デイヴィッド・ミーアマン・スコット,リチャード・ジュレック『月をマーケティングする アポロ計画と史上最大の広報作戦』

アポロ計画の歴史を、広報面、アメリカ社会との関わりからレポートしている本。
アポロ計画について、科学技術や科学政策の点では、まあ通り一遍のことなら知っているが、当時の社会においてどのように受け取られていたか等は全然知らなかったなあということがよくわかった。
当時のテレビ画面の写真など、写真資料が多く掲載されているのも、当時のイメージをつかむのに役に立つ。ブックデザインもよくて、祖父江慎だった。


2014年に刊行された本(原著・翻訳とも)で、自分は2015年くらいに存在を知っていたものの、読む機会を逸していたんだけど、うまい具合に、アポロ計画50周年の年に読めたのはなんかよかった気がする


基本的に時系列順に記述が進み、なおかつ各章がテーマ別に書かれているので、読みやすい。
アポロ以前に醸成された宇宙開発へのイメージ
NASA広報部が、ソ連との違いを印象づける意味もあって、情報公開・事実についての広報を基本戦略としたこと
とはいえ、NASA広報部は、アポロ計画の規模に対して人数が少なく、NASAと契約した様々な企業も広報に関わっていたこと
アポロ計画とテレビ放送の蜜月と破局
宇宙飛行士が一躍超有名人となっていったことや、月の石をもちいたキャンペーン
そして、アメリカ国民のアポロ計画に対する賛否について


タイトルが「月をマーケティングする」だし、序章のタイトルも「私たちはアメリカ合衆国マーケティングしていた」で、いかにもNASAが色々な仕掛けを講じたというような印象を受けるのだが、どちらかといえば、時勢に乗れたり、乗れなかったりみたいなところが大きいように思える。
NASAが完全に受け身だったわけではないが、しかし、成功も失敗もNASAがどうこうできた話ではない
テレビの影響力の強さも、大衆の宇宙飛行士への熱狂も、NASAが当初予想していた以上のものであったわけだし、またそれの反動のように、急速に大衆の関心が冷めていくのも、おそらくはどうすることもできないものだっただろう。

私たちはアメリカ合衆国マーケティングしていた――ユージン・A・サーナン(アポロ17号船長)
1章 はじまりはフィクション――SF小説、ディズニーランド、「2001年宇宙の旅
2章 NASAのブランドジャーナリズム
3章 NASA契約企業の広報活動
4章 全世界が観たアポロのテレビ中継
5章 月面着陸の日――キャスター、記者はどう報じたか
6章 セレブリティとしての宇宙飛行士
7章 世界を旅した月の石
8章 アポロ時代の終焉

月をマーケティングする

月をマーケティングする


1章 はじまりはフィクション――SF小説、ディズニーランド、「2001年宇宙の旅

アメリカ人にとって宇宙のイメージがどんなだったのか、ということで
もちろん、ツィオルコフスキーゴダードなど宇宙開発のパイオニアにヴェルヌが与えた影響も書かれてるが、一般大衆向けの話としては、1950年代に映画やテレビシリーズで、宇宙を舞台にしたSF作品が増えたというのが大きい、と
西部劇の人気が落ちていって、代わりに宇宙SFが伸びてきたらしい
また、1950年代のテレビシリーズは、おもちゃとかシリアルとか関連商品の展開があったのも見逃せない


さらに、コリアーズという雑誌が、1950年代初頭に組んだ宇宙特集の重要性も強調されている
この雑誌、元々大部数を誇るジャーナリズム誌だったようだが、この時は、新興の写真誌にその地位を脅かされていた。ろうそくの火は、消える時が一番大きい的な話で、もう末期だったようだが、大々的に宇宙特集キャンペーンを組んだらしい
フォン・ブラウンら専門家を呼び、さらに印象的なイラストを表紙に配した
当時のコリアーズ誌や、コリアーズ誌の特集を発展させて出版された書籍の表紙が複数掲載されているが、どれも非常にかっこいい
ただ、そのようなイラストの中には、TVドラマで放映されていたような鼻先のとがった宇宙船ではなく、タンクがむき出しになったような宇宙船のイラストもあって、のちに惑星物理学者になるとある少年の目には、かなり衝撃的なものに映ったことがわかるエピソードが書かれている。
まだ、フォン・ブラウンが、亡命したものの本格的な宇宙開発には携われていなかった時期(というか、そもそもアメリカの宇宙開発がまだ全然始まってない時期)だと思うが、月、さらに火星への探査計画を、大いに語っていたようだ。
フォン・ブラウン以外の専門家の名前として、フレッド・ホイップルという天文学者の名前も出てくる。読んだ当初、フレッド・ホイルでは? と思ったのだが、ホイップルであっていた。ホイルはイギリス人で定常宇宙説やパンスペルミア説の人、ホイップルはアメリカ人で、彗星の「汚れた雪玉」説の人)


さらに、意外な人物として、ウォルト・ディズニーが登場する
ディズニーランド建設の折り、トゥモロー・ワールドを作るにあたって、科学的な宇宙ものを作ろうと考えていたらしく、ディズニーとフォン・ブラウンが繋がる
ディズニーは『宇宙旅行』など3本の映画を制作し、フォン・ブラウンは、コリアーズ誌のキャンペーンに引き続き、メディアの前に姿を現して宇宙開発の計画について語った

2章 NASAのブランドジャーナリズム

NASA発足時にNASAの広報部長を務めたウォルター・T・ボニー
ならびに、1963年、ウェッブ長官時代により任じられ、アポロ計画時代にずっと広報部長であったジュリアン・シーア
主にこの2人の行った、NASAの広報体制について


ボニーもシーアも元記者であり、NASAの広報担当者を、NASA内部の記者であるようにした
情報公開を基本方針として、広報部はマスメディアに対して、情報提供を行っていく。マスメディアが記事を書く際にそのまま使えるような資料となるような記事を書く、と


この章で大きく取り上げられていることとしては、さらに二つ
1つは、宇宙飛行士のプライベートに関する取材のライフ誌の独占契約について
このライフ誌独占契約の件については、他の章でも触れられている
宇宙飛行士の私生活や家族については、ライフ誌だけが取材できるというもので、当時かなり批判もされたらしいのだが、これによって、NASAは宇宙飛行士のプライベートを守り、宇宙飛行士たちから評判がよかったらしい。
また、ライフ誌との契約には、生命保険も含まれており、宇宙飛行士という危険な職業に対する手当としても機能していた、と。


もう一つは、NASAの広報体制を、シーアが集権化していったこと
NASAというのは、そもそも複数のセンターの集合体なのだが、広報もそれは同じで、かなりバラバラに活動していたらしい
佐藤靖『NASA――宇宙開発の60年』 - logical cypher scape2
そもそも、ワシントンにはあまり人がいなくて、実際に動いているのは、ヒューストンの方が多かったりとかもあったようだが。
シーアが、ワシントンの本部からの統率を強めた
それを示すエピソードとして、ヒューストンにある有人宇宙飛行センターの広報局長であったパワーズやヘイニーの解任劇が紹介されている。
パワーズもヘイニーも、いわばスタンド・プレーをして目立ちすぎ、また本部と足並みをそろえなかったといった問題があったということのようだ。

