恐竜博2019

科博にて
今回は、ディノニクス、デイノケイルス、むかわ竜の3本立て企画展で、もちろんこれ以外の恐竜及び中生代の古生物も来ていたのだが、この3つのインパクトがはっきりと強く打ち出された展示になっていた。
(誰かも書いていたが、タルボサウルスやティラノサウルスといった大型肉食恐竜が完全に脇役になっていた、というのはなかなか珍しいのではなかろうか)

Chapter1 恐竜ルネサンス

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ディノニクスの足(実物・ホロタイプ)
いや、いきなりこれですよ
入口はいってすぐ、一番最初の展示物がこれ
博物館の企画展でも美術館の企画展でも、たいてい一番最初って、一番最初なりの、前菜みたいなもの展示から始まるもんじゃないですか
これは、入った瞬間いきなりメインデッシュ(のうちの1つ)から、というもので、今まで来たことある科博の他の企画展ともちょっと最初の構成の仕方が違っていた
円筒形の展示ケースに入れられて、360度ぐるりと見渡せる。そして、周囲の壁には、ディノニクスの他の部位(手など)の骨や、オストロムのフィールドノートが展示され、ディノニクスが発見された当時の発掘調査の写真が大きく壁に印刷されていた。
今年って、ディノニクス発見50年でもあるんですね!
アポロ11号の月着陸とディノニクスの発見が同じ年だったとは……
ところで、この足の写真は、恐竜博始まってから何度も色々なところで見ていたのだけれど、指の骨の関節、なんでこんな人工物みたいに丸いんだ?! と写真を眺めていて、実際に実物を見たらやはり見事な円形をしているんだけど、ディノニクスに限らず他の獣脚類も結構こんな感じの関節だった。
ここでは、ディノニクス以外にマイアサウラや羽毛恐竜関連の展示がなされていた。
羽毛恐竜の標本自体、最近あちこちの恐竜展で見かけるけれど、こちらシノサウロプテリクスもアンキオルニスも実物でありました
あと、オルニトスケリダのきっかけともなったチレサウルスもあったんだが、自分にはあれは普通に小型獣脚類にしか見えない……
加えて、ディノサウロイドも!
いやちょっと、懐かしい感もあるんですがw
ところで、仮に恐竜が絶滅せずに進化を続けたとして、あんなふうに直立するんだろうか。もともと、尻尾を伸ばして体を地面と平行に伸ばす形で二足歩行をするような体制しているので

Chapter2 ベールを脱いだ謎の恐竜

続いてデイノケイルス
腕だけ、Chapter1のところに一緒に並べられていたんだけれど
こちらの展示はまず、デイノケイルスのキメラ的特徴を明らかにするために、デイノケイルスが似ているといわれる、サウロロフスの頭骨、スピノサウルスの脊椎骨(いわゆる帆の部分)、竜脚類の脊椎骨などが並べられたのち、デイノケイルスの頭骨や足、脊椎などの展示が続き、そしていよいよ全身骨格となる

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デイノケイルスの椎骨
これは確かに、竜脚類みがある。
空洞が多いところがそういう特徴らしい
デイノケイルスの胃石もあった
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とにかくでかい
11mは伊達じゃない
ティラノサウルス級のでかさですよ、まあこいつは植物食恐竜なわけだけど。
以前の恐竜博で腕だけ見た時、「腕だけでこの大きさって全身って一体どんな大きさだよ」と思っていたもんだけど、実際に全身を見てみるとやっぱり「どんな大きさだよ」ってもんです
大きさだけでなく、まあフォルムもかなり異様だし
f:id:sakstyle:20190904133016j:plainこちら、同じくモンゴルのオルニトミモサウルス類であるアンセリミムス。これまた、実物・ホロタイプ標本。とかく、実物多かった。
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で、アンセリミムスとデイノケイルスの中足骨比較。アークトメタターサル構造が、アンセリミムスにはあるけれど、デイノケイルスにはない
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こちらはアンセリミムスとデイノケイルスの後ろ脚
確か、大腿骨の長さが相対的に短い方が脚が速い。
オルニトミモサウルスはダチョウ恐竜などとあだ名され、基本的に脚が速い部類なわけだけれど、脚の構造を見ると、まあデイノケイルスは多分脚遅かったんだろうなということが分かる。まあ、この巨大とあのでかい腕で脚速かったらかなり怖いけど。
あと、タルボサウルスがデイノケイルスを襲っていたと考えられており、隣にはタルボサウルスも展示されていた。
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これは、テリジノサウルス類。爪はケラチン質で、普通化石として残らないのだけど、残っていたという珍しい化石らしい。っていうか、化石化した場合で、ケラチン質だって何でわかるんだ?
テリジノサウルス類は普通3本指のところ2本指なので新種と思われている由

Chapter3 最新研究から見えてきた恐竜の一生

このパート、あまり写真撮っていないな(写真なくはないけど、ブログにアップするほどの写真がない)
まず、恐竜の営巣と抱卵
大型恐竜の場合、卵を放射状に並べて、その真ん中に親は陣取っていた。鳥みたく、親は卵の上には乗らない。乗ると卵割れるから。この場合、抱卵は、「卵をあたためる」というよりは「外敵から守る」ことを目的として行われていたのではないか、と。
あ、卵の展示のところに書かれていた説明の元ネタは、たぶん下記の二つだ
「恐竜が卵を温める方法」を解明!-名古屋大学プレスリリース
巨大恐竜の巣作り戦術を解明! - 名古屋大学
岡山理科大のチームが発掘した竜脚類の巨大足跡化石もあったんだけど、これ面白かったのは、発掘現場で記録するために透明のシートをかぶせてペンでなぞって記録したものが展示されていたこと
砂漠だと砂でデジタル機器が使えないことがあるから、これが一番確実な記録方法だとか

Chapter4 「むかわ竜」の世界

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これ、種名が決まったらここに入る奴でしょ! と思って思わず撮ってしまったw
と思ったら、今日の科博のツイートがこれだった

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全身を撮ったつもりで、尻尾の方は入ってなかった
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まだあまり世に出回っていないのではと思われる前からの写真
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デンタルバッテリーがわかる
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穂別から発見された古生物といえば、長らくこれでした。ホベツアラキリュウ
(穂別と鵡川が合併してできたのがむかわ町。むかわ竜が発見されたのは旧穂別で、ここは昔からアンモナイトやクビナガリュウの化石が出ることで有名でした)
その他、むかわから発見されたフォスフォロサウルスというモササウルス類の化石や
和歌山から発見されたモササウルス類の新種と考えられている実物化石なども
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むかわ竜の胴椎。これ、上の部分が少し前掲しているけれど、これ他の種には見られなくて、新種であることを示す特徴の一つらしい

Chapter5 絶滅の境界を歩いて渡る

こんなところにティラノサウルスが! でもそんなに広くないところにあり、もう展示も最後の方ということもあって、みんなあまり見てないというw かくいう自分も特に写真とかも撮らずに立ち去ってしまったw
ここのエリアでは、K/Pg境界の上と下、つまり恐竜が絶滅する直前直後の地層から出てくる化石を並べている
哺乳類とか爬虫類とか植物とか
あれもこれもヘルクリーク層から出てる奴で(ほかのとこもあったが)、おおヘルクリーク、名前知ってるぞってなったw
哺乳類の頭骨の化石を見ていて、哺乳類展で学んだので「あ、この歯は昆虫食べてそうだな」というのがあったりした。有袋類のディデルフォドン。っていうか、白亜紀にすでに有袋類っていたんだ? めっちゃ古い系統なんだな
あと、頭骨の大きさ自体は小さかったけれど、歯の形が「これ、象では?」みたいな奴もいた。多丘歯類
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イクチオルニス、この角度から撮ったのは、叉骨を写したかったから。
見た瞬間、叉骨と竜骨突起がはっきりわかり、鳥類って感じ。そういえば、獣脚類は叉骨があるんだっけかと思って、ティラノサウルスを見直したんだけど、どれなのか全然わからんかった。
一番最後にいたのはガストルニスだった。

