『世界2019年10月号』「特集AI兵器と人類」

世界 2019年 10 月号 [雑誌]

世界 2019年 10 月号 [雑誌]

この兵器と人類は共存できない いま、なぜ自律型致死兵器システムを問題にするのか 中満泉

筆者は国連軍縮担当事務次長
この記事は、この特集の序文みたいな感じで4ページの短いもの
特定通常兵器使用禁止制限条約の枠組みで自律型致死兵器システム(LAWS)分野についての会合が開かれていて、規制に向けの国際的な動きが始まっているよ、というもので、この特集自体が、この国際的な規制の枠組みが今どのようにすすめられているのかという話を中心になされている。
この記事の中で、グテーレス国連事務総長、こうした兵器は禁じられるべきというメッセージを発していることが書かれている
あと、ちょっと細かい話だけど、へえと思ったのは、「人間の形態を人間以外の対象に与える新出技術、すなわち「擬人化」を防ぐ措置を考慮しなければならないことも確認している」こと

AI兵器――異次元の危険領域 津屋尚

LAWSの何が危険視されていて、どのように規制の話がされているか、という話
わかりやすく大げさな話(シンギュラリティ起きて人間に暴走する可能性の話とか)も混ざっているが、これも現状の概略説明という感じの記事
(1)ロボットに人の生死を決めさせていいのか(2)戦争へのハードルを下げてしまうのではないか(3)テロリストや独裁者が国内で弾圧に使う可能性
2012年現在、アメリカ国防総省は、完全自律型を導入するのには消極的ととれる指令書を出している
基本的に兵器の規制というのはこれまで実際に使用されてから条約が作られてきたが、LAWSという完全自律型の兵器というのはまだ実現していないものであり、事前の規制が必要だという認識が、国際的に共有されてきている、という状況にある
しかし、じゃあ自律って一体なんだとかとか定義の部分から一致を見ておらず、なかなか進んではいない
例えば、人間が関与すべきというような共通認識はあるものの、どのようなことであれば人間が介在したといえるのか、という点は一致を見ていない
あるいは、中国は「自己進化するAI兵器を規制すべき」という主張をしていたらしいが、筆者はこれを、裏を返せばそうではないものの規制は必要ないという主張ではないか、とも書いている
あと、基本的に今回の特集は「LAWS=Lethal Autonomous Weapon System自律型致死兵器」つまり殺傷する兵器の話が中心だが、この記事では一番最後に、サイバー攻撃フェイクニュースをばらまく攻撃をするうようなAI兵器の可能性も指摘していたのが面白かった。

対談 キラーロボットvs.市民 土井香苗・長有紀枝

土井は、NGOヒューマン・ライツ・ウォッチの日本代表
長は、NGO難民を助ける会理事長で、対人地雷やクラスター爆弾の禁止キャンペーンを行ってきた人
2人とも、キラーロボット反対キャンペーンのメンバー
地雷やクラスター爆弾の廃絶運動の延長として、キラーロボットの反対キャンペーンもあるが、地雷やクラスター爆弾とは違う面がある
1つは、キラーロボットについてはまだ実際に被害が出ているわけではない、予防的な話だということ。
これについては、社会に訴えかけるのが難しい面があると同時、まだ既得権益などが発生していなしい、こうした兵器を前提とした政策が行われているわけでもないので、止めやすい面もあると
もう1つは、地雷が「周辺兵器」だったこと。地雷そのものは戦争の勝敗に対して決定的な働きはしない、その割に被害が大きすぎる、というところから勧められた。が、ロボット兵器はそういうわけにもいかない
それから、定義の難しさの話
対人地雷禁止条約でも、対人地雷の定義を巡って色々もめたらしい
また、キラーロボット反対キャンペーンのユニークなところとして、平和や人権、軍縮に関係するNGOだけでなく、技術者や哲学者など新しいタイプの人々が参加していることをあげている
「特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)」では、2017年から正式な専門家会合が行われていて、一歩一歩進んでいるもののスピードは遅い。ただし、これはCCWがコンセンサス(全会一致)方式をとっているので予想できたこと、とも
この手の話だと、規制消極派も含めて一致できる緩い規制条約を作るか、積極派の有志国だけで全面禁止条約を作るか、というのが出てきて、後者は大国が参加しないので実効力がなくなるというのはよく言われるのだけど、ここでは、全面禁止条約を作ることで「スティグマ化」することが重要だとあった
日本については、開発する計画はないと明言していることを評価しつつ、「条約ではなく法的拘束力のない文書を作りましょう」という主張の国々の1つなのは残念だ、とも。また世論調査での関心の薄さなど

