『多元化するゲーム文化と社会』(一部)

全部読んだら、ブログに書こうかなと思っているといつまでも書けなくなってしまうので、読んだものだけでも
全14章、コラムも10本以上ある中の、論文3本、コラム1本なので、一部も一部にすぎるのだけど……
第1部と第4部はもうちょっとちゃんと読みたい

序章 多元化するゲーム文化と社会  松井 広志・井口 貴紀・大石 真澄・秦 美香子
■第Ⅰ部 ゲームとユーザー■
第1章 大学生のゲームの利用と満足 ――ユーザー視点の研究―― 井口 貴紀
第2章 携帯する「ゲーム=遊び」の変容――オンラインゲームの大衆化をめぐって―― 木島 由晶
第3章 ゲームセンター考現学 ――ゲームセンターにおける高齢者増加の言説をめぐって 加藤 裕康
コラム ゲームにとって音楽とは 小川 博司
コラム コンサートホールとゲーム音楽 山崎 晶
コラム スポーツ化するサッカーゲーム 野田 光太郎


■第II部 実践のなかのゲーム■
第4章 ビデオゲームにおける日常と非日常 李 天能
第5章 盤上の同一性、盤面下のリアリティーズ:会話型ロールプレイングゲームによるゲーム論×相互行為論 髙橋 志行
第6章 TRPGにおける「ここ」:仮想的秩序と現実世界の秩序との整合をめぐる断章 臼田 泰如
第7章 人はゲームと相互に作用するのか――ルールを“運用する”ことに見る実践の中のゲーム概念―― 大石 真澄
コラム ビデオゲームからの「面白さ」発掘を目指して ~四半世紀前のお話~ 林 敏浩
コラム 開かれたTRPG作品 有田 亘
コラム 日本における成人向けゲームの倫理的レーティング規定 岡本 慎平


■第III部 ゲームとジェンダー
第8章 プレイヤーキャラクターをジェンダーの視点から見る――「ドラゴンクエスト」と「Final Fantasy」の事例から 秦 美香子
第9章 子ども向けアーケードゲームジェンダー化――『オシャレ魔女ラブandベリー』を事例として 東 園子
第10章 BLゲームの歴史と構造:ゲームならではのBLの楽しみ 西原 麻里
コラム 僕らのいる場所――「バーツ」物語―― シン・ジュヒョン (Shin Juhyung)
コラム 中国のアプリゲームから二次創作を考える 程 遥
コラム ドイツの大学におけるゲーム授業の変容と現状 マーティン・ロート (Martin Roth)
《翻訳》ユーロゲーム――現代欧州ボードゲームのデザイン・文化・プレイ (概略) スチュワート・ウッズ (Stewart Woods)
コラム フィンランドのゲーム産業 タイラ・グラーンルンド (Taila Granlund)


■第IV部 ゲーム文化と社会■
第11章 ゲームの内と外? ――マジックサークル再考 松永 伸司
第12章 「ゲーム/遊びとは何か」とは何か――ゲームのメタ定義論をめぐって―― 井上 明人
第13章 「できなくなること」を享受する ――日本社会でのデジタルゲーム経験から 鍵本 優
第14章 メイルゲーム/ネットゲームのコミュニケーションと文化 ――多元的なゲーム史、ゲーム研究へ―― 松井 広志
コラム ゲームと観光のかかわり 岡本 健
コラム インタラクティブ・フィクション 師 茂樹
コラム ゲーム研究をめぐる困難 吉田 寛

多元化するゲーム文化と社会

多元化するゲーム文化と社会

第5章 盤上の同一性、盤面下のリアリティーズ:会話型ロールプレイングゲームによるゲーム論×相互行為論 髙橋 志行

ゲームの存在論、というか、同じゲームをプレイしたと言える時の「同じ」を制約する条件の違いから、TRPGと他のゲームを区別しようとする試み
1つのパッケージで完結された作品と違って、ゲームの場合、MODとか追加ルールとか加わると、それでゲームとして別物になってしまうし、TRPGの場合、ゲームマスターとかポリシーとか違っても別物になってしまうよ、という話で、そういう条件を洗いだしてるのは面白い気がする
ところで、何が「同じ」なのかがちょっと曖昧になっている気がする
どういう時「「同じ」ゲームを経験した」といえるか、というのがテーマなんだけど、ここでいうゲームが、ゲームプレイなのかゲーム作品なのか
もちろん、ゲームプレイは、その都度ごとに違うので、そもそも同じゲームプレイ経験なんかあるのかという感じだし、ここでも「ゲームプレイ」のことを想定しているわけではないと思う。
けど、表に「経験の同一性」とか「セッションの同一性」とか書かれると、ちょっとゲームプレイっぽくも見える
逆に、作品って言いきっちゃうと、いや、追加ルールが加わったところで「同じ作品」であることには違いないじゃないか、というツッコミもありかねない。まあ、そういう話がしたいわけでもない。
「作品(追加ルールが加わったりGMが違ったりしても、同じタイトルのもとまとめられる集合)」でも「ゲームプレイ」でもなくて、その中間くらいのなんかがあるような気がする、批評かなんかの対象にしたい単位として。


ところで、後半は、同一性の話から少し離れて、プレイヤーは複数の現実(リアリティーズ)を切り替えるというような話がされていて、前半と繋がっている話なのかどうかよく分からないんだけど、多分、筆者がずっとやろうとしているのはこっちの方向の話なんだろうなーという気はした

第9章 子ども向けアーケードゲームジェンダー化――『オシャレ魔女ラブandベリー』を事例として 東 園子

ラブベリ』は直接は知らないのだけど、プリリズやアイカツに影響を与えたパイオニア的なゲームとして名前は知っていたので、この論文気になっていた
ラブベリ』の元となった『ムシキング』と比較しながら、そこに現れているジェンダー秩序について分析している
ところで、この論文の内容ではなく、あくまでもこの論文が引用している論文の内容の話なんだけど、ショッピングセンターに置いてあるゲーム機って、法律上は自動販売機なのね

コラム 中国のアプリゲームから二次創作を考える 程 遥

中国では、公式アプリの中に二次創作が組み込まれているという話
中国では、コンテンツの活性化手段として二次創作を利用しているようだ、と(「寛容」かどうかというのとはまたちょっと違う話かも、と)

第11章 ゲームの内と外? ――マジックサークル再考 松永 伸司

ホイジンガにより提唱され、『ルールズ・オブ・プレイ』で現代ゲーム研究にも持ち込まれるようになった「マジックサークル」概念
この概念については、多くの批判も寄せられているが、松永はこの概念を整理して、ゲーム研究にとって有用な概念であることを示す
松永は、マジックサークル概念を「区切りとしてのマジックサークル」と「意味付けとしてのマジックサークル」に整理する
前者について、空間的・時間的な区切りのこと、必ずしも空間的なものに限った話ではない。「現実のどの要素がゲームに関与的か、そうでないかが区別されている状況」と定式化している
後者は、サールの構成的規則のような「制度」として理解できる
いずれも、日常生活や現実世界からの分離を含意しているわけではないことに注意
制度は日常にもある
ビデオゲームにマジックサークルが見出せない、という批判があり、松永はこれについて反論する。ただ、確かに非ビデオゲームと比べると微妙で、標準的なビデオゲームにマジックサークル概念を適用してもそれほど面白くはない、ということには松永も同意する
しかし、例えばイングレスやポケGOのようなゲームを考える上で、マジックサークル概念は使えるとしている
また、現実の会社組織のような組織と役割分担を創り出すようなオンラインゲームについて、マジックサークルがあやふやになる、という意味で、マジックサークル概念が使えるとも。