第2会場

第1会場が終わったところで、展示クレジットがでているんだけど、そこで荒川弘の名前があって「?」となったんだけど、第2会場にマンガが飾ってあったw
図録に収録されている


ガチャは、ディノニクスでした

常設展

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これ、チバニアンの地層だとか

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名前がかっこよかったから撮ったw

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スーパーカミオカンデのレンズだーと見るなり撮ったんだけど、今調べたら2014年に科博行った時も撮っててブログにアップしてたw

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アポロ11号が採ってきた月の石と、アポロ11号に乗って月まで行って戻ってきた日本国旗

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ラムダロケットのロケットランチャー。下からは何度か見たことがあり、それこそこの日も恐竜博に入る前にロケットランチャー見に行ってたんだけど、3階の窓から見えるというのを知らなかった

アポロ11

NASAの倉庫に眠っていたという未公開映像をもとに、アポロ11号の発射直前から帰還までの9日間をまとめたドキュメンタリー
www.youtube.com


上のトレイラー映像でも一番最初に出てくるシーンが、本編でも一番最初で、つまり、サターン5を発射場に運搬するシーン
運搬車両のでかさに「でっか」って唖然となるところから始まる。
アポロ11号について、写真とか短い動画とかは見たことがあるけれど、こうやってドキュメンタリーになると、「ああ、ほんとにやったことなんだな」っていう実感みたいなものがすごく感じられるんだけど、周囲を取り巻いている人々の描写があるからだと思う。
例えば、アームストロング船長ら3人の宇宙飛行士が車に乗って発射場へと出発するシーンで、その車を取り囲んでいた人たちが拍手するところか、
それから、ケープカナベラルまで見物に来ていた人たちの様子とか
とにかくすごい大人数が見に来ていて、その様子を、地上からだけでなくヘリからの空撮でもとらえている。


打ち上げ直前に燃料漏れあったの知らなかった。
アームストロングらが、発射場へ向かい宇宙船へ乗り込んでいくのとほぼ同時間帯に、作業員がボルト締め作業をしている。


それから面白かったのは、ロケットや宇宙船に結構カメラがたくさんついていたんだな、ということ
ロケットエンジンの噴射ノズルのすぐそばとか、発射場のエレベータ、司令船に乗り込むところ、司令船のドッキングポートの横など
まあ、現在の打ち上げだとか、そのあたりもちろんカメラつけるよなーみたいなところだから、決して珍しいというわけではないんだけど、アポロ11号の時もきっちりおさえていたんだな、と
それでも、宇宙船の中とかはカメラ少なくて、限られた角度の映像しか残ってないけど


打ち上げ時だけでなく、着陸船をロケットから引き出す時とか、月への軌道を変えるときか、月へ着陸する時とかも、Go/No Go判断の奴をやっていて、あれかっこいいですよね。でも、日本語字幕だと「Go」の部分が完全に無視されていた。
そういえば、管制センターというと、正面にでかいモニターがあるというイメージがあるけれど、ケープカナベラルの管制センターは、そういうモニター的なもの全然なかったような
どのタイミングだったか忘れたけど、わりと早い段階で、ケープカナベラルからヒューストンに管制が引き継がれていた。ヒューストンでは、(おそらく交代制で)赤チームとか黒チームとかに分かれていた


『月をマーケティングする』を読んでいたので、「あ、あれはマスコミの詰めてた部屋だな」とか「このずらりと並んだ公衆電話でめっちゃ電話してる人たちはマスコミだな」とかが分かったw


何となく打ち上げの後2日目は暇そうだな、という感じだったw 2日目は、地球からどんどん離れてますってだけで映画の中での尺が一番短かったような気がする。帰りも同様。
そういえば、打ち上げの次の日あたりのニュース音声かなんかで、ベトナム戦争のニュースとエドワード・ケネディのニュースが流れていた。


着陸船が月に降りていくところ、なんかエラーがでて警告音出るんだけど、管制室が「それは1回だけなら無視しても大丈夫だ」みたいなこと言ってて、一回止まるんだけど、また鳴るってシーンがあって、大丈夫なのかって思うんだけど、普通にみんなスルーして、普通にうまくいってるとこがあったりして、何だったんだろあれ
アポロ11号の着陸は、当初の予定通りいかなくて、目視&手動で着陸しており、その際の音声と映像も見れるんだけど、特段、映画用に解説が入るわけではないので、知らないとそういうことしてたって分からなさそうな感じだった。わりとあっさりやったんだな、って感じだった。
そういえば、月は裏側に回ると交信できなくなるわけで、そういうシーンも何度かあった。
「鷲は静かの基地に舞い降りた」「この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては大きな躍進だ」といった言葉を言ったシーンももちろ入っている
カメラや反射鏡、地震計、アメリカ国旗などを月面に設置したシーンもあり、それぞれ個別には知ってるけど、実際はこんな感じだったんだなー、と



地球への帰還時は、空母が待っていて、着水した司令船にまずゴムボートが向かって、そこからヘリに乗せて空母に乗せてる
空母の艦上も当たり前だけど、人がたくさんいる
ヘリから降りてくるところ、わりとスタスタ歩いてるなーって感じがした
で、彼ら3人は、月で何らかの病原菌に感染していないか確認するため、隔離施設に入れられていたっていうのは知っていたんだけど、空母でそのまま隔離用のキャビンに入ってたんだなーっと。
で、港についてからキャビンごと輸送機に乗せて空輸してる。キャビンがおもいのほか出かかった。
映画は一応、帰還で終わりなんだけど、最後、クレジットが流れるところで、隔離施設から出てきて3人がアメリカ各地をパレードしているところまでやっていた。



今年はアポロ11号月着陸50周年イヤーということで、このブログでもいくつかアポロ関係を取り上げてた
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『日経サイエンス2019年10月号』

特集:カンブリア前夜

生命爆発の導火線 エディアカラ生物の進化  R. A. ウッド

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カンブリア爆発よりも前、エディアカラ紀から動物がいただろうという話で、ただ、最古の動物かというのはバイオマーカーからそう言われているだけなので、当然異論もある、と
ここでは、クロウディナっていうのが、おそらくサンゴのように礁を作っていただろう、という話
あと、当時の海の酸素量調べて、骨作るのと酸素(エネルギー)関わっていたのではないかとか

最古の左右相称動物 モンゴルで生痕化石を発見  中島林彦 協力:大路樹生

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名古屋大学の大路はもともとウミユリの研究者だったが、研究者人生も後半に入った頃に、さらに研究テーマを増やそうと思い、カンブリア紀の農耕革命の謎を研究し始める
カンブリア紀になって動物が穴を掘り始めたことを農耕革命と呼ぶのだが、これが地下の有機物を海中に放出したことになったのではないか、とも考えられている
あと、エディアカラまでは、微生物のマットががあって、他の生物はこのマットの上にいたっぽいのだけど、カンブリア紀に入って、バイオマットを食い破ることができるようになったのか、なんかの要因でバイオマットがなくなったのかは分からんけど、地面掘れるようになった、と
で、モンゴルのエディアカラ紀の地層からも、穴の生痕化石を発見して、エディアカラ紀の頃からもうそういう動物いたのでは、と
今後、シベリアがまだ発掘されてないところ多いから、調べるよ、みたいな話
シベリアとかナミビアとかが、エディアカラ紀の地層あるみたい

