大江健三郎『万延元年のフットボール』

1967年、大江健三郎が32才の時に書かれた長編小説。前作から3年のブランクを経て、大江にとって30代初の長編作品であり、代表作品でもある。
1960年代の愛媛の谷間の村を舞台に、内向する主人公と活動的な弟との対比を描く。
障害者の子が生まれ、友人を自殺で亡くした主人公夫婦は、アメリカから帰ってきた弟に誘われて、谷間の村へと帰郷する。弟は、100年前に一揆を主導した曾祖父の弟と自らを重ね合わせながら、村の若者たちのリーダー的存在になっていくのに対して、主人公は弟の行動から目を背けていく。


今年になって、大江健三郎作品をいくつか読み始めている。
大江健三郎『芽むしり仔撃ち』 - logical cypher scape2
大江健三郎「セブンティーン」他(『大江健三郎全小説3』より) 大江健三郎「セブンティーン」他(『大江健三郎全小説3』より) - logical cypher scape2
万延元年のフットボール』については、2009年に一度読んでいたが、まあ内容はほとんど忘れてたよね
大江健三郎『万延元年のフットボール』 - logical cypher scape2

1 死者にみちびかれて

蜜三郎(以下「蜜」)の友人が自殺し、蜜は家の庭に掘った穴の中に入る。
蜜には、脳に障害を負った息子が産まれている。蜜の妻である菜採子は、ウイスキーにおぼれるようになり、夫妻は息子を施設へ預けることになる。
友人はアメリカ滞在時に、蜜の弟である鷹四(以下「鷹」)に会っている。その際の鷹の様子について
鷹にも友人にも、伝達不能な「あるもの」があったのではないか。しかし、自分は弟よりも友人に似ており、友人の「あるもの」の方が近付きやすいように感じている。
蜜は、弟の「あるもの」は、おそらく死んだ妹のことだろうと考えている。

2 一族再会

アメリカから帰国する鷹を迎えに羽田へ行くが、飛行機が遅れており、ホテルに部屋を取って待つことになる。
蜜と菜採子、そして、鷹を慕う若者の星男と桃子の4人
星と桃子は、学生運動時代の鷹を勇敢だったと尊敬しているが、蜜は幼い頃の鷹が恐がりだったエピソードを話して水を差す。菜採子は鷹との面識はない。
星は、鷹の薫陶を守って禁酒している。菜採子は相変わらずウイスキーを飲んでいる。
帰国した鷹は、アメリカでたまたま出会ったスーパーマーケットの経営者が四国の人で、実家の倉屋敷を売却する話をしたと言い出す。そして、自分と蜜の再出発として、帰郷することを提案する

3 森の力

鷹は、星のシトロエンに乗って愛媛の谷間の村へ。蜜と菜採子も電車とバスで後を追う。
村への橋は落ちている。
バスを途中でおり、鷹が迎えにきてくれたジープで村へ向かう。
鷹の子守として根所家で働いていたジンという女性が、過食症に陥り「大女」となっていることを知る。
また、鷹は隠遁者ギーとあったことを語る。

4 見たり見えたりする一切有は夢の夢にすぎませぬか(ポー、日夏耿之介訳)

寺に、2人の兄であるS次の骨を取りに行く。
100年前に一揆を率いた曾祖父の弟について、蜜と鷹の認識が食い違う(高知に行ったのは曾祖父か、曾祖父の弟か)。
養鶏をしている青年グループのリーダーと会う。
寺で地獄絵を見る。蜜はその地獄絵に安らぎを感じるが、鷹は嫌がる。
S兄さんの死をめぐっても、蜜と鷹の記憶は食い違う。
戦後、村の若者グループが朝鮮人部落を襲撃し、その後、その反撃としてS兄さんは撲り殺される(撲り殺されたところを鷹が見たかどうか、若者グループの指導者だったかどうか)
鷹による「独特な人間」という人物評について(妹、蜜の友人と妻に対して使われる)