3章 NASA契約企業の広報活動

NASA広報は人数が決して多いわけではなく、特にアポロ計画が始まって、注目を集めるようになると、全然手が回り切らなくなった。
その部分を埋めたのが、契約企業の広報だった
宇宙船や関連する機器を開発したメーカーだけでなく、アポロ計画に採用されたカメラや宇宙食のメーカーなどだ
マスコミの記者に対して、そうしたメーカーの広報担当が、細かい技術面について説明したりしていたらしい。
それは当然、各メーカーにとって、自社をアピールする機会でもあったわけだが、NASAは、「その会社の製品がアポロ計画に採用されている」旨を書くことは認めたけれど、例えば、その製品を宇宙飛行士が使っている写真を広告に使うことなどはNGにして、そのあたりは厳しくチェックしていた
そういうレギュレーションの中で、各社様々な広告を作っていたし、また、報道用の資料を作っていたらしい。
グラマン社はNASAと共同で、アポロ宇宙船についてのニュース用参考資料の大部のファイルを作成したりしていたとか
ミッションのタイムスケジュールが分かる早見表とか、軌道とかの計算尺みたいなものとかを作っている会社もあったみたい
そうしたプレスキットの写真が多数掲載されていて、この章はなかなか楽しい。


また、本書とは直接関係ないが、アポロ計画のプレスキットを公開しているWebサイトもある
https://www.apollopresskits.com/


また、NASAと民間企業の関係として、アポロ1号の事故のあと、アポロ計画の技術評価に、ボーイング社が名乗りをあげていたことなども書かれている。
とにかく、この時期、NASAと民間企業の間に、非常に密接な協力関係があったということが分かる。

4章 全世界が観たアポロのテレビ中継

アポロ計画とテレビについて
この章では、アポロ7号から16号までそれぞれの号において、テレビ中継がどのように行われてかが説明されている。


アポロ計画にとってテレビ中継というものは、結果的に、非常に重要なものであった
また、テレビないしテレビにかかわる技術にとっても、アポロ計画は重要だった
しかし、視聴者の注目や関心を大いに集めたのは、11号、せいぜい13号までのことであって、その後、アポロに対する関心は落ちていく。


まず、当初、中継用のカメラというのは、アポロ計画の中での優先度は決して高くなかった。
ロケット打ち上げの観点から言えば、無駄な重量であるし、宇宙飛行士にとっても、ただでさえミッションに関わる作業で忙しいのにそれに加えてカメラの操作をする余裕はなかったし、また、宇宙飛行士に対して、カメラを優先的に扱うようにという指示は出ていなかった。
しかし、NASAの中の一部は、カメラが重要な意味を持つことになるだろうことを予見して、カメラを持ち込ませた。
カメラの軽量化や操作を簡単にすることなど、アポロ計画を通して、2社のカメラ会社が改良を手掛けて、これがのちの、ハンディカメラへと繋がっていくことになる。


7号は、もともと乗組員である宇宙飛行士がテレビ中継には乗り気ではなかったが、彼らの中継が人気をはくすことになる
8号は、地球から月へと向かった初のミッションで、いわゆる地球の出の映像をおさめることになる。テレビ中継されたのは、白黒で画質の悪いものであったが(中継映像の写真が掲載されている)、地球を宇宙から眺めた映像は、当時の人々にとって強いインパクトを与えた。
アポロ8号による「地球の出」は、白黒のテレビ映像だけでなく、かの有名なカラー写真もあるが、世界の人々に与えた影響としては、とても決定的なものだったと言われており、アポロ計画における文化的意義は、この8号の功績がピークであるという見方すらある。
9号については省略
10号では、カラーテレビカメラが初めて導入された。
11号では、着陸直前に管制とアームストロングの中継カメラのチェックをしていて、アポロ計画におけるテレビ中継の重要度があがっていた
12号では、しかし、視聴者数ががくんと落ち込むことになる。というのも、ちょっとしたミスからカメラが壊れてしまい、中継映像がなくなってしまったから。また、時間もゴールデンタイムとズレていた。さらに、ベトナム戦争など政治にかかわる重大なニュースとも時期が重なっていた。
13号では、再び注目を集めることになる
14号では、カメラが固定で、月面での宇宙飛行士の活動が、視界外で行われることになってしまい、退屈な映像となり、見たかった番組の予定を変えられた視聴者からのクレームがくるように
15号では、テレビカメラを地上からコントールすることが可能になり、映像の質が飛躍的に向上した。しかし、生中継が行われる最後のアポロとなってしまう
16号・17号で、NASAは、ミッションの時間をゴールデンタイムにあわせたが、しかし、これが裏目にでる。元々人気のある番組を、アポロの中継でつぶすことを嫌がったテレビ局は、アポロを生中継することはしなかった。

5章 月面着陸の日――キャスター、記者はどう報じたか

三大ネットワークの1つCBSのニュース・キャスターで、宇宙にいれこんでいたウォルター・クロンカイト
地方のラジオ局記者で、会社から予算をだしてもらえなかったが、ヒューストンまで取材にきたウェイン・ハリソン
デイリー・ニュース紙の新聞記者をつとめていたマーク・ブルーム
テレビ、ラジオ、新聞それぞれの媒体のキャスター、記者が、どのようにして取材をしたり、報じたりしていたのかを、上の3人に代表させる形で書かれている章

6章 セレブリティとしての宇宙飛行士

アメリカの英雄となってしまった宇宙飛行士たち
もちろん、英雄になってよかったねという話だけではなくて、変なお金儲けの話が出てきたり、プライバシーの問題がでてきたり、色々あったみたい
この章では、チャールズ・リンドバーグが時々引き合いにだされている。
リンドバーグは、偉業達成後、色々と災難があったらしい
アームストロングとリンドバーグは、境遇を近く感じて、親交があったらしい
また、アメリカのマスメディアも、リンドバーグのことを念頭にといて、アームストロングのプライバシーは報道しないよう自粛していた、とかも

7章 世界を旅した月の石

NASAの広報として、アメリカの州都全てを回る、司令船コロンビア号と月の石の巡回展が1970年から1年かけて行われた
ただ、NASAの職員でこれにずっとついていたのは1人、という、非常に限られた人員・予算の中で行われたものだったらしい
総来場者数は約325万人。まずまずの成功ではあったが、大阪万博来場者の5分の1という少なさで、アメリカ国民からの関心が薄れていたことを示している


月の石は、大阪万博で展示された他、世界各国の研究機関に提供されたり、外交における友好の証としてプレゼントされたり、などしていたとか

8章 アポロ時代の終焉

アポロ計画は、本当にアメリカ国民に支持されていたのか
実のところ、アメリカ国民が熱狂していたのは、11号の直前くらいで、やはり莫大な予算を要する月着陸計画について、それほど支持が得られていたというわけではないらしい
やはり、アポロ計画実現を後押ししていたのは、米ソ冷戦のようだ
かの有名なケネディ大統領の演説にしたところで、実は、月について触れているのは、ソ連との争いについて述べている中でのほんのわずかな箇所にすぎなかったらしい。
熱狂は覚めるのもまた早い
NASAは、宇宙への関心がみるみるとさめていく国民に対して、おそらくなすすべもなかった。
ニクソンは、そもそもアポロはケネディの計画であったにもかかわらず、11号の成功の時などは、まるで自分の手柄かのようにするりと入り込んでいたようだが、その後は興味を失い、16・17号あたりはキャンセルさせようとしていたらしい。
NASA自身、結局、予算も削られていく中で、次のビジョンを示すことができなかった。
また、1970年代は、ベトナム戦争のあおりで、政府に対する批判的な言説が強まっていた時代でもあった。
さらに、これは皮肉なことなのだが、アポロ8号が撮影した地球の写真を一つの象徴として、地球環境問題への関心が高まっており、宇宙よりも地球のことをどうにかすべきだ、という声が強くなっている時代にもなっていた。
この章は、アポロ計画が後の世代に残したものとして、コンピュータ技術の発展をあげ、ジョブズゲイツが、子ども時代にアポロを見ていた世代だったということを指摘して、終わっている。

