岡田美智男『〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション』

ロボットを通じたコミュニケーションの研究についての本。ジャンルとしては、認知ロボティクスか。タイトルにある「弱いロボット」は、筆者の研究におけるコンセプトの一つ*1。ここでいう「弱い」というのは、不完結性・不完全さを指す。単体として完結しないことによって、環境や人との相互作用が発生する。


以前、『現代思想2017年3月臨時増刊号 総特集=知のトップランナー50人の美しいセオリー』 - logical cypher scapeを読んだときに、「岡田美智男 モジモジ感から醸し出される〈内的説得力〉」という記事があって、ちょっと気にかかっていたので、手に取った。


理論的な本、というよりは、筆者が自分のこれまでの研究について振り返りながら、考えてきたことを述べていくスタイルの本で、エッセイ的なテイストもある。


エスノメソドロジーへの言及がちらっとあったりする。ロボットの本でエスノメソドロジー?! と驚いた。
明示的な言及箇所は1箇所だし、自分もエスノメソドロジーについて全然知らないので、この本で書かれていることにどれくらいエスノメソドロジーの影響があるのかは分からないのだが、ロボット工学の本、というよりは、社会学や心理学なども含めたコミュニケーション研究と関わるような内容、という感じがする。
筆者はもともとNTTで、音声認識やコミュニケーションの研究をしており、その後、コミュニケーション研究のためにロボット研究が必要だと考えロボットを作り始め、現在は豊橋技科大に所属している。


冒頭、お掃除ロボットの話から始まるが、この話が本全体のベースともいえる。
掃除ロボットは、とりあえず走り出す。壁や家具にぶつかってその度向きを変えながら、部屋を掃除していく。その様子を見ていると、人は手伝いたくなる。コードがあると絡まって動けなくなってしまう、という「弱い」ところがお掃除ロボットにはあるが、それを見て、人はコードが絡まらないように
片付ける。お掃除ロボットに対して、そのようなお手伝いをしているうちに、部屋はいつの間にか片付いている。
果たして、部屋を片付けたのは、ロボットなのか、人なのか。
ロボットと人の相互作用が、部屋の掃除・片付けを果たしたのだ、と筆者は考える。
そして、その相互作用を生み出したのは、例えばコードに絡まりやすいなどの「弱点」なのだ、と。
技術開発というのは、えてしてそうした「弱点」の克服という方向に向かいやすい。
対して筆者は、あえてそうした「弱点」のあるロボットを作って、どのような相互作用が生まれるか、というのを見ている

第1章 気ままなお掃除ロボット〈ルンル〉
第2章 ロボットと〈環境〉の出会い
第3章 自らの視点から描いた自画像
第4章 〈ことば〉を繰り出してみる
第5章 小さなドキドキを重ねながら
第6章 〈引き算〉から生まれるもの
第7章 〈弱いロボット〉の誕生
第8章 〈対峙しあう関係〉から〈並ぶ関係〉へ

第1章 気ままなお掃除ロボット〈ルンル〉

掃除ロボットと人との関わり
ハーバート・サイモンが挙げた蟻のエピソードをもとに、環境との相互作用について

第2章 ロボットと〈環境〉の出会い

筆者が渡米した際のエピソードから、SRIで作られたロボット、フレーキーやシェイキーについて
ここで言語行為論が出てきて驚いた。
フレーキーは、言語行為論のロボット工学的応用だったらしい
発話も行為であるならば、ロボットに実装できるのでは、と
これは「プラン認識」という設計思想


