもまとまっている。
日本側は、19世紀的な講和会議を想定していて、自国の権益については主張する、それ以外については大勢に従う、というのを事前方針としていて、実際あまり発言をしなかったので「サイレント・パートナー」とも言われたらしい。
パリ講和会議での一番の問題はドイツ問題。ドイツの領土を縮小しすぎると、賠償金が払えなくなるのではないかといった問題があった。
ただ、実際には、パリ講和会議ならびにヴェルサイユ条約は、国際連盟の発足ありきで進んでおり、19世紀的な大国同士の利害調整に終始する会議ではなくなっていた、と。
国際連盟の規約会議には5大国にくわえて、ベルギー、ブラジル、中国、ポルトガルセルビアも参加
国際連盟は、周知の通り、ウィルソン大統領が精力的にすすめた件だが、国内の支持が得られず、言い出しっぺのアメリカが参加しないというお粗末な形でスタートするわけだが、事務総長が有能で、例えば国際連盟職員を国際公務員にするなどの制度的面を速やかに整備していく。戦後処理として、戦後も飢餓を出していたオーストリアの経済危機に介入したり、難民問題の解決を図った。また、ギリシャブルガリア紛争の解決では有効に機能した。
そもそも日本側は、この国際連盟というものに懐疑的だったようだが(詳しくは第9講)、いざ発足すると、新渡戸稲造国際連盟事務次長となり、各国で講演を行ったりした。

第9講 人種差別撤廃提案 廣部泉

パリ講和会議において、日本は発言が少なかったと先に述べたが、例外的に日本が強く主張したのが、人種差別撤廃提案であった。
国際連盟にかんして、日本では、白人ひいてはアングロサクソンの支配体制を強固にするための組織にすぎないという懐疑が存在しており、規約に人種差別撤廃を盛り込むことを条件としていた。
まあ、感想としてはこれは、日本人も白人と同様に扱ってくれという話ではあって、人種差別撤廃の論理の行き着く先としては、例えば朝鮮の独立を認めることになるのでは、みたいなことは全然意識されていない感じはする。
ただ、理念として人種差別撤廃は正しい、というのはもちろんあって、事前の根回しでウィルソンからの感触は悪くなかったようである。
がしかし、イギリス連邦を構成するオーストラリアの首相がこれに強く反対し、これを受けてイギリスも反対に回った。オーストラリアの同意が最後まで得られず、規約に盛り込むことには失敗する。
これ、日本政府は当初、牧野全権に対してこの提案が認められなければ国際連盟にも加盟するなという方向で送り出していたのだが、最終的には、議事録に載りさえすればいい、というところまで日本政府側が示すハードルが下がったので、牧野も最終的にはその方向で調印した。がしかし、国内世論からは批判されたらしい。
山東などの権益確保のための取引材料に過ぎなかったのではないか、という見方もあるが、もともとは、やはり白人中心の仕組みになることへの恐れがあり、あわよくば移民問題も解決できればいい、という目論見であって、後になって、領土問題とバーターにする方向に切り替えたのではないか、とここでは論じられている。
なお、人種差別撤廃を唱えてもほかのアジア諸国に対して差別をするならダブルスタンダードになってしまう、というのは吉野作造石橋湛山は指摘していたようだが、やはり少数意見ではあった。
もっとも、日本がこの提案をしたことは、非白人の間では結構インパクトがあったらしい。

『SFマガジン2023年12月号』

SFマガジン読むの久しぶりな感じ(しかし見返してみると、以前からさほど頻繁には読んでいないな)。
グレッグ・イーガンの新作中編が掲載されているということで、読まねば、と。

グレッグ・イーガン「堅実性」(山岸真・訳)

訳者によれば、イーガンは近年作品の発表が続いていて、未訳短篇がたまってきたのでそろそろ短編集を出したいとのこと。社会の分断をテーマにしたような作品が多いらしい。
イーガンといえば、初期のアイデンティティものにしろ、宇宙SFにしろ、ハードSFのイメージが強いだろう。ところが本作は、そういったハードさはない。起きている現象に対する科学的説明などはなされていないためだ。
あるいは、イーガンは、初期の頃からポリティカルなテーマを絡めてくることも多い作家である。本作も、ある種の社会の分断を描いているという意味で、メッセージ性がこめられているのは確かだ。しかし、ジェンダーなりエスニシティなり疑似科学なりの社会的テーマが明示的に描かれているわけでもない。
というわけで、表面的な特徴の部分でこれまでのイーガンと違うところもあるのだが、しかし、実際に読んでみて作風が変わったように感じるかといえばそうでもなくて、エッセンスのところでは変わらずイーガンだろう、という気もする。


舞台はシドニーで、主人公は(日本でいうところの)中学生のオマールだ。
授業中突然、周囲のクラスメイトも先生も見知らぬ人たちに入れ替わっていた。そしてそれは、彼らにとっても同じらしい。
学校も街も同じだが、人だけが何故か入れ替わってしまっている。持ち物などは概ね同じようなものなのだが、微妙に変化している(スマホは見た目は同じだがロック画面が異なっていてパスワードも変わっている、とか)。
みながパニックに陥る中、オマールも混乱しつつも学校の外へとでる。同じように学校の外を歩いていた見知らぬ少年に声をかける。その少年トニーも、同じような状況であり、しばし2人で行動をともにする。
入れ替わりはその後も続いており、互いに見ている間は変わらないのだが、目を離すとまた入れ替わりが起こることが分かる。オマールは、トニーの家でお手洗いを借りて戻ってきてみると、トニーは別の少年と入れ替わっていた。
オマールは自分の家へと帰る。
基本的には家自体は同じなのだが、部屋に飾ってあるポスターなどが変わっている。これも目を離す度に変わる。
そして、オマールの家にラフィークと名乗る中年男性が訪れる。彼は、オマールの父親と入れ替わった誰かだった。オマールの父親と同じ商売をしており、オマールの父親と同じくチュニジア出身だった。しかし、オマールとラフィークで家族構成は異なっていた(オマールは男ばかり3人兄弟の末っ子だが、ラフィークには娘と息子がいた)。オマールの父親とラフィークは1歳違いで、同じチュニジアでも出身の街は違っていた。
オマールとラフィークはお互いに目を離さないようにして(寝るときは交代制で)過ごすことにした。この方法により、お互いの入れ替わりは防ぐことができて生活は少しずつ安定していったが、元の父親(息子)との再会は難しくなる。
ここから、ラフィークとオマールは、食糧を確保したり、元々ラフィールは電器屋だったので電化製品の修理業をしたりといったことをする。このあたりの、社会に起きたパニックとそこから人々がどうにか対応しようとしていく様は、ある種の災害を思わせる。
彼らは概ね、善意で行動して生活を安定させようと動くが、疑心暗鬼はところどころに見え隠れし、また、窃盗を行おうとする集団もいる。
そんな中、生活を立て直していこうという動きの、スローガンというかキーワードとして用いられるのが「堅実性Solidity」となる。
「以前の世界が戻ってくるのを待つあいだ、ぼくたちは気力を失って、物事がばらばらにならないようにすることが必要だ。(...)ぼくたちは自分たちにできるかぎりのことをして、社会の堅実性を維持しよう。もしできるなら、この言葉を広めるんだ」
なお、オマールはそうは思っていないが、ラフィークは連帯(solidarity)のスペルミスではないかと指摘している。
オマールは、カメラを用いても、入れ替わりが起きないのではないかと考えて、ラフィークとともに道行く人に声をかけて実験を行い始める。
また、入れ替わらないものと入れ替わりやすいものがあり、入れ替わる際にも、ある可能性の範囲内で入れ替わることが分かってくる。石に自分のプロフィールを彫って、入れ替わりにくくならないか試す人も現れる。
オマールとラフィークもそれを試すが、その際、オマールはラフィークが実は細かいところでは入れ替わっていることに気付いてしまう。
オマールはラフィークとは入れ替わりによって別れることになるが、しかしそれでも、この異変を受け止めて生きていくことを決める。それは、もう元の家族とは会えないことを覚悟することでもある。

原作:スタニスワフ・レム/マンガ:森泉岳土 「ソラリス

ソラリス』のコミカライズが2024年に刊行予定で、それの冒頭掲載とのこと。
ソラリスってむかーしに映画版を見たことがある気がするのだけど、よく覚えていない。小説も未読。このコミカライズは読みやすそうな感じがする。

矢野アロウ『ホライズン・ゲート 事象の狩人』冒頭掲載

ハヤカワのnoteでも冒頭部分が掲載されている。
ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作『ホライズン・ゲート 事象の狩人』冒頭試し読み公開!|Hayakawa Books & Magazines(β)
これを途中まで読んでて面白そうだなと思って、今回、誌面で改めて読んだ。
既に単行本が出ているので、折を見て読んでみたい。
選評も掲載されていた。選考委員は、東浩紀小川一水神林長平菅浩江塩澤快浩の5名。
まず、東が自分は少数派だったと述べ、最高点を間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」に、最低点を「ホライズン・ゲート」にしたとしている。
「ここはすべての夜明けまえ」は最終的に特別賞を受賞しており、2月号に全文掲載されている。
さて、両作品の各委員の評価は以下の通り。
まず「ホライズン・ゲート」
東:エンタメとしての完成度は高く、受賞に異議はない。ポストヒューマン設定と人間的な物語のバランスが欠いていた点が評価できず
神林:文章表現が美しいが、アイデア面でのオリジナリティが低い
菅:最高点を入れた
塩澤:アイデアの豊富さと後半の展開が素晴らしい
なお、小川はもともと大賞作でも特別賞作でもない別の作品を推していた。
次に「ここはすべての夜明けまえ」
東:小説としては多くの欠陥があるが、もっとも心に響いた
小川:この人は科学にあまり関心がない。語りで話を引きずっていく力がある
神林:ひらがなの多用が読みづらいが、引き込まれた。内容も新鮮。SFとしては弱い
菅:他の委員と一番評価が異なった。読むのが苦しい。新味を感じられない
塩澤:SFとして弱いのか、自分の感性の鈍さか判断できず
「ホライズン・ゲート」は、最高点を入れたのは菅だけっぽいので、決して東以外全員一致だったというわけではなさそうだが、一方で、最低点を入れたという東も作品の出来については評価しており、他の審査員の評価も基本的に悪くないので、全体的にバランスとれた面白さがありそうという印象。
一方の「ここはすべての夜明けまえ」は、確かに問題作だったのだなというのが各選評からも感じられる。委員同士で割れたというだけでなく、一人の委員の中でもどう評価するか悩んだ、というのが伝わってくる。そういう意味で、この作品も読んでみたいなと思わせるところがあった。