冨田信之『ロシア宇宙開発史』(一部)

サブタイトルに「気球からヴォストークへ」とある通り、宇宙開発前史ともいえる気球の発明から始まって、人類初の有人宇宙飛行を達成する「ヴォストーク」(さらにヴォスホート)までの、ロシア・ソ連の宇宙開発の歴史をまとめた本。
特に、ヴォストーク・ヴォスホートまで(1965年頃まで)ということもあり、初期の宇宙開発の歴史を追っていると言える。
ところで、読みたい本リストにあがっていたので、とりあえず手にとったのだが、微妙に、何故読もうとしていたのか理由を失念してしまっていた。
最近、宇宙開発には興味があり、宇宙開発史の本も時々読んでいたので、関心がないわけではないのだが、ちょっと自分の手に余る感じもしたので、最初の3章くらいまででとどめた。
確か、ロシア・コスミズムへの言及がある、というのも、読みたい本リストへ入れた理由の一つだったのではないか、と思ったので、そのあたりを読んだ。


そもそも自分は、生まれるずっとずっと前にはもうアポロが月に行っていた世代なので、宇宙に行くのは当然ロケットと思っているけれど、宇宙に行くにはロケットだ、というのは20世紀の考えなんだよなー、と
例えば、ベルヌの『月世界旅行』は、巨大な大砲で打ち出すわけだし
気球でずっと高くまで上がっていけば、宇宙まで行けるのでは、と考えられていた時代もあったようだ。


読んだのは3章までなので、ほんとにさわりしか読んでない。

序章 人類の夢「天空への飛行」――気球の誕生
第I部 気球からロケットへ
 第1章 19世紀ロシアのパイオニアたち
 第2章 宇宙時代の預言者――ツィオルコフスキー
 第3章 ロマン実現への胎動 1921年-1929年
 第4章 ロケット研究の核の誕生――気体力学研究所とギルド 1929年-1933年
 第5章 反動推進研究所発足と大テロルによる壊滅 1934年-1940年
 第6章 戦雲下のロケット開発 1941年-1944年
 第7章 ドイツにおけるロケット開発
第II部 宇宙活動への布石――ロケット開発
 第8章 ドイツの地からの復活――A-4ロケット調査 1945年-1946年
 第9章 ロケット自主開発――模索期 1947年-1951年前半
 第10章 ロケット自主開発――確立期 1951年後半-1957年前半
第III部 夢の実現
 第11章 宇宙時代の幕開け 1957年後半
 第12章 月うちあて計画と有人スプートニク開発 1958年-1959年
 第13章 飛躍に備えての雌伏の年 1960年
 第14章 初の有人軌道飛行 1961年-1963年
 終章 ロマン追求の終焉 1964年-1965年初め

ロシア宇宙開発史: 気球からヴォストークまで

ロシア宇宙開発史: 気球からヴォストークまで

序章 人類の夢「天空への飛行」――気球の誕生

実は、ケプラーこそが、宇宙飛行を最初に考えた人だ、というところから始まる。夢の中で月へ行った、という小説を書いていて、ガリレイにも、人類は将来宇宙を航海するでしょう、みたいな書簡を書いているらしい。
序章は、他にベルヌなどの初期のSFや、タイトルにある通り、気球の話
モンゴルフィエやシャルルによる気球のほか、フンボルトが世界初の高層大気観測を行っていること
で、19世紀ころまでは、気球で宇宙まで行けるのではないかと考えていた人たちがいた、と。ただ、だんだんと高度があがりすぎると、体調を崩したり、死んだりすることも分かってきた時期でもある。
気球の情報は、ロシアにも早々に伝わっていたが、初期の実験で死亡事故を起こしたせいで、中止命令が出されたり、資金難が続いたり、19世紀後半までなかなか日の目を見なかったらしい。

第1章 19世紀ロシアのパイオニアたち

19世紀後半、ロシア帝国の軍人のなかで、クリミア戦争でイギリスが使っていたのをみて、ロケット弾の開発が始まる
また、同じころ、メンデレーエフが気球を使った観測を推し進める
気球のデメリットは、操作性が悪いこと。どうやって、気球を操作するのかということが色々考えられた中で、ロケットを使うというアイデアもあったようだ。


キリバチチ
浮揚そのものにロケット推進が使えるのではないか、と考えた人
ナロードニキ派で爆弾テロに参加した容疑で刑死している。
現在では、ロシア宇宙開発のパイオニアと考えられるが、彼の考えは、獄中でとられたメモだけで、そのメモが長い間公開されていなかったため、彼が直接的に与えた影響はないとされている。


ツィオルコフスキー
彼は、大学への入学がかなわず、独学で勉強をすすめた。
空中飛行に興味関心があって、気球の操作について考え、金属製飛行船の研究を行った。彼は在野の研究者であったが、科学アカデミーからの資金を得て、風洞を作り、実験を行っていたらしい。ただ、もう一人、同時期に風洞を作っていた、大学の研究者がいて、ツィオルコフスキーの研究は、彼によって黙殺されてしまう。


さて、ここから、ツィオルコフスキーと思想の話。
モスクワ時代に、ドミートリー・ピーサレフの影響を受けるが、ピーサレフは、ニヒリズム啓蒙主義、社会ダーウィニズムの人だった
そしてもう一人、ニコライ・フョードロヴィチ・フィードロフの影響を受けている、と筆者は述べている。
フィードロフは、死んだ人間を復元する技術がいつかできると考えていたが、その際、人間を構成した粒子が宇宙に飛び散っているので、それを集めるために宇宙へ進出しなければならないと考えていたらしい。

第2章 宇宙時代の預言者――ツィオルコフスキー

ツィオルコフスキーは『エチカ』という著作を書いているが、その中で、生物が「アトム」という構成要素からなるとしている。ツィオルコフスキー自身は、ライプニッツモナドを参照しているらしいのだが、筆者は、フィードロフの微小粒子に近いのではないかと述べている
また、ツィオルコフスキーは、人類が宇宙へ進出し、より高度な知性へと生まれ変わっていくのだ、というビジョンを語っているらしい。
他の惑星、他の太陽系へ移住すれば、太陽がいずれ死滅しても生きていけると述べているだけでなく、宇宙へ進出していく過程、人類は最終的に神と一体となれる、と
ロシア正教の敬虔な信者でもあったらしい。

ロシアでは「宇宙」を中心とする思想を提案した一群の思想家たちがおり、彼らの思想は「コスミズム」と呼ばれている。ツィオルコフスキーも、その一人として数えられているが、彼が他のコスミズム思想家と際立って異なる点は、人類が宇宙に進出する具体的な科学的手段をその思想の一つの核として据えたところにある。(p.41)