超常識の宇宙推進システム マッハ効果スラスター  S. スコールズ

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本文でも、トンデモ一歩手前、くらいのことが書かれていた
慣性の法則に関わる「マッハの原理」(その名の通り、提唱したのはマッハ)というのを利用して、推力を生み出すという代物らしいが、原理は説明読んでもよく分からなかった。
とある老物理学者と、たまたまその隣に研究室を構えることになった研究者と2人で研究しているらしい
NASAから研究資金を得ているのだけど、NASAの中に、化学エンジン、イオンエンジン以降、新しいエンジンというものが全然開発されていないので、新しい仕組みの研究開発に資金援助するよ、みたいな枠があるらしくて、それを得ている1つ
他には、ソーラーセイルにレーザーあてる、スターショット計画もそうだし、原子力推進とかの研究も、同じ資金援助を受けているらしい
SFと科学の境界すれすれを狙うプロジェクト
で、このマッハ効果スラスターは、正直、ほんとにうまくいく奴なのか今んところ分からん、という代物

道具使用の起源を探る 霊長類考古学  M. ハスラム

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今まで、考古学の対象は人類が作ったものだったけど、霊長類だって道具を作ることが分かってきたわけで、それで考古学やってもいいだろ、と
人類の歴史を考える時に、現在のチンパンジーと比較することがあるけれど、現在のチンパンジーと過去のチンパンジーの行動が同じだったかどうかもわからんのでは、と
実際に、道具を使っているサルの活動区域を掘り返してみると、かつて使われていた石が発見できるみたい
もちろん、そんななので、まだものすごく古い時代まで遡れているわけではないけれど
ちょっと面白かったのは、あるサルが、石の平たい面を使って硬い木の実を割っていたりするのだけど、それによって石が剥離したものがでてくることがある。これ、このサルは全く使っていないのだけど、初期人類の石器に似ている、と。なので、初期人類も、当初はこれ石器として使っていたわけではないかもしれない、とかなんとか。

クリスチャン・ダベンポート『宇宙の覇者ベゾスvsマスク』

イーロン・マスクのログインパスワードが書かれている本*1
アメリカの二大宇宙ベンチャー企業となったスペースXとブルー・オリジンの創業からこれまでを描いたノンフィクション
ただ、正確に言うと、この2社だけでなく、ポール・アレンとリチャード・ブランソン(ヴァージン・ギャラクティック)の話もしている。
この邦題だとあたかも2社のことしか書いてないみたいだよなあ、と思ったが、原題も"The Space Barons: Elon Musk, Jeff Bezos, and the Quest to Colonize the Cosmos"なので大差なかった。


ヴァージン・ギャラクティックについてちょっと補足すると、元々あのロケットは、スケールド・コンポジッツ社というところが開発していて、これにマイクロソフト社の共同創業者であるポール・アレンが出資していた。スペースシップワンは、このスケールド・コンポジッツ+ポール・アレン体制によるもの。で、この打ち上げ成功を見たリチャード・ブランソンがヴァージン・ギャラクティック社を立ち上げ、スケールド・コンポジッツ社の技術提供を受けて開発しているのが、スペースシップツー。
2014年の事故を受けて、ヴァージン・ギャラクティック社の自社開発に変わっている。


イーロン・マスクジェフ・ベゾスは、元々子供の頃から宇宙に憧れていて、それぞれペイパル、アマゾンといった事業が成功したので、満を持して子供の頃からの夢である宇宙開発を始めたという人で、本人もロケット技術について詳しい。これに対して、ポール・アレンやリチャード・ブランソンは、以前から宇宙に詳しかったりしたわけではい、という違いはある。
なので、この本、宇宙を目指しているビリオネアである、イーロン・マスクジェフ・ベゾス、そしてポール・アレンやリチャード・ブランソンについて書いている本であり、マスクとベゾス「だけ」を扱った本ではないが、しかし、やはり主人公として扱われているのはマスクとベゾスであるかな、と思う。
なので、このタイトルも間違いというわけではない。


というわけで、マスクとベゾスの2人に着目すると、ずいぶんと対照的な進み方をしているように描いている
ベゾス率いるブルーオリジンは、徹底した秘密主義であり、ある時期まで、そもそも何をやっている会社なのかすらオープンにはしていなかった。
また、自社のマスコットに亀を用い、モットーは「ゆっくりはスムーズ、スムーズは速い」であり、本書でもたびたび、スペースXとブルーオリジンは兎と亀に喩えられている。
一方のマスクは、むしろ積極的にアピールして、人々の関心を惹きつけようとする。また、ベンチャー企業が宇宙産業に食い込むために、NASA相手の訴訟も辞さない(競争入札すべきところをしていないという訴訟)。
当初、この2社は直接関わりあいをもっていないが、徐々に対立するようになる。
ブルーオリジンによるスペースXの社員引き抜き
ブルーオリジンによるロケット海上着陸の特許申請
・ケープカナベラルの第39A発射台を巡る争い
39A発射施設は、かつてアポロ宇宙船を載せたサターンⅤロケットを打ち上げた射場。長いこと使われなくなっていたところ、スペースXが使用権を手に入れた。のだが、入札の際、ブルーオリジンも手を上げてくる。アポロがきっかけで宇宙への夢を抱き始めたベゾスにとって、その発射施設は是非にでも手に入れたい場所だったのだ*2。しかし、全く実績のないブルーオリジンの横入りに、マスクも激怒、という案件。


本書は大きく3部構成に分かれていて「第1部 できるはずがない」「第2部 できそうにない」「第3部 できないはずがない」で、これは、俳優クリストファー・リーヴの言葉からとっているらしい
創業しロケットに取り組み始めた頃、宇宙産業に食い込もうとしている頃、商業打ち上げが成功し始めた頃というくらいの感じか


追記
NASAの有人宇宙開発・探査が、アポロ計画以降停滞している。スペースシャトルも、結果的にはコスト減に繋がっていなくて失敗だった、という考え方が、筆者及び登場人物たちに共有されている感じだった。


そういえば、筆者の属性について書いてなかったけど、ワシントン・ポストの記者
追記終わり

序章 「着陸」
第1部 できるはずがない
第1章 「ばかな死に方」
第2章 ギャンブル
第3章 「小犬」
第4章 「まったく別の場所」
第5章 「スペースシップワン、政府ゼロ」
第2部 できそうにない
第6章 「ばかになって、やってみよう」
第7章 リスク
第8章 四つ葉のクローバー
第9章 「信頼できる奴か、いかれた奴か」
第10章 「フレームダクトで踊るユニコーン
第3部 できないはずはない
第11章 魔法の彫刻庭園
第12章「宇宙はむずかしい」
第13章「イーグル、着陸完了」
第14章 火星
第15章「大転換」
エピローグ ふたたび、月へ

宇宙の覇者 ベゾスvsマスク

宇宙の覇者 ベゾスvsマスク

第1部 できるはずがない

2003年、ベゾスが、密かに広大な土地の買収を始めたエピソードから始まる。
AmazonのCEOとして巨額の資産を手にしていたが、一方で、まだインターネットや本の通販を利用していない人にはAmazonの名前は知られていない頃
ブルーオリジンの最初の社員は、ニール・スティーブンスンだとか。ベゾスと友人で、宇宙企業をやりたいというベゾスに「やったらいい」と言ったのがスティーブンスン
ブルーオリジンは最初、化学ロケット以外の方法を検討するところから始めて、3年間の検討の末、化学ロケットがやはり最善であるという結論に至ったらしい。すごい。で、この時に、再利用できるロケットであることという条件もついた、と。
ティーブンスンは、2006年にブルーオリジンを辞めて、『七人のイヴ』にはジェフへの献辞がある


