冨田信之『ロシア宇宙開発史』(一部)

サブタイトルに「気球からヴォストークへ」とある通り、宇宙開発前史ともいえる気球の発明から始まって、人類初の有人宇宙飛行を達成する「ヴォストーク」(さらにヴォスホート)までの、ロシア・ソ連の宇宙開発の歴史をまとめた本。
特に、ヴォストーク・ヴォスホートまで(1965年頃まで)ということもあり、初期の宇宙開発の歴史を追っていると言える。
ところで、読みたい本リストにあがっていたので、とりあえず手にとったのだが、微妙に、何故読もうとしていたのか理由を失念してしまっていた。
最近、宇宙開発には興味があり、宇宙開発史の本も時々読んでいたので、関心がないわけではないのだが、ちょっと自分の手に余る感じもしたので、最初の3章くらいまででとどめた。
確か、ロシア・コスミズムへの言及がある、というのも、読みたい本リストへ入れた理由の一つだったのではないか、と思ったので、そのあたりを読んだ。


そもそも自分は、生まれるずっとずっと前にはもうアポロが月に行っていた世代なので、宇宙に行くのは当然ロケットと思っているけれど、宇宙に行くにはロケットだ、というのは20世紀の考えなんだよなー、と
例えば、ベルヌの『月世界旅行』は、巨大な大砲で打ち出すわけだし
気球でずっと高くまで上がっていけば、宇宙まで行けるのでは、と考えられていた時代もあったようだ。


読んだのは3章までなので、ほんとにさわりしか読んでない。

序章 人類の夢「天空への飛行」――気球の誕生
第I部 気球からロケットへ
 第1章 19世紀ロシアのパイオニアたち
 第2章 宇宙時代の預言者――ツィオルコフスキー
 第3章 ロマン実現への胎動 1921年-1929年
 第4章 ロケット研究の核の誕生――気体力学研究所とギルド 1929年-1933年
 第5章 反動推進研究所発足と大テロルによる壊滅 1934年-1940年
 第6章 戦雲下のロケット開発 1941年-1944年
 第7章 ドイツにおけるロケット開発
第II部 宇宙活動への布石――ロケット開発
 第8章 ドイツの地からの復活――A-4ロケット調査 1945年-1946年
 第9章 ロケット自主開発――模索期 1947年-1951年前半
 第10章 ロケット自主開発――確立期 1951年後半-1957年前半
第III部 夢の実現
 第11章 宇宙時代の幕開け 1957年後半
 第12章 月うちあて計画と有人スプートニク開発 1958年-1959年
 第13章 飛躍に備えての雌伏の年 1960年
 第14章 初の有人軌道飛行 1961年-1963年
 終章 ロマン追求の終焉 1964年-1965年初め

ロシア宇宙開発史: 気球からヴォストークまで

ロシア宇宙開発史: 気球からヴォストークまで

序章 人類の夢「天空への飛行」――気球の誕生

実は、ケプラーこそが、宇宙飛行を最初に考えた人だ、というところから始まる。夢の中で月へ行った、という小説を書いていて、ガリレイにも、人類は将来宇宙を航海するでしょう、みたいな書簡を書いているらしい。
序章は、他にベルヌなどの初期のSFや、タイトルにある通り、気球の話
モンゴルフィエやシャルルによる気球のほか、フンボルトが世界初の高層大気観測を行っていること
で、19世紀ころまでは、気球で宇宙まで行けるのではないかと考えていた人たちがいた、と。ただ、だんだんと高度があがりすぎると、体調を崩したり、死んだりすることも分かってきた時期でもある。
気球の情報は、ロシアにも早々に伝わっていたが、初期の実験で死亡事故を起こしたせいで、中止命令が出されたり、資金難が続いたり、19世紀後半までなかなか日の目を見なかったらしい。

第1章 19世紀ロシアのパイオニアたち

19世紀後半、ロシア帝国の軍人のなかで、クリミア戦争でイギリスが使っていたのをみて、ロケット弾の開発が始まる
また、同じころ、メンデレーエフが気球を使った観測を推し進める
気球のデメリットは、操作性が悪いこと。どうやって、気球を操作するのかということが色々考えられた中で、ロケットを使うというアイデアもあったようだ。


キリバチチ
浮揚そのものにロケット推進が使えるのではないか、と考えた人
ナロードニキ派で爆弾テロに参加した容疑で刑死している。
現在では、ロシア宇宙開発のパイオニアと考えられるが、彼の考えは、獄中でとられたメモだけで、そのメモが長い間公開されていなかったため、彼が直接的に与えた影響はないとされている。


ツィオルコフスキー
彼は、大学への入学がかなわず、独学で勉強をすすめた。
空中飛行に興味関心があって、気球の操作について考え、金属製飛行船の研究を行った。彼は在野の研究者であったが、科学アカデミーからの資金を得て、風洞を作り、実験を行っていたらしい。ただ、もう一人、同時期に風洞を作っていた、大学の研究者がいて、ツィオルコフスキーの研究は、彼によって黙殺されてしまう。


