伊坂幸太郎編『小説の惑星 オーシャンラズベリー篇』

伊坂幸太郎が、自分の好きな小説でドリームチームを組んだという短編アンソロジー
自分は伊坂幸太郎をほとんど読んだことがない(『死神の精度』と阿部和重との共著である『キャプテンサンダーボルト』くらい)が、収録されている作家を見て気になったので読んでみることにした。
最近読んだ文学 - logical cypher scape2の延長戦的な

永井龍男「電報」

東京と京都を商売で行き来している男が、電車内で元カノを見かける
なお、まだ新幹線ではない時代で、食堂車とかがある。電車内に電報が送られてくる。
小説ドリームチームの先鋒が何故この作品なのかは正直ちょっとよく分からなかったが、伊坂としては、嫌な感じの男が肩すかしにあうオチがちょっと笑えて面白い、ということらしい。

絲山秋子「恋愛雑用論」

「恋愛雑用論」というタイトルだけど、恋愛小説ではなく、いや恋愛小説的なところも少しはあるかもしれないが、実は震災小説であり、しかし震災小説と言ってしまってよいかというとそうでもないという小説で、じゃあなんだかよく分からない作品なのかといえばそんなことはなくて、すごく上手い小説である。
R…町の工務店で事務員をしている主人公は独身女性で、20~30代までは人から結婚しないのかと言われていたが、40を過ぎて(姉を除けば)あまり言われなくなってきた、という人
恋愛とは雑用なのだ、という持論が冒頭で展開されるが、この人、非モテとかそういうわけではなく、その時々で彼氏がいたり、あるいは彼氏には至っていないがデートする人とかはいる。ただ、「いい人紹介してあげるよ~」とか人から言われるのがすごい苦手というか嫌い。
さて、事務員をしていると色々なお客さんの相手をすることになるが、この話は主に、その中でも常連である、信用金庫につとめる「小利口くん」とのやりとりで進んでいく。
「小利口くん」が何か面白い話ないっすかと聞いて、彼女が、この前デートした男について話したりする。
彼女の日常や恋愛観、人間観についての語りを読んでいく話なのだが、作中、2回ほど、震災への言及がある。
R…町は被災しておらず、彼女や彼女の家族も同様で、彼女はテレビの被災シーンを見て泣いていたというくらいなのだが、そのあっさりとした震災への言及だけで、小説として成り立つのだなあ、という。

阿部和重Geronimo-E, KIA」

2011年、アメリカ特殊部隊がパキスタン領内に極秘に侵入するところから始まる。ビンラディン暗殺作戦の様子だが、読み進めていると次第にこれが、実際の暗殺作戦そのものではなく、それをベースにしたVRゲームの様子だということが分かってくる。
中学生が、実際に行われたビンラディン暗殺作戦をいかに忠実にトレースできるかという競技になっていて、初めてパーフェクトを達成できるかという話。
軍事小説かと思って読んでいたら最後は部活小説になっているという、摩訶不思議な、しかし、阿部和重っぽいといえば阿部和重っぽい話

中島敦「悟浄歎異」

タイトルから分かるとおり『西遊記』を元にした作品で、沙悟浄の視点から孫悟空三蔵法師猪八戒についての人物評が書かれている。
というか、めちゃくちゃ悟空上げの文章で、悟空のことを賞賛しまくっている。また、分量的には悟空より少ないものの、三蔵と八戒についても同様。
悟浄が悟空の何にそんなに感嘆しているのかというと、まあ色々あるのだが、頭でっかちの「俺」に対して、身体性を伴った知性を持っているあいつはすごい、というような感じで、悟空から学ばなければと思っている。
知識は確かになくて天体や動植物について名前は知らないけれど、それが一体どういうものなのかはよく分かっていて、それはそれで教養だとか、過去の出来事とか全く覚えてないんだけど、過去の失敗からえた教訓とかは完全に身体化されて、同じミスで負けることはないとか。一方、悟空が珍しく覚えている話として、お釈迦様の掌のエピソードが語られていたりする。
あと、悟空と三蔵はタイプは正反対だが、自分の凄さを自覚していない点でよく似ていて、よいコンビだなとか、八戒は、最初下品な奴だと思ったけど、世の中の快楽という快楽をよく知っていて、何かを楽しむのにも才能がいるのだな、とか思っている。
なお、この作品は、前編・後編の後編らしいのだが、伊坂としては、ラストシーン(野宿中に星空と三蔵の寝顔を見る悟浄)がおすすめで、あえて後編を採ったとのこと。なるほど、確かによいシーンではある。
また、『わが西遊記』というシリーズものになる予定だったらしいが、未完のままとなっている。確かに、八戒についての話などは未回収のままになっている。