スペースXより前に、民間ロケットを打ち上げようとエンジン開発を行っていたアンディー・ビールの話が、前史的なものとして語られる
不動産分野で財をなして、数学の天才でもあるビールは、97年にビール・エアロスペースを設立し、ロケットエンジンの開発に成功するが、NASAロッキードボーイングとしか取引しない状況では、全く勝ち目がないと察して2000年に廃業している
そのビールが使っていた施設をその後利用するようになったのが、イーロン・マスクのスペースX
マスクは、2003年、ライト兄弟の飛行100周年祭にあわせて、ワシントンD.C.にファルコン1を持ち込み披露し、人々の注目を集める
その後、NASA国防総省が、競争を行わずに特定の企業を特別扱いしていることを次々と訴えていく。むろん、この頃、スペースXはまだ1基もロケットの打ち上げに志向していない


ベゾスについて
DARPA職員だった祖父に可愛がられていた。5歳のころにアポロ11号の月着陸を見て以来、宇宙の虜。高校時代にはNASAの論文コンテストに入選。プリンストン大学では、専攻こそコンピュータと電気工学だが、オニールのゼミにも所属し、宇宙探査に関する学生団体の支部長にもなっている。29歳の頃、サザビースのオークションで宇宙関連品が出た時、参加するも、資金がなく全く落札できないという経験をしている(財をなしてからは、かなり色々コレクションしているらしい)
マスクは、いつか小惑星が地球に衝突してしまう日に備えて、火星へ植民するというのに対して、ベゾスの場合、地球の環境保護保全が目的で、学生の頃から地球を保護区にするという構想を持っている。資源の採掘や重工業を宇宙で行うという考え。
2005年、ブルーオリジンは試験機カロンの打ち上げに成功。到達高度は96mだが、カロンの主眼はむしろ着陸にあった


スペースシップワンについて
1996年、Xプライズが発表され、マイクロソフトの共同創業者であるポール・アレンは、モハーヴェにあるスケールド・コンポジッツ社のバート・ルータンのもとを訪れる。ルータンは、これまでも様々な奇抜な航空機を作ってきたエンジニアで、アレンの出資により、スペースシップワンの開発が始まる。
2003年に、初の動力飛行に成功し、2004年に宇宙へ到達し、見事Xプライズを獲得することになる。
アレンは、ベゾスより少し年上で、子どもの頃はマーキュリー・セブンがヒーローだった世代。目が悪かったので宇宙飛行士になる夢は早々に諦めていた
スペースシップワンについては、3人のテストパイロットがいて、誰が宇宙に行くかでの色々とか、実際宇宙行ったフライトも危うく大惨事になりかけたとかそういう話がある
スペースシップワンが実際に宇宙到達する直前くらいから、ヴァージングループのブランソンが宇宙事業に興味を持ち始めて、飛行を見に来るようになる。一方、アレンは、命の危険のあるこのプロジェクトがプレッシャーになって、そろそろ離れたいと思うようになってくる   


第2部 できそうにない

ブランソンの半生と、ヴァージン・ギャラクティックの創業
派手なプロモーションを好むブランソンは、ヴァージン・ギャラクティックについても早々に宇宙旅行のプロモーションを始める


2006年、マスクは宇宙産業関係者を集めて会合を持つ。この時、ブルーオリジンも招待されていが出席しなかった。「パーソナル・スペースフライト協会」発足


2004年、スペースXはDARPAからの出資を受ける。これがスペースX初の外部からの資金調達
国内の打ち上げ施設は、ロッキードなどが使用しており、スペースXの使用が認められず、マーシャル諸島で打ち上げを行うことになる
2006年、ファルコン1の初打ち上げを行うが、失敗
スペースXは、NASAの商業起動輸送サービスの契約を勝ち取るが、その後2回目、3回目の打ち上げも宇宙高度まではいくも軌道到達はならなかった。
NASAは、ブッシュ政権だった当時、コンステレーション計画を進めていたところで、NASA及び大企業はそちらへ注力し、宇宙ステーションへの輸送について民間への業務委託を行うということを考えていた。そこにスペースXはうまく入り込んだと
2008年、4度目の打ち上げで地球周回軌道へ到達。同年、ドラゴンによる国際宇宙ステーション輸送の契約が成立。
一方のブルーオリジンは、2006年に試験ロケット「ゴダード」の打ち上げに成功する。が、これも着陸の実験で宇宙高度までは達していない。また、スペースXがファルコン1の打ち上げをネットで生配信していたのに対して、ブルーオリジンは打ち上げについては何の発表もしていない。


ブッシュ政権からオバマ政権へと変わり、コンステレーション計画に見直しが迫られる。
予算の超過と計画の遅れから、オバマコンステレーション計画を中止することにするが、これに対してアポロの宇宙飛行士たちが反対運動を行うようになる。大統領は宇宙開発を切り捨てているわけではないということをアピールするため、ユナイテッド・ローンチ・アライアンスを訪問することにしたのだが、当時、アライアンスは国防総省ミッションに取り掛かっており、機密事項が多く公開ができなかった。そこで白羽の矢がたったのがスペースX
スペースXは、この頃には、ケープカナベラルのケネディ宇宙センター第40発射施設を使うようになっていた。
オバマの訪問をうけた2010年、スペースXは、ファルコン9の第1回打ち上げを行い、これに成功する。マスクも、かなりのプレッシャーを受けていたようで、1段目だけでも成功すればそれでよし、くらいの弱気になっていたとも。
この章では、スぺースXがとにかくコスト削減に努めていたということが、アライアンスから転職してきたエンジニアやNASAの担当者の視点から語られている。
これまでの宇宙産業は、コスト意識があまりなかったが、スペースXは何しろマスクの個人資産に負っているところが大きいので、コストをいかに減らすかが第一になってくる。捨てられていた液体窒素タンクを再利用したり、フェアリング内の空調システムを民生品に取り換えて安くしたりなどのエピソードが紹介されている。
ブルーオリジン側のコスト削減エピソードとしては、エンジンノズルの洗浄剤をクエン酸にした、というものが書いてある。
ブルーオリジンはやはり秘密主義を貫ていたのだが、2011年に打ち上げに失敗しロケットが爆発。これにより周辺住民の不安の声があがり、NASAからも声明を出すよう指導が入る。ブルーオリジンは初めて打ち上げの映像の公開を行う。
一方、NASAも、ブルーオリジンに興味を持っていて、視察を行ったりする。NASAは、ここにも将来有望な民間企業があるということをアピールしたいのだが、ブルーオリジンはここでも、公表などには消極的な態度をとり続けている


2012年、スペースXは宇宙船ドラゴンを国際宇宙ステーションへと到達させる
2度目のドラゴン打ち上げの際、トラブルが発生するが解決する。この際、NASAのベテラン管制官がまるで孫を見守るようにスペースXがどうトラブルを解決するか見守っていたというエピソードが
2013年、39A発射施設の使用契約を巡るスペースXとブルーオリジンの争い。この時、ブルーオリジンはアライアンスを手を組んで、スペースXを訴えているが、スペースXが勝利する。

第3部 できないはずはない

2014年、スペースXは国防総省の契約で競争が行われていないとして、訴訟を起こす。この時、マスクはアライアンスの使っているエンジンがロシア製である点を攻撃した。が、アライアンスはブルーオリジンと提携して、この攻撃をかわす
2014年、スペースXと同じく国際宇宙ステーションへの輸送を請け負うオービタル・サイエンシズ社の打ち上げ失敗する。
また同じ年、ヴァージン・ギャラクティックは、何年も延期していたスペースシップツーの飛行実験をようやく行うが、空中で爆発する事故を起こし、パイロット2名のうち1名が死亡する
やはり同年、オービタルのシグナスに続き、スペースXのドラゴンも打ち上げに失敗