その具体的な科学手段とは、もちろんロケットである。
ロケットについては何度かに分けて書かれているが、その中で1903年論文・1911年論文が、ここでは紹介されている。
1903年論文の序文では、ジュール・ベルヌ、キバリチチ、アレクサンドル・ペトローヴィチ・フィードロフといった、ツィオルコフスキーに影響を与えた人物の名前があげられている。
そして、ツィオルコフスキーの公式と呼ばれる公式が与えられている。
同時期に、メシチェルスキーという科学者が、同じ式が得られる方程式について論じた論文を発表しているが、当時、誰からも気づかれなかったと
ツィオルコフスキーの1911年論文では、ロケット飛行中の情景など小説っぽい記述もあたり、月や他の惑星への飛行について触れられていたり、かの有名な「私たちの惑星は知性のゆりかごである。しかし、永遠にゆりかごの中で生きてゆくわけにはゆかない」の一節が書かれていたりする。
また、ここでも、隕石衝突による地球滅亡や太陽の死を免れるために、宇宙進出があるという話が書かれている。
アカデミズム全般に、彼のロケット論文は受け入れられなかったらしいが、一部には支持者も生まれ、後進世代へと広がっていったようだ。
1903年論文は、マイナーな同人誌に載ったのみで、1911年論文も、あまり学術的な体裁では書かれていなかったらしい)

第3章 ロマン実現への胎動 1921年-1929年

1920年代、ソ連のツァンデル、ルーマニアのオーベルト、アメリカのゴダートがそれぞれロケット開発を始める
また、ソ連では、ツァンデルの他、コンドラチュク、ティホミロフ、グルシコといったロケット開発パイオニアが続々現れる。
さらにこの章では、ツィオルコフスキーの晩年にも触れられる。


ツァンデルは、ロケット飛行機を考案し、惑星間飛行についての理論的著作を書き、また全国を講演してまわった。
オーベルトは、トランシルヴァニア生まれで、国籍はルーマニアらしい(その後、ドイツ国籍となった)。どうもオーベルト、なかなかうまくいかない人生だったようだ(助手に恵まれず、せっかくの機会を得てもうまくいかなかったり、ルーマニア国籍であるがゆえにドイツで研究を続けられなかったり)
そして、ゴダート


コンドラチュクは、多段ロケットや軌道上の宇宙ステーション、月や他の惑星にいくための軌道など、かなり色々なアイデアを考えていたらしい。
ただし、革命や戦争のただなかにあり、論文はなく、メモを残しているにとどまるようだ。


ツィオルコフスキーは、晩年になって、空軍から認められ、資金提供などをうけたり褒章されたりしているが、それは飛行船に関することであって、ロケットのことではない
晩年も、宇宙関連について、技術的なもの・将来的な宇宙空間での人類の活動・思想的なものなどの著作を残しているが、いずれにせよ、ソ連国内で、彼のロケット研究はあまり評価されずじまいだったらしい。

ロシア・コスミズムについて

山形浩生のブログで知ったんだった
cruel.hatenablog.com

さらに巻末で触れたソロヴィヨフ哲学の影響などについてもぜひまとめていただきたい。
(中略)
なお、はてぶ/ツイッターのコメントで、ソロヴィヨフ=フョードロフだと述べている人がいたが、別人。ただフョードロフは、ソロヴィヨフに影響は与えている。

というわけで、巻末もちらっと見てみた。
ロシアの宇宙活動の背景に、コスミズムがあるのではないか、と
神と人の一体を解くロシア正教が背景にある思想で、フョードロフの影響を受けたウラジーミル・セルゲーエヴィチ・ソロヴィヨフがその哲学的基礎を作ったと。
cruel.hatenablog.com
cruel.hatenablog.com

稲見昌彦『スーパーヒューマン誕生! 人間はSFを超える』

人間拡張工学・エンターテイメント工学を標榜する筆者が、エンハンスメントやVR、テレイグジスタンス、ロボットなどの技術を紹介しながら、人間の拡張という「スーパーヒューマン」の概略を描きだす本。


筆者は、2003年頃に「光学迷彩」を発明したことで一躍有名になった人で、近年では、中村伊知哉、暦本純一とともに、超人スポーツ協会を発足させている
元々、学生時代は、日本におけるVRの第一人者である舘章の研究室に所属していたらしい。
工学らしい(?)楽観的なビジョンにあふれる本だが、色々な事例が紹介されているのが面白い
特に、最後の章のポスト身体のあたりが、面白かった


大きく分け三部構成になっており、
第1章では義足やパワードスーツ、BMI、さらにラバー・ハンド・イリュージョンなどの話から、身体の拡張について
第2章は、「インターフェイスとしての身体」というタイトルで、主にVRとテレイグジスタンスが扱われているが、これは、人間が身体を通してどのように世界を知覚しているかということについて
第3章は、ロボットの話から、身体の分身、変身、合体、共有などについてが扱われている。

序章 SFから人間拡張工学を考える
第一章 人間の身体は拡張する
 1 拡張身体とは何か?――「補綴」から「拡張」へ
 2 どこまでが拡張身体なのか?――脳と道具の間にあるもの
 3 どこまでが身体なのか?――曖昧な身体の境界線を探る
第二章 インターフェイスとしての身体
 1 現実世界はひとつなのか?――五感がつくる現実感
 2 新たな現実はつくれるのか?――感覚と情報がつくるヴァーチャル・リアリティ
 3 人間は離れた場所に実在できるのか?――脱身体としてのテレイグジスタンス
第三章 ポスト身体社会を考える
 1 ロボットはなぜヒト型なのか?――分身ロボットとヒューマノイド
 2 他人の身体を生きられるのか?――分身から変身へ
 3 身体は融け合うことができるのか?――融身体・合体からポスト身体社会へ

スーパーヒューマン誕生!  人間はSFを超える (NHK出版新書)

スーパーヒューマン誕生! 人間はSFを超える (NHK出版新書)

序章 SFから人間拡張工学を考える

SFは、作りたいもの(WHAT)を示してくれるが、それをどのように実現するか(HOW)は示してくれない。そこを考えるのが、研究の醍醐味、みたいなことが書いてある。


エンターテイメントと技術の関わりというところで、「ペッパーの幽霊(ペッパーズゴースト)」について触れられていた。
以前、THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪ GROOVE☆ - logical cypher scape2でちょっと触れたが、ペッパーズ・ゴーストというのは、1858年のイギリスで、土木技師かつ発明家のヘンリー・ダークスが発表し、これを王立科学技術学院院長ジョン・ペッパーが改良。1862年ディケンズ『憑かれた男』の舞台効果として使われた、とのこと

第一章 人間の身体は拡張する

まず、「拡張身体」の紹介
筆者は、拡張身体とサイボーグとの違いを、着脱可能かどうかで線を引いている。そういう意味では、メガネなども拡張身体の一種となる。
義足やパワードスーツの話がまずなされる。
パワードスーツというと、サイバーダインの「HAL」を思い出すが(それも紹介されているが)、1960年代に、GE社が「ハーディマン」という試作機を作っていたらしい
ただ、この時期はまだコンピュータの能力が低く、パワーを制御しきれなかったために、開発は下火になったらしい。


拡張身体の一種として、ウェアラブル・コンピュータも紹介されているが、その中で、例えば、表情を記録しフィードバックすることで、情動を制御できるのではないか、という「アフェクティブ・ウェア」「アフェクティブ・コンピューティング」という考えが紹介されている。
まあ、考えとしては分かるし、作ってみたら面白いかもしれないなと思う一方で、無論、こういうのはどれくらいアリな話だろうかとかも思ったりもするわけで、そのあたり、かなりあっけらかんとした書きっぷりであったなとは思った


