『ザ・クリエイター/創造者』

ロボットと人類が共存する東南アジアを舞台とし、反ロボットを掲げるアメリカによる特殊部隊潜入作戦をベースに、戦争の行方と親子・夫婦の愛を巡る物語を描くSFスリラー映画。詳しくは後で書くが、どっちかというと巨大建造物フェチ映画ではある。


ゴジラ』や『ローグ・ワン』のギャレス・エドワーズ監督作品。
『ゴジラ』 - logical cypher scape2は見ているが、『ローグ・ワン』は見ていない。
音楽は、『インターステラ−』 - logical cypher scape2『ブレードランナー2049』 - logical cypher scape2『DUNE/デューン 砂の惑星』 - logical cypher scape2などのハンス・ジマー。ここでは、自分が見たことある近作だけ挙げたが、代表作はもっとたくさんある人である。ただ、ブレランやDUNEとも通じる、重低音サウンドは本作でも印象的である。しかし、ブレランやDUNEと違って、よりメロディアスな楽曲も使われているし、東南アジアが舞台なのでアジア風の音色も結構使われている。


“ザ・クリエイター/創造者” - three million cheers.『ザ・クリエイター/創造者』はギャレス・エドワース監督の壮大な自主製作映画だった - メモリの藻屑、記憶領域のゴミで存在を知り、たまたま映画館に行ける日程があったので、映画館で見た。映画館行くの2年半ぶりくらいだと思う。
見終わった後に、この2つの記事を読み直したのだが、LJUさんの感想の方(上の方)が自分の感想に近かった。

後半で出る山岳地帯の寺院などは、ひとつの絵として、いまある数多の漫画やアニメを含めたなかで見てもトップクラスだと感じた。

自分も、あの寺院のビジュアルは特に優れていると感じた。

ストーリー自体はシンプルだけど、それでいて「天国」だとか「オン/オフ」だとかのキーワードの扱い方がそれぞれ構成的に整理されてるし、死の直後の脳をスキャンするというイーガン作品にも出てくるような装置と寄付された分身のシミュラントというものを伏線にして最後のシーンにつながる──という組み立て方もよくできている。

このあたりも同様で、ストーリー自体には後述するように思うところがないわけではないが、伏線などはよく整理されて分かりやすかった。



冒頭にニュースフィルムシーンがあって、この世界が、我々の世界とは異なる歴史を辿った世界だということが示される。20世紀を通じてヒューマノイド技術が発展した世界になっている。
(作中では、AIという言い方でほぼ統一されており、またヒューマノイドについてはシュミラントという言葉が使われているが、本記事では分かりやすさのために、基本的に「ロボット」と呼ぶことにする)
しかし、2075年にロサンゼルスで核爆発が起きたことをきっかけに、反AIに舵を切ったアメリカと親AIのニューアジアの間で戦争状態が続くことになる。
ニューアジア(東アジア、東南アジア、南アジアあたりの連合国家っぽいが、作中ではタイ、インドネシア、ネパールあたりっぽい場所が出てくる)では、ニルマータ(創造者の意味)と呼ばれるロボット制作者が英雄視されており、アメリカ側はニルマータを暗殺しようとしている。
主人公のジョシュアは、ニルマータを探すために潜入捜査をしていた軍人だが、杜撰な突入作戦によって、インフォーマントであり最愛の妻でもあったマヤを失ってしまう。
5年後、ジョシュアは軍を離れて、ロサンゼルスのグラウンド・ゼロで廃ロボット回収をしているが、ニューアジアが秘密兵器を開発していることを突き止めた米軍が、潜入作戦の一員として、ジョシュアに白羽の矢を立てる。マヤが死んでいなかったと知らされて、ジョシュアは参加を決める。
見つけ出した秘密兵器は実は子どもの姿をしたロボット。このロボット(後にジョシュアはアルフィーと名付ける)が、マヤの行方を知っているらしいと気付いたジョシュアは、アルフィーを連れ出す。ニューアジアの警察と、アメリカの特殊部隊に追われながら、かつて潜入捜査していた際の仲間の協力を借りながら、マヤがいるという寺院を目指す。