島村洋子「KISS」

中学時代の同級生がグラビアアイドルになっていた男子大学生の話
当時、いじめられていた彼女に対して、自分もやや家庭に事情があってある種の同情のような仲間意識のようなものをもって接していたら、ある日、突然キスをされ、その後彼女は転校していった。
アイドルとしての彼女には特に興味はなかったが、彼女のファンである友人に連れられて一度サイン会へ行ってみると、特に向こうは覚えていない様子。
しかし、その後、テレビ番組の中で彼女が当時の話とサイン会の時のことを話すのを見て、彼女が自分のことを好きだったことを知る一方、当時の自分が、いじめられていた彼女からの恋心を気付かないようにしていたことも思い出す。
(テレビの中で彼女が主人公のことを「今でも優しそうでした」と言うのに対して、自分は「優しい人」ではなく「優しそうな人」だよなと思うなど)
伊坂が恋愛小説を依頼された際に、恋愛小説を色々読んでこの作品に出会ったらしい。

横光利一「蠅」

言わずと知れた作品だが、未読だったので、読めてよかった。
本書を読むにあたって目当ての一つであった。
収録作品の中では一番短い作品。
宿場で、馬車に乗るために、息子が危篤という知らせを受け取った女性、駆け落ち中と思しき男女、幼い息子を連れた親子、大金をもうけたばかりで息子への土産について考えている田舎紳士がやってくる。蒸したての饅頭を食べることを日々の楽しみとしている馭者は、饅頭ができるまで出発しない。
そしていざ出発となるが、馭者が居眠りしてしまい……という話。
冒頭と結末が、蠅視点で書かれており、崖から転落する馬車を蠅が悠々と飛びながら見ているところで終わる。

筒井康隆「最後の伝令」

Amazonレビューとかでも書かれているけれど「はたらく細胞」的な奴
日頃の不摂生や仕事のストレスでヤバい40代男性の身体の中で、もうヤバいよっていう臓器からの連絡を脳に伝えようとする情報細胞の話。
身体の中の機能を、「はたらく細胞」のように擬人化しているようで、しかし、伊坂も指摘しているように、実際の身体機能に対応した比喩にはなってなさそうな箇所もある。
電子メールなんて言葉も出てくるが、カプセルの中に入って移動するというちょっと古めかしいSF的な描写もあったり、胃のあたりでは日本風の部屋の庭先で胃壁の様子がモニターされていて、ご隠居がいるとうシーンがあったり、そもそも最後、脳髄にいるメリーさんとは一体何なのとか、謎めいているが魅力的な描写・シーンに惹きつけられる。


人体を舞台にしていることはわりとすぐに明らかになるが、冒頭では一応そのことは伏せられていて、ちょっと戦争ものかスパイものかという雰囲気がある。
この身体の持ち主は戦中世代らしいが、細胞たち(?)が、戦後の時代についていけていないのかも、ポストモダンだし云々みたいな話をしている。