加治屋健司『絵画の解放 カラーフィールド絵画と20世紀アメリカ文化』

カラーフィールド絵画と同時代に美術批評や文化との関係について論じた博士論文をもとにした本。
カラーフィールド絵画については、自分は「カラーフィールド色の海を泳ぐ」展 - logical cypher scape2によって初めて知ったが、見たら一発で気に入ってしまった。
この展覧会の図録には、本書の筆者である加治屋健司による論考もあり、また、加治屋によるカラーフィールド絵画についての著作(つまりこの本)が近刊と記されていたので、気になっていた。
カラーフィールド絵画というのは、抽象表現主義のあとに現れた抽象絵画をさし、本書の中では具体的には、ヘレン・フランケンサーラー、モーリス・ルイス、ケネス・ノーランド、ジュールズ・オリツキー、フランク・ステラの5名が対象となっている。
カラーフィールド絵画は、美術史的には、クレメント・グリーンバーグが「ポスト・絵画的抽象」などで紹介したことで知られる。グリーンバーグを筆頭としたモダニズム批評の中で評価されたが、それゆえに、モダニズム批評の衰退とともに、あわせて衰退してしまった、と思われている。
つまり、カラーフィールド絵画とモダニズム批評は一心同体・一蓮托生、と一般的には思われている、らしい。
これが本書の大前提になっていて、本書は、いやしかし実は、カラーフィールド絵画とモダニズム批評の結びつきというのは、思われているのとは違うものなのではないか、と検証していくものになっている。
なので、カラーフィールド絵画という具体的な話だけでなく、批評・批評家と作品・作家の関係みたいな話としても読むことができる本になっている。
まあ、読んでみての感想としては「ひ、批評の害悪……」と感じるところもあったが。
また、美術批評というものをあまりよく知らず、かろうじてモダニズム批評を最近ようやく少し知ったくらいの人間なんだけど、これを読むと、批評家によって言っていることがバラバラだな、ということを知れて、気が楽になったというか、面白かった。
また、何らかの文化現象というの、その渦中においては色々とあるわけだが、これが10年もするとわりと単純な図式で理解されるようになってしまう、というのはしばしば見受けられることだと思うのだが、本書は、単純な図式を本当にそうだったのか、ともう一度見直してみる、ということをしていて、これもまた、カラーフィールド絵画に限らない話として読むことができる気がする。


本書は4章構成になっていて、
第1章は、カラーフィールド絵画とモダニズム批評のかかわりを見ていく。
実際に関わりは深かったわけだが、一様に評価されていたわけではなかったし、画家から批評家への影響もあった、と。また、グリーンバーグとフリードの関係についても論じられている。
第2章は、モダニズム批評以外の批評家によるカラーフィールド絵画評価・解釈で、モダニズム批評以外からも様々な形で言及されていたことがわかる。
第3章は、ほかの美術動向とのかかわりになる。
カラーフィールド絵画に続く美術のムーブメントとして、ミニマル・アートやポップ・アートがある。モダニズム批評は、抽象表現主義やカラーフィールド絵画を評価する一方で、ミニマル・アートやポップ・アートに対しては否定的であった(モダニズム批評が退潮していくのはおそらくそのせいなのだが)。
それゆえに、カラーフィールド絵画とミニマル・アートやポップ・アートは対立するものであるかのような見方が、のちに広まるようになった、らしいのだが、本章は、一概にそういうわけではなかった、ということを論じていく。
第4章は、さらにカラーフィールド絵画と、美術以外のものとのかかわりを見ている。具体的には、商品デザイン、複製メディア、インテリア・デザインとの関係である。
美術というのは、特にモダニズム批評において顕著だが、それのみで独立で成立しているかのようにみなされることがあるが、実際には、その時々の(美術以外の)文化全体の中で成立していくものなのである、と。


カラーフィールド展に行った後に、一応クレメント・グリーンバーグ「モダニズムの絵画」「ポスト・絵画的抽象」 - logical cypher scape2を読んでいる。また最近になって、『モダニズムのハード・コア 現代美術批評の地平 批評空間臨時増刊号』 - logical cypher scape2を読んで、フリードについても基礎知識を得たところだった。

序論 新たな出発に向けて
第1章 モダニズム美術批評との関わり――教導から協働へ
1 カラーフィールド画家とモダニズム美術批評家
2 クレメント・グリーンバーグマイケル・フリード
3 グリーンバーグの美術批評の変化
第2章 多様な美術批評による解釈――個展の展覧会評を中心に
1 ヘレン・フランケンサーラー
2 モーリス・ルイス
3 ケネス・ノーランド
4 ジュールズ・オリツキー
5 フランク・ステラ
第3章 六〇年代美術とともに――ポップ・アート、オプ・アート、ミニマル・アート
1 同時代の展覧会と批評
2 非コンポジションという共通の関心事
3 カラーフィールド絵画に対するミニマリストの関心
第4章 アメリカ文化の中で――商品デザイン、複製メディア、インテリア・デザイン
1 具象的なイメージや事物とのつながり
2 複製技術の経験との比較
3 インテリア・デザインとしての役割
結論 絵画の解放
あとがき

序論 新たな出発に向けて

第1章 モダニズム美術批評との関わり――教導から協働へ

1 カラーフィールド画家とモダニズム美術批評家

まず、5人のカラーフィールド画家とモダニズム批評との関わりについて

  • フランケンサーラー

カラーフィールド画家の筆頭を飾るフランケンサーラーだが、のっけから、モダニズム批評との関係はなかなか複雑である。というのも、モダニズム批評の代表であるグリーンバーグと一時期恋人の関係にあったからである。22歳で出会っていて5年ほど交際。ちなみに、グリーンバーグはおよそ20歳くらい年上。
グリーンバーグがバックにいたことで、彼女への評価が安定したということはあったらしい。
しかし一方で、そういう関係だったためか、グリーンバーグは自身の批評においてフランケンサーラーへの言及はしていないのである。
つまり、カラーフィールド絵画はモダニズム批評によって評価されたと一般的に言われているが、しかし、前者の代表であるフランケンサーラーが、後者の代表であるグリーンバーグによって評価された文章は、実は存在しない、ということになる。
ただ、唯一グリーンバーグが言及しているのは、「ルイスとノーランド」という文章である。フランケンサーラーは、ステイニング技法というカラーフィールド絵画を代表する技法を発明したことで知られるが、グリーンバーグは、ルイスとノーランドをフランケンサーラーに紹介し、2人はそこでステイニング技法を知り、自分たちもその技法を取り入れることになる。このエピソードをグリーンバーグが紹介しているのである。
そして、フランケンサーラーがステイニング技法を思いつくきっかけになったのは、ポロックのブラック・ポーリングなのだが、フランケンサーラーとポロックのつながりを作ったのもまたグリーンバーグだったようで、影響を及ぼしたという意味ではグリーンバーグの存在は大きい。
さて、グリーンバーグ以外のモダニズム批評家はどうだったかというと、フリードは批判、ローズは評価していた、と。

  • ルイス

ルイスは若くして亡くなっており、主にはヴェール絵画、ストライプ絵画、アンフォールド絵画の3つのスタイルで知られている。
ここでは特に、ストライプ絵画の向きをめぐって、グリーンバーグとの抜き差しならない関係が述べられている。
ストライプ絵画は縦方向に色が塗られているというものなのだが、片方が絵の具の垂れたような状態になっている。一般には、これが上向きになるように架けられた状態で状態で知られている。
ところが、生前のルイスの意向としては、逆でそちらが下向きになるように架けるというものだったらしい。
なぜ上下逆向きで架けられるようになったのかというと、グリーンバーグによるモダニズム批評的解釈が影響したというか、モリスの死後の展覧会でグリーンバーグがそう指示したっぽい。

  • ノーランド

グリーンバーグは、色彩の画家として評価した一方で、フリードもまたノーランドのことを評価していたが、解釈が異なっていて、色彩ではなくて「演繹的構造」に着目していた。支持体の形状から演繹されて絵画内容が決まっている、というようなこと。

  • オリツキー

ほかの画家に比べると世に知られるようになったのが遅く、1958年に偶然グリーンバーグによって発見された。
しかし、グリーンバーグは、モダニズムとは異なる論理でオリツキーのことを気に入っていたらしい。また、オリツキーというとスプレーガン絵画が有名だが、グリーンバーグが評価していたのはそれ以前のもの。
フリードはスプレーガン絵画を評価したが、その際「視覚的時間」という言葉によって解釈していた。モダニズム批評はむしろ無時間性・瞬間性を評価する立場だと考えると、フリードもまた、オリツキーをモダニズム批評とは異なる観点から評価していたらしい。

  • ステラ

グリーンバーグはステラを「ポスト絵画的抽象」展に選んだが、その後は言及しなくなった。
フリードは一貫してステラを擁護し、当初はステラ作品を「モノ性」から評価していた。しかし、フリードの中で「モノ性」についての考えは変化していき、のちに「客体性」となっていくが、むしろ批判対象となった。ステラ作品については、「モノ性」からではなくその「演繹的構造」やイリュージョンと支持体の形状のかかわりから評価するようになる。

2 クレメント・グリーンバーグマイケル・フリード

モダニズム批評を代表する批評家がグリーンバーグとフリードであるが、この2人の間にはいろいろな相違がある。
まず、ポロックをめぐってのものである。
ただし、これについて筆者は、フリードはグリーンバーグの掌中であったと評価している。フリードはポロックに「視覚性」を見出しており、かつ、自分がそれを初めて見出したと論じているのが、実際にはグリーンバーグの方が先にそれを言っていた、と。
ところで、やや細かい話だが、フリードはポロックを論じる際に、抽象的(アブストラクト)・具象的という概念対ではなくて、形象的(フィギュラティブ)・非形象的という概念対を提案したらしい。
また、先にも述べたが、オリツキーをめぐっても解釈の違いがあり、フリードは「視覚的時間」論を展開したが、実はのちに修正されている。
グリーンバーグの「即座性」という概念をもとに、フリードは「瞬間性」を論じるようになる。
ステラの評価についても対立している。
ルイスの解釈についても、「ジェスチャー」概念をめぐって、対立があったらしい。
ただ、全般的にフリードは、のちにグリーンバーグにそうように意見を修正したりなんだりしているらしい。
筆者によれば、フリードはたびたび、モダニズム批評とは異なる観点からの批評を試みているのだが、本格的には展開していないようだ。
最後に、他のモダニズム批評家についても触れられている。
モダニズム批評はミニマル・アートに批判的だが、もともとモダニズム批評をしていたロザリンド・クラウスは、ミニマル・アートのドナルド・ジャッドを評価して、モダニズム批評から離れる。
また、バーバラ・ローズは、やはりモダニズム批評では扱われていないネオ・ダダやポップアートをカラーフィールドとともに論じた。

3 グリーンバーグの美術批評の変化

本章の最後は、カラーフィールド絵画、というかフランケンサーラーからグリーンバーグへの影響について
ポロックのオールオーヴァーに対する評価・解釈が、実は次第に変容している
ポーリング技法について、当初、オールオーヴァーな画面の単調さを防ぐためにその物質性(絵の具の盛り上がり)が用いられているという点で評価していたのだが、のちに視覚性から評価するようになる。

第2章 多様な美術批評による解釈――個展の展覧会評を中心に

第2章では、カラーフィールド絵画がモダニズム批評以外からどのように評価・解釈されていたか、について

  • 1 ヘレン・フランケンサーラー

もともとは賛否両論というかどちらかというと否定的な評価ではあったようだが、モダニズム批評以外からも言及されていた。
1960年に早くも回顧展を行っているが、その際、シーライから酷評を受ける。酷評というか、心理主義的な解釈というか、作者に対する中傷にもなりかねないような評価であり、これに対しては、フランケンサーラーを擁護する反応が相次ぐ。
特にこの点で注目すべきは、モダニズム批評家はみな反応していなくて、モダニズム批評以外の画家や批評家がフランケンサーラー側にたっていたということ。
批評家のドリー・アシュトンによる評価など

