藤野可織『いやしい鳥』

デビュー作「いやしい鳥」を含む3篇を収録した作品集
鳥、恐竜、胡蝶蘭がそれぞれ登場し、少し奇妙な世界を展開する。


藤野作品は以前から雑誌やアンソロジーで少しずつ読んでいたが、最近ふと、もう少しちゃんと読もうかと思い立ち、藤野可織『おはなしして子ちゃん』 - logical cypher scape2を読んだ。
次に何を読もうかなと思った時に、この本を手に取った主な理由は、恐竜というキーワードが目に入ったからなのだが、『おはなしして子ちゃん』の次くらいに出版されていたので、順番的にもちょうどいいかという理由もあった。
ところが、実際に開いてみたら、デビュー作が収録されていてちょっと驚いた。実は、単行本としては2008年に刊行されており、著者初の単著だが、文庫化は遅れていたらしい。

いやしい鳥

主人公の「俺」視点で描かれる一人称のパート、その隣家の主婦の視点で描かれる三人称のパートが交互に展開する。
「俺」は大学や専門学校で非常勤講師をしているのだが、学生と飲み会をしたときにたまたまトリウチという男と居合わせる。同じ大学の学生らしいのだが「俺」とは面識がなく、しかし、帰宅時に泥酔したトリウチと鉢合わせてしまい、自宅につれてこざるをえなくなる。
そのトリウチが、「俺」の飼っているオカメインコのピッピをあろうことか食べてしまう
そして、さらにトリウチは次第に鳥の姿へと変身していく。
なかなか不気味でホラーっぽい話で、というのも「俺」が、その後「俺」の元を訪れた恋人に対してことの顛末を話すという体裁になっていて、状況を生々しく語っている感じになっているから。また、トリウチの異様にウザい感じも次第にむしろ不気味に感じられてくる。
また、トリウチは鳥の姿になっても、その大きさや性質などは人間のままで、主人公との間で攻防が繰り広げられることになる。
そして、隣家の夫婦は、自宅のまわりで不審な行動をとる主人公を訝しがるが、その家の中でまさか人が鳥になっているなんてことは想像すらしない(夫は近く夜逃げするのではないかと推理する)。
最後に、「俺」と連絡がとれなくなっていた恋人が訪れ、ここまでの「俺」一人称パートと三人称パートがつながって、「ピッピは死んだ。いや殺された。いや、殺した、俺が」という冒頭のセリフが再び現れ、構造としてはループして終わる。
ところで、「俺」の一人称パートは、語りかけているものなので、時々「きみ」という二人称が出てくるのだが、これも最後にループすることで、なるほど彼女のことだったのかと分かるのだけれど、「俺を洗って乾いた布巾で拭いてくれたのはきみだった。でもきみは俺だってことに気づかないで流しの下の戸を開けて、包丁差しにすとんと差して、ぱたんと戸を閉めてしまう。」というところは何だったのかがよく分からない。ここ、いつの間にか寝落ちて夢だと気づかずに夢を見ているシーンなのか?
作中で、鳥になったトリウチを見ているのは「俺」だけなので、本当に鳥になってしまったのかは不明といえば不明だが、鳥になった猫を主婦の方が目撃しているのが最後に少し出てくる。


読み終わったときに「これがデビュー作か」という驚きがちょっとあった。
いや正確に言うと「この作品でどこからデビューしたのか」という驚きかもしれない。
面白いし完成度も高いと思うけど、ジャンルが不定でつかみどころのない作品でもあるので(その点でこの作者らしさが発揮されているともいえるが)。
改めて確認してみると、2006年第103回文學界新人賞でデビューしていた。
で、続く第104回文學界新人賞をとっているのが円城塔の「オブ・ザ・ベースボール」だった。ちなみに当時の選考委員は、浅田彰川上弘美島田雅彦辻原登松浦寿輝だったよう。
また、『文學界』2008年7月号で、赤染晶子円城塔谷崎由依藤野可織の4人で座談会をやっていた。
『群像』『新潮』『文學界』7月号 - logical cypher scape2

