石毛直道『麺の文化史』

普段こういう本、つまり文化人類学の本や食文化の本を読んでいないし、本を読むほどの興味関心を抱いている分野ではないのだが、しかし、日常生活において、料理や食文化についてちょっとした疑問を抱くことは度々あって、その都度、wikipediaを読んだりしていたのだが、そうしたなかで、偶々この本の存在を知ってちょっと開いてみることにした。
正直、結構読み飛ばしながら読んでしまった*1が、内容自体はとても面白かった。
学術書というよりは、紀行文というような要素も強い本になっている(一方で、参考文献として外国語論文とかもガンガン出てくるが)。


麺類というのは、わざわざ細くしないといけない食べ物なのに、何故洋の東西を問わずに広まっているのだろうか、というのが個人的なささやかな疑問としてあり、この本はまさに麺類の起源と伝播を扱っているということで、読んでみた。
意外にも(?)分からないことも相当多いということが分かったが、一方で、大雑把な見取り図のようなものは得られたし、ぼんやりと抱いていた考えが裏付けられる面と裏切られる面の両方があって面白かった。
また、麺類全般が好きではあるが、中央アジアやモンゴルの麺類などは全然知らなかったので、機会があれば食べてみたい気もした。

1 麺のふるさと中国
2 麺つくりの技術
3 日本の麺の歴史
4 朝鮮半島の麺
5 モンゴルの麺
6 シルクロードの麺
7 チベット文化圏の麺
8 東南アジアの麺
9 アジアの麺の歴史と伝播
10 イタリアのパスタ
11 ミッシング・リンクをさぐる
12 あらたな展開


目次を見れば一目瞭然のように、基本的にはアジア圏についての話をしている。
麺という言葉も若干厄介で、中国語の麺やイタリア語のパスタは、日本語の麺よりも指す範囲が広い(小麦粉で練って作ったものを指すので、細長くないものも指す)。
本書では、細長くしたものを煮たり焼いたりして主に主食として食べるもの、ということをとりあえず麺の定義としている。
麺の分類方法として、本書では製麺方法を採用している。手で伸ばして細長くする麺、広げたあとに包丁で細く切る麺、押し出し器によって作る麺というのが、大雑把な分類で、さらにその中でもう少し細かく分かれる。
小麦以外、例えばリョクトウで作る春雨とかは押し出し器で作るらしい(小麦と違って粘りけがないので)
また、これは冒頭の筆者のエピソードにも書かれているが、切るためには、まず広げるための平らな面が必要になり、これがある程度技術が発達していないのと用意できなくて、いつから作られ始めたのか、というのが一つの論点になるらしい。
6世紀に北魏で書かれた『斉民要術』という本があって、これは農業の本なのだが、当時のレシピとかも入っていて、ここに最古の麺類レシピがあるらしい(水引餅という)。
著者の知人である料理人とともにこのレシピを再現して作っていたりする(この料理人の方はその後も度々登場する)。
中央アジアウズベキスタンとかキルギスとか)や東南アジアに実際に行って現地の麺を食べまくって調査した時の話などが書かれている。
中央アジアは、元々牧畜民だが定住するようになった順で麺類も普及したらしい。羊肉やコリアンダーやスパイスやヨーグルトを入れて、スプーンを使って食べるらしい。
3~8章までアジア各地の麺類について書かれていて、9章がそれらのまとめとなっている。
起源や伝播を追うには文献も先行研究も少なくて、はっきりしたことはなかなか言えないようだが、アジア圏の麺については、やはり起源は中国であって、これが各地へ広がっていったようだ。西に関していうと、中央アジアまででさらに西までは伝わっていない、と。
日本とかは麺が伝わってきたのが早いのだけど、しかし、中央アジアとか東南アジアとかは、広まったのはおそらく清の時代くらいではないかということで、結構遅い、と。
麺類はやはり作るのがそれなりに面倒な食べ物なので、ということらしい。
さて、ではイタリアのパスタはどうなのか、という話になる。
筆者らはイタリアへと研究の旅へ向かう。
イタリアでもパスタの歴史研究はあまりされていないらしく、これまた起源や伝播を追うのはかなり困難らしい。
さらに、例えばニョッキのことをかつてマカロニと呼んでいた地域があるらしく、今では別物を同じ名前で呼んでいたり、同じものを別の名前で呼んでいたりということがあって、さらに歴史研究を困難にしている、と。
で、マルコ・ポーロが中国の麺をイタリアへ伝えたという俗説があるらしい。
筆者はこの説自体は切って捨てている。というのも、食文化というのは持続的な交流がないと伝達しえないので、1回だけの接触で伝わることはありえないだろう、と。
しかし、一方で中国から伝わった可能性自体は否定していない。というか、イタリアのパスタを色々分類したところ、イットリーヤというのが、アラブ由来らしく、アラブの文献にも同じ名前の食べ物が出てきている、と。さらに、ペルシアではこれがリシュタと呼ばれていた、と。
ペルシアまで来たとなると中央アジアまでつながってくる。
筆者は唐代に中国から中央アジア・ペルシアへと伝播し、アラブ、ヨーロッパまで徐々に伝わっていったのではないか、という仮説をたてている。
ただ、既に述べた通り、現在のアラブ圏では麺食がされていないわけで、ここが難しいところである。筆者は、西アジアは手づかみでものを食べるので麺は向いておらず、シャリーヤやクスクスにとってかわられたのではないか、という説明を一応している。

*1:最近図書館でわりと本を借りていて、貸出期限を気にしながら複数の本を読んでいるので……