AI兵器をどう規制するか 岩本誠吾

規制についての議論の流れ
2013年NGO「キラーロボット反対キャンペーン」発足→2014年からCCW内で非公式会合→2017年から公式会合へ格上げ
CCWで議論されるにあたって明確化された討議対象は
(1)「現存する」ではなく「出現しつつある」兵器、(2)「対物破壊用」ではなく「致死性」兵器(3)技術全般ではなく「LAWS分野」における技術
また、LAWS議論には二つの特徴がある
(1)「事前・予防的・想像的」な討議であること
(2)国際法の適用を再確認する必要があったこと
現時点での合意事項として、兵器システムのすべてのライフスタイルで人間の責任が関わることが肯定されている
「有意義な人間による制御」という言葉がキーワードらしく、他の記事でも出てきたし、関係者の中でよく使われているらしいが、この言葉を巡っても色々あって、「有意義な」なのか「適切な」なのか「制御」なのか「関与」なのかとかそういった色々な表現が提案されているとか
人間が関与すべきということには同意がとれつつも、どのようにという点では意見がわれている
イスラエルは、研究開発から起動まで人間は介在しているので、起動後は人間の関与は不必要という立場
規制議論のアプローチについては、規制積極派、現行法で対処可能なので新条約不要派、そして法的拘束力のある条約ではなく拘束力のない政治宣言をまず出す派の大きく3派にわかれる
アフリカや非同盟諸国が積極派、米英ロイスラエルなどが新条約不要派、独仏日本などが3番目のグループ
ちょっと気になるのが中国で、中国はなんと禁止積極派なんだけど、開発ok使用禁止派で、他国をけん制する戦術とのこと
CCWが過去に行ってきた法規制として、地雷とクラスター爆弾がある
地雷の時は、地雷議定書を締結したあと、積極派がさらに厳しい対人地雷禁止条約を締結しており、条約反対派は議定書を受け皿とできた
一方、クラスター爆弾の時は、先に有志諸国だkで禁止条約が採択され、その結果、規制交渉が中断されたことで、条約に反対する国には受け皿がなく、軍事大国が何も規制されない無法状態になってしまった、と
軍事から離れて、AI一般について、人間中心の価値観でという政治宣言がOECDG20とかでなされていて、LAWS規制新条約不要派も規制に歩み寄る可能性はあるのでは、というのも最後に少し触れられている

進化するAI兵器 問われる科学者 千葉紀和

デュアルユース問題
アメリカ、中国、そして特に日本において、軍が大学・民間の研究にお金だして開発を進めようとしている件について

ロボット兵器の倫理的問題 殺人の自動化というテクノロジー 久木田水生

自律型兵器の倫理問題
まず、よく言われているものとして下記のような論点があるとする
(a)国際法違反:民間人への付随的被害
(b)責任の所在
(c)新たな軍拡競争
(d)テロへの転用
(e)軍人の徳の崩壊
(f)戦争の像か
まず、(c)と(d)は自律兵器固有の問題ではない、(a)は自律兵器それ自体の問題ではなく性能の問題、(b)は自律兵器固有の問題であり、かつ性能に帰せられる問題でもないが、責任を取る人間が誰か制度的に決めておけばよいので解決可能な問題、としてここでは取り扱わないとする
(e)と(f)も自律兵器固有の問題だが、(e)は紙幅の都合で取り上げず、(f)を取り上げるとする
自律型兵器の利点として、自国の兵士の危険を減らせるというものがある
兵士たちがリスクのある「労働」をすることなく、ロボットがその「労働」を代わりにすることで、勝利や安全という「価値」を享受できる、と
ところで、こうした自国の兵士のリスクを避けることが、敵側の民間人の犠牲を正当化することがないだろうか、ということを、実際に行われているドローン攻撃の事例から論じている
「暗殺」ともいうべきドローン攻撃が行われている。ドローン空爆は地上部隊による作戦に比べて、作戦成功率は高いが、標的以外の犠牲者は多い、とのこと
ドローン攻撃は、自国の兵士の犠牲は減らすが、敵国の民間人の犠牲を増やす。
最後に筆者は、道具は使い方次第・使う人次第だとは考えない、という考えを述べている。
道具には、人間の思考や行動を一定方向で誘導しやすいバイアスがあるのではないか、と。だから、道具の特徴と、その道具がどのように人間に心理的影響を与えるか、どのような行動に駆り立てるかを考える必要があると締めくくっている。

他の本

ロボット兵器というと、やはり
P・W・シンガー『ロボット兵士の戦争』 - logical cypher scape2だろう。
一方、未読なのだが、最近、無人の兵団――AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争という本も出ていて、気になっている。
あと、少し前の本だけど、ドローン関係でハンター・キラー アメリカ空軍・遠隔操縦航空機パイロットの証言 (角川ebook nf) (角川ebook nf)とかも、未読だけど気になっている。


ロボットと法ということでいえば、弥永真生・宍戸常寿編『ロボット・AIと法』 - logical cypher scape2があり、この中で、ロボット兵器についても一章割かれている。
よく見ると、上の「AI兵器をどう規制するか」を書いている人と、この本でロボット兵器の章を書いている人、同じ人だ


