大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』

1986年、大江が51歳の時に書かれた作品。祖母から聞いた谷間の村の神話・歴史が語られる。
本作は、『同時代ゲーム』(1979)をわかりやすく書き直した作品でもある。


大江健三郎全小説(8)』に『同時代ゲーム』とともに収録されている。
『全小説』は基本的に発表年順に並べているが、この巻だけ逆になっている。『M/T』を先に読んで、次に『同時代』を読むというのが、難解と言われる『同時代ゲーム』の「攻略法」として今ではオーソドックスになっているということのようである。
今年、大江作品をいくつかピックアップして読んでいくという計画を進めているのだが、その中で『同時代ゲーム』は読みたい作品の一つとして念頭にあって、それに対して『M/T』をどうするか(先に読む、後に読む、読まない)はわりと悩んだのだけど、最終的には『全小説』の掲載順に読むことにした(というわけで、引き続き『同時代ゲーム』を読む予定)。
ところで、大江の代表作というと色々あるだろうが、何故か自分は10代の頃から『同時代ゲーム』という作品名だけが、内容について全く知らなかったのだけど、強く印象づけられていた。それに対して『M/Tと森のフシギの物語』についてはつい最近まで作品名すら知らなかった作品である。実際、日本国内での知名度は相対的に低いのではないかと思う。しかし、一方で、ノーベル賞受賞時の参考作品となっていて、海外では最も読まれている大江作品らしい。



この作品は、大江本人ないし大江本人をモデルにしたと考えられる「僕」が語り手となっている。
話の内容のほとんどは、「僕」が祖母や村の老人から聞いた村の神話・歴史を、「僕」がまとめ直したものだが、「僕」自身がそれを祖母から聞いた際の思い出や、大きくなってから感じたことなどが交えて書かれている。
その上で、(ここで書かれている話は村の者なら誰でも知っているものだが)「僕」は祖母から村の話を記憶し、書く役割を特別に与えられたと感じていて、最終的にはこの点にフォーカスが当たっていく。具体的には、最終章で「僕」の息子である光(イーヨー)が出てくる。
息子との関係を描いた大江作品をほとんど読んでいないこともあって、この最終章をどのように捉えたらいいのかが分からなかった。これまで読んできた大江作品とも、受ける印象が違った。つまり、この作品では、主人公と光は、その特別性みたいなのが全肯定されるような終わり方なので。
これまで読んできた他の大江作品と、この主人公の感じが違うので、うーん?となっている。
以下、かなり雑なあらすじ

序章 M/T・生涯の地図の記号

タイトルになっているM/Tって一体何だというのがまず気になるが、これは序章で早々に説明がなされている。
主人公は村の歴史において、その中心にいつも男女一組がいたと考えていて、それをMatriarchTricksterと呼んでいる。Matriarchは女族長などと訳されたりもしている。ちょっとわかりにくいが、matriarchyとなると母権制となるので、母権制社会における女性リーダーというような感じだろう。
谷間の村は必ずしも母権制社会というわけではないが、歴史上、女性リーダーが時々出てくるのである。
なお、タイトルにある「森のフシギ」の方は、最終章で出てくる。

第一章 「壊す人」

谷間の村の創建時の話で、江戸時代の話なのだが、完全に神話めいている。
元々、藩の武家の若者たちで、城下町で遊び暮らしていた無法者たちが追放されて、海賊の娘たちと逃走して、船で川を遡上して山奥へ逃れる。
このとき、彼らのリーダーとして次第に頭角を現したのが「壊す人」であった。また、オーバーという女性が彼の妻となる。
「壊す人」は、大悪臭に満たされていた谷間を塞いでいた大岩塊を持参していた火薬で爆破するのだが、その際に大火傷を負い、これをオーバーが軟膏によって治療する。それが「壊す人」にとってはある種の生まれ変わりの儀式のようになっていて、その後「壊す人」は巨人化していく。
この話が神話めいているのはそこで、「壊す人」だけでなく、創建メンバーはその後みな巨人化していくばかりか、みな、100歳以上の長寿となっていくのである。
「壊す人」は、のちに単独行動を好むようになり、かつて大岩塊があった場所に、「大梁(やな)」を作り、漁場とするとともに、村の生活の痕跡が下流に流れていないようにした。また、薬草を育てる百草園を作った。
彼らは「死人の道」という石造りの巨大な道を村と森の境界に作るのだが、「僕」はこれを南米のジャングルにある巨大建築物と比較したりしている。ジャングルと書いているが、前後の記述的に、ナスカの地上絵は宇宙人へのメッセージだった説を念頭に置いているようである。
創健者たちの最期として、壊す人がいわば彼らに対しての罰として、「死人の道」建築の強制労働を課して、「死人の道」完成後に、この道を歩いて消えていったという。
また、壊す人の最期として、村人たちによる毒殺というエピソードも語られる。これは、シリメという、尻に眼があって半裸(というかほぼ全裸)で彷徨い歩いている男によってなされた。村の最上位に位置する「壊す人」を、村の最下位に位置するシリメが殺す、という絵図を村人たちが企図した。
百草園にあった毒草によって、シリメと「壊す人」はともに毒殺される。村人たちは「壊す人」を食べる。結果、ほとんど何も食べずに生きていられるようになった反面、ほとんど働かなくなる。そんな生活を3年続けた後、「壊す人」が夢にでてきて、再び働き始めるようになる。

