澁澤龍彦『高丘親王航海記』

澁澤龍彦の遺作にして代表作(唯一の長編らしい)。
高丘親王が天竺を目指す道中を描く作品だが、怪奇・幻想的な風景が、エキゾチックかつユーモラスな文体で綴られている。
元々、特に読もうと思っていたわけではなかったのだが、図書館で島尾敏雄作品を借りた際に、棚の近くにあったのでつい。
とはいえ、澁澤作品は青木淳編『建築文学傑作選』 - logical cypher scape2で「鳥と少女」を、『戦後短篇小説再発見10 表現の冒険』 - logical cypher scape2で「ダイダロス」を読み、いずれも面白かったので、本作に興味がないわけではなかった。
ページ数自体それほど長くないということもあるが、文体も読みやすく内容も面白いので、するすると読み進めることができた。
まあとにかく、様々に奇妙な動物やら国やらが出てきて、不思議なことが次々起こる物語でそれが面白いが、古今東西の文献を自在に引用していく技巧もすごい。9世紀後半の話だが、登場人物が突然コロンブスに言及したりもする。この時代にはないだろうカタカナ語なども遠慮なく使われているのだが、世界観は全く崩れていない。
また、虚実入り交じるだけでなく、登場人物の夢の中の話も度々入っており、一体どこからどこまでが作中で起きたことなのかも曖昧になっている部分もあったりする。

高丘親王やあらすじや澁澤龍彦について

おおむねWikipediaからの受け売りになるが、史実の高丘親王について
平城天皇*1の第三皇子。薬子の変に伴い廃太子されるが、関わった証拠がなく、後に復権した。
しかし、23才の時に出家し、空海のもとで修行する。
63才で唐へ渡った後、天竺へ向けて出発するが、その後消息を絶った。
歴史上の人物としては、おおよそこれくらいの感じらしいが、この天竺へ向けて出発した後の記録のない期間を描いたのが、本作ということになる。
本作では、広州を出発した後、今でいうところのベトナムカンボジアラオスミャンマー雲南などを巡った後、ベンガル湾からセイロン島を目指す途中、風に流されスマトラ島に漂着。マレー半島へ渡ったところで終わる。
というわけでナチュラルにネタバレしてしまったが、天竺を目指しつつも天竺には到達できなかった話ではある。なお、やはりWikipediaによれば、実際の高丘親王マレー半島あたりで亡くなったと伝えられているらしい。
66才ないし67才で亡くなったようだが、作中でも67才で亡くなっている。
ところで、澁澤自身はこれを遺作として59才で亡くなっている。病床で執筆していたらしいが、作中で高丘親王が自らの死を予期するところが描かれており、澁澤本人とどうしても重ね合わせたくなってしまう。ここはまあ『ハーモニー』と伊藤計劃本人をどれくらい重ね合わせるのかという問題(?)とも似ているかもしれない。


儒艮

広州から船で出発して、南シナ海を南下し、チャンパー当たりに上陸する話
親王には、安展と円覚という2人の僧侶が同道しているのだが、出発間際になって、逃亡奴隷である少年(のちの男装した少女だと分かる)が一行に加わり、親王により秋丸と名付けられる。
船旅の途中、儒艮(ジュゴン)に出会う。人間に似た姿に秋丸は最初恐れるが、懐いて連れていくことになる。姿が人間に似ているだけでなく、人の言葉をしゃべれるようになる。
このジュゴンは、上陸後も一緒についていくが、暑さのために途中で死んでしまう。
さらに一行は、人語を話す大蟻食にも出会う。
大蟻食が出てきたとき、円覚は「わたしもあえてアナクロニズムの非を犯す覚悟で申し上げます」といって、この生き物は今から600年後にコロンブスが新大陸で発見した生き物で、こんなところにいるわけがないと主張しだす。すると、大蟻食は大蟻食で我々は新大陸にいる生き物のアンチポデスなのだ、とか言い出す。
親王は蟻塚にはまっていた、鳥の入った石をもぎとる。
この大蟻食のことについて、後で話してみると、一行の他のメンバーは誰も覚えていなかった。