5 スーパー・マーケットの天皇

青年グループが養鶏していた鶏が死に、鷹は若者グループのために動き始める
スーパー・マーケットの経営者は、地元で「スーパー・マーケットの天皇」と呼ばれている。彼が朝鮮人であることを、蜜は住職から教えられる。
鷹は、青年グループとともにスーパー・マーケットの天皇と対立する
倉屋敷売却の前渡金のうち蜜の取り分を、青年グループのためのフットボール・チーム設立のために寄付して欲しいと鷹が言う

6 百年後のフットボール

万延元年の一揆について
蜜の見た夢と蜜の母親がかつて語ったこと、住職が独自に調べたこと
フットボール・チームの練習を見に行く

7 念仏踊りの復興

S兄さんの記憶について、鷹は念仏踊りで見た「御霊」の姿を記憶違いしていたのだと菜採子に語る(ただし、これも蜜の記憶とは食い違う)。
川に流された子どもを、鷹は命を省みずに助ける。
蜜は鷹のもとへ行かず引き返し、その際、村の助役と話す。
村の大人たちによる「罠」にかからないように話しながら、鷹が自分には言わずにすでに土地も含めて天皇に売却していることを知る。
蜜は、自分はもうこの村とは関わらない部外者になることを決めるが、雪のため、村からはまだ出られないので、母屋ではなく倉屋敷に寝泊まりすることにする。

8 本当のことを云おうか(谷川俊太郎『鳥羽』)

鷹が、フットボールチームと万延元年の一揆を結びつけようとしていると妻から聞く蜜は、万延元年の一気での若者たちの末路はよいものではなかった、と言う。
(蜜は、100年前の一揆にしろ、終戦後の朝鮮人部落襲撃にしろ、村の大人たちが若者グループを利用したのであり、一揆を率いた曾祖父の弟は皆を見捨てて逃亡したし、S兄さんは若者たちの指導者ではなくスケープゴートにされてしまったのだと考えている)


ヤマドリを肉にしていた蜜と鷹が「本当の事を云う」ことについて話す。
ニューヨークで蜜の友人と鷹が会った際にも、鷹は「本当の事」について話していた。
鷹は、本当のことを言った人間は死ぬか発狂するかしないという。
蜜は、そういう人間も生き延びることができるという。
鷹はもし本当の事をいう時は蜜に聞いて欲しいといい、蜜はそれは妹のことかと尋ねる。

9 追放された者の自由

雪がやまぬまま年が明ける。
蜜は、鷹と妻がともに寝ているところを見る。
ジンの子とともに若水をくみにいく。
蜜が谷間におりると、スーパーマーケットの前で「在」の女たちが何かを待っているところと、男同士の殴り合いを目撃する(「在」とは村から離れたところに住んでいる農家を呼ぶ言葉)。
鷹によって演出された、スーパーマーケットの略奪事件
スーパーは、正月に無料プレゼントを行っているが、その際に、店側がその対象にしていない商品までも無料で持って行けるように鷹が画策した。

10 想像力の暴動

鷹と青年グループが、念仏踊りを始める
蜜はジンと、スーパーマーケットの略奪について話す。ジンは「恥」という言葉を使いつつ、鷹を擁護する。村の者たちはみな「恥」を受け入れたのだと。また、鷹の略奪により、ジンは今のような姿になって初めて、十分な量の食事を食べられるようになったとも言う。
蜜は、石油を手に入れるために鷹のもとへと向かう。
鷹のもとに肉体派の少女
鷹は、この暴動を安保闘争にたとえたり、念仏踊りの太鼓や銅鑼を使って、単なるスーパー・マーケット襲撃ではなくて、村や在の者たちにとって、万延元年の一揆追体験させているのであって、想像力の暴動なのだといったりする。
鷹の起こした行動がいずれ日本全国に広がるのではないかと興奮している住職と、冷ややかな蜜

11 蠅の力。蠅は我々の魂の活動を妨げ、我々の体を食ひ、かくして戦ひに打ち勝つ。(パスカル、由木康訳)