また、ロボット倫理学という分野も勃興してきている。
上で「ロボット兵器の倫理的問題」を書いている久木田さんもロボット倫理学やっている人
最近だと、これまた未読なのだが、ロボットに倫理を教える―モラル・マシーン―とかロボットからの倫理学入門とかが出ている
ロボット兵器の話は直接出てきていないが、『ロボットに倫理を教える』の翻訳者による内容紹介→
ロボットに倫理を教えるということ.pdf - Google ドライブ

Derek Hodgson "The Visual Brain, Perception, and Depiction of Animals in Rock Art"

 認知考古学による洞窟壁画の研究について
描写の起源に関わるような話で、人類史的な起源でもあるし、どんな認知能力が基盤になったのかという意味での起源でもある。
筆者のHodgsonは考古学者であるが、神経科学・知覚心理学進化心理学などの知見を取り込んだ認知考古学を行っており、旧石器時代の芸術を研究している。
直接的には美学の論文ではないが、個人的には美学・描写の哲学について勉強する一環で、ちょっとここらへんも何やっているのか興味あるなーと思ってググって見つけてきた論文


輪郭を検知する能力が関わってるよ、みたいな話
dx.doi.org

1.Introduction
2.Perceptual Precursors
3.Diagnostic Cues and the Typical Viewing Profile
4. Outlines
5. The Indexical and Iconic
6. Discussion
7. Conclusion

1.Introduction

動物の絵が広く普遍的に描かれていることについて、文化的な説明だけでは不十分

2.Perceptual Precursors

対象を特定するための脳の視覚的な機能
動物はカモフラージュをする、色やテクスチャより形が優先。形は状況が変わっても維持される性質。
カモフラージュした動物の検知は、サバイバルに重要で、そのための視覚能力が脳に結線("hard wired")されている

3.Diagnostic Cues and the Typical Viewing Profile

まず、いくつかの研究が簡単に紹介されている
・伝統的な狩猟者は、動物の顕著な部分に特に注意を払う
・動物を見ている時の情報入力は、腹側経路と辺縁系で処理されるが、処理される特徴は色やテクスチャより輪郭の形
・人やサルの視覚系は、動物を同定するために、形などの粗い視覚情報に頼っている
・側面からの見た目が、動物を同定するためにもっとも一般的な手段
視覚系は、形から徴候的な特徴を沢山拾ってくる。その特徴を、イメージャリーや記憶の中に蓄積された情報とマッチングしている

4. Outlines

輪郭のアウトライン
動物がカモフラージュしててもアウトラインを見つけ出すことができる
劣化したアウトラインを認識する能力が2歳からある(欠けた形を埋めることができる)

5. The Indexical and Iconic

パースのいうインデックス記号とイコン記号
インデックス記号の方が基礎的で簡単に描ける
手のプリントが広く見られるのはここから説明できる
手のプリントから動物の描写へと次第に変化していく

6. Discussion/7. Conclusion

文化的影響もある
狩猟採集者だけでなくのちの時代の定住グループにも動物の絵について同じような特徴がある

ある画像が何を描いているのか


山川さんの述べていることについて、概ね同意ではあるのだけれど、このツイートを見かけて思ったことをちょっと書いてみる。


ある画像が何を描いているのか、という時に3つくらいのレイヤーに分けられるのではないかな、と
「認識される内容」
「指示対象」
「その画像を用いて示そうとしている意味」

特にこの中で「内容」と「対象」の2つが、ある画像が描いているものが「何か」という時の「何」にあたる部分としての中核を占めていると思う。
そして、「内容」の方は、人間が備える視覚システムを用いることで認識されるもので、文化の違いなく分かるものであるのに対して、「対象」の方は、それなりに文化の拘束を受けるのではないのか、と。

追記(20191229)

obakeweb.hatenablog.com
今回の話は、この記事で、描写の哲学の中の「描写の構成:描写内容はどのような構成を持つのか?」として挙げられているトピックとおおむね重なっているかな、と思うのだけど
「その画像を用いて示そうとしている意味」というところはむしろ、「主張と倫理:画像を使って、なにかを主張する? 画像のわるさとは?」というトピックに関わる話かもしれん
(追記終わり)


例えば、トランプ大統領を描いた似顔絵で考えてみる。
内容は「前髪のなびいた金髪の白人男性」とでもなるだろう。そして、対象は「トランプ大統領」である。
この似顔絵が一体何を描いているのか、という問いに対して「前髪のなびいた金髪の白人男性だ」と答えるのは、間違ってはいないのだが、正解とも言えない。
トランプ大統領だ」と答えられない人は、この絵が何を描いているのかを分かっているとは言いがたいのではないだろうか。


また、このような例も考えられる。
イコノロジーに基づく画像、つまり、アトリビュート(持物)によって誰を描いているかが指定されているというあれである。例えば「葦の十字架」を持っていたら「洗礼者ヨハネ」である、というような。
「葦の十字架を持っている男性」という内容を持つ画像が、「洗礼者ヨハネ」を指示しているということになる。


「内容」は、標準的な人間が持っている視覚認知システム(目、視神経、脳など)が揃っていればおおよそ分かるだろうが、「対象」は、それだけでは分からない。
では、対象は一体どのようにして分かるのだろうか、というと、それはおそらく色々なルートがある。