  • 2 モーリス・ルイス

ルイスは、その初期に抽象表現主義風の作品を描いているが、先行する抽象表現主義とは異なり、その冷静さが評価の対象になっていた。
また、1960年には、多様な展開をしていて、様々なスタイルを試していたところがある。
ルイスには、現在知られているヴェール、ストライプ、アンフォールド以外にも色々なスタイルの可能性があって、そうした点を評価していた批評家もいたわけだが、実は、これらについてはグリーンバーグからの介入がある。
まず、抽象表現主義風の作品について、グリーンバーグは評価しておらず、どうもそれの影響で、ルイスはそうした作品群をほとんど廃棄してしまっているらしい。そのせいで、ルイスの画風の変遷というのが追えなくなっているところがある。
また、様々なスタイルの試行についても、グリーンバーグがそれを止めるように忠告している。これはかなり商業的な理由で、この作家の絵だ、というのが一目でわかるようなスタイルを確立しないとコレクターが買ってくれないよ、という話だったらしい。
上述した絵の向きの話とあわせて、グリーンバーグはかなりルイスに対して介入していたことがわかる。
上に「ひ、批評の害悪……」という感想を書いたが、主にはこのグリーンバーグのルイスに対する介入についての感想である。
オドハティが、ストライプに対して視覚性によって論じているが、これは、モダニズム批評における視覚性とは異なる概念で、オプ・アートのように目にちかちかするみたいな意味での視覚性だったらしい。

  • 3 ケネス・ノーランド

ノーランドについても、光学的ないし視覚効果としての視覚性が論じられている。
また、ノーランドについてはダダという指摘がなされることもあったらしいが、スタインバーグとフリードがこれについては反論している(つまり、ノーランドはダダではない、と)
第4章でも触れられるが、ノーランド作品にはその連想作用にも触れられている。抽象絵画ではあるのだが、具体的な事物を連想させる。
アシュトンからの批判を受けて、それへの反論として、作品を大型化させる、ということを行っている。
そして、その環境的な性質についても論じられるようになる。
視覚性、連想作用、環境的な性質と、いずれもモダニズム批評とは異なる観点からも評価・解釈されていた。

  • 4 ジュールズ・オリツキー

1958年に初の個展を開く。ルイス、ノーランド、ステラも同時期に初の個展を行っているが、彼らと比較して当時のオリツキーは無名。その個展をグリーンバーグが偶然訪れことが転機となる。
この当時手掛けていたのは厚塗り絵画で、アシュトンは批判していた。
グリーンバーグに直接批評されたわけではないが、グリーンバーグがアドバイザーをしているギャラリーで扱われるようになったことで、評価が好転する。
もともと、オリツキーの絵画が演繹的構造論と相容れず、視覚的時間の観点から論じていたフリードだったが、スプレー絵画からは、演繹的構造の観点から論じるようになる。
対して、もともとオリツキーに否定的だったリッパードは、フリードの批評にも反論する。リッパードとしては、抽象絵画の流れの中ではオリツキーのスプレー絵画はむしろ後退だ、と。
のち、オリツキーがスプレー絵画の縁に線を描くようにあると、フリードはそれをさらに高く評価。一方、リッパードはますます酷評するようになる。

初期の作品である「黒」(1958~1960)については、批評家は評価しなかったが、キュレーターや研究者が評価した。
グリーンバーグはステラについて言及せず、ステラとは大学の友人であるフリードも、この当時はまだ学生でイギリス留学中だったため、批評は書いていなかった。
のちにミニマル・アートの作家となるジャッドだが、もともとモダニズムにつながりを感じており、ステラの銅の絵画(1962)についてモダニズム的な視覚性を指摘している。
オドハティはステラ作品をニヒリズムだと批判しているが、ステラはそれに反論している。
リッパードやコズロフが、ステラ作品を物体性とそこから超える点から評価している。
不整多角形シリーズについて、アシュトンは、論理がないと批判している一方で、コズロフ、リッパード、クラウスはそれぞれ、独自の論理があると評価している。
クレーマーは、幻惑的な視覚性を指摘している。

第3章 六〇年代美術とともに――ポップ・アート、オプ・アート、ミニマル・アート

1 同時代の展覧会と批評

現在では、カラーフィールド絵画とミニマル・アートは、モダニズム批評の影響もあって、対立するものだと見なされがちだが、当時は同時展示もよくされていた。
1964年、アーヴィング・サンドラーは、「熱い抽象」「冷たい抽象」やマクルーハンの「ホットなメディア」「クールなメディア」という概念対を参照しながら、「クール・アート」を提唱。その中には、ステラ、プーンズ、ジャッド、ウォーホル、リキテンスタインと、カラーフィールド絵画、ミニマル・アート、ポップ・アートが区別なく含まれていた。
1965年の「応答する眼」展では、サイツが「視覚的絵画」「知覚的芸術」という概念を提唱。サイツは「オプ・アート」という言葉は使わず、オプ・アートとカラーフィールド絵画を、視覚的絵画と呼んだ。
1966年の「システム絵画」展やボッグナーの「シリアル・アート」論では、システムとか連続的(シリアル)とかいった概念から、カラーフィールド絵画とミニマル・アートが共通するものとして捉えられている。
1968年「リアルなものの美術」展は、オキーフ、ニューマン、ロスコ、フィーリー、ジョーンズ、ケリー、ルイス、ノーランド、ステラ、スミス、アンドレ、ジャッド、モリスが展示され、物質性というような意味で「リアルなもの」として捉えられた。直接には「芸術と客体性」へ言及していないが、同論文への批判的反応と考えられている。

2 非コンポジションという共通の関心事

カラーフィールド絵画とミニマル・アートにおいて、「非コンポジション」への関心という点が共通していたのではないか、と。
コンポジションというのは、画面全体をみてバランスをとる行為。画面の右にこれを置いたから、左にあれを配置して~みたいなこと。
作品制作において、全体ではなく部分を重視する姿勢があり、これは、デイヴィッド・スミス→ノーランド→カロ、という影響関係がある。制作中にあえて作品全体は見ずに、構成要素同士のつながりだけ見て制作していく。
オリツキーのスプレーガンも、色と色の境界が分からないようにして構造ができることを避け、また事前の構想というのも回避しようとした方法ではないか、と。
ルイスにおいても、コンポジションの除去が目論見られていたのではないかということについて、ルイス作品に寸法表示がないことが挙げられている。
ルイスは、作品を輸送する際に巻物のように丸めていたらしく、それを額装する際の寸法の指示をしていなかったらしい。ただここは、ルイスはそれを人任せにしていたかというとそういうわけでもなく、作家の意図する寸法はあったのではないか、という微妙な話もしているのだが、事前に決めていないという意味での非コンポジション
また、ステラ作品の対称性もまた非コンポジション性のあらわれではないか、と。
ノーランド作品の話とも通じるのだけど、対称的な形と決めてしまうことで、全体のバランスとかは考える必要がなくなって、色彩とか構成要素間の関係とかに集中できる、と。
こうした非コンポジションの話は、フリードにおいては演繹的構造論として論じられていて、のちに「芸術と客体性」でカロ作品については「シンタックス」という言葉で論じるのも、これの延長線上にある議論だろう、と。
ミニマル・アート側でいえば、ジャッドもまた、非コンポジションへの関心を持っていた。

3 カラーフィールド絵画に対するミニマリストの関心

モダニズム批評はミニマル・アートに否定的だったのだが、ジャッドはもともとモダニズムに親和的で、カラーフィールド絵画にも関心があった。
具体的には、フランケンサーラーやオリツキーには批判的、ルイス、ノーランド、ステラには好意的に言及しているらしい。
また、モーリス・ルイスに対してロバート・モリスも言及していて、物質性とプロセスに自らとの共通性を見いだそうとしていたらしい。
ところで、自分だけかもしれないが、モーリス・ルイスとロバート・モリスって名前がどっちがどっちだったかいつも混乱する。
ルイスについては、蛍光灯を用いた作品で有名なフレイヴィンによるオマージュ作品もある。
ステラは、美術史的にもカラーフィールド絵画とミニマル・アートの双方に属する画家と見なされており、人間関係的にも、ノーランド、ジャッドそれぞれと親しかった。ステラ自身、この両者の区別についてあまり頓着していなかった模様。
モダニズム批評の党派性を批判したローゼンブラムは、ステラ論を書いている。
スタインバーグ「他の批評基準」において、フラットベッド型絵画面という概念で両者を論じている。
ロザリンド・クラウスも、両者に、観者の問題の共通性を見て取っている。

第4章 アメリカ文化の中で――商品デザイン、複製メディア、インテリア・デザイン

1 具象的なイメージや事物とのつながり

ノーランド作品については、当時、商品ロゴや軍の階級章を連想させるという指摘が色々出ていたらしい。
アシュベリーはルイスやノーランドの抽象的なイメージの中に具象的な事物を見出す批評を書く。ルイス作品について「イソギンチャク」とか「日よけのストライプ」とか、ノーランド作品について「マニ車」とか。そして、単に形態的な類似を指摘しているのではなく、そこに抽象表現主義との違いと同時代のアメリカの精神(抑制や落着き、穏やかさ)を指摘する
1965年に『タイム』誌が、ルイスやノーランドを大衆文化と結び付けて論じる。背景として、1964年のヴェネツィアビエンナーレに、ルイス、ノーランドが、ラウシェンバーグ、ジョーンズとともに参加し、ラウシェンバーグが大賞をとっていたことがある。

2 複製技術の経験との比較

オリスキー・スプレー絵画についての評価で、カラー写真(マリンズ)、スライド・プロジェクター(フリード)、ルミア(1920年代に流行した抽象的な光の芸術)(クレーマー)との比較・連想が行われており、複製技術メディア経験と比較されていた。
また、ルイスのヴェール絵画も、ワイドスクリーンな映画経験との比較がされていた。

3 インテリア・デザインとしての役割

まずそもそもの話として、絵画をインテリアとして使うことについて前史が触れられている。メゾン・キュビストとか
1950年代から室内装飾として絵画を用いるのが、ファッション誌とかで紹介されたりしている。
1960年代、抽象表現主義やカラーフィールド絵画が室内へ入っていく。
あんな巨大なモノを一体……と思うのだが、当時の雑誌に掲載された写真がいくつか紹介されている。
1950年代においては、暖炉の上とかに絵画を置くという感じだけれど、抽象表現主義やカラーフィールド絵画は、当然ながら壁一面にどーんという感じになる。
美術館のホワイトキューブで鑑賞するのとはまた違った「鑑賞」がそこにはあったのではないか、と(必ずしも理想的なポジションから見れないとか)
グリーンバーグもまた自室にいくつも抽象表現主義やカラーフィールド絵画を架けていた。架けられている作品を見るとそれぞれバラバラなのだけど、カーペットとか近くに置かれている家具とかの色があわせられていて、インテリア・デザインとして部屋に調和をもたらすように使われているのだ、と。グリーンバーグは、カラーフィールド絵画に、作品としてだけではなく、インテリアとしての価値も見いだしていて、作家の意図を無視するモダニズム批評と整合的なのではないか、とか。
こうしたカラーフィールド絵画のインテリアへの利用は、カラーフィールド絵画風の模倣絵画やブラインドを生み出す。もはや、特定の作家の作品ではなくて、それっぽい色の配置であればいいということになる。