翌朝、倉屋敷に朝食を届けに来た桃子から、鷹が猟銃を受け取ったことを聞く
さらに桃子は、鷹が以前、いつかアフリカにいって象を捕まえてきて動物園を作りたいと語っていたことを話す。
その話を聞いた蜜は、さらに、核戦争後にアフリカに象を捕まえにいく人間がいるだろうかと想像する(大江は、核戦争への不安・恐怖というのも複数の作品でテーマにしていたらしい。本作ではそれは作品のテーマというほどにはなっていないが、時々核戦争とか放射能とかいった単語は出てくる)
蜜は、住職が見つけてきた古い手紙に目を通す。曾祖父の弟が、一揆ののちに送ってきた手紙で、高知経由で逃れ都市生活を始めたことをつづる手紙だった。憲法発布に湧く世論に民権派として批判したりする手紙もあれば、さらに壮年期になって、甥が兵役にとられることを心配する内容になっている。
星男が倉にやってくる。鷹が菜採子とやるので一緒に寝たくないのだという。
星が、目撃した鷹と菜採子の性交の様子を蜜に話す。
その中で鷹は、自分のニューヨークでの自己処罰的な行動を菜採子に語っていた。
念仏踊りが倉屋敷へとやってくる
「御霊」は、スーパー・マーケットの天皇の仮装をしていた。さらに、肉体派の少女がチマチョゴリを着て列に加わっている。
鷹は、スーパー・マーケットの天皇朝鮮人であることを村の人々に改めて意識させようとしていた。さらに、蜜に対して、菜採子と結婚するつもりだという。

12 絶望のうちにあって死ぬ。諸君はいまでも、この言葉の意味を理解することができるであろうか。それは決してたんに死ぬことではない。それは生れでたことを後悔しつつ恥辱と憎悪と恐怖のうちに死ぬことである、というべきではなかろうか。(J=P・サルトル、松浪新三郎訳)

鷹が、肉体派の少女を強姦しようとして殺害した、と菜採子が報告してくる
蜜と星は母屋へ向かい、鷹から話を聞く。
隠遁者ギーも同席しており、鷹はギーが目撃者だと言う。
しかし、蜜は鷹の話を聞きながら、少女の死は事故死であり、鷹はそれを殺人事件に偽装しようとしていると推測する。
倉で鷹は、白痴の妹との間にあった出来事を、蜜に告白する。
伯父のもとで、鷹と妹が暮していた時に近親相姦があり、妹が妊娠する。鷹は妹に口止めをして、村の誰かに強姦されたことにして堕胎するが、その後、妹は自殺してしまった。
鷹が自己処罰的である理由がこうして明かされる。
鷹は自分がリンチか死刑にあったら、片目が不具となっている蜜のために目をやろうというが、蜜は、鷹は死刑になったりはしない、曾祖父の弟がそうであったように、日常生活へ帰ることができるのだといって、その提案を拒む。
蜜が母屋にいったさい、銃声が聞こえる。倉の様子をうかがうが、鷹はまだ生きていた。再び、蜜が倉を離れると、再度銃声が響き、鷹は自殺していた。