アメリカ側には、NOMADノマド)という軌道兵器があって、これが高精度爆撃を可能にしているという設定。
字幕では「ノマド」とカタカナ表記だったので、後半でロゴが出てくるまで気付くのが遅れたが、NORADをもじったネーミングだと思う。なお、ニューアジアでは「遊牧民」と漢字表記されていたりする。
ノマドにマヤで、個人的には『EDEN』を思い出すが、まあどちらもよくあるネーミングなので、関係はないか)
ニューアジアの秘密兵器は、NOMADによるアメリカの戦略的優位を崩す可能性があるので、アメリカはこれを破壊しようとするという設定で、実際、アルフィーはあらゆる電子機器に干渉することができる謎能力を持っている。
ところで、このノマドが正直めちゃくちゃ謎で、宇宙高度にいるような描写があるかと思えば、かなり低空を飛んでいるような描写もあり、ローカルに一地点を空爆しているようでもあり、複数地域を一挙に空爆できるようでもあり、どういう挙動をする兵器なのかがよく分からない。さらにいうと内部は宇宙ステーションのようになっていて、宇宙農園と研究施設も兼ねているという謎っぷりである。
あれ一機で制空権確保できるものか、というのも謎だし。


それはそれとして、本作は、巨大建造物フェチ映画であった。
上述のノマドも、あれだけの巨大建造物が宙に浮いていて、あのスキャナーで襲ってくるというビジュアルの面白さはある。最後、落下して廃墟になるのも趣がある(ほとんど形保ったまま落ちてきてるし、やっぱかなり高度低いな、という感じがしたが)。
東南アジアの田園風景だったり、海岸地帯だったりに、巨大建造物が何気なく配置されていたりする。居住施設のようなものだったり、プラントのようなものだったりが置いてあって、とにかくその巨大さに圧倒される。
その延長に、冒頭にもあげた寺院がある。件の寺院は、全然巨大ではないのだが、ネパール仏教的な宗教建築と、ここまで出てきた巨大プラントとかの建築とが合流すると、ああいうデザインが生まれるかもな、という感じの建造物になっていて、ビジュアルのよさが際立っていた。


ロボットや自動車、航空機のデザインについては、そこまで斬新さはなかったが、悪くはなかったなあという印象。
ロボットは、顔面が人間を模したヒューマノイドタイプと、異形頭タイプがあり、それらが共存している。
顔面が人間を模したタイプは、人間が自分の顔面などを寄付しているらしく、同じ顔の奴がたくさんいる。何故か頭部が中空になっていて、それで人間と区別をつけているのだろう。あの中空のところを使って機能を調べていたりしたので、(我々にとっては)未知のテクノロジーが使われているのかもしれない。映像体験的には、普通の人間かなと思っていたら、横を向いたときに頭に穴があいていてギョッとする、という趣向。なお、渡辺謙もこのタイプのロボットの役だった。
異形頭タイプの方がデザイン的には好き。ニューアジアは、ヒューマノイドタイプ、異形頭タイプ、そして普通の人間が入り交じって暮らしている世界。登場比率的には、普通の人間が一番少なそうだったが、実際の人口比率はよく分からない。異形頭タイプは、警察の実力部隊などにいて、肉体労働用なのかなと思ったら、僧侶にもいたりして、色々な社会階層に混ざり込んでいて、本当に人間とロボットが共存している社会なのだなと分かる。逆に、農作業とかは老人姿のヒューマノイドタイプがやってたりするし。
ロボットの葬儀シーンがあるのは、アメリカで廃品工場でバリバリ破壊処理されているシーンとの対比だろう。


