哲学的ゾンビの話

the-yog-yog.hatenablog.com
草野原々さんが、この記事ならびtwitterで以下のようなアンケートを含むツイートをされている
下記の引用は、一部抜粋で、一連の流れの中で下記に引用した以外のツイートもしている点には注意









ゾンビ論法について、何か特別に主張があるわけではないのだけれど、何となく気にかかっている。


とりあえず、自分の立場は基本的にタイプB物理主義だと思っている。


で、ゾンビ論法は、何某かの証明にはなっていないのでは、という気がしていて
ゾンビ論法の問題点は、「思考可能であれば形而上学的可能である」というところにあるのではないかと思う。
思考可能性をアプリオリに真といえるかどうかで判断しているって、草野さんの上の記事読むまで分かっていなかったのだけど、だとすると、そもそも「アプリオリに真であること」と「必然的に真であること(形而上学的可能性の領域)」をクリプキが区別したことを踏まえると、思考可能性から形而上学的可能性はやはり引き出せないのではないかという気がする
あと、よしんばそういうゾンビ可能世界を認めるとしても、それって現実世界からの到達可能性どうなってるのというのがあって、我々の意識概念を考える上で、何か加えるものがあるのだろうかという疑問もある。


その上で、草野さんのアンケートは、ゾンビ論法は何かを論証しているのではなくて、我々が持つ意識概念に我々がどのような要素を見いだしているかを示しているものだ、ということかなと思った。
ただ、「意識」の概念のなかに物理主義に反する性質が本質的に入っているかどうかは、哲学的手法で分かることではなくて、経験的探求で分かることなのではないか、と思っていて
なので「「意識概念と物理主義のジレンマ」論法」は、「1がもし正しければ」という仮定の話としてしか受け取れないなーという感じ。


ゾンビ論法について、過去読んだ本をいくつか挙げてみる
本そのものを当たり直すのは大変なので、自分のブログ記事からの引用だが

ゾンビ論証については、最低限の物理主義としての制限的スーパーヴィーニエンステーゼや可能世界論が出てくる。制限的スーパーヴィーニエンステーゼが成り立つ可能世界の集合である内圏と、それに属さない可能世界の集合である外圏の区別とか。
ゾンビ論証については、論点先取的であるとして批判されている。
ゾンビ論証が正しい可能性はあるが、それはゾンビ論者たちが考えるような意識観が正しいという前提においてであり、機能主義的意識観が正しいという前提に立つとゾンビ論証は成立しない。つまり、ゾンビ論証ではどちらの意識観の方が正しいかという証明にはならない。
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おそらく、自分のゾンビ論法への印象は、この本がベースになっている気がする。
先ほど、ゾンビ可能世界への到達可能性ってどうなってるのと書いたけど、多分その疑問と、ここでいう内圏と外圏の話が近いと思うんだけど、内圏と外圏の話がどんなだったか忘れた

逆転クオリアやゾンビについては、そもそもその概念自体が不整合じゃない? という点と
ゾンビそのものが思考可能なのではなく、ゾンビが思考可能な状況が思考可能なのではないの? という点が指摘されている
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ゾンビが思考可能な状況が思考可能なのではないの? という指摘がどういう指摘だったのか忘れてしまった……
が、それはそれとして、この本で書かれている「ミニマルな表象理論」というの、個人的にはよいなあと思っている。

ゾンビ論証においては、思考可能性が形而上学的可能性を帰結するとしているが、物理学者は、思考可能性から形而上学的可能性は帰結しないと考える。なぜなら、水がH2Oでないことが思考可能だからといって、その形而上学的可能性は帰結しないのと同様だと。
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この記事内では、どうもこの説明に対して過去の自分は懐疑的なようなのだが、今読んでみると、この説明はもっともなのではないのかなあと思う。


木星生命の現象的意識について
木星生命を持ち出さずとも、犬猫だったりトカゲだったり魚だったり昆虫だったりといったあたりでも、現象的意識をもっているのかどうかよくわからないのはいるわけで。
で、この問題と、物理主義と意識概念が矛盾しあうかという問題が、どう繋がっているのかいまいちわからない。
意識が物理的性質から説明できると考える人ならば、木星生命の意識も物理的性質から分かると考えるし、
そう考えない人は、そう考えないというだけの話なのでは?
いやそれはゾンビの方も同じといえば同じか。
だから、「私はそう思う」というだけの話で、そこから何か出てくるのかというとよく分からないが、とはいえ、「そう思う」人が多い場合に、じゃあなんで「そう思う」のかは説明すべき事柄であって、そこが出発点になるということなら、分からないでもない。


それはそれとして、意識が生じているかどうか確かめられるかどうかということについては、やはりIITが頑張っているのではないか。
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これは、意識のハードプロブレムを解く理論ではないし、意識とは何かについて答えてくれる感じでは自分はしないのだが、
「意識とは何か」に直接答えなくても、意識があるかどうかを測定することはできるのではないか、ということを示してくれているように思う。
統合情報量という物理的性質に相関してんじゃないのー、くらいは言えるのかもしれない。



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渡辺正峰さんは、確かにチャーマーズに対して好意的なことを述べているのだけど、
個人的には、この人もタイプB物理主義なのでは? と思っている。わからんけど。
(なお、タイプBはギャップがあることは認めるが、それが存在論的ギャップであることは認めない立場)