第二章 オシコメ、「復古運動」

「壊す人」や創建メンバーの最期については、いくつかのパターンがあるのだが、第二章は、彼らの最期について、第一章とは異なる話が語られる。
こちらでは、オシコメ(大醜女)という女性がリーダーとして振る舞う。
オシコメはまた、壊す人の最後の妻とされていて、また、やはり巨人化していた。
ある時から、谷間の村に大怪音という不快な音が発生する。これは聴く者に耐えられない苦痛をもたらすのだが、不思議なことに、人と場所によって不快ではない場所がある。ある者にとっては音が不快である場所は、他の者にとって不快にならない、と。
そしてこのことが、谷間の村で「住みかえ」を生じさせる。この頃、谷間の村の者たちは、創健者とその子、孫、曾孫といった大家族ごとに暮らしていた。しかし、大怪音の不快は、同じ家族の者であっても異なっていて、同じ家族でも、不快でなくなる場所が異なっていた。不快でない場所に家族の一部が引っ越す、ということが行われる。
この引っ越しを村の者たちに促し、時には強いていったのが「若い衆」と子どもたちなのだが、彼らをさらに背後で指揮していたのがオシコメであった。
オシコメがMにあたるわけだが、「若い衆」たちがTだったとされる。オシコメと若い衆たちのあいだでは「たわけにたわけた」関係があったとされる。
その後、オシコメは「復古運動」を指揮し、創建時代への回帰を掲げる。村の者たちは、老若男女の区別なく半裸で労働することになる(村に残っている地獄絵はこの時の様子)。
既に年老いていた創建メンバーは、この労働に耐えられず弱体化して、亡くなっていく。
このとき、創健者たちは、自分たちが藩の城下町にとどまったままだった時の生涯を夢に見るようになり、最終的に、夢と現実とが入れ替わり消えていったとされる。
「復古運動」は最終的に、家々を燃やすという暴挙にいたり(これも創建時代に家ではなく穴居生活をしていたことに倣うためだった)、さらに村を水没させる提案をしたオシコメは支持を失い、投獄されることになる。
ただしこの顛末自体、オシコメ自身が考えたことなのではないかと、「僕」は解釈している。

第三章 「自由時代」の終わり

谷間の村は、一種の隠れ里であり、藩の支配を受けていなかった。「壊す人」がもっとも気を遣ったのも、村での生活の痕跡が下流に流れていかないようにすることであった。
第三章は幕末が舞台で、しかし、村の存在が藩に把握された時代が描かれている。逆に、そこから翻って藩の支配を受けていなかった頃を「自由時代」と称している。
いわば幕藩体制から独立していたわけだが、その中で、言葉すらも独自のものを作ろうとする試みがあったとされる。

ここでは、亀井銘助、亀井銘助の母、亀井銘助が亡くなった後に母が産み直した童子が主要な役割を果たす。
幕末から明治期にかけて、谷間の村は良質な蝋を輸出して稼いでいる。
塩の道と呼ばれて、四国山脈を登る形で外部と通じていた。完全に閉鎖していたわけではなく、また逆に言うと、外部からもある程度は知られていたことを意味する。
商人が芸人たちを連れてきて問題になったというエピソードも書かれている。村の若者たちが女芸人たちと山を下りようとしたのである。その後、女芸人たちを買い取って村におくことで解決している。それだけ、村の存在を外へ漏らさないようにしていた。
幕末にいたり、しかし、それ以外の者たちが村に訪れるようになる。
脱藩した志士たちであり、京都へ向かう途中の中継地点として使われるようになった。これに対して村もある程度支援するようになる。
その際、外部との交渉役となったのが、まだ10代の亀井銘助であった。
このときのつながりは、明治維新後の蝋取引に活かされる。
しかし、外部から村への来訪者はそれだけではなかった。
川を遡る形で、一揆を起こし逃散した村人たちがやってきた。これを藩の役人たちが追ってきたのだが、亀井銘助が調停する。
亀井銘助は藩とのトラブルを防いだ代わりに、村の存在が藩に把握される要因ともなった。
藩からは原島リスケという者が村にやってきて、銘助と相互に交流することになり、これが後に藩の蒸気船購入へと繋がったが、結果として、原島切腹となる。
高い人頭税が課せられることになり、第二の一揆を起こすことになる。