世界観として、ロボットと敵対するアメリカ、ロボットと共存するアジアという二項対立的な図式がある。
これについては、最近東洋的AIの可能性 | 【公式】攻殻機動隊グローバルサイトを読んでいたので、西洋的AIの価値観と東洋的AIの価値観の対立をなぞっているなあと感じた。
個人的にはこの、AIに対する価値観を洋の東西で区別することに懐疑的ではあるのだが、まあ2つの考え方があるよね、という意味ではこういう図式はありうるだろう。
人間社会に溶け込むロボット、というのを描いているのはよかったと思う。
上述した感想記事で、ロボットSFである意味がない、という批判がされていて、それはまあ確かにそうではある。ロボットを超能力者(やら異民族やら)に置き換えても完全に話は成り立つ。
その一方で、ロボットが完全に人間扱いというか、同じ社会の一員として扱われているのだなあという感じもある。葬儀に関していうと、ロボットが本当に不死かそれに近い存在かというと微妙で、身近な工業製品を思い浮かべてみるとそれらの寿命は実際大したことないし、例えばAIBOはロボットも死にうることを我々に知らしめた事例だったと思うし、ありうる話だと思う。
本作では、犬や猿が戦闘に参加するシーンがあるのだが、ロボットに対する「東洋的な価値観」の延長線上にあるような気もする(ないような気もする)。


物語の舞台は、ほぼほぼ東南アジアなのだが、何故か謎の日本語リスペクトがあって、やたらと日本語が出てくる。
物語世界内だけでなく、字幕スーパーにも日本語が使われている。例えば、「Los Angels」と作中の地名が出てくる際に、カタカナ表記も一緒に出てくる。日本語字幕版で見ると、翻訳字幕も出てくるので、日本語字幕が2種類映っているという状態になっていた。
最後のスタッフロールも、英語とカタカナが併記されていた(渡辺謙もカタカナなのかなーと思ったら漢字だった)。
また、本作は、The Creator/創造者、The Child/子、The Friend/友、The Mother/母という4つの章に分けられていて、画面が真っ白になって章タイトルがばばーんと映し出されるのだが、この漢字部分が何故か勘亭流フォントで併記されていたりする。
物語世界内でも日本語がかなり使われていて、ニューアジア製品のナビゲーション画面には大体漢字が出てくる。また、アルフィーのいた秘密基地内には、図案化された「核」の文字が随所にあった。
渡辺謙は何故か日本語と英語のちゃんぽんで話す。他の異形頭が、英語とアジア系のどこかの言語とちゃんぽんで話していた気がするけど。
ブレードランナー』のわかもとオマージュで、龍角散ダイレクトとか。
オマージュというと、ジョシュアがプールから頭をにゅっと出すのが、もろに『地獄の黙示録』だった。


物語の舞台というと、アメリカ側はロサンゼルスしか出てこない、というのが興味深かった(ロサンゼルスが舞台であること自体は、これもブレランオマージュか?)。
ロサンゼルスが、この世界においてどのような位置づけなのかは明示されていないのだけど、少なくともノマドを運営する軍司令部はロサンゼルスにあるようである。
また、核爆発後、軍司令官みたいな人がニューアジアとの戦争を宣言する議場みたいなのもロサンゼルスにある。
ロサンゼルスは一方で、核爆発によって破壊された地区がそのまま残されているが、他方で、そうしたかなり重要度の高い司令部や宇宙港もある中心的な都市としての描かれ方もされている。
現実にロサンゼルスが大都市なのには違いないが、経済的・文化的な重要性のイメージはあっても、あまり政治的な役割を担っているイメージがなく、パラレルワールド感を醸し出す要素になっているのかな、とかも思った。西海岸でニューアジア側と直接面する都市だしな。