次に、道具と身体の関係
道具を自分の身体のように感じてしまったりするような系の話とか、BMIの話とか
面白かったのは、筆者と明治大渡邊恵太の共同研究による「カーソルカモフラージュ」
ショルダーハックを防ぐための技術なのだが、画面上に、動いているマウスのカーソルが複数映っているというもの。カーソルを動かしている本人には、その状態でも、どれが自分の動かしているカーソルかは分かるのだが、他人からは分からないという。


BMIについて、「あ、確かに」と思った話として、人間の行動が、脳内でどこまで言語的に表象されているかどうか
言語依存していたら、使用者の言語に応じて、発火している神経も違ってたりする可能性を今後考えないといけない問題なのでは、と。


メンタルローテーションというのがあるが、手術支援ロボットダ・ヴィンチでは、その点を考えて、画面の向きがあわせられているという話が、なるほどねーと思った


最後に、どこまで自分の身体か、という問題
ラバー・ハンド・イリュージョンという実験があるが、さらに進んで、インビジブル・ハンド・イリュージョンという実験もあるらしい
自分の身体と感じられるかどうかに、時間的範囲があるという話が面白かった。
ジョイスティックを使って自分の身体をくすぐってもらう。自分で自分のことをくすぐっても、くすぐったいと感じない人は、ジョイスティックを使っても、くすぐったいと感じないが、ジョイスティックが動くのを0.2秒遅らせると、くすぐったいと感じるようになる。
先に挙げた「カーソルカモフラージュ」でも、0.2秒遅らせると、分からなくなる、とか。
イグ・ノーベル賞を受賞した「スピーチ・ジャマー」もこれを使っている


ウィーナーやデネットを引用して、自分の範囲の線引きとして、制御できるか否かというものがあるのではないか、とした上で、筆者が目指すものとしての「自在化」「人機一体」という標語について説明されている。

暫定的な仮説だが、身体は脳と世界をシンク(同期)するためのインターフェイスである、というのが現在の私の身体観だ。私たちは、自分の頭の中に現実感という現実世界のモデルをつくっている。そのモデルの精度を上げ、更新するために、私たちの身体の五感というインターフェイスが存在しているのではないだろうか。(p.107)

予測コーディング理論のような話をしていた。
参考:クリス・フリス『心をつくる――脳が生み出す心の世界』 - logical cypher scape2

第二章 インターフェイスとしての身体

ヴァーチャル・リアリティについての章
錯覚の話などを交えながら、現実感について書かれている。
前半の方で、アイバン・サザランドについて紹介されている。
サザランドは、CGやCADの生みの親であり、GUIの起源ともなったという「スケッチパッド」という装置を発明、さらにHMDを発明したという人だという。
なんと、シャノンの弟子で、アラン・ケイの師匠なんだかと。


後半からは、バーチャル・リアリティの一種として、テレイグジスタンスについて
テレイグジスタンス的なものの発想は、ガーンズバックハインラインSF小説にも登場するらしい
遠隔操作+VRインターフェイスという概念として、舘章が1980年に「テレイグジスタンス」という言葉を提唱するが、2か月違いで、ミンスキーがほぼ同じ概念を「テレプレゼンス」という言葉で発表しているらしい。
両方聞いたことあったけど、そういうことだったのか、と。


筆者が初めてテレイグジスタンス(遠隔操作ロボットとHMDの組み合わせ)を体験したときに、自分の背中姿を見ることになった驚きが書かれている
それから、三人称視点でスキーを滑れる装置や、ドローン映像で自分の姿を見て動き回る装置の話などが続く。
これは結構面白そうな体験っぽいなと思う。
また、藤井直敬によるSR(代替現実)もここで紹介されている
現実の側の解像度を下げるところがポイント、と。
あと、SRを用いたアトラクションが、ハウステンボスにあったらしい。少し前に行ったことがあるのだが、知らなかったー

第三章 ポスト身体社会を考える

この章の前半は、ロボット、特にヒューマノイドが何故ヒト型なのか、という点などについて書かれているが、中盤から面白くなってくる


分身ないし複数の身体
まず、テレイグジスタンスが普及した場合、それは分身を他の場所に置いておく、というようなことなのかもしれない、と。
次に、複数の目で見ることはできるか、という研究
後ろ方向を映した映像を、HMDに投影して、前と後ろを同時に見ることができる「スパイダー・ビジョン」
後ろの映像は半透明のレイヤーで重ねられるのだが、それで十分、両方の視野を認識できるらしい。今後、このレイヤーをどれくらいまで増やせるのか実験するという
その他、分身としては、ダブル・ロボティクス社の「ダブル・ロボット」が紹介されているが、さらに簡易的なものとして、暦本純一による、「カメレオンマスク」といって、ビデオ通話中のタブレットをお面のように他の人が顔に装着するという実験が紹介されている


他人の身体を操作する・される
ステラーク、というオーストラリア出身のパフォーマンス・アーティストの作品に「パラサイト」というものがあり、電気刺激によって筋肉を縮ませ手足が動くような装置を身に着け、インターネットを通じて、他の人がステラークを動かすことができるという
また、前田太郎の「パラサイトヒューマン」も、人の身体の動きをコントロールするような技術である。


他の人の体験を共有
「オムニプレゼンツ」というサービスや「オキュ旅」という取り組みが紹介される。
これは、ある人が頭の位置にカメラをつけて撮った映像を、他の人が見るというも。の。オムニプレゼンツでは、指示を出すこともできるらしく、相手を操作しているような感覚もあるらしい。
体験のシェアというものがニーズが生まれつつある。
HMDを使ったりなんだりすると、他人の身体についても、自分の身体としての専有感がでてくるかもしれない

自分が専有している時間と、他人が専有している時間のスケジュール調整の問題さえ解決できれば、誰の身体であろうが、自分の身体としての専有感が出てくるだろう。クルマや家のシェアリングがバーチャルな所有感を生み出せるように、デジタル・メディアの後押しにより身体までもが共有可能になってくる可能性が見えてきているのだ。

1人の人間と1つの身体という結びつき、あるいは、自分は自分の身体の中に入っていて抜け出すことができない、というのはこれまで所与の前提だったわけだけれど、これを覆せるかもしれないテクノロジーというのは非常にわくわくする。
幼い頃、何で自分は自分の身体からしか見ることができなくて、他の人の身体に入り込むことができないのだろう、と思ったことがあるのだが、他の人の身体からものを見ることができるようになったら、どのような感じ方になるのだろうか。
また、この本を読んでいる最中に想起したのは、『マルドゥック・ヴェロシティ』のシザーズや「レベレーション・スペース」シリーズの連接脳派だった。
あれは、複数の身体に完全に一つに統合された意識がある、というものだったはずで、これらの技術は、意識の統合・融合という話ではないけれど、それに近いものがもっとカジュアルな形で実現しうるのかもしれない、と思うと、結構SFのネタ的にも面白そうな気がする。
参考:瀬名秀明編著『サイエンス・イマジネーション』 - logical cypher scape2


融身体
これとは逆に、一つの身体を複数の人が動かす、ということも考えらえる。筆者はをそれを、融身体と呼ぶ。
例として、ロボットではないが、海賊党のリキッド・デモクラシーが挙げられている。