この儒艮の章では、親王が何故天竺へ行くことに情熱を燃やしているかについて、回想シーンが入っている。
父親である平城帝の寵姫であった藤原薬子から、幼いころに天竺の話を聞かされたのがきっかけで、その時、薬子は何か光るものを「そうれ、天竺まで飛んでゆけ」と言って放り投げている。薬子が、いずれ今投げたものが卵になって自分がそこから生まれ変わるのだと嘯いたのが、親王にはいつまでも記憶に残った。
蟻塚にはまっていた石はもしかしてそれだったのでは、というエピソード

蘭房

真臘(カンボジア)のトンレサップ湖にて
親王が釣りをしていると、これからジャヤヴァルマン1世の後宮に行くのだという謎の男に声をかけられる。親王を止めようとする秋丸と2人で、男についていくことにする。
男曰く、ジャヤヴァルマン1世の後宮には、単孔の女がいて、王の80歳の誕生日に妓楼として一般開放(?)されるのだという。
入るためには、手形となる貝が必要なのだが、その男の持っていた貝では入れないと門番の白猿に言われる。ところが、何故か秋丸がその貝を持っていて、親王一人入ることが許される。
そこで、頭が女で体が鳥の女が、しかし死んだようにうずくまっている姿を見る。
ところで、後宮へ向かう途中、小舟の中で親王は眠ってしまい、薬子の夢を見る。琵琶湖の竹生島に薬子と2人で向かう夢で、三重塔の壁に描かれた絵に、鳥の姿をした女がいて、薬子から、それは迦陵頻伽(カリョービンガ)というのだと教えられる。
なお、この章の最後に地の文で、ジャヤヴァルマン1世は200年前の王であり、親王の天竺行の際に80歳の誕生日を迎えるのはありえない、と書かれてたりする。

獏園

扶南が南下してできた盤盤という国に訪れた時の話
大きな丸いキノコのようなものを見つけて、秋丸はその香りの虜になる。しかし、さらにその先で見つけた別のそれは、ひどい悪臭で秋丸は倒れてしまう。
しかしてその正体は、獏の糞であった。
その後、親王と秋丸は、土民に捕まってしまうのだが、親王が毎日夢を見るということを知ると、盤盤の太守が作った動物園の中の獏園へと連れてこられる。
獏は夢を食べるが、南方の人間は夢を見ないので、夢を見る人間を求めていたのだという。
また、太守の娘が憂鬱症なのだが、獏の肉が薬になることもあって、獏を健やかに育てる必要があった。
毎日夢を見ていた親王だが、夢を吸われてしまい夢を思い出せなくなる。が、ある時、生まれて初めての悪夢を見る。薬子が父帝を毒殺しようとして、親王はそれを止めようとするのだが、薬子から「おとうさまをころしてくれとは、なんということをいうのですか」と逆に言われてしまう、という夢
太守の娘であるパタリヤ・パタタ姫が獏園を訪れる。興奮している獏を口で絶頂させる姫。
ところで、この獏園のくだりが全て、親王の夢の中の出来事であることが最後に明かされる。

蜜人

盤盤の太守から船をもらうが、風に流されてアラカン国へ漂着してしまう
そこで、犬頭人に出会う。犬頭人は、マルコ・ポーロなど数百年後の出来事をなぜか知っている。
ラカンの海岸には、大食国の商人(アラビア人)がいて船に乗せてもらおうとするのだが、アラビア人商人は、その代わりに蜜人を取ってきてほしいと頼む。
蜜人は、アラカン国の山脈の向こうの砂原で死んで乾燥した遺体で、妙薬として高く売れるのだという。
むろん、安展、円覚、秋丸は反対するのだが、親王は1人で取りに行くことにする
砂原はそのまま歩くと熱気で死んでしまうので、帆を張った丸木舟に乗って、足で漕いでいく。
親王はまた夢を見て、空海上人の夢を見る。
親王雲南まで行ってしまう。
空海は入定して、即身仏つまりミイラになっているのだが、蜜人も一種のミイラであって、蜜人を見つけた親王空海の思い出と重ね合わせている。