2015年、ブルーオリジンはニュー・シェパードを打ち上げ、宇宙高度への到達およびロケットの着陸に成功する
さらに、マスコミにもこのことを発表。ただし、全てが終わった後に。
ベゾスはtwitterで着陸したブースターを「世にも珍しいもの」とツイートする。しかし、これに、マスクはかちんとくる。何しろ、スペースXは2013年に同様の離着陸に成功しているからだ。マスクは、twitterでことあるごとに、「宇宙」へ行くだけの弾道飛行と「軌道」飛行との違いを力説した。必要になるスピードもエネルギーが文字通り桁違いなのである。
2015年、スペースXのファルコン9は、軌道へ到達後、着陸にも成功した。
これに対して、ベゾスはやはりtwitterで「これで私たちは仲間だ」とツイート。これまたマスクを怒らせたが、この時は、多くのスペースXファンが、ベゾスに反論のリプを飛ばしていたため、マスク自身は反論ツイートはしていないらしい。
2016年、ヴァージン・ギャラクティック社は、新たなスペースシップツーのお披露目を行い、宇宙旅行を諦めていないことを示した。


本書の最後の方では、マスクの火星移住計画や、ベゾスが自らの事業を宇宙にインフラを作ることだと考えているというヴィジョン、また、再び宇宙事業に戻ってきたアレンのストラトローンチなどの話のほか、マスクとベゾスがそれぞれ月を目指す計画を持っていることについても触れられている。

*1:「ilovenasa」らしいよ

*2:ベゾスは海に沈んだサターンⅤロケットのF-1エンジンを、私費を投じて引き揚げているほどのアポロマニア

長尾天『イヴ・タンギー―アーチの増殖』

タンギーが描く不定形物体について、批評的読解を試みる、博士論文をもとにした著作。
この不定形物体は、指示対象をもたない・言語と交換不可能であるが、三次元イリュージョンとして描かれているイメージである、という特徴付けをして、これが一体何に由来しているのか、他のシュールレアリストとはどこが違うのか、また他の画家にどのような影響を与えたのか、ということを論じている。


全8章構成で、1章はタンギーについての伝記的記述と先行研究。
タンギーの作品は、従来、その伝記的事実から解釈されることが多かった(故郷の風景をもとにしている云々)が、もっと他の文脈から読み解きましょう、というのが本書
第2章が総論で、3章から8章までが各論となっている。
シュールレアリストの画家は、基本的には、部分部分を取り出せば何を描いているかは分かる(言語へ変換可能)。しかし、その組み合わせ方が非現実的なものになっている。
「傘とミシンの手術台での出会い」であって、元々シュールレアリスムは、詩から始まってるので、絵の方も、既知の記号の組み合わせでよく分からないつくる、というところがある。
一方、タンギーは、その部分自体が何を指しているのか不明(不定形物体)という特徴がある。


3章では、タンギーが絵を描くきっかけともなったデ・キリコについて、そのデ・キリコショーペンハウアーニーチェからどのように影響を受けたかを論じて、なんでタンギーが無意味を描こうとしているのかを示す。
4章は、シュールレアリスムの原理であるデペイズマンとオートマティズムズムから、どのようにこの不定形物体が生まれたかを論じる。
5章は、当時流行していた心霊学におけるエクトプラズムと不定形物体を比較する。
6章は、バイオモーフィズムという美術批評用語から、20世紀の美術史の中にタンギーを位置づけ、他の画家と比較する。
7章では、タンギーから影響を受けたという、シュールレアリスムの中でも後発の画家たちについて論じる。
8章は、タンギーの2人目の妻であり、自身もシュールレアリストの画家であったケイ・セージについて論じ、セージからタンギーを逆照射する。


サブタイトルの「アーチの増殖」は、タンギーのほぼ最期の作品『弧の増殖』からとられている。また、アーチが、デ・キリコが「記号の孤独」(閉じていない、不完全なもの)を描くのに使ったモチーフとされていることから。

序論 アーチの増殖
第1章 生涯、作品、先行言説
第2章 イメージの領域
第3章 デ・キリコの無意味
第4章 無用な記号の消滅
第5章 未知の物体
第6章 生命形態的
第7章 タンギーの星
第8章 セージの答え
結論

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序論 アーチの増殖

第1章 生涯、作品、先行言説

1908年 パリ生まれ
1925年 ブルトンと出会い、シュルレアリスムのグループ入り
1928年 タンギー作品の基本的な構造が確立される
1930年 北アフリカ旅行
1939年 アメリカへ亡命
同年  ケイ・セージと結婚(再婚)
1955年 脳出血で逝去
タンギーのイメージについては「地方起源説」というものがある
両親の生まれ故郷であるブルターニュ地方の景色、あるいは1930年に旅行したアフリカなど、タンギーにゆかりのある地方に、そのイメージの由来を求めるという言説
また、タンギーのイメージについて語る言説は、文学的比喩へ向かっていく傾向もある
タンギーの絵は「何が描いている」とはっきりと言い表すことができない。そのために、様々なイメージを読み込んでしまう。
また、1928年に確立されて以降様式の変遷が全くない、タンギー自身が自作について語ったものがほとんど残されていないといった点で、美術史の手法で語れることがあまりない

第2章 イメージの領域

シュールレアリスムでは、デペイズマンという手法がある
読解可能な・言語と交換可能なイメージを、その配置によって読解不可能なイメージにする→不透明なイメージを作る
一方、タンギーは、あの不定形物体自体が、指示対象をもたず(何についてのイメージなのかわからない)、不透明なイメージ
デカルコマニーによるイメージも指示対象をもたないが、タンギー不定形物体は、(何を指示しているのかは分からないが)3次元的な何か物体を描いている、という点で、デカルコマニーによるイメージとも異なっている
ブルトンタンギーについて「具体的なものの核心そのもの」と述べた
筆者は、この「具体的なもの」について、そのイメージ以外には還元できないイメージのことではないか、と述べる
つまり、言語化不可能なものであること、一方で、物質的なレベル(絵筆の痕跡など)にも向かわないもの

第3章 デ・キリコの無意味

タンギーは、ある日、画廊の窓に飾ってあってキリコの絵を見て、画家になることを決めた、というエピソードがある
ブルトンもまた、ほぼ同じエピソードがある(画廊に飾ってるキリコを見つける)
ちなみに、タンギーブルトンの熱心な支持者だったらしい。ただ、ブルトンがセージと仲が悪く、アメリカ亡命後はタンギーブルトンも疎遠になったらしい


この章では、デ・キリコが一体何を描こうとしていたのか、彼が依拠していたショーペンハウアーニーチェから
生の無意味さ=形而上学的な根拠・真理などはないということ
(この要約はちょっと乱暴で、ショーペンハウアーニーチェで「無意味」という時にちょっと意味が違っていて、さらにキリコは、ショーペンハウアーの語彙を使ってニーチェの内容に近いことを言ってたりしているらしいが)
デ・キリコは、記号をコンテクストから切り離し(記号の孤独)、無意味でありなおかつ無限に解釈可能な、そういうのを描こうとしていた、と

第4章 無用な記号の消滅

シュールレアリスムの技法・原理である、デペイズマンとオートマティスム
当初、タンギーは、デペイズマン的な記号並置を行っている。他のシュールレアリスムの画家のモチーフを借用して、記号並置の実験をしている。
その後、オートマティスムへと移行していく。
下書きをせずに描く
オートマティスムは、そのままでは完全に抽象的なものになってしまう。シュールレアリスムは「形や色、絵の具や支持体そのものといった造形的、物質的要素のみに還元されることを拒む」。オートマティスムを使う画家であるマッソンは、女や魚など既知のものをイメージに読み込むことでこれを回避する。
が、タンギーは、オートマティスムを徹底するため、既知のイメージを読み込まない