『ラブ、デス&ロボット』

ここ数日TLを騒がせているこの作品。
この間ようやく見終わったところなので、ちょっと感想とか


Netflixのオリジナル作品で、全18本の短編アニメーションオムニバスシリーズである。
デビッド・フィンチャーがプロデューサーの一人であり、また『スパイダーバース』のデザインを担当した人が監督した作品などもあって、そのあたりも話題。
SFやホラーの短編小説を原作としており(オリジナル脚本作品もあるようだが)、SFクラスタも俄然盛り上がっているところ。
原作となっている短編小説は日本語未訳のものが多いが、日本でも大ヒットしたケン・リュウ『紙の動物園』に収録されている「よい狩りを」を原作とした作品もあり、日本のSF読者は(というか自分がそうなのだが)、とりあえずその回からこのシリーズを見始めたという人が多いだろう。


1本あたり大体10~15分程度の短編であり、オムニバスのため、どの回から見ても問題ないということもあって、非常に見やすいというのも特徴
さらに最大の特徴は、作風がすべて異なるということで、実写と見まがうほどのフォトリアルな3DCGアニメもあれば、カートゥーン風の作品もあるし、やや実験的・前衛的な感じのものもある。
監督や制作スタジオがそれぞれ異なっている(18本全部がそれぞれ異なるというわけではないが、いくつかの制作スタジオが参加しているのは確か)


「大人向け」というレイティングがなされており、またタイトルに「ラブ」「デス」と入っていることからも推し量れるところだが、性器やゴア描写が無修正で描かれている。
ただ、物語やテーマ的にはいろいろあって、必ずしも愛や死をテーマにしているというわけではなく、色々な短編SFが見れるというのに尽きる。
狭義のSFだけでなく、『世にも奇妙な物語』テイストの話もあったりする。
SF小説を原作とした映像化って、劇場版だったりTVドラマシリーズで、長編のものが多い気がして、短編で映像化されるのは珍しい気がするけれど、SFって短編小説が結構多いので、短編が短編として映像化されてオムニバスで色々見れるというのは、非常によいなあと思う。
不気味系、モンスター系、ミリタリー系、コミカル系など、いくつかの傾向があって、これが好きな人ならこれとこれも好きで、あれが好きな人ならあれとあれも好きかなみたいな感じがある。
個人的に好きなのは「ロボット・トリオ」「スーツ」「わし座領域のかなた」「シェイプ・シフター」「秘密戦争」かなー



www.netflix.com


ソニーの切り札

「おまえら、怪獣ボクシングと女性同士のイチャコラとゴアシーン好きだろ、あん?」と言わんばかりで、のっけから、参りましたってなるような作品w
フォトリアル系3DCGアニメ

ロボット・トリオ

人類滅亡後の世界を3体のロボットが見て回るコミカルな作品。
でもって、ネコSF
これもまた、フォトリアル系3DCGだと思うんだけど、ロボットがおもちゃっぽくて、というか、最初、人形アニメーションかなと思ったくらいで、また質感が違う感じがする
原作はスコルジー

目撃者

殺人現場を目撃してしまったストリッパーと犯人の追いかけっこ。『世にも奇妙な物語』テイストなオチが待っている。
『スパイダーバース』のデザイン担当の人が監督した作品らしいのだが、線と塗りがバチバチと切り替わったり、効果音がマンガのように文字で入ったりと、実験的な演出が入れられている

スーツ

いかにもアメリカンな農場に、『スターシップ・トゥルーパーズ』ばりのエイリアンが襲撃してきて、主人公の農夫(CV:大塚明夫)は、いかにもアメリカンなロボットに乗り込んで、撃退する。
しかし、今回の襲撃は普段と違う大襲撃。ご近所さんをシェルターに避難させつつ、同じくご近所さんでロボットを持っている者同士でおさえにいくが、圧倒的に不利な状況。
機関砲だ、ミサイルだ、自爆だと持ち出して、バリバリ戦うの好きだろみたいな奴で、「あ、はい好きです」って降参してしまう奴
いやー、でも人類の方が侵略者なのではとも思わせるオチもよい。フロンティア・スピリッツなのかもしれないけど。

魂をむさぼる魔物

遺跡を発掘しに行った博士が、怪物のヴラド公を目覚めさせてしまう
傭兵は全体的にかっこよかったが、話自体はいまいちよくわからん感じだった。

ヨーグルトの世界征服

突如、ヨーグルトに知性が生まれて、人類を人類よりも優れた統治によって支配しはじめたという話
頭身低めのキャラクター
原作はこれまたスコルジー

わし座領域のかなた

ワープ航法の途中、何かのエラーでスリープモードから目覚めさせられた宇宙船の船長
想定外に遠い位置のステーションについていて、そこには以前逢瀬をかわした女性が待っていた。しかし、どこか様子がおかしい。真実を教えてほしいと迫るが……。
宇宙女郎蜘蛛的な何か。
これほぼ実写じゃんみたいな3DCGで、宇宙船やステーションのビジュアルがかっこいい。ワープ航法らしきものはあるが、おそらく超光速は無理っぽいのと、クリーチャーがでてくるのとかが、原作レナルズの短編なんだけど、すごくレナルズっぽい
レヴェレーション・スペースの短編も映像化してほしい

グッド・ハンティング

ケン・リュウの短編「よい狩りを」が原作。
本シリーズの原作になっている作品で、おそらく唯一日本語訳がある作品。
中華風妖怪サイバーパンク
90年代のディズニーアニメっぽい感じの絵柄なんだけど、それでいて性器無修正(男女ともに)のシーンがあったりして、「この絵柄でこんなのもありなんだ」という感じはあった。

ゴミ捨て場

土地全体がごみ屋敷と化している爺さんのところに、立ち退きを要求する検査官がやってくる
爺さんは、ちょっと話を聞いてくれたらハンコ押してやるよと言って、友人が目撃したものについて話し出す

シェイプ・シフター

アフガニスタンタリバンと戦っているアメリ海兵隊の中に、周囲とは少し雰囲気の異なる2人の兵士
彼らは実は狼男
そして、タリバン側にも狼男がいることが分かる。
ミリタリー系モンスターアクションというか、狼男同士の殺し合いアクションがとにかく見せ場、という作品
原作はマルコ・クロウスという人で、知らなかったけど、ミリタリーSFの長篇が邦訳されている。

救いの手

宇宙が普通の労働の場になりつつある未来、人工衛星の修理に来た宇宙飛行士が、スペースデブリと衝突してしまう。
酸素も残りわずか、救出が来る時間は間に合わない。土壇場で彼女がとった方法とは
という話で、これがまあ、タイトルともうまくかかっていて、とてもよくできた話だなあとは思うのだけど、グロいっていうか痛い系なので、個人的にはちょっと苦手
でもまあ、これが好きな人がいるのも分かることは分かる

フィッシュ・ナイト

アリゾナの砂漠で立ち往生した2人のセールスマン。夜中に目を覚ますと、太古の海の風景が広がっていた。
非常に幻想的な絵

ラッキー・サーティー

いわくつきの兵員輸送機で、機体番号に13がついていることから「ラッキー・サーティーン」と呼ばれる機体
新入りのパイロットは、機体を選ぶことができず、ラッキー・サーティーンに乗ることになったのだが、危機を乗り切り生還。その後、次々とともにピンチを乗り越えていく。
おそらく舞台は地球じゃないんだけど、そのあたりの設定の説明はない。パイロットと機体との間の信頼関係みたいな話。機体にAIがあるとかそういう話でもないけれど、機体が意志を持っているように見える、というミリタリーSF
原作はマルコ・クロウス