さて、ここから、ツィオルコフスキーと思想の話。
モスクワ時代に、ドミートリー・ピーサレフの影響を受けるが、ピーサレフは、ニヒリズム啓蒙主義、社会ダーウィニズムの人だった
そしてもう一人、ニコライ・フョードロヴィチ・フィードロフの影響を受けている、と筆者は述べている。
フィードロフは、死んだ人間を復元する技術がいつかできると考えていたが、その際、人間を構成した粒子が宇宙に飛び散っているので、それを集めるために宇宙へ進出しなければならないと考えていたらしい。

第2章 宇宙時代の預言者――ツィオルコフスキー

ツィオルコフスキーは『エチカ』という著作を書いているが、その中で、生物が「アトム」という構成要素からなるとしている。ツィオルコフスキー自身は、ライプニッツモナドを参照しているらしいのだが、筆者は、フィードロフの微小粒子に近いのではないかと述べている
また、ツィオルコフスキーは、人類が宇宙へ進出し、より高度な知性へと生まれ変わっていくのだ、というビジョンを語っているらしい。
他の惑星、他の太陽系へ移住すれば、太陽がいずれ死滅しても生きていけると述べているだけでなく、宇宙へ進出していく過程、人類は最終的に神と一体となれる、と
ロシア正教の敬虔な信者でもあったらしい。

ロシアでは「宇宙」を中心とする思想を提案した一群の思想家たちがおり、彼らの思想は「コスミズム」と呼ばれている。ツィオルコフスキーも、その一人として数えられているが、彼が他のコスミズム思想家と際立って異なる点は、人類が宇宙に進出する具体的な科学的手段をその思想の一つの核として据えたところにある。(p.41)

その具体的な科学手段とは、もちろんロケットである。
ロケットについては何度かに分けて書かれているが、その中で1903年論文・1911年論文が、ここでは紹介されている。
1903年論文の序文では、ジュール・ベルヌ、キバリチチ、アレクサンドル・ペトローヴィチ・フィードロフといった、ツィオルコフスキーに影響を与えた人物の名前があげられている。
そして、ツィオルコフスキーの公式と呼ばれる公式が与えられている。
同時期に、メシチェルスキーという科学者が、同じ式が得られる方程式について論じた論文を発表しているが、当時、誰からも気づかれなかったと
ツィオルコフスキーの1911年論文では、ロケット飛行中の情景など小説っぽい記述もあたり、月や他の惑星への飛行について触れられていたり、かの有名な「私たちの惑星は知性のゆりかごである。しかし、永遠にゆりかごの中で生きてゆくわけにはゆかない」の一節が書かれていたりする。
また、ここでも、隕石衝突による地球滅亡や太陽の死を免れるために、宇宙進出があるという話が書かれている。
アカデミズム全般に、彼のロケット論文は受け入れられなかったらしいが、一部には支持者も生まれ、後進世代へと広がっていったようだ。
1903年論文は、マイナーな同人誌に載ったのみで、1911年論文も、あまり学術的な体裁では書かれていなかったらしい)

第3章 ロマン実現への胎動 1921年-1929年

1920年代、ソ連のツァンデル、ルーマニアのオーベルト、アメリカのゴダートがそれぞれロケット開発を始める
また、ソ連では、ツァンデルの他、コンドラチュク、ティホミロフ、グルシコといったロケット開発パイオニアが続々現れる。
さらにこの章では、ツィオルコフスキーの晩年にも触れられる。


ツァンデルは、ロケット飛行機を考案し、惑星間飛行についての理論的著作を書き、また全国を講演してまわった。
オーベルトは、トランシルヴァニア生まれで、国籍はルーマニアらしい(その後、ドイツ国籍となった)。どうもオーベルト、なかなかうまくいかない人生だったようだ(助手に恵まれず、せっかくの機会を得てもうまくいかなかったり、ルーマニア国籍であるがゆえにドイツで研究を続けられなかったり)
そして、ゴダート


コンドラチュクは、多段ロケットや軌道上の宇宙ステーション、月や他の惑星にいくための軌道など、かなり色々なアイデアを考えていたらしい。
ただし、革命や戦争のただなかにあり、論文はなく、メモを残しているにとどまるようだ。


ツィオルコフスキーは、晩年になって、空軍から認められ、資金提供などをうけたり褒章されたりしているが、それは飛行船に関することであって、ロケットのことではない
晩年も、宇宙関連について、技術的なもの・将来的な宇宙空間での人類の活動・思想的なものなどの著作を残しているが、いずれにせよ、ソ連国内で、彼のロケット研究はあまり評価されずじまいだったらしい。

ロシア・コスミズムについて

山形浩生のブログで知ったんだった
cruel.hatenablog.com

さらに巻末で触れたソロヴィヨフ哲学の影響などについてもぜひまとめていただきたい。
(中略)
なお、はてぶ/ツイッターのコメントで、ソロヴィヨフ=フョードロフだと述べている人がいたが、別人。ただフョードロフは、ソロヴィヨフに影響は与えている。

というわけで、巻末もちらっと見てみた。
ロシアの宇宙活動の背景に、コスミズムがあるのではないか、と
神と人の一体を解くロシア正教が背景にある思想で、フョードロフの影響を受けたウラジーミル・セルゲーエヴィチ・ソロヴィヨフがその哲学的基礎を作ったと。
cruel.hatenablog.com
cruel.hatenablog.com