この「内容」と「対象」の区別については、ロペスが描写についての諸説を、知覚的説明と記号的説明との2種類に大別したことを参照している。
ざっくりいうと、「画像aを見てAが知覚される時、画像aはAを描写している」というのが知覚的説明で、「画像aがAを指示している時、画像aはAを描写している」というのが記号的説明である。


そもそも「指示」というのは、典型的には言葉の意味作用として説明される。
例えば「dog」という単語は、犬と呼ばれるあの四つ足の動物を指示している、というように。
画像の記号的説明というのは、これと同様に、犬の画像は犬という動物を指示しているのであり、また、ある絵が犬を描写しているとは、そのある絵が犬を指示していることに他ならない、とする。
「dog」と犬という動物とのつながりは恣意的なものであり(別に「god」が犬を指示していもよかったはずである)、いわば約束事みたいなものである。
画像の記号的説明にもそういう側面はあるだろう。
イコノロジーアトリビュートの例は、記号的説明にそぐうような例かもしれない。


ただ、これは直観に反しているように思われるケースも多い。
dogが犬を意味していることは、英語を知らない人には分からないが、犬の絵が犬を描写していることは、犬の絵を見たことない人にも分かる。
画像の本性を、ある対象を指示する記号として考える立場は、そういう意味であまり人気がない。


ロペスは、知覚的説明と記号的説明をハイブリッドした説明を行っている。
ここでは詳しく触れないが、画像は知覚的な指示を行っているのだ、という説明をしている。
犬の絵は「毛が生えていて4本足で口吻部が伸びている動物」というような内容を持つが、そうした知覚的内容は、犬という対象が起源となっており、起源から情報が伝達されている。内容から起源が何か同定できるのならば、指示がなされているのだ、と。


「内容」と「対象」に似たような区別は、ナナイの三面性の議論にも見られる。
(そもそもナナイは知覚説の立場をとるので、彼が、指示という側面をどの程度念頭に置いているのかはちょっと自分には分からないが)。
彼は、画像に3つの側面があると考える。
すなわち、
A:画像の表面(二次元)
B:画像の表面を視覚的にエンコードした三次元的な対象
C:描かれた対象(三次元)
である。
Aはキャンバス上・画面上の色や線の配置のこと、そうした色や線の配置をもとに我々はBを見ている。
ここまで述べてきた言葉でいうとBは「内容」に当たるだろう。
ナナイによれば、Bは知覚されるものである。
対してCは、疑似知覚的なものであるとされる。
例として、ミック・ジャガーの似顔絵が挙げられている。Bは「唇が大きく描かれた白人男性」であり、Cが「ミック・ジャガー」となる。
ミック・ジャガーのことを知らなければCは分からないわけだが、ナナイは、この似顔絵がミック・ジャガーの絵だと分かるのは「判断」ではなくて、疑似とはいえ知覚的なプロセスだと考えているらしい(認知的侵入みたいなことが起きると考えているっぽい)。


また、ナナイは全ての画像がCを持つわけではないということも述べている。
指示対象を欠いているような画像というのは確かに考えられるだろう。


まとめるとこうなる。
あらゆる画像は「内容」を持つ。
「内容」は、標準的な視覚システムによって知覚することができる。
一方、画像は「対象」も持つ。
対象がなんであるか、内容から特定されることもあるし、
他の信念からの認知的侵入を受けて知覚されることもあるし、
あるいは、言語などの記号と同じような形で指示されている場合もある。
さらに、そもそも対象をもっていない画像もありうる。
信念からの認知的侵入や、記号的な指示などは、文化からの影響が十分に考えられるところである。


さらに「その画像を用いて示そうとしている意味」というものが考えられる。
画像は、なにがしかの目的に使用されており、その目的に応じて意味が生じる、ということである。
美術鑑賞を目的とした画像だけでなく、宗教・礼拝的な目的で描かれた画像もあれば、道路標識のように人々に注意を促すことを目的とした画像もある。


例えば、洞窟壁画にシカが描かれているとして、それがシカであることは、現代の我々にも分かるが、実際の狩猟を記録したものなのか、狩猟の成功を祈念して描かれたものなのかは分からない。もし、記録画なのだとすれば、実在したある個別のシカを対象として描いた絵だといえるし、祈願のための絵だとすれば、対象をもたない絵なのかもしれない。
他方で、シカの描かれた交通標識は、シカが飛び出してくる可能性を示し、運転者に注意を促すものである。標識を見る者に対しては、描かれた内容がシカであることが分かるだけでなく、その標識が注意を促していることを意味しているものだと分かることが求められる。


チャーチルブルドッグのように描いた絵というものがある。
この絵は、内容としては「禿頭の白人男性の顔をしたブルドック」ということになるが、対象は「チャーチル」であって「人面犬」ではない。
内容だけからだと、人面犬を指示対象としている絵だというふうに考えることができないわけではない。
が、この絵が風刺画を目的として描かれているということを踏まえれば、チャーチルを描いているのであって、人面犬を描いているわけではないということが分かるはずである。
その画像が何を目的としているのか、ということは、その画像の対象が一体何であるかを同定するのに、寄与することがあると考えられる。