ところで、蜜人というと、イアン・マクドナルド『旋舞の千年都市』 - logical cypher scape2にも出てきたので、目次を見たとき「お、蜜人?!」と思った。

鏡湖

親王は一人、雲南の山に囲まれた南詔国へやってくる
洞窟の入口で、秋丸そっくりの少女に出会うのだが、言葉が通じない。そこに男たちが現れ、彼女は南詔国の宮廷の妓女で、無断で逃げ出した罪に問われているという、
親王は、彼女を春丸と名付け、男たちとともに南詔の王城へと向かう。
ところで、この妓女というのは、落雷により感応した女から卵で生まれた娘だという。春丸もやはりそのような卵生の女であった。
なお、地の文において、もし親王が迦陵頻伽のことを知っていたら、春丸と秋丸は迦陵頻伽なのだと思ったことだろうと触れられている。
ところで、王城へ向かう途中、琵琶湖のような鏡のような湖があって、そこに顔が映らない者は1年以内に死ぬという迷信を聞かされるのだが、果たして、親王は自身の顔が湖に映らなかったことに気づく。
さて、南詔の王はまだ若く、ご乱心の噂がある。ある時、親王はその王と2人で会う機会に恵まれるのだが、王から負局先生と間違われる。王は、とある鏡をひどく怖れていた。親王はその鏡を封印するという芝居をして、王の信頼を得る。
春丸は無罪放免となり、親王は彼女を連れてアラカン国へと戻り、安展、円覚と合流する。しかし、2人によると、秋丸は少し前から行方をくらましてしまったという。

真珠

アラビア人の船に乗ってセイロン国を目指す。
親王は己の死期が近いことを感じはじめる。
ベンガル湾で、死んだはずのジュゴンに再会する。
親王は、船内で天文術に長けたカマルという男と親しくなる。
真珠採りの男たちと遭遇し、その技を見せてもらい、真珠を一つもらう。円覚は、美しいものは不吉なものではないかと口を挟むが、安展がそれを笑い飛ばす。
セイロンが近づいてきたはずなのだが、急に風がやみ船が動かなくなる。船乗りたちの中に気がくるって海に身投げする者が出てくる。
そして、幽霊船のような船が現れ、幽霊たちに襲われる。真珠を奪われそうになった親王は、それを飲み込む。
それから、親王は喉に痛みを感じるようになる。
ところで、Wikipediaによると、澁澤は癌で喉を切除している。また、それを真珠を呑んで声を失ったのだと見立てて、「呑珠庵」と号したらしい。
上に「幽霊船のような船」と書いたが作中で幽霊とは書かれていない。時代錯誤の軍船で、ひゃらひゃらと言う男たちが乗り込んでくるのだが、多分幽霊。