亀井銘助は、藩との交渉事を若い頃から担当するようになって、一揆の指導者になったりしている。その一揆も、誰もお咎めなしでおさめさせるのだが、本人は一人京都へと逃れる。銘助は、藩に対して露顕状という、ある種の泣き言を書いた書状を送るとともに、京都では、谷間の村は本来天皇家の直轄地だったのだ、ということを主張して、摂家の家臣に収まる。
しかし、その後戻ってきて捕まり、獄死することになるのだが、その際、母親が「また産み直してやる」と言っていて、実際、直後に童子を生んでいる。
で、明治維新後の「血税」へ反対する血税一揆の際に、童子が亀井銘助の声を聞き、それを母親が伝えるという形で、一揆の指導を行っている。
なお、主人公の祖母は、子どもの頃に亀井銘助の母を直接見ている。
本作では藩としか書かれていないが、調べてみたら、大洲藩という藩らしい。愛媛県は江戸時代に8つの藩に分かれていたというの知らなかった。
亀井銘助が手を回して、五代友厚経由で蒸気船を買ったというエピソードが出てくるのだが、大洲藩Wikipediaを見ていたら、確かに大洲藩はいろは丸の所有者だった旨が書かれていた。

第四章 五十日戦争

この章が一番面白い。
第四章は第二次大戦中の話で、村と大日本帝国との間で密かに行われた「戦争」について。
これは、祖母から直接聞いた話ではなく、むしろ祖母が語ろうとしなかった話なのだが、祖母を含めて村の大人たちが時々漏らす断片を、主人公が再構成したということになっている。
亀井銘助の母は明治維新の際、村人2人につき1人分で戸籍を届け出るという「二重戸籍のカラクリ」という奇策を弄していて、これによって、村は徴税負担も兵役も2分の1ですませていた。大逆事件が起きた際、老年の亀井銘助母は、これに衝撃を受けるのだが、「二重戸籍のカラクリ」が天皇への反逆と見なされるのではないかと懸念したのだった。
戦中、帝国陸軍が村に調査することになり、「壊す人」が村の人たちの夢に現れ、戦いを指示したのだった。
陸軍の第一陣を鉄砲水で撃破したのち、やってきた第二陣が、たまたま「木から降りん人」(村ではなく村の周囲の森で生活していた男)を殺したことで、村人たちも奮い立つ。大日本帝国と村との間で戦争が行われる。山中に即席の武器工場を作ってのゲリラ戦。
やはり「壊す人」の夢の指示による金ドル投棄の取引で資金でブルドーザーを買っていたり、これでかつて「壊す人」が爆破した大岩塊のあった場所をせき止めて、これにより第一陣を攻撃する。
谷間が水没したので、谷間の者も「在」の者も、一時的に森へと生活の場を移して、やってきた陸軍の部隊に対してゲリラ攻撃を行うようになる。ブルドーザーだけでなく模造銃も購入しており、森の中に建てた即席の武器工場で本当の兵器へと改造していた。
この戦争で戦死した村人の幽霊が出てくるシーンがあったりする。
最終的に、隊長の大尉が森を焼く作戦を決行しようとしたため、村側はやむなく降伏を選び、大尉によって「二重戸籍のカラクリ」は暴かれる。大尉は、相手方の指揮官(つまり「壊す人」)を高く評価していて、誰がそうだったのか調べようとしたが、正体を明かしてくれなかったことに悲観し、首をくくる。

最終章 「森のフシギ」の音楽

何故「僕」は祖母から語り伝える役目を背負うことになったのか。
「僕」は子供の頃に頭を怪我していて、そこで頭に傷を負っているのだが、これが亀井銘助の傷と同様だから、というだけでなく、さらにその前に、神隠しに遭っている
イーヨーが生まれたとき、僕の母は、自分のところに引き取ってイーヨーを育てるつもりだった。が、それを知った僕は、それ以来帰省しないようにしていたが、イーヨー=光が20歳になって、久しぶりに帰省する。
母と光の間の交流が生まれる。
「森のフシギ」というのは、森の中にいる謎の存在で、形は不定形だが、おそらく人語を理解する何かで、地球外生命体ではないかともされている。
アポ爺とペリ爺と子どもたちで探索したこともある。アポ爺とペリ爺というのは、戦中に東京から疎開してきた天体力学を専門とする双子で、名前の由来はアポジー・ペリジー(遠地点・近地点)で、実際の年齢は当時30代くらい。
母は、病床の中で、人々の魂はもともと森のフシギの中で一体だったのであって、それがしばし個別化しているのだ、ということを語る。
そして、光は「kowasuhito」という曲を作曲する。その曲は、森のフシギが発する音と通じていた。