この問題を解決するために、地平線を伴った空間が機能する。デペイズマンにおいてこの空間は、互いに隔たった記号を遠近法と言う統辞構造において結びつける手術台の役割を果たしていた。タンギーオートマティスムにおいてこの空間は、純粋な手の動きから生じる痕跡を(中略)三次元的イリュージョンに変換する装置として機能する。
p.126

地平線を伴った空間、あるいは影を付けることによって、オートマティスムで描かれた形を、三次元的な「物体」とする。
抽象でもなく、既知の何かを描いたものでもない、不定形物体ができあがる

第5章 未知の物体

当時流行していた心霊学における「エクトプラズム」と、不定形物体との類似を論じる。
まず、見た目が似ているのだが、それ以外に、性質が似ているという。
というのは、心霊学というのは、心霊現象を科学的に明らかにしようとする立場なので、エクトプラズムは物質である、実在していると主張するが、その一方で、常に未知のものでもあり続けなければならない。未知の物体である、という点が、似ている、と。
何故、エクトプラズムは未知のものでなければならなかったかというと、筆者は「トリックの産物だったから」と。一方でトリックの産物なのだけれど、他方で(科学なので)トリックを防ぐような条件がつけられていく。そうすると、不定形な物体になっていく(当初、顔のイメージとかも使われたけど、それだといかにもトリックになってしまう)。
証拠写真とされたものが何枚が掲載されていて、紙とか布とかをぐしゃぐしゃとまとめたものをそれっぽく撮っているという代物なんだけど、既存のイメージを使うよりは、トリックっぽさを減らせる、と。
で、未知を保持しようとする、という態度が、心霊学とシュルレアリスムに共通しているのではないか、と。


なお、タンギーは自作のタイトルを『心霊学概論』から引用しており、心霊学自体は知っていたと考えられる。が、影響を受けた可能性はあるとしても、タンギーが心霊学やエクトプラズムに基づいて不定形物体を創り出した、というわけではない、と筆者は述べている。
未知に対する態度が似ている、という類似なのだ、と

第6章 生命形態的

バイオモーフィック(生命形態的)ないしバイオモーフィズムとは、1930年代から60年代頃の美術批評で使われていた用語
非常に幅広く、様々な作家に対して使われていて、何か一つの様式を指すような言葉ではない。
抽象絵画シュールレアリスムの両方を総合するような概念として用いられていた。抽象と具象の中間としてのバイオモーフィック

バイオモーフィックなイメージは「生命」や「自然」といった指示対象を不可避的に含んでしまう点で純粋な「抽象」ではない。だが一方で、形が曖昧であるということは、その形が持つ意味もまた曖昧になるということである。
p.162


タンギーを、バイオモーフィズムの潮流に位置づけ、他の画家と比較する
まず、タンギーは、アルプやミロの影響を受けている。
アルプやミロの場合、タンギーのように三次元的ではなく、点や円が書き込まれることで、それが目になって、人や動物などの記号として機能する。
タンギーにはそういうのはない。
タンギーと同じような不定形物体を描いている画家として、マグリットがいる
しかし、マグリット不定形物体は、言語などと組み合わされることで、意味が生じている。
タンギーから影響を受けたと考えられる画家にダリがいる、逆に、タンギーもまたダリから影響を受けている。
ダリからの影響、及びアフリカ旅行・アフリカ旅行後に実験的に下書きがなされたこと経て、タンギーのイメージは少し変化して、不定形物体の輪郭がはっきりして「硬質かつ明瞭」になる。ふわふわと漂っていたのが地面についたものになる。
これは、バイオモーフィズムの「実体化」と並行した動きだとも指摘される
バイオモーフィズムの「実体化」とは、ピカソやミロ、ジャコメッティなどの彫刻作品のこと
しかし、タンギーは、彫刻を作ることはなかった。三次元的なイリュージョンによって描くが「実体化」はせず、あくまでもイメージの領域にとどまるタンギー

第7章 タンギーの星

ブルトンは、1930年代末から1940年代頭にかけて、シュールレアリスムの最近の動向として「オートマティスムへの回帰」があること、そして、若い世代んいタンギーの影響があることを指摘している
ここで若い世代として挙げられているのは、1910年代生まれの、ロベルト・マッタ、ゴードン・オンスロー-フォード、エステバン・フランセスらである
また、オートマティスムへの回帰という点では、ヴォルフガング・パーレンなども挙げられる
彼らは指示対象をもたないようなイメージを描いている。
オンスロー-フォードは、アメリカ亡命後に行った講演で、自分たちの動向を、ユングの「集合的無意識」というキーワードを使って述べているが、筆者はこれを「心的エネルギーの場」と捉える。そして、タンギーもまた、心的エネルギーの場として、フロイトエスをとらえていたのではないか、というような話

第8章 セージの答え

タンギーの2番目のパートナーであるケイ・セージについて
彼女は1898年アメリカ生まれだが、子どものころから母に連れられてヨーロッパ旅行をしており、両親の離婚後は、母とともにヨーロッパで暮らす。30代にパリで暮らし始め、シュールレアリスムのグループへ参加。その後、シュルレアリストたちのアメリカ亡命を支援。1940年には、アメリカでタンギーと結婚(再婚)。タンギーの死後、精神状態が悪化し、1963年にピストル自殺
彼女の絵の特徴として、筆者は、ヴェール(何かを覆い隠す布)とフレーム(建築物の鉄骨のような構造体)を挙げる
これもまた、キリコやタンギーと同様、意味作用の可能性と不可能性を表したものだと論じられているが、特に、不可能性、空虚さが強調されている、とする。
ブルトンはセージと折り合いが悪く、またタンギーもセージの絵についてはあまり評価していなかったらしいのだが、筆者は、セージの絵がタンギーの絵の不可能性という側面を特に反映するような作品だと解釈している

感想というか

ここ最近の自分の読書の流れからすると(美術関係の本を読んでいるとはいえ)、やや唐突なタンギーかもしれない。
実際、シュールレアリスムはそこそこ好きで、過去にいくつか展覧会を見に行ったりもしているが、タンギーに特に注目していたり、好きだったりということもあまりなかった。
ただ、この本でまさに特徴付けられている通り、何か具体的な対象を描いているわけではないのだが、抽象絵画とかそういうわけではなく、なんかなにかを描いている、というのに、興味をひかれて、実はタンギーは気になっていた。
で、この本を数年前からいつか読むリストに入れていて、ようやく読む順番が回ってきた。


具象と抽象の間、みたいなのが、美術の中でも好きだし興味のある領域で*1、美術以外でも、『フィクションは重なり合う』で触れたミュージックビデオの話とか*2、『PRANK!』に投稿した「渦巻きの上を走る」で論じた渦巻きの話とかは、そういう関心のもとで書いている


この本は、タンギーについての研究書なので、ポップカルチャーへの言及などはないが、例えばシュールレアリスムとマンガについては鈴木雅雄編著『マンガを「見る」という体験』 - logical cypher scape2という本があったり、シュールレアリスム研究から色々応用して考えることもできなくはない気はする。


4章と6章が特に面白かった
エルンストのデカルコマニーとか、ダリとかは、何か既知のものに見立てたりするけれど、タンギーの場合、地平線を描くことと影をつけることで、オートマティスムで描かれたよくわからないものを、三次元の「物体」としている、というあたり
具象でもないけれど、抽象でもなく、絵の具や支持体などの物質的な次元にも向かわず、イメージの領域にとどまり続けた、というところが、やっぱり惹かれるところ
バイオモーフィックという言葉、全然知らなかったのだけど、具象と抽象の間にあるようなもの、あるいはシュールレアリスムと抽象表現主義を総合してしまおうとする概念、という意味では面白いなあ、と。というか、まさに自分の好きなのが大体そのあたりなので、好きなものが集まっている感じなんだけど、一方で、指しているものがあまりにも広すぎて、使い物になる概念なのかどうかはかなり謎(アール・ヌーヴォーにまで遡るとか言われてるし、シュルレアリスムだけでなく、ピカソデュシャンカンディンスキーもクレーもカルダーもポロックもロスコもデ・クーニングも入ってんだって)