ところで、ネルソン・グッドマンは、画像の描写というのの中核は指示にあると考えていたわけだが、指示だけで画像についての特徴が説明しきれないことにはおそらく気付いていて、「〇〇的絵」という謎の概念を作っている。
上の例でいうと、チャーチルブルドッグとして描いた絵は、チャーチルを指示している「(人面)ブルドッグ的絵」だということになる。
ブルドッグ的絵は、必ずしもブルドッグを描いているわけではなくて、ブルドッグ的絵というクラスに分類される絵のことである。
(そういう概念を使った説明することはできなくはないわけだが、どうにも不自然さの残る説明である感じがして、そういう意味で謎概念)


関連記事
sakstyle.hatenadiary.jp
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哲学的ゾンビの話

the-yog-yog.hatenablog.com
草野原々さんが、この記事ならびtwitterで以下のようなアンケートを含むツイートをされている
下記の引用は、一部抜粋で、一連の流れの中で下記に引用した以外のツイートもしている点には注意









ゾンビ論法について、何か特別に主張があるわけではないのだけれど、何となく気にかかっている。


とりあえず、自分の立場は基本的にタイプB物理主義だと思っている。


で、ゾンビ論法は、何某かの証明にはなっていないのでは、という気がしていて
ゾンビ論法の問題点は、「思考可能であれば形而上学的可能である」というところにあるのではないかと思う。
思考可能性をアプリオリに真といえるかどうかで判断しているって、草野さんの上の記事読むまで分かっていなかったのだけど、だとすると、そもそも「アプリオリに真であること」と「必然的に真であること(形而上学的可能性の領域)」をクリプキが区別したことを踏まえると、思考可能性から形而上学的可能性はやはり引き出せないのではないかという気がする
あと、よしんばそういうゾンビ可能世界を認めるとしても、それって現実世界からの到達可能性どうなってるのというのがあって、我々の意識概念を考える上で、何か加えるものがあるのだろうかという疑問もある。


その上で、草野さんのアンケートは、ゾンビ論法は何かを論証しているのではなくて、我々が持つ意識概念に我々がどのような要素を見いだしているかを示しているものだ、ということかなと思った。
ただ、「意識」の概念のなかに物理主義に反する性質が本質的に入っているかどうかは、哲学的手法で分かることではなくて、経験的探求で分かることなのではないか、と思っていて
なので「「意識概念と物理主義のジレンマ」論法」は、「1がもし正しければ」という仮定の話としてしか受け取れないなーという感じ。


ゾンビ論法について、過去読んだ本をいくつか挙げてみる
本そのものを当たり直すのは大変なので、自分のブログ記事からの引用だが

ゾンビ論証については、最低限の物理主義としての制限的スーパーヴィーニエンステーゼや可能世界論が出てくる。制限的スーパーヴィーニエンステーゼが成り立つ可能世界の集合である内圏と、それに属さない可能世界の集合である外圏の区別とか。
ゾンビ論証については、論点先取的であるとして批判されている。
ゾンビ論証が正しい可能性はあるが、それはゾンビ論者たちが考えるような意識観が正しいという前提においてであり、機能主義的意識観が正しいという前提に立つとゾンビ論証は成立しない。つまり、ゾンビ論証ではどちらの意識観の方が正しいかという証明にはならない。
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おそらく、自分のゾンビ論法への印象は、この本がベースになっている気がする。
先ほど、ゾンビ可能世界への到達可能性ってどうなってるのと書いたけど、多分その疑問と、ここでいう内圏と外圏の話が近いと思うんだけど、内圏と外圏の話がどんなだったか忘れた

逆転クオリアやゾンビについては、そもそもその概念自体が不整合じゃない? という点と
ゾンビそのものが思考可能なのではなく、ゾンビが思考可能な状況が思考可能なのではないの? という点が指摘されている
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ゾンビが思考可能な状況が思考可能なのではないの? という指摘がどういう指摘だったのか忘れてしまった……
が、それはそれとして、この本で書かれている「ミニマルな表象理論」というの、個人的にはよいなあと思っている。

ゾンビ論証においては、思考可能性が形而上学的可能性を帰結するとしているが、物理学者は、思考可能性から形而上学的可能性は帰結しないと考える。なぜなら、水がH2Oでないことが思考可能だからといって、その形而上学的可能性は帰結しないのと同様だと。
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この記事内では、どうもこの説明に対して過去の自分は懐疑的なようなのだが、今読んでみると、この説明はもっともなのではないのかなあと思う。