こうした「プラン認識」的な考え方に対して、しかし、反するような考え方が出てくる。

サッチマンは、コピー機と利用者とのやりとりのかみあわなさを研究
ブルックスは言わずもがな

第3章 自らの視点から描いた自画像

学生に自画像を描かせるWSと、マッハの自画像についての話から、自己というのは内部で完結しているのではなく、オープンシステムとしての自己になっていると話をつなげ、アーリック・ナイサー「生態学的な自己」*2「対人的な自己」という概念を挙げている
というような話を交えながら、筆者が開発した「アイ・ボーンズ」というロボットと、「目玉ジャクシ」というAIプログラムについて紹介されている。
アイ・ボーンズは、カメラを使ってロボットからの視点を見ながら操縦できる。子どもたちの中にアイ・ボーンズをおいて、ロボットの目から子どもたちを見る。すると、自分=アイーボーンズが自分からどう見られているのか、という感覚が生まれてくる。
目玉ジャクシは、ボールを蹴り合うプログラム。自分が蹴りたいという欲求を持っている。何体もの目玉ジャクシを動かすと、他の目玉ジャクシの近くにいると、他の目玉ジャクシが蹴ったボールを自分も蹴れるということに気付くようになる。そうすると、自分が蹴りたいという欲求から他の個体から離れる、という動きと、他の個体からボールをもらえるということか他の個体に近づく、という動きの両方が生まれる。
他との関係・作用で、どのように動くかが決まってくる(サイモンの蟻やお掃除ロボットのように)

第4章 〈ことば〉を繰り出してみる

フォン・ケンペレンの機械式音声合成器(1780年頃)の話から、音声合成についての話が少し
筆者はもともとそっちの研究者だけど、例えば、自動販売機が「アリガトウゴザイマス」と言っても、なんか会話っぽくならない、というのが気にかかっていた。
オープンシステムとしての発話生成系、とかバフチンの「内的対話性」とかの話も出てくる
アイ・ボーンズの次に作られた、トーキング・アリーというロボット
相手の視線の動きに合わせて目を動かす、ということができると、対話っぽくできるのではないか
当時、視線トラッキング装置はとても高く、また固定が必要だったので、トーキング・アリーはアイ・ボーンズのように動き回ったりする機能はなし。片目だけのロボット。
ニュースサイトから拾った文章を「あのね、えっとね」とつっかえながら読み上げつつ、聞いている人の視線を見て、こちらに注意を向けているかを確認する。「えっとね、えっとね」と言って、相手の注意をひくように話す。
「えっとね」などは、言語学や会話分析などで、フィラーとかターン開始要素と呼ばれるもの
状況に埋められた行為としての会話

第5章 小さなドキドキを重ねながら

AIBOの動歩行の話から「地面」、「投機的な振る舞い」「行為の意味の不定さ」について

第6章 〈引き算〉から生まれるもの

進化的アルゴリズムの話から、筆者らが作ったトーキング・アイというプログラム
会話っぽいやりとりを行う。
しかし、その後『ピングー』における、意味のない音なのにちゃんと会話として理解できる、というのを見て、「む〜」というロボットを作る
ぴょこぴょこ動きながら「むむ〜」「む〜」とだけ話すロボット
展示会などに持っていくと、工学的には特に新しい機能とかないので、とても浮いていたらしいが、子どもとかがくると会話してくれる。
「む〜」は、それ単体だと何もできなくて一体どういうロボットか分からないが、会話してくれる人がいると、どういうものなのかが少し分かる

第7章 〈弱いロボット〉の誕生

筆者の研究室で作ったごみ箱ロボットについて
機能を付け加える、弱点を克服するという「足し算」ではなく、むしろ「引き算」で作られたロボット
動くゴミ箱、というロボットなのだが、ゴミを拾い集める能力は持っていない。
ゴミの近くまでよたよたと移動していく。そして、周りにいる誰か他の人に拾ってもらう。拾ってもらったら、お辞儀のような動きをする。
周りの人に協力してもらって、掃除をするロボット
これを、筆者は「関係論的ロボット」あるいは「弱いロボット」と呼ぶようになる

第8章 〈対峙しあう関係〉から〈並ぶ関係〉へ

ゲイズ・オルタネーション、社会的参照
共同想起対話、という、2人で同じ映像を見てその内容を思い出しながら話す、という心理学の実験
筆者の研究室で作った「マコのて」という、一緒に散歩するだけのロボット
同じく「Social Dining Table」というロボット。机をコンコンと叩くとお皿がやってきたりする。「コンコン」がどういう意味の命令であるかは最初は決められていない。

*1:元々「関係論的ロボット」という呼び方をしていたが、後に「弱いロボット」という呼称を提案されたらしい

*2:ここでいう「生態学的」は、おそらく『理性の起源』で出てきた「生態学的」と通じていると思う、あと、これ 生態学的妥当性を軽く復習する - 蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学-