ジーマ・ブルー

稀代の芸術家ジーマは、作品に必ず特徴的な青=ジーマ・ブルーを使うことで知られる。
とあるジャーナリストが、ジーマの取材に成功し、彼の来歴を知らされる。
芸術SFなのかなーと思ったら、ちょっと違う路線で、ロボットにとって目的とは何かみたいな話だった
これもレナルズ原作らしく、レナルズってこんな作品もあるのかーとちょっと驚いた

ブラインド・スポット

サイボーグ盗賊団による、車両強盗

氷河時代

引っ越し先においてあった古い冷蔵庫。それを開けると、なんと中には小さなミニチュア世界があった。
見る見るうちに発展し、中世から近代、そして未来へと移り変わっていく
という、いかにもショートショートSFっぽい感じの作品。オチがちょっと弱いかなという感じはしたけど
この作品は、冷蔵庫の中はCGアニメーションだけど、他はたぶん実写
このシリーズ、あまりにも実写と見紛うCGアニメーションが多いで、これも一瞬「?!」ってなるんだけど、たぶん実写

歴史改変

もしもヒトラーがありえない死に方をしていたら、どんなありえない未来が待っていたか
という、基本的にはバカSFというか、コメディ作品
なんとまたもスコルジー

秘密戦争

シベリア森林地帯を進む、ソ連軍の小隊
かつての幹部がオカルトにはまって召喚してしまった怪物たちと、戦闘する。
めちゃくちゃアメリカンだった「スーツ」の、陰鬱なネガ版といった趣きがある。
まさか最後に、ソビエトミリタリーオカルトモンスターものがあるとは思わなかった

それ以外の感想

あと、日本のTVアニメばかり見ているせいで、Netflixに驚かされるのは、その配信の仕方で
つまり、18本の作品が一気に公開されているという点。
TVシリーズって当然ながら、毎週1話ずつ放送されるもので、完全にそのスタイルに慣れてしまっているけれど、ネット配信の場合、1話ずつ出すという必要性はないわけで
(確か、Netflixオリジナル作品で、日本の作品でも一気に公開された奴があったと思うけどタイトル忘れた)
このシリーズは、1話あたりの尺が短いし、それぞれ別のスタッフが作っているというのもあるけど、クオリティが驚異的
加えて、全世界同時配信で、各国語の吹き替えが用意されていること。ちゃんと数えてないけど7カ国語くらいは用意されているのではないか、と。
日本語吹き替えキャスト、有名どころだと、大塚明夫高木渉小野大輔釘宮理恵石田彰田中敦子井上喜久子とかが参加している。
もちろんこれも、1話だけだし、何度もいうけど1話あたりの尺も短いから、声優の確保自体はそこまで難しくはないと思うんだけど、各国語の吹き替え版も用意した上で配信始めるのが当然だよね、みたいなところがすげーなと思う

『ナショナルジオグラフィック2019年3月号』

EXPLORE 探求するココロ 装甲車みたいな恐竜

カナダのロイヤル・オンタリオ博物館で研究中の、鎧竜ズール・クルリバスタトルについて
内容と時期はちょっと違うけど、web版にも載っていた
natgeo.nikkeibp.co.jp


最近発見されたカナダの鎧竜というと、ボレアロペルタだけど、あっちはノドサウルス類、こっちはアンキロサウルス類で、別の仲間
ズールは、しっぽの先が膨らんでいて棍棒のようになっている

特集 地球外生命 探査の最前線

系外惑星のスペクトルを分析して大気の成分を調べようとしている研究とかから始まって、SETIの話まで。


以前は、バイオマーカーっていう言葉だった気がするけど、最近は、バイオシグネチャーって言葉に変わっている気がする(変わったのか、意味が違うのか、今もどっちも使われるのかよう知らんけど)。
大気の成分のほかに、光合成してる生物がいるかどうかを地表の色から判断するというのもバイオシグネチャーにあるけど、これのことを「レッドエッジ」と呼ぶらしい


今稼働している望遠鏡や衛星から、これから予定されているものなどの紹介があったけど、その中に、スターシェードというものがあった
これはまだいつできるのか分からんけど、宇宙望遠鏡が系外惑星のことを観測する際に、その間に挟んで、母星の光を遮って、観測しやすくするための器具(?)らしい
もし作られたら、WFIRSTとタッグを組むことになるとか


それから、SETIについては、『日経サイエンス2017年5月号』 - logical cypher scape2『Newton2017年7月号』 - logical cypher scape2でも紹介されいていた、ロシアのユーリ・ミルナーによる、ブレイクスルー・イニシアチブ、ブレイクスルー・リッスン
記事中に登場したSETIのエンジニアの話だと、SETIのエンジニアだった人がどんどん減って今や彼1人になってしまったと書かれているけれど、一方で、ブレイクスルー・イニシアチブによって、方向性が変わったり、国際化していたりするっぽい。

ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』

超巨大な竜グリオールを巡る短編4編を収録
巨大さという点では、おそらく他作品に登場する竜と比べて群を抜いており、全長が1キロメートル以上ある。
しかし、この竜は空を飛んだり、言葉を話したりはしない。実は、数千年前に魔法使いに殺され、大地に横たわっており、もはや、地形の一部をなしていると言ってよい。
ただし、この魔法使いはグリオールを完全に殺すのには失敗しており、精神だけは生きているという状態になっている。
そして、このグリオールの精神は、周囲で暮らす人々に影響を与えている。近くの町の住人は、グリオールの影響により陰鬱であり、また攻撃的でもあると言われている。
表題作は、グリオールの皮膚に絵を描くことで絵の具の鉱毒でグリオールを殺すことを企てる男の話
他に、グリオールの体内に逃げ込み生活することになった女性の話、グリオール崇拝をしている僧侶が殺された話を巡るミステリ、            
中短編といった長さだが、いずれも、主人公の一生を描くようなスケールで、また、グリオールが人の心に影響を及ぼすという設定故に、自由意志なのかグリオールに操られていたのか、といったことが関わってくる。
特に、3作目「始祖の石」は、犯行が自由意志によるものだったのかどうかが争点となるミステリである。


1984年~2004年にかけて発表された作品が収録されており、最初の3編は『SFマガジン』が日本語訳初出。4つめは初訳。
なお、版元は早川ではなく竹書房
竹書房は以前、オールディスの新訳を出していたこともあり、時々海外SF・ファンタジーの刊行があるようだ。
ブライアン・オールディス『寄港地のない船』 - logical cypher scape2

竜のグリオールに絵を描いた男

画家のメリック・キャタネイは、グリオールのいるテオシンテ市を訪れ、グリオールの身体に絵を描くことで、じわじわと毒殺していくという提案を行う。
この計画がなかなか壮大で、彼の半生をかけたもになるのだが、物語自体は、すごくざっくり言ってしまうと、不倫と三角関係の話だったりする