木星生命の現象的意識について
木星生命を持ち出さずとも、犬猫だったりトカゲだったり魚だったり昆虫だったりといったあたりでも、現象的意識をもっているのかどうかよくわからないのはいるわけで。
で、この問題と、物理主義と意識概念が矛盾しあうかという問題が、どう繋がっているのかいまいちわからない。
意識が物理的性質から説明できると考える人ならば、木星生命の意識も物理的性質から分かると考えるし、
そう考えない人は、そう考えないというだけの話なのでは?
いやそれはゾンビの方も同じといえば同じか。
だから、「私はそう思う」というだけの話で、そこから何か出てくるのかというとよく分からないが、とはいえ、「そう思う」人が多い場合に、じゃあなんで「そう思う」のかは説明すべき事柄であって、そこが出発点になるということなら、分からないでもない。


それはそれとして、意識が生じているかどうか確かめられるかどうかということについては、やはりIITが頑張っているのではないか。
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これは、意識のハードプロブレムを解く理論ではないし、意識とは何かについて答えてくれる感じでは自分はしないのだが、
「意識とは何か」に直接答えなくても、意識があるかどうかを測定することはできるのではないか、ということを示してくれているように思う。
統合情報量という物理的性質に相関してんじゃないのー、くらいは言えるのかもしれない。



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渡辺正峰さんは、確かにチャーマーズに対して好意的なことを述べているのだけど、
個人的には、この人もタイプB物理主義なのでは? と思っている。わからんけど。
(なお、タイプBはギャップがあることは認めるが、それが存在論的ギャップであることは認めない立場)

ギョルゲ・ササルマン『方形の円』

架空の都市を描き出す36の掌編
コンセプト的にはカルヴィーノ『見えない都市』に近いが、もう少しSF寄りな感じ。また、『見えない都市』は、マルコ・ポーロがハーンに語っているという形式だが、こちらは統一された語り手は設定されておらず、淡々と都市について記述したものもあれば、その都市に訪れたある冒険家の視点で綴られたようなものもある。


作者はルーマニア人で、元々建築の仕事をしていて、本作は建築系雑誌に連載されていたらしい。
政権批判などを意図したものではなかったのだが、チャウシェスク政権の下検閲を受けてしまい、フルバージョンでの出版はフランス語訳版で初めてなされた。また、作者本人もドイツへ移住している。
英語版はル・グウィンが翻訳を手がけており、それを契機に日本語訳も出ることになったらしい。

方形の円 (偽説・都市生成論) (海外文学セレクション)

方形の円 (偽説・都市生成論) (海外文学セレクション)


各章の最初に、グラフィック・シンボルというものがタイトルとともに付されている
これは正方形の中に、幾何学模様を描いたもので、各都市ごとのイメージを表しているようだ


36編全て紹介するのはちょっと大変なので、いくつかだけ

  • プロトポリス――原型市

巨大な透明なドームに覆われた都市
その中は完全に管理されて、病気などはなく、閉鎖環境の中で生態系も完備されて自給自足できる
生きるのに何不自由しないそこの住民はだんだん、サルのような姿かたちになっていき、実はその様子が外部の世界でTV放映されていた、という話

  • ・・・・・

名前の知られていない都市
この都市について知られている4つの証言の引用
太平洋から大西洋にまで南アメリカ大陸に虹のようにかかった巨大な道のある都市だというものから、時速30~50メートルで移動している都市だというものまで

  • ヴァーティシティ――垂直市

巨大な塔のよう形で、成長を続ける都市
コンピュータで管理される都市に暮らし、孤独に悩むナット青年は、ある日、とあるアナウンスの声に恋をするのだが、その正体を調べていって、合成音声であったことを知る

  • ポセイドニア――海中市

「時とともに、当然、人類は水中生活になれるだろう』
人間の姿かたちが、次第に水中生活に適応して、イルカのように変化していく様を2ページ足らずに書き出している

  • ホモジェニア――等質市

全く同一の街路に全く同一の設計図で全く同一の家屋を並べた都市
住宅の区別がつかないので、自宅という概念を捨て、どの家に住んでもいいことにしているうちに、どんどん生活習慣が変わっていき、ついには住民全員の形態も思考も全く同一になってしまった、という都市

  • クリーグブルグ――戦争市

騎兵隊とともに都市を攻め落としたプリンス・ヘンリーとリチャード
略奪した戦利品に目を輝かせる2人だったが、ヘンリーは、遺体の多さにあることに気付く
この街は、宝物が多すぎて、次から次へと攻め込まれているということに

  • コスモヴィア――宇宙市

都市だと思っていたけど、世代間宇宙船だったことに気付いた住民たち
しかし問題は、自分たちが正当な宇宙船の持ち主の後継者が、宇宙船を襲撃した者の子孫なのか分からないことだった

  • サフ・ハラフ――貨幣石市

ロード・ノウシャーが旅路の果てにたどり着いた円環状の都市
入り込んだ回廊はどこまでもぐるぐると続いており……。
これ、もしかしたら一番面白い話だったかも

  • ステレオポリス――立体市

人口爆発した地球で、空間を有効利用するために作られた都市だが、そこでは方向感覚が狂ってしまい最後には死んでしまうステレオポリス症が

時間SFもの

  • クアンタ・カー――K量子市

宇宙からの謎の放射を、異星文明からのメッセージとして解読を試みた青年
そのメッセージは、青年に「体験」をもたらした

Michael Newall ”Abstraction”