この章で、鷹が妹とのことを告白するくだりとかは、どこがどうとは言えないがフォークナーみを感じた。

13 再審

星男と桃子はすでに谷間の村を離れたが、蜜と菜採子はそれぞれ体調を崩して、まだ谷間の村にいた。
蜜のもとには、英語講師への誘いの手紙と、アフリカ探検隊の通訳への誘いの手紙が来ていた。
ジンは食べることに満足して食べなくなる。
スーパー・マーケットの天皇が村を訪れて、倉屋敷の解体工事が始まる。
天皇が、鷹のことを「独特な人間」だと評する。蜜はそれを、鷹が天皇に対してそう述べたことの意趣返しだろうと理解する。
倉には地下倉が隠されていたことを知る。
蜜は、曾祖父の弟が実際には高知へ逃げたのではなく、その地下倉に隠れ続けていたのだと気づく。あの手紙はこの地下倉から書かれたフェイクだったのだ。
また、祖父が残した明治の一揆の記録では、どこの誰とも知らない男が指導者となったことが書かれていたが、それこそまさに地下倉に隠れていた曾祖父の弟が一時的に姿を現したのだと。曾祖父の弟は志を失い日常生活へ回帰していたのではなかった。
なぜ、念仏踊りが根所家の倉屋敷を終点としていたのかという謎にも、地獄絵が一体誰のために描かれたのかということにもこうして答えが与えられる。
新発見に興奮した蜜であったが、菜採子から、蜜は死ぬ間際の鷹に恥を与えたのであり、今更何をいうのか、と一喝される。菜採子は鷹の子を産むことを決める。
また、住職から、青年グループのリーダーが地方議会選挙に立候補することを知らされる。鷹の暴動は、地域社会での青年グループのプレゼンスをあげる役に立ったのだという。
蜜は、地下倉にうずくまり、自分に対する「再審」を始める。すでに判決は翻っている。曾祖父の弟や鷹は「本当の事」を見つけたが、自分はまだ「本当の事」を見つけていない。
地下倉から出てきた蜜に対して、菜採子は、鷹の子とともに、施設に預けた子を引き取り育てることと、蜜はアフリカへ行くように告げる。

感想

以上、簡単にあらすじを書いたが、書き落としている要素も多々ある
(例えば、障害を負った蜜の子どもは、直接登場はしないものの、蜜の夢の中などに姿を変えて登場したりする)
また、大江作品の特徴として、難しい単語や独特の比喩を用いた文体も本来注目すべきだろう。ただ、この作品はあらすじだけでも情報量が多いし、そうした文体になれてしまえば、むしろ次々展開していく物語の筋を追っていく面白さが出てくる。
一方で、革命・暴力・行動を象徴するような登場人物である弟の鷹がいて、他方で、日常・無気力・非行動を象徴するような蜜がいる。記憶や歴史の解釈を巡りながら2人は対立を続け、最後の最後で蜜が歴史的事実に逆襲され敗北する物語、ととりあえずはまとめることができるかもしれない。
橋本陽介『ノーベル文学賞を読む』 - logical cypher scape2では「情けないオレ語り」と表現されていたが、実際、蜜は妻を弟に寝取られても特にそれに何かいうでもなく、また最後のアフリカ行きも妻から言われて決めるのだし、障害を負った子と向き合うことも自主的になされたというわけでもない。
ところで、色々な要素・モチーフが色々絡み合っているのだけれど、「人間の羊」大江健三郎『芽むしり仔撃ち』 - logical cypher scape2で出てきた「恥」という言葉が、本作でもまた出てくる。同じ意味で使われているか、というとちょっとよく分からないのだが。
現在、普通に使われている「恥」とは、何か少し違うニュアンスで使われているようにも感じるのだが、大江作品の中で出てくる「恥」は、重要キーワードのように見えるのだが、いまいちどういうテーマなのかがつかめないでいる。
ただ本作では、戦後の占領期に村の大人が占領軍に対して抱いた「恥」(と子どもはすぐにその状況に適応してチョコをねだった)というのが書かれて、暴動で村の人々が受け入れた「恥」とスーパー・マーケットの天皇への態度も同じものとされている。
「人間の羊」も『芽むしり仔撃ち』も、この占領軍に対する恥みたいなものの変奏なのかもしれない。
それにしても、朝鮮人天皇と呼ばれているという、これまた右翼受けの悪そうな要素というか何というか。
以前読んだときの感想として、ジンの意味がよく分からなかったとあり、実際何故過食症なのかは分からないけれど、まあ、停滞していた村の時間を鷹が動かしたということの象徴でもあるし、まあ、満たされない欲望が(資本主義の象徴たる)スーパー・マーケットの機能が一時停止されたことで満たされるようになる、とか、なんかそういう何かの象徴としては読み取りやすいような気もした。