島田荘司「大根奇聞」

自分にとって、初・島田荘司だった。伊坂もあまり読んでいないし、ミステリとはニアミスしつつも*1読まない人生を送ってきた。
さて、タイトルからはどんな話かよく分からないが、御手洗潔シリーズの外伝みたいな話だった。
ただし、御手洗は最後の方に少し出てくるだけで、ほとんど出てこない。
語り手である石岡が偶々知り合った大学教授から、とある謎を持ち込まれる。
その教授は鹿児島出身で、歴史研究者の父親が長年研究していたが最後まで解けなかった謎を遺言として聞く。
幕末の薩摩藩西郷隆盛に影響を与えたという、酒匂帯刀*2の子ども時代について。
酒匂帯刀、幼名・矢七は、7才の頃に保護者である和尚とともに薩摩へやってくるのだが、折り悪く、桜島の噴火で薩摩藩全体が飢饉に陥っていた。餓死寸前でとある老婆に助けられるのだが、老婆のところにも食べ物はない。しかし、その近くに薩摩藩で唯一作物がなった大根畑があった。ところが、この大根畑はお上が勝手に収穫するのを禁止し、破ったら打ち首としていた。
しかし、直前に孫をやはり餓死させていた老婆は、今度は助けるとばかりに、その大根を盗んでくる。大根を食べさせてもらった矢七は、外を見て絶望する。桜島の火山灰が降り積もったあとに、老婆が大根を引きずってきた跡がくっきりと残っている。これでは、老婆の打ち首は避けられない。
が、どうも、何故かこの打ち首は避けられたらしい。
矢七改め帯刀は、明治になってからこの時のことを「大根奇聞」として書いているのだが、ここから先の部分が失われている。教授の父親は、この謎が解けなかったとして息子の教授に託し、教授は、これをさらに石岡、ひいてはその先にいる御手洗に託そうとしている。
最後、海外にいっている御手洗から電話がかかってきて、石岡がこの話をすると、御手洗が見事この謎を解決する。
時代小説っぽいがミステリで、教授が石岡に話す最後の方は、「こういうことは?」「いや、それはこういう理由でありえないです」みたいな、この問題設定の条件を詰めていってるようなところがあって、本格ミステリ読み慣れてるともしかしたら普通なのかもしれないけど、なんか独特の読み味だった。
あと、合理的な解決だし、ミステリにありそうなトリック(?)なのかなという気もするのだが、これ、読者解けるの? という謎
解けないことはないけど、御手洗のように証拠を集めるのは読者には不可能というか。
伊坂は、同じトリックを思いついたとしてもこんな小説にはしないだろう、みたいな小説を島田は書く、と述べている。
 

大江健三郎「人間の羊」

大江の初期の短編。『死者の奢り・飼育』に収録されているみたい。
「僕」が家庭教師のバイト帰りに乗ったバスには、キャンプの外国兵たちが乗っていて、そのうちの1人が女性といざこざを起こしていた。そのとばっちりを受けて「僕」は外国兵に服を脱がされ尻を叩かれる、という屈辱を受ける。
さらに、バス乗客の何人かと運転手も同じ目に遭う。外国兵たちは叩きながら「羊撃ち羊撃ち」と歌い、バスの乗客は「羊」にされた側とされなかった側とに分かれる。
外国兵たちが降りていったあと、羊にされなかった側の乗客たちが同情の念を示し、特にその中の1人である「教員」が、泣き寝入りせず訴えてやりましょうと声をあげるのが、「羊」たちは押し黙る(唖になってしまった、と書かれている)。
「僕」は、バスの中で起きた出来事を早く忘れて屈辱などなかったことにして家に帰りたいのだが、あろうことか、下車後も「教員」がしつこく「僕」につきまとってくるのである。交番に連れて行かれるが、警察はキャンプのことには及び腰であり、「僕」に訴える気がないのであしらわれる。
疲れ果ててしまった「僕」はただひたすら逃げ回るだけなのだが、「教員」はしつこく追いかけてきて、必ず「僕」の名前を突き止めてやるぞ、とまで言い放つ。
バスで屈辱を受ける前半とバスを降りてから教員に追いかけ回される後半とに分かれるわけだが、前半から後半のような展開になるとは予想がつかず、なんとも曰く言いがたい読後感となる。
例えば、性犯罪などは被害者が被害を明かしたがらないというようなことがあると言われているが、ここで描かれる「僕」の内面の動きはそれに近いものがあるのだろうなということを考えさせられる(交番の警官が、尻を叩かれただけでしょw みたいな態度をとっているのも同様)
寓話っぽい雰囲気も漂う作品ではあるが、バスの乗客は「日本人」と明示されている(ので、「外国兵」というのも米兵のことなのではあろう)。
ところで冒頭、僕がバスに乗り込んですぐのところで、「僕は小さい欠伸をして甲虫の体液のように白い涙を流した。」という一文があって、いきなりすげえ比喩だな、と思った。
伊坂は、本アンソロについて、基本的に明るめの作品を集めるようにしたけれど、大江作品だけは例外である旨述べており、また「大江健三郎はヤバい」とも述べている(「ヤバい」は今ではかなり多義的な意味で使われるが、その全ての意味でヤバいのだ、とも)。

*1:ミステリ好きな友人がいたりとか

*2:小松帯刀のことかと思ったら架空の人物のようだった