Michael Newallの”What is a Picture? Depiction, Realism, Abstraction”の中の8章「Abstraction」のみを読んだ。
分析美学で抽象絵画について論じているもの、何かないかなーと色々ググっているうちに辿り着いた奴
本全体でどういう話しているのかはよく知らない。
カルヴィッキが書評書いてる
What is a Picture? Depiction, Realism, Abstraction // Reviews // Notre Dame Philosophical Reviews // University of Notre Dame


本全体の目次

1.Convention
2.Seeing and the Experience of Pictures
3.A Theory of Depiction
4.Resemblance
5.Transparency and Resemblance
6.Realism
7.Varieties of Realism
8.Abstraction

まず、ウォルハイムとグリーンバーグそれぞれの抽象絵画の議論について確認したのち、Newall自身の抽象画(による描写)についての説明を行う。
抽象画は一体何を描写しているのか
次いで、キュビスムを例に挙げて説明する。キュビスムは、Newallの考える抽象絵画の2つの特徴のうち、片方を満たすが片方を満たさない過渡的なもの。
Newallは、Biederman*1によるVolumetric Formの認識についての議論・実験をもとに、抽象絵画がVolumetric Formの認識を挫折させるものとして説明し、それがどのように行われるのかを、キュビズムによって説明している。
さらに、オリツキーの作品から、抽象絵画における空間、透明性について説明している
最後に、抽象絵画の描写的内容ではなく、その象徴的な意味を考えるとして、3つの事例について論じている。すなわち、(1)カンディンスキー、(2)アクション・ペインティング、(3)Michel Majerusなどのポストモダンな「非純粋」抽象


8.Abstractionの目次

1. Depth in abstract painting
2. What abstract painting depict
3. Cubism and depiction
4. Recognizing Volumetric form
5. Frustrating volumetric form recognition
6. Jules Olitski and transparency
7. Meaning in abstract painting
8. Conclusion

1. Depth in abstract painting

抽象画は何も描写していないと思われがちだが、それは誤り
四角が重なりあっていたり、透けていたりするが、重なっているのも透けているのも、実際に絵には存在しないが、絵はそれらを見ている経験を生じさせる。抽象絵画は、こうしたことを描いている。
抽象絵画が描いているこうした空間を抽象空間と呼ぶことにする


ウォルハイムは、抽象画も何かを描写していて、描写対象が、具象概念か抽象概念かで区別されるとした。
グリーンバーグやフリードは、触覚にモディファイされた経験ではなく、純粋に光学的な経験を抽象画とした。
ウォルハイムは広すぎ、グリーンバーグやフリードは狭すぎ

2. What abstract painting depict

抽象画は何を描写しているのか
(1)種や性質を描写している
赤い四角を描いている抽象画は、四角という種や赤さという性質を描いている。
もちろん、種や性質は何かに例化されているものだが、赤さは絵画の表面に例化されている。が、赤さが例化された個物を描写しているわけではない。
実在のもしくは可能な物体を描いているものは、抽象画ではない。
(2)Volumetric formの認識を挫折させるもの
例えば「ウィトウィウス的人体図」は、ウィトウィウス的人体という種を描いているもので個物を描いているわけではないが、抽象画ではない。
ウィトウィウス的人体図で描かれている(ほとんどの)性質は、volumetric formに属する。
volumetric formを認識しない空間認識はありうるのか。Biedermanがそれについて論じている。

3. Cubism and depiction

分析的キュビスムは、volumetric formを認識させないような描き方をしている。
ピカソの「ギタープレイヤー」は、volumetric fromをほとんど示していない(平面的になっている)
が、まだギタープレイヤーを描いてはいる
キュビスムは、抽象絵画の2条件のうち1つは満たすが、もう1つは満たさない。


ゴンブリッチは、キュビスムの特徴として、矛盾した情報の存在を挙げている
だが、ゴンブリッチの説明では、キュビスムがどのようにしてvolumetric formの認識を挫くのかは分からない

4. Recognizing Volumetric form

Bierdermanによれば、視覚システムは、volumetric formを顕著な特徴をピックアップする
こうした特徴として挙げられているのが、3つの線が集まる頂点があるかどうか


Biedermanの挙げている例として、2つの図が出てくるのだけど、これが全然読み取れなくて困った。
本書の表紙にも使われている図なのだが。
同じような2つの図があって、片方は頂点を残して輪郭を消している。片方はvolumetricだけど、もう片方はそうじゃないよね、ということを示している図らしいのだが、両方とも自分にはvolumetricに見えない! どっちも平面的にしか見えない! 
まあ、なんとなくこの図の描き方と分析的キュビスムの描き方には通じるとこがあるよねっていう話は頷けたが。