*1:まあ、一番好きな画家は、思い切り抽象であるロスコなんだけど

*2:石岡良治『視覚文化「超」講義』 - logical cypher scape2によると、MVとシュールレアリスムは関係している

柴田勝家『ヒト夜の永い夢』

南方熊楠を主人公に、粘菌をコンピュータとして用いた自動人形=天皇機関少女Mを巡る騒動を描く、昭和伝奇SF
和歌山県田辺で研究生活を送る南方は、ある日、学会の主流派から外れてしまった者たちで結成された昭和考幽学会に参加することになる。
彼らは、昭和天皇即位を記念すべくプロジェクトを発足させる。
それが、天皇機関なる自動人形の開発である。
少女の死体にパンチカードを用いた制御装置、そして粘菌による計算機関を組み合わせた天皇機関は、さらに不思議で妖しげな力を持ち合わせていた。
天皇への奉納は失敗に終わるのだが、天皇機関の不思議な力に目をつけた北一輝が暗躍し始める。
探偵役として江戸川乱歩も現れ、物語は、南方熊楠らと北一輝派との対決を描く痛快活劇の様相を呈していく。

ヒト夜の永い夢 (ハヤカワ文庫JA)

ヒト夜の永い夢 (ハヤカワ文庫JA)


天皇機関は、パンチカード使って動くアンドロイド(というかガイノイド)なので、昭和スチームパンクとでも言えるかもしれないが、夢とは一体何か、夢の世界と現実の世界は何が違うのかといった思弁が、「いや、それ塵理論じゃん」みたいな話へと繋がっていく。
ありとあらゆる世界が存在しているとして、では何故無数の世界の中で、他ならぬ自分は今ここにいるのか、ということに熊楠は南方なりの答えを出すが、それが北一輝の(本書における)革命思想と対峙するための答えともなる。


上に述べた通り、主人公が南方熊楠、敵対者として北一輝、熊楠に協力する探偵として江戸川乱歩が出ててくるのだが、それ以外にも実在の人物が次々と登場してくる(というか名前のある登場人物は全員実在の人物なのでは)。
超心理学者の福来友吉*1、日本初のロボット学天測を開発した西村真琴、文学者の佐藤春夫、乱歩作品の挿絵を描いていた岩田準一合気道創始者である植芝盛平二・二六事件に加わっていた陸軍中尉の中橋基明、さらに石原莞爾宮沢賢治三島由紀夫の祖母である平岡夏子などが登場する。また、直接は登場しないが、熊楠とはイギリス留学時代に交流のあった孫文も、重要なキーを握る人物である。
で、次々と出てくる登場人物たちのWikipedia読んでるだけで面白くなるw
実際、本書と並行して、Wikipedia読むだけでも、次々と作中に出てきたエピソードの元ネタがぽろぽろ出てくるので楽しい。
作中でも言われているのだが、南方熊楠、人脈ありすぎ。
また、これは作者の柴田勝家がインタビューで答えていたことだが、宮沢賢治南方熊楠は実際に会った記録はないが、賢治が奈良にまで旅していたのは事実で、それを元に、山の中で2人が出くわしていてもおかしくなかったのではないか、と考えて本書の宮沢賢治登場シーンは作られているらしい。

語り自体は結構軽妙で、いや軽妙というか、ちょいちょい笑いを挟んでくるし、なんなら下ネタも多い
展開も結構ハチャメチャなところがあり、それが結構楽しい。
ところで、熊楠は周りの人たちにも結構冗談を言ったりしているのだが、ほぼ最年長であり、みんなからすごい人だと思われているので(実際すごい人だが)、冗談が冗談だと気付かれず大まじめに受け取られてしまったりするシーンが時々出てきたりするの、わりと好きw


昭和考幽学会は、一応、主流派から外れた者たちが密かに集ってという趣旨の組織なので、物語の半分くらいまでは、メンバーはみんな黒頭巾をかぶって登場する。
南方は、物語開始時点ですでに60歳くらい
おっさんたちが黒頭巾かぶって集まって酒盛りしながら、「なんかでかいことやるぞ」「そうだ! 天皇機関だ!」みたいなアホ話して盛り上がる(あれよあれよと実現しちゃうんだが)という図が、黒田硫黄の絵で思い浮かんだ。
天狗党絵誌』とか『茄子』とかに出てくる髭のおっさん、そのまま南方熊楠のキャラデザに流用できるでしょw
しかし、最後のクライマックスである二・二六事件は、夢とうつつが入り交じって、完全に今敏の世界になっている。


どっかに、タンパク質が遺伝物質となっている旨の記述があって「ん?」となったんだけど、DNAが遺伝子だってわかったのそういえば戦後だった


天皇機関は一度完成するが、未来予測を口にするようになる。
そしてこれは、人々を魅了し、時に崇める者まで現れる。
が、それは胞子のよる幻覚作用であることが分かる。
天皇機関を止めようとした熊楠は、奇妙な経験をする。福来が撃たれて死んでしまったところを目撃するのだが、その後、福来がピンピンしており、撃たれたという事実もなくなっていた。
熊楠は、福来が撃たれた世界から福来が撃たれていない世界へと移動していたのだ。
天皇機関は、あらゆる世界を見ることができ、人を他の世界へ移動させることができる。
実は冒頭に、熊楠と考幽学会の面々が皇居で天皇に自分たちの研究を無事奉ることができるというシーンがあって、最初、先説法かなと思ったのだが、実際にはこういうシーンはおとずれない。別の世界の出来事だったと思われる。
で、熊楠は、夜見てる夢や、福来の研究している千里眼について、脳の分子の組み合わせが、実際に何かを見たときの組み合わせと一致したときに見えるものなのではないかという仮説を立てている。
さらに、ありとあらゆる組み合わせがありえるのであって、その組み合わせ次第で、別の世界が見えているということもありうるのではない。
そしてさらに、ありとあらゆる分子がありとあらゆる組み合わせで構成される可能性があるのだから、別の可能性の世界も存在しているのではないかという、塵理論みたいな理論が展開されていく。
作中では、熊楠以外に、天皇機関のほか、北、乱歩がそれぞれ同じような考えをもっている。
後半、福来が、何故自分は(自分が成功した)そっちの世界ではなくこっちの世界にいるのでしょうかと、熊楠に問うシーンがある
それに対して、熊楠が考え出す答えは、因縁の重力。人は生きていくうちに、他の人や出来事と因縁が結ばれていく。それが多くなるとこの世界から動くことはできなくなる。幼い子供が前世の話をしたり神隠しにあったりしてしまうのは、その因縁がまだ薄いからではないか、と。
北は、天皇機関の力を持って、誰もが自分の願望の叶っている他の世界へといけるようになる、という「革命」を起こそうとしているのだが、これに対して、熊楠は、因縁の縄で縛られるのは気持ちイイのだと反論する。


ところで、江戸川乱歩は中盤からの登場になるのだが、乱歩登場以降、通天閣からオートジャイロで逃げ出す北一派とか、赤マントの噂を追って工場に忍び込むとそこには円柱形のロボットたちが、といった、少年探偵団かよみたいな展開が出てくるようになるのが面白かった。


最後、昭和天皇デウス・エクス・マキナ的なのは、まあ伝奇というジャンル上そういうものかなとも思うのだけど、石原ともども、ちょいと美化されすぎなのではという感じがあって、そこはちょっと気になった。