結論 絵画の解放

ここまでの4章の議論が改めてまとめられた後、インテリア化などは大衆文化への吸収であってキッチュ化なのではないか、という疑問に対して、相互に影響を与えあっていたのだという事例として、タペストリーとノーランドの例が挙げられる。
ノーランド風のタペストリーというのが作成されるのだけど、一方で、ノーランドもこのタペストリーから影響を受けた作品を作っていた、と。

感想

5人の画家について論じるという体裁になっているが、後半の議論の主人公はノーランドとルイスだったなという印象
ところで、カラーフィールド絵画って「カラーフィールド色の海を泳ぐ」展 - logical cypher scape2にもあったが、共通した様式があるというわけではなくて、個人的には、フランケンサーラーやオリツキーと、ノーランドやステラとではずいぶん違うんじゃないかなと思っている。まあ、作品の見た目の話だけど。
ノーランドやステラとミニマル・アートとの距離の近さはわかりやすい一方、同じカラーフィールド絵画というくくりではあるけれど、フランケンサーラーやオリツキーはやっぱりミニマル・アートとは距離があるのではないか、という気もする。
ところで、じゃあルイスは一体という話で、同じステイニング技法を使っているという点でフランケンサーラーと似ていると思うのだけど、本書を読んでいると、批評家からの反応という点でノーランドとルイスは近しく思われているんだなー、というのが意外だった。
ところで、大体において、カラーフィールド絵画はモダニズム批評ではない批評家にも評価されていた(賛否両論あれど「賛」もあったという意味で)という感じでまとまっているけれど、オリツキーについては、フリード以外からはほとんど評価されていなかったのではないかという感じがしていて、オリツキー好きな身としては悲しみ。そのフリードの議論にしても、いまいちよく分からなかった……。
しかし、フリードは『モダニズムのハードコア』読んだ際にも思ったが、言ってることよくわからないところもありつつ、何故か嫌いになれないところがある。対して、本書を読んで、グリーンバーグへの印象は悪くなったw
そういえば、以前、同じ著者による非コンポジションの話を読んだときはよくわからなかったのだが、システムや連続性、そして全体ではなく部分というようなところから何となくわかるような気がしてきた。

木村靖二『第一次世界大戦』

第一次世界大戦全体の流れを新書一冊にまとめた本。
軍靴のバルツァー*1上田早夕里『リラと戦禍の風』 - logical cypher scape2を読んで、第一次世界大戦が気になっていたので。なお、この本は『リラと戦禍の風』の参考文献として挙げられていた。
第一次世界大戦というのは、特に日本では第二次大戦と比較して、あまり知られてはいない。実際、日本では一般的な認知度もそうだが、研究という面でもあまり行われていないらしい。本書は、開戦100周年の2014年刊行で、第一次世界大戦全体の入門と近年の研究のフォローアップを目的に書かれている、と。
なお、日本ではあまり第一次大戦研究が行われてこなかったらしいが、2007年から京大で第一次世界大戦の研究が行われ、やはり開戦100周年の2014年に「第一次世界大戦を考える」シリーズとして刊行されている。このシリーズについては、本書の参考文献にも、『リラと戦禍の風』の参考文献にも挙げられている。
ところであまり意識していなかったが、今年2024年は開戦110周年にあたるのだな。

序章 第一次世界大戦史をめぐって
第1章 一九一四年―大戦の始まり
第2章 物量戦への移行と防御の優位
第3章 戦争目的の重層化と総力戦体制の成立
第4章 大戦終結を目指して

序章 第一次世界大戦史をめぐって

序章は、第一次世界大戦研究について。
まず、その名称が確認される。日本語では「世界大戦」と呼ぶが、欧米では、World War(世界戦争)かthe Great War(大戦争)と呼ばれていて、「世界大戦」はそれを折衷したような呼び方。
これは、国によってどう捉えているかの違いを反映している。英仏はthe Great Warと呼んでいる。元々はナポレオン戦争の呼び方。
第一次世界大戦研究の萌芽は戦中から。ドイツで開戦の正当化のため、外交文書が議会に公開される。それまで秘密外交が主流で外交文書が公開されることは稀だった。
戦後から、開戦の責任はどの国にあったのかというのが主な論争となる。
まあ、ドイツが悪いでしょという話だったのだが、ヴェルサイユ条約に対するドイツ国民の反発などからドイツだけに責任があるわけではないという形で「合意」が成立し、第一次世界大戦研究はいったん下火になる。
が、1950年代に入って、フィッシャーが再びドイツ責任論を言い出して論争へ。
フィッシャーはドイツの歴史学者で、どちらかといえば地味な研究者で普通に史料を分析していったら、そういう結論に達したというだけなのだが、ドイツ国内から裏切り者扱いされてしまったらしい。
という感じで、第一次世界大戦研究というと、当初は開戦に至った経緯を調べる「前史」の研究が主流であったが、次第に戦争そのものの歴史研究へと至る。
戦争そのものの歴史という意味では、軍における戦史研究がかなり早い段階で始まっている。ただしそれらは、会戦や作戦などについての研究であって、政治や社会との関連などは扱われてこなかった。一方、歴史家による研究は、銃後社会についてが専らで、戦史は扱われてこなかった。
「下からの歴史」
ホブズボームの「短い20世紀」
1990年代以降の「新外交史」

第1章 一九一四年―大戦の始まり

第一次世界大戦は、三国協商vs三国同盟の対立図式によって説明されることが多い。
しかし、この対立をあまり固定化して考えてはいけない、とのこと。米ソ冷戦を投影してしまった解釈なのでは、という話もある、と。
列強諸国がおのおのの利害に基づいてそれぞれ同盟を結んでいった結果であって、二大勢力の対立みたいなことが意識されていたわけではない、と。
ヴィルヘルム二世は明確に露仏とどのように戦うのか意識していたわけではあるが、イタリアはむしろオーストリアとの間に領土紛争を抱えていたので三国同盟として参戦することはなかったし。
当時の国際情勢は、列強諸国による均衡体制であったが、その草刈場となっていったのがバルカン半島で、しかし、バルカン半島諸国それぞれが独立に向けて動き、それらを列強諸国がそれぞれに支援していった結果、もはや列強諸国でもコントロールしきれない不安定な状況になっていく。
オーストリアによるボスニアヘルツェゴビナ併合、イタリア・トルコ戦争、第一次バルカン戦争、第二次バルカン戦争と続き、サラエヴォ事件が勃発することになる。
オーストリアセルビアに対して懲罰的軍事行動を行うことを決める(以前からⅠ1年間に25回も進軍を提言していたタカ派がいたりしたらしい)。その際懸念だったのがロシアのセルビア支援で、それを牽制するためドイツに伺うと、ドイツは同盟に基づいて行動すると回答。これが、オーストリアへのドイツの「白紙小切手」となり、ドイツに開戦責任があるという根拠になっている。
オーストリアのこの動きは基本的に秘密裏になされており、諸外国も国民も、セルビアが何らかの対応をすることになるだろうとは思っても、戦争するとは思っていなかったらしい。
最後通牒に対してセルビアは大半はそれを受諾するような回答をするのだが、オーストリアは開戦する。
局地戦ではセルビアが負けると考えたロシアは、牽制のため総動員令を発令するが、ロシアの先制行動を待っていたドイツはこれを口実にロシアへ宣戦。露仏同盟に基づき動員を始めたフランスにも宣戦した。
列強体制特有の論理による開戦だったという。
この頃、一等国、二等国という言い方があって、国の中に序列があり、列強同士に弱肉強食があった。列強の地位から振り落とされないために、という理屈があった。
国内の不満をそらすための戦争だったと言われることもあるが、そこに重きはなかった、と。
もともと第三次バルカン戦争という感じで始まったが、第一次、第二次バルカン戦争との違いは、オーストリアという列強が当事者国だったことで、さらに続いて、ドイツと露仏という列強国同士が戦い始めるにいたって、戦争の中心はそちらへと移動した。
その後、セルビアは顧みられることがなく、第一次世界大戦史においても、よほどくわしいものではない限り、その後のセルビアは言及されない、という。
それを踏まえると上田早夕里『リラと戦禍の風』 - logical cypher scape2でのミロシュという登場人物の意義がよく分かる。彼の存在により、セルビアの情勢が時折描かれるからである。
19世紀までの戦争は内閣戦争とも言われた。ここでいう内閣は、小部屋のことで、要は密室で全てが決められていた戦争だった。それが第一次世界大戦で国民戦争へと変わった。
開戦に際して国民の間で高揚が見られた、とも言われているが、実際にはこれは都市部のエリートに限られて、全体としては特に高揚した雰囲気はなかったというが、一方で懲役拒否や参戦反対の動きもなかったという。国民意識が定着しており、兵役には従うという感じだったらしい。
独墺で敵性語追放運動があったと書いてあって、第一次大戦のドイツで既にあったのか……と思った。
各国(ドイツ、フランス、イギリス、ロシア)で挙国一致体制がとられ、政争や労働争議が中断される。


ドイツにはもともとシュリーフェン計画(作戦)というのがあって、これに基づいて戦争を開始した。ドイツは必然的にフランスとロシアとの二正面作戦をとることになるが、まずは西部に戦力を集中させてフランスを叩き、その後に、遅れてくるであろうロシアと戦う、という時間差をつければ、一面ずつ戦えるという作戦。
しかし、ベルギーの抵抗とロシアの意外な早さによって、早々にこの作戦は破綻する。
そもそもこの作戦は、中立国のベルギーへの侵攻を前提としており、このあたりもドイツへの戦争責任を問う要因となっている。
ただ、明らかに補給線が伸びてしまうので、パリの近くまで侵攻するものの、ドイツの進撃はとまってしまう。
ドイツ側は戦線を立て直すために軍をいったん退くが、これがフランス側では「マルヌの奇蹟」と呼ばれている。この退却判断を一体誰がどのようにしたのかは不明で、今でも第一次大戦研究での研究対象の一つとなっているらしい。
さて、この緒戦において、両軍ともに砲弾を大量消費しており各国において「砲弾の危機」が起きる。基本的に短期戦を想定していたということもあるが、軍側が後方における生産体制を全く考慮していなかった。
また、市民の犠牲が早速出ている。
ベルギーでは、ドイツによる市民の処刑が行われている。上田早夕里『リラと戦禍の風』 - logical cypher scape2にも書かれていた図書館炎上の件にも言及されていた。『リラと戦禍の風』ではドイツ軍のベルギーでの所業を図書館炎上に代表させていたが、一般市民をかなり殺していたっぽい。
東欧・バルカン地域では機動戦が続き、大量の難民が発生した。
フランスを叩いてからロシアを叩くという当初の計画通りには進まず、ドイツは「勝つ戦争」から「負けない戦争」への目標転換を図る
西部戦線重視派と東部戦線重視派が対立し続けることになるらしいが、参謀総長ファルケンハインは前者。ロシアとの単独講和を行って、フランスとの戦闘に集中し、後日、さらにイギリスを挫くという構想。
しかし、国民戦争における休戦の難しさが露呈してくる。講和するにも、国民を納得させる条件が必要となってくるからである。そもそも、フランス・ロシア・イギリスは単独講和をしない取り決めもしていた。
そんな中、日本参戦、オスマン帝国参戦が続き、戦線は世界へと拡大していく。