溶けない

女子大生の主人公が、怪我をした上の部屋の住人(で同じ大学の学生)の入院先にお見舞いに行き、自分の子ども時代に起きた出来事を話し始める、というところから始まる。
子ども時代に母親が恐竜に食べられたという。
ここで出てくる恐竜は、ティラノサウルスとかトリケラトプスとかいった実在する種ではなく、黄色い目と岩のように黒い肌をして紫色の舌をもつ「恐竜」である。
買い物から買ってきた母親が再び家を出ていき、追いかけたところ、マンションのエントランスの先が洞穴になっていて、それが実は洞穴ではなく恐竜の口で、母親は食べられてしまった。
ところで、あとになってこの母親は登場する。母親は死んでおらず、翌日には家に帰ってきている。しかし、主人公は偽物の母親に変わってしまったのだと思っている(た)。
恐竜が再び現れて、上の部屋の住人を食べようとしていたので、主人公は昔のことを思い出したのだった。
この恐竜の話は、主人公の妄想なのか、何かの比喩・象徴なのかとも思われるのだが、はっきりとしない。主人公が自転車に乗っている時に、大家に腕を引っ張られるシーンがあるのだが、恐竜から大家が主人公を助けようとしての行動として描かれている(ただし、大家は恐竜ではなくコモドオオトカゲだという)。
この話の主眼はしかし、恐竜というよりも母と娘の関係についての物語である。
大学から一人暮らしを始めた娘の家へと訪れた母親は、タバコの跡を見つけて詰問する。一方、主人公の方は、恐竜の話をし始める。
主人公は、昔の話を思い出すにつれて、母親だけが食べられたのではなく自分も食べられて、しかし溶けてなくなってはいないと考えることで、母親と和解しようとする。むろんその話は母親には伝わらないので、互いに話があわない。
タイトルの「溶けない」は、母親は溶けないという意味で、母と娘の間に残るわだかまり(?)を示唆しているのかもしれない。
この話も、恐竜という要素が日常世界の中に挟まれる感じが、ジャンル不定な独特の感じをもたらしているのだが、母娘関係というテーマがわりとはっきりしているので、「いやしい鳥」よりも話の意味は分かりやすい。
ただ、母娘が結局決裂する話で、最後に「溶けたりしないくせに」と捨て台詞的なのを残して終わるのがざらっとする。
ところで、『戦後短篇小説再発見4 漂流する家族』 - logical cypher scape2をまた作るのであれば、収録してもよいのではないかとも思った。

胡蝶蘭

以前、日下三蔵・大森望編『超弦領域』 - logical cypher scape2で読んだことがあった。読んだことは覚えていたが、内容は忘れていた。
本書収録作の中では最も短い。
ちなみに、初出は同人誌のようだ。
主人公が通勤中に前を通る洋菓子店に置かれていた胡蝶蘭が、血でぐっしょりと濡れていて猫の首が落ちている。
店の者が捨てようとしていたので、譲り受ける主人公。
翌日、部屋の中には鳥の死体があり、胡蝶蘭に対して、お礼のつもりかもしれないがこういうのはいらない、と言って聞かせる。
主人公は、その店の者と恋人関係になり、胡蝶蘭も同居人としてうまくやっていく

解説

江國香織が巻末に解説を寄せているが、「おそろしい」「充足している」ということを述べている。
江國は「おそろしい」に複数の意味をのせているが、一番直接には内容が怖い、というのがある。上で「少し奇妙」と書いたが、怖いとか不気味とかいった形容もできるかと思う。また、藤野作品は、度々大森望編の年刊SF傑作選に収録されることがあるが、奇想SF枠扱いされているのかなと思う。
単純に、作中で起きている出来事が怖い・不気味、というのもあるが、主人公となる登場人物の感情やあり方も不気味だったり鬼気迫るものがあったりする。
また、江國が「充足している」という時にどういうことを意味しているのかはよく分からないところもあるが、こういう奇妙なことが起きる世界があるという手触りはすごくある。