ストーリーとしては、潜入捜査先のインフォーマントと偽装結婚したけど、本当に愛してしまっていた悲劇、というある意味ではベタな物語で、さらに親子愛のベタな物語にもなっている。
(中盤で登場する、ドリューというかつての同僚もまた、現地協力者であるロボットとそういう関係になっていることが示唆されている)
途中で分かってくるのだが、ジョシュアとアルフィーは親子の関係にある。
設定上は、マヤがジョシュアとの間に生まれるはずの子どものデータを元に開発したロボット、ということになっている。
ただ、この設定が物語上で開示される前から、ジョシュアとアルフィーの描かれ方を見れば、その意味はほとんど明らかである(というか、仮にその設定がなかったとしても、ジョシュアからすれば「もしあの子が生まれていたら」と想像させるに十分な存在になっている)。
ほとんど喋らず謎の超能力を発揮する不気味な存在としてのアルフィーが、次第に「普通の子ども」に見えてくる。それは、視聴者にとっても、ジョシュアにとってもである。
このジョシュアとアルフィーの描き方は、なかなかうまく言語化できないし、具体的にどのシーンともいえないのだが、なかなかグッとくるものがあった。
ジョシュアがアルフィーに対して色々言葉や概念を教えようとしたり、マヤを見つけ出すためになだめすかして情報を聞き出そうとしたり、子育て感があるんだと思う。
「オン/オフ/スタンバイ」の話は、最初はジョシュアがアルフィーに対して適当に言い始めたことだけど、それが次第に意味を持って、最後、アルフィーを助けるための伏線になっていくのはなかなか見事だと思う。無論、アルフィーがスタンバイになっているのは、視聴者からすればバレバレではあるのだけど、ジョシュアとアルフィーの間の信頼関係が構築されていったことをうまく提示していたと思う。
ジョシュアとアルフィーは、スペースプレーンをハイジャックしてノマド破壊作戦を決行する(宇宙港やスペースプレーンについても斬新なデザインではないが、個人的には現実の空港や飛行機の延長にあってわりと好きだった)わけだが、脱出ポッドのあれこれで、ジョシュアはアルフィーだけを脱出させる。
この自己犠牲エンドは、正直いうと好きではない。この作品に限らず、こういう自己犠牲ネタは、生理的にはなんかグッときてしまうのだが、理性的には受け付けなくて、いつも見ていて葛藤がある。
それから、アルフィーノマド内でマヤと同じ姿のロボットを見つけ出して、一緒に脱出しようとするシーンがある。
このあたりもなんかかなり「母子」の強調があって、すんなりとは呑み込みにくいところがあった。母とロボットの物語というと、キューブリックスピルバーグの『A.I.』が思い浮かんだ。ちゃんと覚えてないけど、あれもなかなかヤベー話だな感があった気がする。
つまり、親子愛とかを泣ける物語にしちゃうと、ステレオタイプ化しちゃってなんかね、ということである。
(ところで、母と子の話というと、特殊部隊の隊長が女性士官なのだが、VTOL機上で突入前のブリーフィングを終えた後、ジョシュアに対して、自分の子どもがヒューマノイドに裏切られて殺された話をし始める。ジョシュアはLA核爆発で家族を亡くしており、ともにロボットに家族を殺された者同士、ロボットへ復讐してやろうという意味合いでした話だと思われる。しかし、ジョシュアは「なんで俺にそんな話するの」という表情をしている。家族の死を戦争の正当化に用いる物語化にジョシュアは抵抗しているのかもしれない。そもそも、ジョシュアとマヤの関係のことを考えると、彼女が持ち出した話はデリカシーに欠けるというのが大きいと思うが)
しかし、最後のアルフィーの表情は、あの子役がかなり難しい演技をやったなという気がする。ノマドが落ちたところに微笑を浮かべているシーンで、何の表情かというと最終的には「笑い」に分類される表情だとは思うが、状況的に単純に笑っているとはいえないし、あの表情に至るまでの彼女の顔の動きやあのシーンにかけている時間を考えると、複雑な感情がのっているし、多様な解釈を誘う表情だったと思う(個人的には、もともと彼女がもっていた「不気味さ」という要素が部分的に回帰しているようにも思えた)。