第2章 物量戦への移行と防御の優位

各国で戦時経済体制が構築されていく。
ドイツにおいては、まず輸入制限により原料確保が難しくなる。
特に問題になりそうだったのが窒素で、戦前は輸入硝石に依存していたが、ハーバー・ボッシュ法の発明により、窒素が確保できるようになる。工業国の面目躍如
連合国側は、原料確保の問題はあまりなかったが、労働力の問題があった。
労働運動に国が介入する動きが出てきて、労働組合指導者や社会主義者の協力ないし入閣へとつながった。
財源のほとんどは税ではなく債権で、戦後に賠償金で賄う前提だったので、ますますどの国も戦争をやめにくかった。
食糧危機
そもそも戦前のドイツは食糧自給ができていたし、ロシアやオーストリアはむしろ輸出国だったので、食糧危機の可能性は考えられていなかった。
まず、軍隊に大量の食糧需要があってそこに食糧をとられるうえ、徴兵による農地での労働力不足が発生したことによるものだった。
また、東欧では当初から穀倉地帯が戦場になったことで食糧不足が起きた。
食糧危機を予見していなかったので場当たり的政策がさらに状況を悪化させた。その代表例が、ドイツの「豚殺し」でこれは上田早夕里『リラと戦禍の風』 - logical cypher scape2でもかなり強調されていた。


ドイツはロシア領ポーランドを占領するも状況は膠着
一方、いよいよオーストリアは軍事力が低下していく。
オスマン・トルコ帝国に対して、英仏が陸海両面からの攻撃を図った、ガリポリ(ダーダネルス)戦
これは、ドイツの援助と指導によりオスマン帝国が勝利する。
ケマル・パシャが活躍していたらしい。また、この敗戦の責任をとって、当時海軍大臣だったチャーチルが辞任している。ここらへんの人たち、こうやって歴史に姿を現してくるんだなー。
ブルガリアが参戦し、セルビアが敗北して、ギリシアテッサロニキ
「未回収のイタリア」をめぐりイタリアが参戦(オーストリアへ宣戦)する
もともとイタリアは、独墺の同盟国だったが「未回収のイタリア」問題があったため、開戦当初から参戦はせず、中立国の立場だった。ドイツ的には、中立国の存在は重要で、イタリアをはじめとする中立国経由で輸入を行っていたので、中立にとどまるよう説得していたが、英仏の秘密外交によって、イタリアは寝返った形。ただ、オーストリアとの単独宣戦だった。一方のオーストリア的には、この裏切りはかなり腹立たしいものだったらしく、既に戦力ガタガタだったのだが、イタリア戦線のオーストリア軍の士気は高く、かなり奮戦したらしい。


1915年は、英仏伊の連携不足もあって、防御する同盟側が優位の年であった。
新兵器の投入が続く
航空機
偵察に使われ、偵察機同士での戦闘があった。撃墜王などと称されるエースパイロットが登場し、国民の高い人気を獲るようになる。そもそも、第一次大戦までヨーロッパでの戦争は長く起きていなかったため、当初、戦争へのロマン主義があった。エースパイロットの活躍は、こうしたロマン主義・英雄願望などと結びついた。
しかし、そういったものは幻影だと本書は切って捨て、パイロットの高い死亡率が示される。半分以上死んでいるような有様だし、事故死も相当多い。
ただ、第一次世界大戦はまだ、航空機は戦争全体の帰趨を決するようなものではなかった。
毒ガス
むしろ重要視されたのは毒ガス。毒ガスは当時から国際的に使用が禁じられていたようだが、殺傷目的ではなく、塹壕から追い立てるために使用が開始された。
当初、すぐに流されてしまうなど使えなかったようだが、ハーバーの提案した装置が効果を発揮する。これが使われた戦線では、フランス側に植民地からの兵士が来ていて、死屍累々となった戦線を歩いたドイツ兵が「黒人兵」の死体を大量に目撃していたらしい。
軍・化学工業界・科学者との連携。
なお、同じく化学者だったハーバーの妻は、毒ガス使用に対する抗議の自殺をしている、とのこと……。
航空機、毒ガスに並ぶ新兵器は、鉄かぶと


ファルケンハインによる西部攻勢構想
そうはいってもさける戦力は限られており、ヴェルダンへの集中攻撃が行われる。
「相手の顔が見える」接近戦が行われた。
なお、ヴェルダンというのはフランスにとっては歴史的に重要な土地で、それもまたヴェルダンが選ばれた理由だったらしい。
ところで、フランス軍側は兵士を短期間でローテーションさせていて、頻繁に他の戦線にいったり後方に下がったりしていたらしい。これによって多くのフランス兵がヴェルダンを経験することになって、共通認識となっていったらしい。なお、ドイツは、兵員の交代を攻撃が効いていると思っていたらしいが。
ファルケンハインは戦後、ヴェルダン戦はヴェルダンの奪取ではなく兵力損耗が目的だったと回顧しているらしいが、これは後からそう言ってるだけで実際は怪しいだろう、と。
ブルシーロフ攻勢
ロシアのオーストリアに対する攻撃。
オーストリア軍再起不能


ソンム
イギリス主体での攻撃


ヴェルダン=狭い戦線での兵力集中攻撃
ブルシーロフ=広域の多戦線での同時攻撃
ソンム=広い戦線での攻撃
戦線突破のため、多種の攻撃手法が試された時期。


ブルシーロフ攻勢によるロシア優勢をみて、ルーマニアが参戦
トランシルヴァニア奪還を目論むが、あえなく敗北して、逆に領土を失う
この時同盟側を指揮していたのは、現場に降格していたファルケンハインで、現場指揮官としては優秀、ということを見せつけた、と。
このルーマニア参戦あたりの話も上田早夕里『リラと戦禍の風』 - logical cypher scape2にあったな、と


ドイツ海軍は、開戦当初からイギリス艦隊と戦っても勝てないことを認識していたが、海上封鎖はどうにかしたいので、潜水艦作戦を決行
ルシタニア号事件などが起きる。
ドイツ海軍とイギリス海軍が激突することになったユトランド沖海戦で、ドイツが戦術的には勝利するものの、封鎖解除には至らず。


第3章 戦争目的の重層化と総力戦体制の成立

大戦は、多民族帝国の解体と国民国家の実現をもたらした。
ただ、国民国家実現の悪い側面としては、異民族への迫害があり、その顕著な例がアルメニア人追放で、史上初のジェノサイドとも。
ロシア・オーストリアはそもそも多民族帝国としての自国のあり方が崩壊することを阻止するのが参戦目的であり、列強としての覇権争いを念頭にしていた独英仏とが参戦目的の違いがあった。
また、次第に戦後における安全保障や領土割譲が、戦争の目的として語られるようになってくる。
イタリアやルーマニアの参戦は領土目的だし、英仏が秘密外交でそういう方向で参戦に仕向けた。
ナウマン中欧論』
また、「革命化」政策というのも行われた。敵対国に革命を起こして混乱させるというもので、ドイツはレーニンを封印列車でロシアへ帰国させたし、イギリスによる「アラビアのロレンス」も同様。
リープクネヒトが独立社会民主党をつくるなど、反戦運動の動きも起き始める。


総力戦について
この言葉がいつ頃から使われ始めたかははっきりしないが、ルーデンドルフの著作とゲッベルスの演説により広まった。
そもそもルーデンドルフは、将来の戦争のあり方として「総力戦」という言葉を使った。1930年代頃はそういう使われ方だったが、現在では、むしろ第一次世界大戦頃に成立した戦争のあり方として使われている。また、近年の研究では、アメリ南北戦争が最初の総力戦だったのでは、とも言われているらしい。
さて、日本語では、総力戦体制というように、戦時下での体制を指す言葉と思われがちであるが、これは新しい戦争観を指す言葉である、と指摘されている。
ルーデンドルフの著作にあるように、従来の戦争観とは目的の違いがある。
従来の戦争観が、外交手段の延長としての戦争だったのに対して、ルーデンドルフは、敵国の国民を滅ぼすことが目的である戦争を総力戦と呼んだ。
なお、筆者は既に総力戦という訳語が定着しているので訳語を変えるのは望ましくないが、total warは全体戦争と直訳した方が、分かりやすいのではないか、と。
総力戦とは、体制のことではなく戦争観のこと、という話は、言われてみると、ここまではっきりした説明は読んだことはなかったものの、確かに、国民を滅ぼす戦争のことなのだ、というようなことは一応知っていたとは思う。しかし、指摘の通り、戦時下での体制を指す概念のように理解していたかもなあ、と思った。


オーストリアでは、フランツ・ヨーゼフが崩御し、カール1世が即位するが、血縁的には少し離れた人で、国民からの知名度も低かった。というか、フランツ・ヨーゼフは在位期間がそこそこ長くて、毀誉褒貶はあるものの、国民の象徴であったのでショックをもたらした、と。
で、そのカール1世は単独講和交渉を行うのだが、フランスに暴露されてしまう。一応、ギリギリで面目は保ったようだが、オーストリアのイニシアティブはなくなる。


イギリスとフランスも体制の変化がある。
自由主義の伝統があるイギリスでは徴兵が行われていなかったが、いよいよ徴兵も行われるようになる。
また、ロイド=ジョージが首相に。
フランスでは首相がころころ替わっていたようだが、「虎」とあだ名されたクレマンソーが就任。


ドイツは戦線を整理して、ジークフリート線へ撤退

フランス兵の間でストライキも起きている。

ポピーデイ

武器よさらば』のカポレット戦


塹壕戦について
前線での日々というのが一体どういうものだったのか、というのは研究が行われているところだが、実際のところ、戦線によってまちまちで、なかなか難しいらしい。
第一次世界大戦というと塹壕戦のイメージが強いが、東部戦線は機動戦が主だったし、イタリア戦線などはむしろ山岳戦だったとか。
戦友同士の絆による塹壕共同体があった、という話もされるが、実際のところは、頻繁に移動があって、あまりそういうのはなかったのではないか、と。兵役中も、ずっと前線にいるのではなく後方で軍需工場での労働とのローテーションで、前線にいるときも最前線配置は3分の1だった、と。また、西部戦線と東部戦線との移動もよくあった、と

第4章 大戦終結を目指して

ロシアでは厭戦ムードに。ムスリムを徴兵してムスリムの反乱が起きたりしている。
ロシアは食糧などはあったが、鉄道網が未発達でそれを軍事優先にしたために食糧が不足した。ロシアの食糧・燃料危機は輸送危機
革命が起きるが、臨時政府のケレンスキーは攻勢に出る


アメリカ参戦
アメリカはメキシコとの間に紛争があって終わったところだったが、これを見たドイツがメキシコへ同盟側の参戦を打診する。ところが、これがイギリスにすっぱ抜かれてアメリカ激怒。ドイツ外交の失態とされるツィマーマン電報事件。
元々アメリカは参戦反対派の方が多かったが、一度解決したメキシコとの紛争をもう一度ほじくりかえすドイツにキレて参戦に至った、と。
なお、本書ではここで余談として、ドイツが当時の日本をどう捉えていたかという話が書かれている。ドイツはメキシコに対して日本との仲介を依頼していた。ドイツが日本にどのような見返りを考えていたかは不明だが、日本を同盟側へ寝返らせようという考えもあったらしい、と。
さてアメリカ軍だが、装備も貧弱だし、練度も低い部隊で、どこに配置するかは色々議論があったらしい。アメリカの支援は、ヒトよりはモノとカネが重要だった、と。まあそりゃそうだ。