鱗狩人の美しい娘

グリオールの背中にあるハングタウンには、鱗狩人という人々が住んでいる
とある鱗狩人の娘であるキャサリンはとても美人で、奔放な生活を送っていた。ある日、レイプされかけたところ、反撃して相手の男を殺してしまう。そして、その男の親族に追われたキャサリンは、グリオールの口の中へと逃げ込む。
なんと、グリオールの体内へと入り込んでしまうことになるのだが、その中には、モードリーという謎の老人と、フィーリーと呼ばれる人々が暮らしていた。モードリーも、キャサリンと同じくグリオールに体内に迷い込んでしまった男。一方、フィーリーというのはかつてグリオールの体内に迷い込んだ者の子孫たちで、人間ではあるけれど、言葉はあまり通じず、獣のように暮らしている。
キャサリンは何度か逃げ出そうとするが、フィーリーたちに見張られており、結局、10年間、グリオールの体内で暮らすことになる。
その間、グリオールの体内の不思議な動植物の記録をしたり、新たに体内へと迷い込んできた男性と恋に落ちたり、2人で麻薬におぼれたりなどする。「おばけ蔓草」という奇妙な植物も。
何故、キャサリンはグリオールの体内から逃げ出すことができないのか。グリオールがキャサリンに対してある役割を与えているから。
「おばけ蔓草」による復活というのが、わりとSF的なギミックでもあるなーと思う
グリオールから与えられた役割が、「え、そんなこと」ってキャサリン本人も思ってしまうようなことでもあるのだけど、それが終わるとまあ一応、無事にでられて、その後はグリオール体内体験について本に著して有名になって幸せになったらしい。
キャサリンは、グリオールの体内から出てきたところで、自分が追い立てられる原因を作った女が子持ちになっているのを見つけて、復讐しようとするのだけど、そんなことしても意味ないなと気付いて立ち去る、というシーンが描かれていたりして、単純に、ドラゴンの体内で不思議なことを経験した話というだけでない感じになっている

始祖の石

ポート・シャンティの弁護士コロレイは、僧侶ゼマイルを殺したレイモスの弁護を行うことになる。
ポート・シャンティというのはその名の通り港町で、グリオールからは少し離れているのだけど、グリオールの影響圏にある。
ゼマイルは、グリオールを崇拝する教団を率いていて、レイモスの娘ミリエルは、ゼマイルのもとに通っていて、レイモスとゼマイルの間は険悪だった。
で、レイモスは、始祖の石と呼ばれる、グリオールの身体から生まれたという宝石を使って、ゼマイルを殺害する。
レイモスにはゼマイルを殺す動機が十分にあるわけだが、レイモスはなんと、自分はグリオールに操られたのだと主張する。コロレイもこれには困り果てるのだが、この線でレイモスのことを弁護する方針をかためる。
一方で、コロレイはミリエルに惹かれてしまい、関係をもってしまったりする。


実は、ゼマイルはグリオールを崇拝していたのではなく、かつてグリオールを殺し損ねた魔法使いの子孫(と少なくとも自分ではそう思っている)で、グリオールを殺すための儀式を行っていて、それゆえに、グリオールはレイモスを使ってゼマイルを殺そうと企てたのだ、ということが分かり、コロレイは裁判に勝つ。
しかし数年後、コロレイはミリエルの母のことを知り、レイモス親娘のもとを訪れ、実は自分が親娘に操られていたということに気付く。
いやしかし、そんなコロレイの行動すらも、実はグリオールに操られていたのではないか。
と、一体どこまで操られていたのか、というのが何重にも入れ子になったミステリとなっている。
グリオールは直接出てこないのだが、人の心に影響を与えることができるという設定によって、舞台装置として強く働き、よくできたミステリになっていると思う。

嘘つきの館

妻が事故で死んだあと、殺人を犯してポート・シャンティからテオシンテへと流れてきた男、ホタ
テオシンテにある唯一の宿で暮らしている。この宿は、オーナーがグリオールの背中に生えている木を切り倒してきて建てたと言っているのだが、そんな勇気などないはずで嘘に決まっていると思われており「嘘つきの館」と呼ばれている。
ある日、ホタは、グリオールの上空に生きたドラゴンが飛んでいるのを見かける。着地した場所を見に行くと、そこにはマガリと名乗る裸の女性がいた。
ホタとマガリは、嘘つきの館で奇妙な同棲生活を始めることになる。
これもまた、グリオールによる操りの話で、グリオールが自分の子供をつくるために、ホタとマガリを操っていたという話になっていく。
ホタが、マガリが自分に対してどう思っているのか聞かせてくれと頼むと「必然と自由だ」と述べたりしている(ホタはマガリに対して愛情を抱いている、と思っているが、マガリはむしろそれを「必然と自由」(グリオールに操られていることを必然と述べているっぽい)と表現している)。人間の姿をしていても、ドラゴンが人間とは異なる感情や思考をしているというのを感じさせるところ。

作品に関する覚え書き

シェパードが、それぞれの作品を書いていた頃について綴ったものだが、解説によれば、シェパードは自分のことについて、かなり誇張したりして語る傾向があって、この覚書自体も、作品を読み解くのにそのまま信用できるものではない、としている。
というか、実際、作品自体についてはあまり語っていない。一方で、ちょっとした読み物という感じにはなっている。
グリオールは実はレーガン政権の隠喩なんだと言ってみたり、これを書いている時はニューヨークの荒れた地域に暮らしてたから作品のことは何も覚えてないとか

解説

シェパードについての解説から、グリオールシリーズについて、そしてノヴェラという形式についても軽く論じられていて、読みごたえがある解説。
シェパードは1943年生まれ、厳しい父親に育てられ若い頃に世界各国を放浪していて、家族をもってからはバンドマンとして生計を立てていたこともあるとか。1983年、40歳で作家デビュー。サイバーパンク華やかなりし頃にデビューしていて、基本的にSF界隈で仕事していたようだが、ファンタジーであり、またどのジャンルにも属さないような作品を書いていて、好きな作家もSFではなく、文学系の作家が多かったらしい。
ファンタジーといっても異世界を作るということに興味はなくて、現実世界を反映した世界を描く作家で、基本的に、同じ世界を舞台に複数の作品を書くということはなく、グリオールは例外的なシリーズだった、と。
1984年「竜のグリオールに絵を描いた男」(日本語訳1987年)
1988年「鱗狩人の美しき娘」(日本語訳1991年)
1989年「始祖の石」(日本語訳1991年)
2003年「嘘つきの館」(本書で初訳)
2010年”the Taborin Scale”
2012年“The Skul”
2014年“Beautiful blood
本書に収録されている前半の作品群を読む限りは、異世界っぽいのだが、後半の作品になるにつれて現実世界とのつながりがでてくるらしい。テオシンテは中米のどこかにあるらしい、とか。

『この世界の片隅に』

遅ればせながら見た
雑な感想です


冒頭のクリスマス時期の広島の町並みから情報量に圧倒される画面
空襲シーンを描くのに絵の具になるのやばー


8月6日に向かって日が進んでいく時、見てる側の緊張感がやばい。広島に帰る話出てくるし。
原爆落ちるまで呉より広島の方が安全だったんだなーとか


戦争が進むにつれて、いろいろと貧しくなっていくというのもあるが、それ以上に不自由な時代だったのだなと思うのが、嫁入りによって、いきなり夫の家で家政婦のように働かなきゃいけなくなるところ
モガだった義姉は、恋愛結婚して離婚もしていて、違う生き方をしようとしていた人なので、色々な意味ですずのことをどのように見ていたのかなと思う。
すずは、いろいろと条件が違えば画業の道に進める可能性だってあったはずだが


見知らぬ男性と結婚することになったわけだが、そのきっかけとなった出来事は、ばけものによる人さらいという、夢だか現実だかよくわからない出来事であり
また、すずが描いた絵でありながら水原が表彰されることになった波のうさぎの絵のシーンもまた、幻想的に描かれている。
あのあたり、フィクションというのが現実を覆い隠す逃避的なものとしても機能しており、一方で、生きるために必要なものとしてもある。


のんの声と演技がよい
基本的には「すずさんかわいい」という感じなんだけど、画面が切り替わる時とかに漏れるため息みたいなのがわりとかわいくない感じなのがよい。