頻伽

「びんが」と読む。
船はベンガル湾の魔の領域からスマトラ島へと流されてしまう。
一行はそこで、人の体液を吸ってミイラにしてしまうという花(ラフレシア)を見る。ラフレシアについて地の文で説明されるのだが、そこで、親王も安展も円覚も「後世の事情にはからきし疎いほう」などとさらりと書いてあったりする。
ここまでも散々時系列を無視して古今東西の文献が引用されてきたので今更驚くには値しないが、プリニウスの『博物誌』なんかも引用されたりしている。
円覚が本草学に詳しい博覧な人物という設定なので、仏典などからの引用が基本的に多いが、他に天竺に渡った先人ということで義浄の書からの引用も時々なされていて、しかし、地の文とかだと不意にプリニウスとかが出てきたりする。
親王は、スリウィジャヤに輿入れしたパタタ姫に再会する。パタタ姫は、歴代王妃が眠る墓廟へ親王を案内する。
この国では王子を生んだ妃は、王子を生んだ後ラフレシアの上に乗ってミイラになるのだという。そして、パタタ姫は史上最年少で墓廟に入れることを心待ちにしていた。
また、親王が病状の身であることと、死んでも天竺に行きたいということを知り、ある提案をする。
マライ半島の南端にある羅越には、天竺と行き来している虎がいるという。その虎に食われれば、(死んでしまうが)虎に天竺まで運んでもらえるのではないか、と。
安展、円覚、春丸は当然反対するが、親王はこの提案に乗り気になる。
しかし、親王は病気で弱弱しくなるばかり。
ある日、かつての薬子の真似をして「そうれ、天竺まで飛んでいけ」といって石を投げるふりをしたりする。
その後、夢の中にパタタ姫が現れ、親王の喉の奥の真珠を取り出すと、そのパタタ姫が薬子に変わり「そうれ、日本まで飛んでいけ」といってその真珠を投げる。
一行は、再び旅立ち、羅越のシンガプラ島へ渡り、親王は1人藪の中で幾晩も過ごし、ついに虎に食われる。
春丸は鳥の姿になって飛び立っていき、安展と円覚は、あれは頻伽だなと言って、親王のプラスチックのような骨を拾う。
なお、この「プラスチックのような骨」という表現は、本作のコミカライズをしている近藤ようこがインタビューの中で「素晴らしい」と言って紹介している(ので、ここでも引用してみた)。
近藤ようこさん「高丘親王航海記」インタビュー 澁澤龍彦作品の“明るさ”に惹かれて|好書好日

感想

とここまで各章のあらすじをまとめたが、駆け足でざっくりまとめたので、面白さがスポイルされている気がする。まあ、あらすじなので仕方ないのだが。
読んでいる最中は、各地方に出てくる奇妙な動物やら風習やら景色やらのディテールが読んでいて楽しいのだけど、改めてこうやってまとめてみると(読んでいる最中にも意識はしていたけれど)、薬子というある種のファムファタルの物語であることが分かる。
薬子自身は、親王の夢や回想の中でしか登場しないが、秋丸・春丸、パタタ姫、蘭房の女たちなど、作中に出てくる女性はみな何らかの意味で薬子と重ねあわせるような描写が出てくる。その重ね合わせのために用いられているのが、迦陵頻伽という、頭が女性で身体が鳥の生き物である。そして、卵、石、真珠などの様々な球体も、薬子=鳥と結びついて用いられているが、これが次第に親王自身の死というテーマとも結びついていくことになる。
そういうモチーフとテーマの連なりが、一本縦糸として入っているのが、この物語の読みやすさ・面白さに繋がっているのだと思うが、この縦糸のまわりに、きらびやかな横糸(ディテール)が溢れんばかりに絡みついているのもまた魅力なのだろう。
ダイダロス」は、陳が最後蟹になってしまって、焦点人物が消滅してしまう、みたいなところがとても面白かったのだけど、
本作だと、この地の文の語り手は一体何者なのかとか、一体どこからが作中の事実でどこからが夢や回想なのかとかで、ナラトロジー的な批評もできそうだけど、そのあたりはむしろもうそういうものなのだなと浸ってしまう感じ
(つまり、「ダイダロス」だと「この結末テクニカルですげー」って感じなのが、本作だと、語りのテクニカルさはもはや自然すぎて逆に意識されないな、と)


DTPについて

文春文庫2017年版で読んだのだが、DTP担当が言語社だった*2

*1:という名前だが、奈良時代ではなく平安時代天皇。譲位後、平城京に移り住んだ

*2:本当に単にそれだけをメモするために立てた項目だが、一応補足しておくと、ミステリ作家である笠井潔の息子、笠井翔が代表を務める会社である。彼とは過去に何度か会ったことがあるので、「あ!」と思ったというだけの話。なお、別の本でも言語社の名前を見たことはある