この頃になってくると、連合国各国で政治指導と軍の発言力の後退が目立つ、と。


ドイツは、ロシアとの交渉が長引く。
戦争はしないが講和もしない、というトロツキーの考えがあったため。
ブレスト=リトフスク条約が締結された。ドイツも民族自決の考え方を受け入れざるをえず、各地を独立させるとともに傀儡政権を樹立させた。
他にも色々とロシアに条件を呑ませているのだが、バクーの石油の権利も獲得していたりしている。当たり前といえば当たり前なのだけど、石油が重要な資源になっている時代なんだなーと思った。
かなり帝国主義的強権的な条約であったが、こんな条約結ぶのまずいのではという意見も国内にあったようだが、実際、残った連合国側は継戦意志が強くなる(対ドイツ戦の正当化になった)
ロシアとの休戦により東部戦線の部隊を西部戦線に振り分けられるはずだっがた、実際には占領地の治安維持が必要で、思った程移動させられなかった、という誤算も。
しかしその後、ドイツは大攻勢にでて、一時はパリにも迫り、ここにきて最大版図を達成したりしている。
7月には連合国の反撃があり、また、スペイン風邪が大流行する
戦争による大規模な人の移動(特にアメリカからの移動)、そして、前線の塹壕という環境の悪さ、銃後においては栄養状態の悪さが、さらにインフルエンザが猛威を揮う要因になっただろうという、まあそりゃそうだよね、という話
この頃のドイツはもう負け戦なわけだけれども、それでも前線の兵士は戦いを続けていて、どういう状況にいたのかはちょっと謎らしい。
9月には、ジーフリート線が突破され、ルーデンドルフが恐慌を来し、休戦を提言する。
ウィルソンの14ヶ条をベースにした講和を行うことを考え、当初はアメリカとの単独交渉を行おうとしていたり、それでも最後までドイツが有利になるように考えたわけだが、うまくはいかず。ドイツの望むような条件にはならなかった。
唯一、レト=フォールベックについて名誉が認められたという。この人は、アフリカで戦っていたドイツ軍人なのだが、しかし、かなり現地の人たちを死に至らしめた人ではあった。
捕虜について
戦争始まった当初は、そもそも短期戦想定だったので捕虜収容施設の準備がなく、また新兵たちが捕虜を殺したりすることもあって、捕虜の生存率は低かったらしい。
のち、労働力不足が生じると、捕虜によってこれを穴埋めするようになり、捕虜の環境は相対的に良くなる。
この頃は既に、捕虜の扱いへの配慮の意識があって、組織的な虐殺とかはなかった、と。


ヴェルサイユ条約はドイツにとって過酷な条約だったか問題
賠償金の過酷さがのちの第二次大戦へ繋がっていくという話もあるけれど、実際のところ、ドイツ側も賠償金については覚悟していたところもあるし、また、その後、減額もされていて、実際に支払った額は少ない、と。
現在は、当時においては色々と配慮された内容の条約だった、という見解になっているという。

おわりに

第一次世界大戦は近代と現代とを分けた出来事とされているが、どのような変化があったのか。

  • 列強体制から対等な国家による国際関係へ

国際連盟の成立がその例

多民族国家国民国家となっていた。

  • 公的・政治領域への国民参加

国家から義務を課せられたり、生活への介入が増えたりするにつれて、国民側も権利を要求するようになった。
女性の社会進出もよく言われるが、もともと低賃金で働いていた層が、より高い賃金の仕事へと移動した、ということで、就労人口という意味ではあまり変化はないらしい。しかし、就労ではない形の社会参加(今でいうボランティア活動的なものだが決して自発的なものではなかった)は増えて、女性の権利拡大に寄与した。

これは自由主義の失墜も伴った。イギリスの二大政党制が、保守党・自由党から保守党・労働党にシフトしたのが象徴的
また、エリート層の若者が従軍したことで、エリート層が喪失した。戦後の大衆文化の興隆につながる。

  • 暴力傾向

国家が問題解決のために暴力を手段として用いるためのハードルを下げた。

*1:念のため書いておくと『軍靴のバルツァー』は架空の国々を舞台にしたファンタジー。ただし、現実のヨーロッパの戦史を下敷きにしており、現実では普仏戦争あたりから第一次世界大戦くらいに至るまでの期間を作中世界では数年に圧縮して描いている

『日経サイエンス2024年2月号』

どうしてみんなでかいのか? 巨大恐竜 竜脚類の進化 M. D. デミック

竜脚類はそもそも発見数が少ないらしい。
自然の理由もあるが人為的な理由もあって、でかいので1回の発掘で掘り出せる個体数がまず少ない。あと、博物館で保管されている骨を研究用に使いたいって時に、でかいから出してくるのに手間かかる(もっと小さい恐竜なら、同じ時間でもっとたくさん標本見れたりする)。だから、竜脚類の研究は避けられていたふしもあるらしい。
ティラノサウルスに次いで恐竜の花形だと思っていたので、意外だったが、でかいから発掘も研究も他の恐竜より大変、というのは、言われてみればその通りだな、と。
それでも最近は発見も研究も進んできていて、発見された種数も増えていっているようだ。
巨大化は、何回も起きている。30くらいの科でそれぞれ独立に巨大化が起きていたらしい。
巨大化にあたっては、摂食行動が、でかい樽になった腸で発酵させて、という非効率的な方法なので、大量に食べる必要があるのと、骨が含気構造で軽いから巨大化させても大丈夫というのがまああるけれど、実際に何故巨大化したのかというと、理由は多様らしい。
つまり、何回も独立して巨大化しているので、それぞれの科によって巨大化した理由は異なるようだ、というのが最近の研究によって分かってきたらしい。

福井憲彦『世紀末とベル・エポックの文化』

19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパの文化について
山川からでている「世界史リブレット」シリーズの中の1冊で、全部で100ページほどの小冊子である。そのため、内容的にはそこまで深く論じられているわけではないが、学術・文化にかんして概観できる。
個別に知っているところでも「なるほど、こことこことをつなげて紹介するのか」だったり、あるいは「この分野は知らなかったな、自分の中での抜けのあるところだな」だったりという感じで読んだ。
なお、上田早夕里『リラと戦禍の風』 - logical cypher scape2の参考文献として挙げられていた本である。
以前、以下のようなことを書いたが、その第一弾である。

軍靴のバルツァー』からの『リラと戦禍の風』、あるいはキュビスム展の流れで、第一次世界大戦前後が気になり始めている。
というか、もともと戦間期の文化史は興味があって、なので大正史も読んでて面白かったなあというのがあって、もう少しちゃんと勉強しようかなと思った。
2023年まとめ - logical cypher scape2

1.時代の転換

序論という感じ
19世紀が「ヨーロッパの世紀」で世紀末はどのような時代だったか。
デカダンスとか。
ベル・エポックがいつから、というのはあまり定まっていないが、ヨーロッパの景気が回復した1880年代くらいから

2.知のパラダイム転換の始まり

この時期の学術的な話。自然科学、人文科学、社会科学いずれにも触れている。
まあ、羅列に近いので、知っているものは省略。
細菌の発見による医学の発展、X線放射線の発見による物理学の発展、フロイトによる精神医学を、「見えないもの」への着目としてまとめていた。
これは注釈にちらっと書かれていて、ああそうなのと思っただけだが、経済学者のパレートはファシズムに接近していたらしい。
最後、形質人類学による人体測定の話から、科学とオカルトの距離の微妙さみたいなことについても触れている。

3.変わりゆく生活の条件・社会の情景

この章が本編
1880年代前後に、電話、電気、電灯、電車と電気技術が広まっていく。
1876年には内燃機関が発明され、自動車時代へ
映画が登場した時代だが、演劇やオペラも活況を呈したし、ダンス・ホール等も人気
意見新聞の時代から情報新聞・日刊紙としての新聞の時代へ
輪転機による印刷、電信技術による速報、識字率向上による読者層の拡大が日刊紙としての新聞を支えたが、さらに広告も重要だった、と。
新聞広告の広がりとともに通信販売も生まれる。
19世紀前半のパサージュからデパートの時代へ
スポーツという身体文化が広まった時代であるという指摘も。サッカーとかラグビーとか集団スポーツが人気を博すようになり、近代オリンピックも。また、この当時のスポーツ文化の中で、自転車が登場しこれも人気を得る。
近代化による画一化が地域にも押し寄せたが、一方でまだそれぞれの地域文化が残されていた時代でもあり、民俗学・民俗研究が盛んに。ケルトプロヴァンスでも地域文化を保護する運動が。
近代化は宗教の世俗化をすすめたようにも思うがここも一筋縄ではない。カトリックプロテスタントの対立があったがどちらも家族と良妻賢母な女性像を重視。しかし、経済的には良妻賢母的に家庭に入れる女性はむしろ少数派。女性の労働が広がり、フェミニズムも確立していった時代。

4.アートの先端での試行

美術関係の話は省略。
文学における象徴主義については、モレアスが象徴主義を唱えたが、実際に影響力があったのはマラルメの方で、弟子にユイスマンスがいる。
アール・ヌーヴォーの建築家として、ヴァン・デ・ヴェルデ、オルタ、ギマール、ガウディ、オットー・ヴァグナー
モリスのアーツアンドクラフツとハワードの田園都市構想
ポスター美術について詳しく取り上げていたのが面白かった。
多色リトグラフによりポスターが広まる。ミュシャとか。
化粧石鹸などのポスターが具体的に4点ほどあげられて分析されている。
化粧室にいる女性のポスター→化粧室がある家はまだ上流階級のみ。中流階級の化粧室への憧れ
歯磨きのポスターには、「パリ大学医学部ピエール博士の歯磨き」という惹句が書かれており科学的権威付けがなされている。
オリエンタル歯磨き液のポスター→一見して歯磨きのポスターには見えない。中東風の女性が描かれている。オリエンタリズム的な偏見のあらわれではあるが、東洋に対して西洋にはない力を感じていた。

『20世紀SF〈3〉1960年代・砂の檻』

河出文庫から出ている、10年ごとに区切ったSFアンソロジー
以前、『20世紀SF<4>1970年代接続された女』 - logical cypher scape2を読んだことがある。
なんでそんな部分部分だけ読んでいるのかというと、古典をちゃんと読んでいく真面目さが自分にはないからで、時々、古い作品を読む機会があると、時代を越えて残っている作品はやはり面白いなあとは思うのだけど、やっぱり新しい作品読みたいし、そうすると古い作品を読む時間がない……となる。
では何故今回これを読んだかというと、どこかのブログでディレイニーとヴァーリイは似ている(あえて言うなら、という但し書き付きだった気がするが)という記述を見かけて、ヴァーリイが好きなのでディレイニーも気になり始めたから、というのがある。
で、ディレイニーで検索してたらこの本を見つけて、ディレイニー以外にも、名前は知っているけどちゃんと読んだことないしどういう作家なのか分かってない人たちが並んでいるな、と思って、読むことにした。
1960年代というとニューウェーブSFの時代だが、そういえばニューウェーブってのにも触れてきてなかったんだよなあ、と。
面白かった作品を挙げると、ロバート・シルヴァーバーグ「太陽踊り」、ブライアン・W・オールディス「讃美歌百番」、ラリイ・ニーヴン「銀河の〈核〉へ」、ジャック・ヴァンス「月の蛾」、トーマス・M・ディッシュ「リスの檻」
目当てであったサミュエル・R・ディレイニー「コロナ」についても間違いなくよい作品であったが、上記にあげた作品がよすぎたので、次点扱いかな。
アーサー・C・クラーク「メイルシュトレームⅡ」は、さすが巨匠というべきか、現代の作品としても読める面白さだった。