*1:『リング』の貞子のモデルになった人物を実際に研究していた人

『多元化するゲーム文化と社会』(一部)

全部読んだら、ブログに書こうかなと思っているといつまでも書けなくなってしまうので、読んだものだけでも
全14章、コラムも10本以上ある中の、論文3本、コラム1本なので、一部も一部にすぎるのだけど……
第1部と第4部はもうちょっとちゃんと読みたい

序章 多元化するゲーム文化と社会  松井 広志・井口 貴紀・大石 真澄・秦 美香子
■第Ⅰ部 ゲームとユーザー■
第1章 大学生のゲームの利用と満足 ――ユーザー視点の研究―― 井口 貴紀
第2章 携帯する「ゲーム=遊び」の変容――オンラインゲームの大衆化をめぐって―― 木島 由晶
第3章 ゲームセンター考現学 ――ゲームセンターにおける高齢者増加の言説をめぐって 加藤 裕康
コラム ゲームにとって音楽とは 小川 博司
コラム コンサートホールとゲーム音楽 山崎 晶
コラム スポーツ化するサッカーゲーム 野田 光太郎


■第II部 実践のなかのゲーム■
第4章 ビデオゲームにおける日常と非日常 李 天能
第5章 盤上の同一性、盤面下のリアリティーズ:会話型ロールプレイングゲームによるゲーム論×相互行為論 髙橋 志行
第6章 TRPGにおける「ここ」:仮想的秩序と現実世界の秩序との整合をめぐる断章 臼田 泰如
第7章 人はゲームと相互に作用するのか――ルールを“運用する”ことに見る実践の中のゲーム概念―― 大石 真澄
コラム ビデオゲームからの「面白さ」発掘を目指して ~四半世紀前のお話~ 林 敏浩
コラム 開かれたTRPG作品 有田 亘
コラム 日本における成人向けゲームの倫理的レーティング規定 岡本 慎平


■第III部 ゲームとジェンダー
第8章 プレイヤーキャラクターをジェンダーの視点から見る――「ドラゴンクエスト」と「Final Fantasy」の事例から 秦 美香子
第9章 子ども向けアーケードゲームジェンダー化――『オシャレ魔女ラブandベリー』を事例として 東 園子
第10章 BLゲームの歴史と構造:ゲームならではのBLの楽しみ 西原 麻里
コラム 僕らのいる場所――「バーツ」物語―― シン・ジュヒョン (Shin Juhyung)
コラム 中国のアプリゲームから二次創作を考える 程 遥
コラム ドイツの大学におけるゲーム授業の変容と現状 マーティン・ロート (Martin Roth)
《翻訳》ユーロゲーム――現代欧州ボードゲームのデザイン・文化・プレイ (概略) スチュワート・ウッズ (Stewart Woods)
コラム フィンランドのゲーム産業 タイラ・グラーンルンド (Taila Granlund)


■第IV部 ゲーム文化と社会■
第11章 ゲームの内と外? ――マジックサークル再考 松永 伸司
第12章 「ゲーム/遊びとは何か」とは何か――ゲームのメタ定義論をめぐって―― 井上 明人
第13章 「できなくなること」を享受する ――日本社会でのデジタルゲーム経験から 鍵本 優
第14章 メイルゲーム/ネットゲームのコミュニケーションと文化 ――多元的なゲーム史、ゲーム研究へ―― 松井 広志
コラム ゲームと観光のかかわり 岡本 健
コラム インタラクティブ・フィクション 師 茂樹
コラム ゲーム研究をめぐる困難 吉田 寛

多元化するゲーム文化と社会

多元化するゲーム文化と社会

第5章 盤上の同一性、盤面下のリアリティーズ:会話型ロールプレイングゲームによるゲーム論×相互行為論 髙橋 志行

ゲームの存在論、というか、同じゲームをプレイしたと言える時の「同じ」を制約する条件の違いから、TRPGと他のゲームを区別しようとする試み
1つのパッケージで完結された作品と違って、ゲームの場合、MODとか追加ルールとか加わると、それでゲームとして別物になってしまうし、TRPGの場合、ゲームマスターとかポリシーとか違っても別物になってしまうよ、という話で、そういう条件を洗いだしてるのは面白い気がする
ところで、何が「同じ」なのかがちょっと曖昧になっている気がする
どういう時「「同じ」ゲームを経験した」といえるか、というのがテーマなんだけど、ここでいうゲームが、ゲームプレイなのかゲーム作品なのか
もちろん、ゲームプレイは、その都度ごとに違うので、そもそも同じゲームプレイ経験なんかあるのかという感じだし、ここでも「ゲームプレイ」のことを想定しているわけではないと思う。
けど、表に「経験の同一性」とか「セッションの同一性」とか書かれると、ちょっとゲームプレイっぽくも見える
逆に、作品って言いきっちゃうと、いや、追加ルールが加わったところで「同じ作品」であることには違いないじゃないか、というツッコミもありかねない。まあ、そういう話がしたいわけでもない。
「作品(追加ルールが加わったりGMが違ったりしても、同じタイトルのもとまとめられる集合)」でも「ゲームプレイ」でもなくて、その中間くらいのなんかがあるような気がする、批評かなんかの対象にしたい単位として。


ところで、後半は、同一性の話から少し離れて、プレイヤーは複数の現実(リアリティーズ)を切り替えるというような話がされていて、前半と繋がっている話なのかどうかよく分からないんだけど、多分、筆者がずっとやろうとしているのはこっちの方向の話なんだろうなーという気はした

第9章 子ども向けアーケードゲームジェンダー化――『オシャレ魔女ラブandベリー』を事例として 東 園子

ラブベリ』は直接は知らないのだけど、プリリズやアイカツに影響を与えたパイオニア的なゲームとして名前は知っていたので、この論文気になっていた
ラブベリ』の元となった『ムシキング』と比較しながら、そこに現れているジェンダー秩序について分析している
ところで、この論文の内容ではなく、あくまでもこの論文が引用している論文の内容の話なんだけど、ショッピングセンターに置いてあるゲーム機って、法律上は自動販売機なのね

コラム 中国のアプリゲームから二次創作を考える 程 遥

中国では、公式アプリの中に二次創作が組み込まれているという話
中国では、コンテンツの活性化手段として二次創作を利用しているようだ、と(「寛容」かどうかというのとはまたちょっと違う話かも、と)

第11章 ゲームの内と外? ――マジックサークル再考 松永 伸司

ホイジンガにより提唱され、『ルールズ・オブ・プレイ』で現代ゲーム研究にも持ち込まれるようになった「マジックサークル」概念
この概念については、多くの批判も寄せられているが、松永はこの概念を整理して、ゲーム研究にとって有用な概念であることを示す
松永は、マジックサークル概念を「区切りとしてのマジックサークル」と「意味付けとしてのマジックサークル」に整理する
前者について、空間的・時間的な区切りのこと、必ずしも空間的なものに限った話ではない。「現実のどの要素がゲームに関与的か、そうでないかが区別されている状況」と定式化している
後者は、サールの構成的規則のような「制度」として理解できる
いずれも、日常生活や現実世界からの分離を含意しているわけではないことに注意
制度は日常にもある
ビデオゲームにマジックサークルが見出せない、という批判があり、松永はこれについて反論する。ただ、確かに非ビデオゲームと比べると微妙で、標準的なビデオゲームにマジックサークル概念を適用してもそれほど面白くはない、ということには松永も同意する
しかし、例えばイングレスやポケGOのようなゲームを考える上で、マジックサークル概念は使えるとしている
また、現実の会社組織のような組織と役割分担を創り出すようなオンラインゲームについて、マジックサークルがあやふやになる、という意味で、マジックサークル概念が使えるとも。