3つの線があつまる頂点があると立体的に見えるよねっていう話は、なるほどねって思うし、面白いんだけど、これの有無だけで網羅的に判断できるのかっていうのがすごく謎
3つの線が集まる頂点があっても立体的に見えない例とかたくさんありそうだけど……

5. Frustrating volumetric form recognition

キュビスムも、Biedermanと同じ方法で、三叉の頂点を消すないし少なくすることで、volumetric formを認識させにくくしている、と
それから、三叉の頂点は残っているのだけど、他にもいろいろな方法をつかってvolumetricと感じさせないようにしている、ということを、「ギタープレイヤー」と「マンドリンを弾く少女」を例に挙げたなら説明している

6. Jules Olitski and transparency

カラーフィールドペインティングの画家、ジュール・オリツキー
スプレーガンを使って、一様な色のフィールドを作る
グリーンバーグやフリードは、オリツキーの色のフィールドに、深さの知覚を与えられると記述している
フラットな表面が、表面として、深さの知覚を達成することはおそらくできない
グリーンバーグやフリードは、視覚的に存在するものがなにもない空間を描いているというか、空虚な空間が描かれているという考えは奇妙
オリツキーの色の空間は、透けていて広がったものとして見える
透けているものの知覚は、透けている媒体や物体の後ろに表面を見ること
空虚な空間以上のものが描写されている

7. Meaning in abstract painting

抽象画の描写的内容は、抽象空間を描いているということでどれも同じだけど、その抽象空間が一体何を意味しているか、というのはそれぞれ異なる。
ここで「意味」というのは、象徴的意味(symbolic meaning)で、比喩的意味(metaphorical meaning)のこと
抽象絵画の空間は、日常で経験する空間とは異なっているので、象徴的な意味を担うのに適切
抽象絵画の空間が象徴しているのは、日常の物質世界の経験とは異なるあり方のモード

(1)カンディンスキー
カンディンスキーにとっては、抽象空間というのはスピリチュアルなものをあらわす空間。色とか。

(2)アクション・ペインティング
アクション・ペインティングにとっての抽象空間は、画家自身についてをあらわす空間。画家の身振りと、それによって示される表現的内容(画家の心理的状態や態度)
戦後の文化的・政治的状況を反映しているという指摘(ローゼンバーグ)もある(古い考えも政治理論も現代アートの基礎を提供してくれなかったので、意味を画家自身から引き出さないといけなかった)
画家の身振りは、単に絵の表面ではなく、描かれた空間の中


(3)Michel Majerusなどのポストモダンな「非純粋」抽象
「非純粋」抽象、というのは、Newallによる呼称
マジェラスの絵は、アクション・ペインティングな筆触とポップカルチャーのアイコンなど(例に挙げられている絵では、マッキントッシュのゴミ箱アイコン)が共存している
局所的にはvolumetric


ポストモダニティを意味している、と。
ここでいうポストモダニティは、ポストモダン理論のことではなく、現代的文化や生活の一般的状態(コモディティ化、インタラクション、モビリティとか)
ポストモダニティは情報通信技術によって促進
批評家のGilbert-Rolfeは、抽象空間は、目に見えず、ユビキタスな技術的存在のサインであると述べている。

*1:Irving Biederman、おそらく知覚心理学者(Wikipediaだと視覚の科学者となっている)。

神奈川県立生命の星・地球博物館

最近、特別展目当てで、千葉県立中央博物館茨城県自然博物館と、関東の県立博物館をいくつか行ったけど、ついに神奈川県立生命の星・地球博物館へ行ってきた
ただ、実は最初から行こうと思って行ったわけではなくて、元来の箱根旅行へ向かう途中でたまたま見かけて立ち寄ったというもの
箱根湯本の手前の駅が最寄で、駅から徒歩3分。駅からもその姿が見える。先にあげた上の二つの博物館が、電車からバスを乗り継ぎ、バス停からもそこそこ歩くのと比べると、がぜんアクセスのよい博物館だった
sakstyle.hatenadiary.jp
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エントランスには、チンタオサウルスが待ち受けている
上を見上げると、アンハングエラなど翼竜の姿も


常設展
最初は、惑星のクレーターやプレート・テクトニクスの話などから始まり、岩石・地層へ
岩石の作られ方ごとに並べられた、この巨大な模型が目を引く(写真は3階から撮ったもの)
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六角中の奴がすごい
それから、様々な結晶などの標本も並べられている


生物化石のゾーンに入ると、まずはアンモナイトの壁が目立つ
大小のアンモナイトだけでなく貝やベレムナイトも
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3階まで吹き抜けの展示室には、続いて、各古生物の全身骨格標本
恐竜はディプロドクス、ティラノサウルスエドモントサウルス
それから、ゴンフォテリウムやマンモスなど絶滅したゾウの仲間
哺乳類や鳥類の剥製標本が多数
上を見上げると、クジラの全身骨格やランフォリンクスの復元模型が吊られている
さらにその隣には、巨大な板根も展示されている
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3階には、パレオパラドキシア、デスモスチルス、ヤベノオオツノジカがいた
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