ロジャー・ゼラズニイ「復讐の女神」(浅倉久志・訳)

幼い頃に人類が居住する全惑星と大陸と都市とを暗記したが、生まれつき腕と脚がなく自分の家からほとんど出たことがない天才少年サンドール・サンドール
サイコメトリー能力を持っていて、その人かその人に関連するものに触れるだけでその人が見聞きしたものを知ることができ、その能力を用いてゴシップを収集するのが大好き男ベネディック・ベネディクト
インターステル情報局に50年間勤め上げ、犯罪者と凶悪生物を葬り続けてきたスゴ腕エージェントのリンクス・リンクス
この3人がチームとなって、大量殺人犯を追い詰める、という話である。
が、この作中で悪役とされる大量殺人犯の男だが、こちらは元々宇宙警備隊の優秀な艦長で正義感溢れる男だったヴィクター・コーゴ。あるとき、作戦ミスで部下を失ってしまうのだが、不時着した惑星の原住知的生物ドリレンと親しくなる。ところが、人類はその惑星を居住地とするため、彼らを強制移住させようとし、抵抗したために殺してしまう。コーゴは人類に対する復讐鬼となった。
追い詰める側である3人が、まあまあ癖があって、特にベネディクトは明らかにお近づきになりたくない人物だったりするのに対して、このコーゴは、怒れる復讐鬼になった理由もわりと同情すべきところがあるし、というか、明らかに人類側の原住民の扱いが悪すぎだろ、というところがあって、読者的にはこのコーゴをヒーローとして扱いたくなる。
実際、作中の記述自体はそのように読み取らせる方向で書かれている気がするのだが、最初の方と最後の方だけ、語り手の主観がわりとあらわになっているところがあって、そこではこのコーゴをかなり強く道徳的に批判している(ハートがないとか裏切り者だ、とか)。そして、実際このコーゴは最終的に3人チームの力によって処刑されて終わり、何となく、めでたしめでたし、という雰囲気でしめられるのである。
このギャップがわりと意味不明であった。
ピカレスクスペオペとしては、つまらなくはない感じ

ハーラン・エリスン「「悔い改めよ、ハーレクイン!」とチクタクマンはいった」(伊藤典夫・訳)

読む前は、何故ハーレクイン? と思っていたのだが、このハーレクインは、いわゆるハーレクイン・ロマンスとは何の関係もなかった。そもそもハーレクインは道化師という意味で、本作では、「道化師(ハーレクイン)」という登場人物が出てくる。チクタクマンもまた登場人物の1人である。
管理社会が舞台で、あらゆる者に時間厳守が課せられている。心臓プレートというものがあって、遅刻するとその分だけ寿命を削られる。その心臓プレートを管理している人が、影でチクタクマンと呼ばれている。
道化師は、そうした社会を混乱させるイタズラを仕掛け、社会の最下層からはヒーロー扱いされている。
遅刻するとその分の寿命がとられ、遅刻魔はマジで死ぬ羽目になる、という恐ろしい社会であり、作中で「人は時間の奴隷になってしまった」と書かれている通り『モモ』的な社会風刺作品であり、解説にあるとおり、現代にも通じるところがあるのではあるが、「2時半の面接だったのに、もう5時じゃないか」と門前払いされる的なくだりがあったりして、いやわりと待ってくれるな、と思ってしまった。
(ただ、ハーレクインのイタズラなんかでは、たった4分遅れただけでそれの影響がドミノ式に広がっていくというのがあって、それは時間管理社会っぽいなとは思ったけど)

サミュエル・R・ディレイニー「コロナ」(酒井昭伸・訳)

宇宙港で整備員をしている若い男性バディと、テレパス能力があるゆえに自殺衝動を抱えてしまい入院中の少女リー、そして全宇宙的にヒットをとばす歌手ブライアン・ファウストの物語。
タイトルの「コロナ」は、ブライアンの新曲タイトル
バディは、貧困の片親家庭に育ち、刑務所生活をしていたこともある。整備の作業中に怪我して病院へ運ばれる。
リーは、世界でも数人しかいないという能力の持ち主で、本人の意志と関係なく、他人の思考や感情が入り込んでくる。特に強い感情が入り込むので、多くの悲しみや苦しみなどを感じてしまい、たえず自殺衝動に襲われている。
バディが就寝中に刑務所時代の夢を見ており、その苦しみがリーに伝わってしまい、彼女はそれをとめるために起こしに行く。ずっと入院中の彼女にとって、自分に伝わってきた苦しみを、自分の力でとめることができたのは初めての経験。
そして、2人とも「コロナ」が好きであることが分かる。
バディは、今地球に訪れているファウストの宇宙船の整備をしており、ファウストを直接見ることも可能だと話す。
病室を離れていたことがばれて、リーは元の病棟へ戻される。バディも怪我が治って退院する。2人はその後一度も話す機会がなかったし、連絡先も互いに分かっていないが、バディ、地球から帰るファウストが最後に宇宙港で行ったライブを、うまく潜り込んで最前列で見る。そしてリーも、彼を通してそのライブを見ることができた。
ろくな教育を受けていないので朴訥なしゃべり方しかたできない若者と、そのテレパス能力故に年齢の割に老成している少女が、同じ音楽を通して、得がたい友情を結ぶ物語。そして音楽の力を描く作品。
表面的にはヴァーリイとは似ていないと思うが、SF設定やガジェットはあくまでも世界の背景にあって、物語の主眼がそこにはない感じは似ているかなと思った。

アーサー・C・クラーク「メイルシュトレームⅡ」(酒井昭伸・訳)

ニューウェーブを謳った60年代アンソロジーでクラークか、と思ったが、さすがのハードSFで面白かった。月面版『ゼロ・グラビティ』というか何というか。
月での仕事を終えて地球へ帰還するため、電磁カタパルトで射出される貨物船に乗り込んだ主人公。しかし、カタパルトの不具合で脱出速度が足りず、放物線軌道に入ってしまう。同時に補助エンジンも故障してしまい絶体絶命の中、管制から指示されたのは、船を捨て別の軌道へ乗り移ることだった。
タイトルの「メイルシュトレームⅡ」というのは、ポーの短編「メイルシュトレームに呑まれて」のオマージュだから。作中でもポーへの言及がある。

J・G・バラード「砂の檻」(中村融・訳)

火星の砂とウイルス禍に覆われ廃墟と化したケープカナベラルで、当局から隠れて暮らす3人の男女。ある日、当局はいよいよこの地区の封鎖を開始し、砂上車によって乗り込み、3人へ最後通牒を行う。
主人公は元宇宙関係の建築家(会社が大型案件のコンペに負けて宇宙関係から離れた)で、他にも軌道上で亡くなった宇宙飛行士である夫の帰りを待ちわびる妻など、宇宙に関わる生き方をしたがそれに裏切られ、しかしまだ何かに縋るようにこの廃墟の中で生きている3人。
なんで地球が火星の砂で埋もれているかというと、バラストとして火星の砂を持ち込んだかららしい。で、そこに未知のウイルスが混じっていた、と。
何十年も前に失敗した宇宙船がいくつかぐるぐる回り続けてて、その中で宇宙飛行士が死んでいるらしいんだけど、最後、当局との捕り物と、宇宙船の一つが落ちてくるのとが同時におきて、ある意味では火星に到達できたぞ、と叫んで終わる。
砂に覆われて廃墟になった都市などのビジュアル面はよかったし、物語についても要素要素は色々よかったと思うのだが、全体として、何か今ひとつ自分には刺さらなかった。

ケイト・ウィルヘルム「やっぱりきみは最高だ」(安野玲・訳)

アイドル・リアリティショーもの
感情を共有できる装置を開発した研究者がテレビプロデューサーと組んで、1人のアイドルを生み出す。彼女の経験した感情も一緒に感じることができるリアリティー番組。
筆者のケイト・ウィルヘルムは、夫のデーモン・ナイトもSF作家で、夫婦でクラリオン/ワークショップの設立に関わったらしい。

R・A・ラファティ「町かどの穴」(浅倉 久志・訳)

ラファティの短篇について、以前読んだ際にはわけわからんという感想だったが、今回は割とわけのわかるナンセンスコメディだった。
夫が仕事を終えて家に帰ってくる、妻が出迎える、子どもたちがいう「なんでパパはママのことを食べてるの」夫のように見えたものは怪物であった。
夫が仕事を終えて家に帰ってくる、妻が出迎える。妻は怪物に食べられようとしている。妻はあなたが2人いる、という。この怪物が自分の姿に見えているのか。
で、精神科医のところに行くと、同じようなことを訴える患者が今日は何人も来ている。あの「街かどの穴」が怪しいと思う。ディオゲネス老人が事情を知っているはずだ、と。
で、このディオゲネスという男が、重力理論の話とかをしはじめて、複数の形態があって、それが現れているのだ、みたいな話をしはじめる。ここらへんの理屈があるので一応SFっぽくなっていて、何となく事情は分かるが、話としてはとにかく、出てくる登場人物が次々と分裂していってドタバタを繰り広げるコメディであった。
最後、ようやく収まったかと思ったら、夫と妻が逆転している(つまり、妻の側が分裂して怪物に)というオチなのも、オチとして分かりやすい。

トーマス・M・ディッシュ「リスの檻」(伊藤 典夫・訳)

まるで『CUBE』のような不条理密室ものだが、その謎を解いたり脱出したりという話ではなく、孤独や書くことをテーマにした作品。
イスとタイプライターだけがある部屋で、ニューヨーク・タイムズだけは定期的に届けられている。
「ぼく」に過去の記憶はない。誰が閉じ込めているのか(異星人か?)とかを推理したりしているけれど、手がかりはなし。
「ぼく」が書いた詩などの文章が挿入される。
ニューヨーク・タイムズを読んだら出てきた、ひげ虫という新しく発見された虫について「ぼく」がかいた文章だったり、「きみ」と「ぼく」の架空の会話だったり。
リスの檻とトレッドミルに喩えてみたり、「動物園の午後」という文章だったり。
自分のことを閉じ込めているのは同じ人間で、「ぼく」がタイプライターで書いている文章が街角の電光掲示板で流れているのだ、と考えるようになる。
そして、この部屋にいることはおそろしくなんかない、むしろ解放されることの方がおそろしい、と。

ゴードン・R・ディクスン「イルカの流儀」(中村融・訳)

