柴田勝家『ヒト夜の永い夢』

南方熊楠を主人公に、粘菌をコンピュータとして用いた自動人形=天皇機関少女Mを巡る騒動を描く、昭和伝奇SF
和歌山県田辺で研究生活を送る南方は、ある日、学会の主流派から外れてしまった者たちで結成された昭和考幽学会に参加することになる。
彼らは、昭和天皇即位を記念すべくプロジェクトを発足させる。
それが、天皇機関なる自動人形の開発である。
少女の死体にパンチカードを用いた制御装置、そして粘菌による計算機関を組み合わせた天皇機関は、さらに不思議で妖しげな力を持ち合わせていた。
天皇への奉納は失敗に終わるのだが、天皇機関の不思議な力に目をつけた北一輝が暗躍し始める。
探偵役として江戸川乱歩も現れ、物語は、南方熊楠らと北一輝派との対決を描く痛快活劇の様相を呈していく。

ヒト夜の永い夢 (ハヤカワ文庫JA)

ヒト夜の永い夢 (ハヤカワ文庫JA)


天皇機関は、パンチカード使って動くアンドロイド(というかガイノイド)なので、昭和スチームパンクとでも言えるかもしれないが、夢とは一体何か、夢の世界と現実の世界は何が違うのかといった思弁が、「いや、それ塵理論じゃん」みたいな話へと繋がっていく。
ありとあらゆる世界が存在しているとして、では何故無数の世界の中で、他ならぬ自分は今ここにいるのか、ということに熊楠は南方なりの答えを出すが、それが北一輝の(本書における)革命思想と対峙するための答えともなる。


上に述べた通り、主人公が南方熊楠、敵対者として北一輝、熊楠に協力する探偵として江戸川乱歩が出ててくるのだが、それ以外にも実在の人物が次々と登場してくる(というか名前のある登場人物は全員実在の人物なのでは)。
超心理学者の福来友吉*1、日本初のロボット学天測を開発した西村真琴、文学者の佐藤春夫、乱歩作品の挿絵を描いていた岩田準一合気道創始者である植芝盛平二・二六事件に加わっていた陸軍中尉の中橋基明、さらに石原莞爾宮沢賢治三島由紀夫の祖母である平岡夏子などが登場する。また、直接は登場しないが、熊楠とはイギリス留学時代に交流のあった孫文も、重要なキーを握る人物である。
で、次々と出てくる登場人物たちのWikipedia読んでるだけで面白くなるw
実際、本書と並行して、Wikipedia読むだけでも、次々と作中に出てきたエピソードの元ネタがぽろぽろ出てくるので楽しい。
作中でも言われているのだが、南方熊楠、人脈ありすぎ。
また、これは作者の柴田勝家がインタビューで答えていたことだが、宮沢賢治南方熊楠は実際に会った記録はないが、賢治が奈良にまで旅していたのは事実で、それを元に、山の中で2人が出くわしていてもおかしくなかったのではないか、と考えて本書の宮沢賢治登場シーンは作られているらしい。

語り自体は結構軽妙で、いや軽妙というか、ちょいちょい笑いを挟んでくるし、なんなら下ネタも多い
展開も結構ハチャメチャなところがあり、それが結構楽しい。
ところで、熊楠は周りの人たちにも結構冗談を言ったりしているのだが、ほぼ最年長であり、みんなからすごい人だと思われているので(実際すごい人だが)、冗談が冗談だと気付かれず大まじめに受け取られてしまったりするシーンが時々出てきたりするの、わりと好きw


昭和考幽学会は、一応、主流派から外れた者たちが密かに集ってという趣旨の組織なので、物語の半分くらいまでは、メンバーはみんな黒頭巾をかぶって登場する。
南方は、物語開始時点ですでに60歳くらい
おっさんたちが黒頭巾かぶって集まって酒盛りしながら、「なんかでかいことやるぞ」「そうだ! 天皇機関だ!」みたいなアホ話して盛り上がる(あれよあれよと実現しちゃうんだが)という図が、黒田硫黄の絵で思い浮かんだ。
天狗党絵誌』とか『茄子』とかに出てくる髭のおっさん、そのまま南方熊楠のキャラデザに流用できるでしょw
しかし、最後のクライマックスである二・二六事件は、夢とうつつが入り交じって、完全に今敏の世界になっている。


どっかに、タンパク質が遺伝物質となっている旨の記述があって「ん?」となったんだけど、DNAが遺伝子だってわかったのそういえば戦後だった


天皇機関は一度完成するが、未来予測を口にするようになる。
そしてこれは、人々を魅了し、時に崇める者まで現れる。
が、それは胞子のよる幻覚作用であることが分かる。
天皇機関を止めようとした熊楠は、奇妙な経験をする。福来が撃たれて死んでしまったところを目撃するのだが、その後、福来がピンピンしており、撃たれたという事実もなくなっていた。
熊楠は、福来が撃たれた世界から福来が撃たれていない世界へと移動していたのだ。
天皇機関は、あらゆる世界を見ることができ、人を他の世界へ移動させることができる。
実は冒頭に、熊楠と考幽学会の面々が皇居で天皇に自分たちの研究を無事奉ることができるというシーンがあって、最初、先説法かなと思ったのだが、実際にはこういうシーンはおとずれない。別の世界の出来事だったと思われる。
で、熊楠は、夜見てる夢や、福来の研究している千里眼について、脳の分子の組み合わせが、実際に何かを見たときの組み合わせと一致したときに見えるものなのではないかという仮説を立てている。
さらに、ありとあらゆる組み合わせがありえるのであって、その組み合わせ次第で、別の世界が見えているということもありうるのではない。
そしてさらに、ありとあらゆる分子がありとあらゆる組み合わせで構成される可能性があるのだから、別の可能性の世界も存在しているのではないかという、塵理論みたいな理論が展開されていく。
作中では、熊楠以外に、天皇機関のほか、北、乱歩がそれぞれ同じような考えをもっている。
後半、福来が、何故自分は(自分が成功した)そっちの世界ではなくこっちの世界にいるのでしょうかと、熊楠に問うシーンがある
それに対して、熊楠が考え出す答えは、因縁の重力。人は生きていくうちに、他の人や出来事と因縁が結ばれていく。それが多くなるとこの世界から動くことはできなくなる。幼い子供が前世の話をしたり神隠しにあったりしてしまうのは、その因縁がまだ薄いからではないか、と。
北は、天皇機関の力を持って、誰もが自分の願望の叶っている他の世界へといけるようになる、という「革命」を起こそうとしているのだが、これに対して、熊楠は、因縁の縄で縛られるのは気持ちイイのだと反論する。


ところで、江戸川乱歩は中盤からの登場になるのだが、乱歩登場以降、通天閣からオートジャイロで逃げ出す北一派とか、赤マントの噂を追って工場に忍び込むとそこには円柱形のロボットたちが、といった、少年探偵団かよみたいな展開が出てくるようになるのが面白かった。


最後、昭和天皇デウス・エクス・マキナ的なのは、まあ伝奇というジャンル上そういうものかなとも思うのだけど、石原ともども、ちょいと美化されすぎなのではという感じがあって、そこはちょっと気になった。

*1:『リング』の貞子のモデルになった人物を実際に研究していた人