1960年代は、ジョン・C・リリーの研究によってイルカとのコミュニケーションへ注目が集まっていたらしい。
イルカとのコミュニケーションについて研究している研究所の話
主人公はそこの研究員だが、元所長のボスが亡くなってしまい、代わりに財団からやってきた新所長は研究所を閉鎖するべく査定しにきたと思しき男で、どうしようかと悩んでいる。
イルカとのコミュニケーションについて障壁があることがわかり、ブレイクスルーを起こす必要があるのだが、行き詰まりに陥っている。
そこに、ジャーナリストの女性がやってきて、話を聞きたいという。
主人公は、イルカとコミュニケーションとれるかどうかが、地球外の高度な知性体とコンタクトするための一種のテストになっているのではないか、という突拍子もない仮説も持っている。
最後、テストされていたのは実は人類じゃなくてイルカの方でしたー、というオチがつく。このオチは、読んでいる途中である程度読めるといえば読めるが、よいSFショートショート

ラリイ・ニーヴン「銀河の〈核〉へ」(小隅 黎・訳)

ニーヴンの「ノウンスペース」シリーズの一部をなす短篇。なので、世界観設定などは省かれているところがあるが、しかしこれ単体で十分に読むことができる。
宇宙船乗りである主人公は、パペッティア人からある依頼をうける。
宇宙船船殻の開発・販売で富を得ているパペッティア人は、新たな宇宙船を開発した。画期的な速度を誇るが、その巨体に対して乗員は1名のみ。この船に乗って、既知宇宙を越えた航行をしてほしいという依頼であった。
こうして主人公は誰も見たことのなかった銀河の中心を目撃することになるのだが、それは同時に銀河に起きている異変の発見でもあった。
主人公が戻ってくると、パペッティア人たちはみな姿を消していた。銀河に起きている異変を知り民族大移動を始めたのだ。
宇宙船の航行の描写(あまりにも速いので次々と衝突可能性のある天体が迫ってきてそれを避けるのが大変)とか、パペッティア人のオペレータが淡々と契約について言ってくるとこ(遅れると違約金発生するよとか)とか、エンタメとして面白いのだが、銀河の中心についての描写もまたよかった。
銀河の中心で天体が互いに衝突していっていて、現代の科学で考えると、ブラックホールだろうと思うんだけど、ブラックホールじゃないものが描写されていて面白い(「ブラックホール」という概念自体は既に物理学の世界で議論されていてある程度知られていたはずだけど、まだ「ブラックホール」という命名される前なので、一般的でもなかったくらいの時代のはず)

ロバート・シルヴァーバーグ「太陽踊り」(浅倉久志・訳)

宇宙文化人類学SFだけど、それにとどまらないというか、「60年代ニューウェーヴ、なるほど」みたいな話である(なんだ、その感想)
これはかなり面白かった。
主人公は、ある惑星を人類の植民地とするべく原住生物の駆除を行っている一団の1人。
メンバーの1人から、この生き物がもし知性を持っていたらどうする、と聞かれて以来、悩み始める。そして実際、何の知性もなくただ植物を食い荒らすだけの害獣だと思っていたこの生き物たちに知性と文化があることを発見し、フィールドワーク調査として参与観察し始めるのである。
太陽踊りというのは彼が発見して儀式的な踊り
しかし、彼はメンバーらによって強制的に連れ戻され、衝撃の真実が明かされる。そもそも原住生物の駆除は行われておらず、これ全体が彼に対して行われたセラピーだったというのだ。
最終的に、主人公は何が本当に起こったことなのか分からなくなってしまう。
この作品は人称が「きみ」→「彼」→「おれ」→「彼」→「きみ」と移り変わっていく形式を取っていて、主人公との距離の取り方が変遷していくのが面白い。
読者は「おれ」という一人称を通じて、この生き物たちの文化的な営みを体験することになるのだが、その後、三人称や二人称になっていくことで、主人公の視点から引き剥がされることになる。
この作品は、地球外生命体との文化人類学的なコンタクトというのも、1960年代的かなと思うのだけど、作中では、記憶編集技術とか幻覚をもたらす酸素花とかが出てきて、サイケデリック・カルチャー要素が入ってきているし、この主人公がネイティブ・アメリカンの出身で、彼の祖先自身が植民地化による虐殺を被っていて、そのショックから立ち直るためのセラピーとして、別の生物を虐殺するプログラムを経験させられていたという、いまいちどういう理屈なのかはよく分からないのだが(彼は、父も祖父も曾祖父もアルコールやドラッグや記憶編集技術に沈んでいたので、そこから逃れるためのセラピーなのかもしれないが)、そういうエスニック・マイノリティについての物語というのを書こうとしているのも、なんとなく時代なのかな、と。

ダニー・プラクタ「何時からおいでで」(中村融・訳)

タイムトラベルもののショートショート

ブライアン・W・オールディス「讃美歌百番」(浅倉久志・訳)

ポストアポカリプスSF
雰囲気がどことなく『ヨコハマ買い出し紀行』とか『第三惑星用心棒』とかを思わせるというか、終末以後の穏やかな世界といった感じで、よかった。
人類は「内旋碑」というものの中に去っている(人格のデータ化のようなものか?)
世界は、人類の残した廃墟と復活した自然に覆われており、そこをラシャデューサはバルキテリウムに乗って巡っている。
生き物の脳波を検知して音楽を流す音楽塔というのが時々あって、ラシャデューサはそれを調査して歩いているのだ。
ラシャデューサは「先達」とつながっている。これは仕組みはよく分からないのだが、意識が直接ネットワークされているような感じで、長命で博識だがラシャデューサの音楽の趣味やら何やらが気に食わない老人で、「先達」のおかげで色々なことを知ることができたが、常に先達から色々小言を言われている。
で、実はこのラシャデューサというのも、その正体はメガテリウムだし、「先達」もイルカらしい。
混交種といって、人類が人為的に、絶滅古生物や架空の生き物を産みだしていて、若干の改造により知性も生まれている。先述した通り、人類はすでにいなくなっており、こうした生き物たちだけが残っている。ただ、天然の生き物たちの方が繁殖しており、こうした生き物は数を減らしている。
最後、ラシャデューサも内旋碑へと向かう。
いまだに『地球の長い午後』を読んでないんだけど、いい加減読んだ方がいいな、と思った。あと『十億年の宴』もなー
っていうか『A.I.』の原作ってオールディスだったのか……。

ジャック・ヴァンス「月の蛾」(浅倉久志・訳)

ミステリー風味の文化人類学SF
異星の奇妙な風習・文化の設定とミステリー・サスペンス風味のプロットと噛み合って、面白かった。
惑星シレーヌは、みなそれぞれ仮面を着用して素顔を隠しており、楽器と歌を用いて会話する。個人主義的で自由な社会とされているのだが、この仮面や会話のルールがやたらと細かい。
仮面は様々な種類があるのだが、その人の地位や威信などをあらわしており、相応しい仮面を着けている必要がある。身の丈に合わない仮面をつけていると最悪殺されることすらある。
会話に用いる楽器も何種類も存在していて、相手との関係や会話にこめる感情的ニュアンスに応じて楽器を使い分ける必要がある(いくつもの楽器を持ち歩いて、咄嗟に持ち替えながら演奏して会話する)
主人公シッセルは、領事代理として着任してきたばかりで、この風習に四苦八苦している。そんな折、凶悪な犯罪者アングマークがシレーヌに向かったから逮捕せよ、抵抗するなら殺すのもやむなし、という命令を受け取るのである。
シレーヌには、外星人が主人公含めて4人しかいない。宙港長のロルヴァー、商事代理人のウェリバス、人類学者カーショールで、彼らはすでにシレーヌ歴が長く、すっかりシレーヌの風習に染まっている。カーショールに楽器の使い方などを手解きを受ける。
で、アングマークなのだが、かつてシレーヌに滞在していたこともあり、到着するやすぐに仮面をかぶって紛れ込んでしまう。さらに、シレーヌにいる外星人のうち1人を殺して、なりすましはじめた。
シッセルはどうにかして、仮面の下に隠されたアングマークを捜し出そうとする、というあたりにミステリーっぽさがある。最後、シッセルはアングマークに逆に追い詰められてしまい危機一髪となるのだが、シッセルがなした数々の無礼がもとで大逆転が生じるエンディングを迎える。
なお、「月の蛾」はシッセルが着けている仮面の名前なのだが、みすぼらしい仮面で、新参者が着用するものとしてはそれが妥当なのだが、領事代理で着任したはずのシッセルにとってはちょっと納得がいかないものなのである。
ところで、ジャック・ヴァンスWikipedia見てたら、エラリー・クイーン名義の作品があるとあってびっくりしてしまった。クイーンは、「ダネイがプロット担当、リーが執筆担当」の共同ペンネームだけど、リーの筆力が衰えたために、別の人が小説書いてた時期があるのか(ヴァンスだけじゃなくスタージョンとかも書いてたらしい)。知らなかった。
Wikipedia見てると、バンジョーとカズーを演奏するヴァンスの写真とかあって、なるほどなーと思った。本作、架空楽器の説明が非常に詳しくて、あたかも実在する楽器かのように注釈で説明が入っていたりする。
金属片を並べたキヴ、共鳴箱に鍵盤のついたザチンコ、他にガンカやストラパン、ヒマーキンなど。

中村融「変革の嵐が吹き荒れた時代」(巻末解説)

1960年代はカウンターカルチャーの時代であり、また、SFにおいてはマンネリ化が指摘され、その打破を目指すものとしてニューウェーブ運動が起きた時代。
J・G・バラードが「内宇宙への道はどれか」でSFのマンネリ化を指摘し、その打開策を提示した。マンネリ化への指摘は多くの人が認めたが、その代わりにバラードが提案したものにたいしては賛否両論。
イギリスで、マイケル・ムアコックが『ニューワールズ』誌の編集長になると、バラードとオールディスを積極的に起用し、ニューウェーブ運動の中心地となる。
ムアコックって、エルリック・サーガの人という認識しかなかったので、名前出てきてびっくりした。
一方のアメリカでは、ニューウェーブは雑誌よりも、デーモン・ナイトの『オービット』シリーズや、ハーラン・エリスンの『危険なヴィジョン』などのアンソロジーで展開された。
そういえば『危険なヴィジョン』ってわりと最近、ハヤカワ文庫から出てて話題になってたけど、SF史に疎いせいで「へーそういう本があったんだー」くらいの温度感でしか触れていなかったが、ようやくどういうものなのか分かった。
60年代はニューウェーブの時代ではあったが、後半になると、スペオペヒロイック・ファンタジーのリヴァイヴァル・ブームもあったらしい。E.E.スミスの再評価とかがあったらしい。
また、カウンターカルチャーへの影響という点で『デューン砂の惑星』と『異星の客』が特筆すべき作品、とのこと。『異星の客』の場合は、マンソン・ファミリーに用いられていたという、どちらかというと負の影響。
このあたりも自分がSF史疎くて知らなかった部分だが、「ああ、マリリン・マンソンの元ネタの名前の由来の人か」とか「オウムとヤマトの関係みたいなものか」とか思った。
また、『2001年宇宙の旅』や『アルジャーノンに花束を』もこの時代とのこと。
自分は現代のSF小説は読んできたけど、SFについて、特にSF史について書かれた本って全然読んできてなかったなあと思った。そのあたりもいつかフォローしておきたい。