『Newton2024年1月号』

共感覚」の不思議

まず、共感覚には色々な種類がある、と。
有名なのは、色字共感覚だが、色聴共感覚、空間系列共感覚、序数擬人化などがある。空間系列共感覚って知らなかった。
共感覚の特徴として、自動性、一貫性、具体性がある、と。
共感覚のメカニズムとして、2つの仮説がある。
1つは、交差活性仮説
脳で、それぞれ処理している領野同士が繋がっているのではないか、という説。文字について神経が反応すると、色についての領野も一緒に反応してるんじゃないか、という分かりやすい考えだが、一方で、色知覚には恒常性があるが、共感覚の色には恒常性がないという特徴があり、これが説明できないという難点がある。
もう一つは、脱抑制フィードバック仮説
脳の情報処理は、低次から高次へと進むが、高次から低次へのフィードバックは抑制されている。一部の経路で、このフィードバックの抑制が働いていないのではないか、という説。
色字共感覚と一言でいっても、実は人によって様々。
まず、投射型では、文字そのものに色がついて見えるのだが、一方、連想型というのもあって、この場合、文字そのものに色が見えるわけではないのだが、色が頭の中で思い浮かぶのだという。
投射型は交差活性仮説、連想型は脱抑制フィードバック仮説と相性が良い。
また、共感覚者は、非共感覚者と比べて色の弁別能力が高いらしいのだが、さらにその中でも、どの色についての弁別能力が高いかという点で個人差がある。そして、投射型の人は、弁別しやすい色は共感覚色になりにくく、連想型では、弁別しやすい色が共感覚色になりやすいという違いがあるらしい。形が似ている字で共感覚される色が似るかどうか、文字の順序(ABCとか123とか)と共感覚される色がどう対応するかとかについても、投射型と連想型で傾向が違うとか。
ところで、ブーバ・キキ効果など、異なる感覚モダリティ間で対応が見られる事例は多々あり、「感覚間協応」と呼ばれている。感覚間協応について、広い意味で共感覚の一種であるという一元論と、共感覚とはそもそも異なるものであるという二元論との対立があるらしい。本記事の監修者2名は、感覚間協応には共感覚に見られる特徴が欠けているとして、ともに二元論を支持しているとのこと。
共感覚については、昔にジョン・ハリソン『共感覚』 - logical cypher scape2を読んだことがあって、面白いトピックだなとは思っていたが、その後の研究の進展などはフォローしていなかった。共感覚内での分類や、メカニズムの仮説、感覚間協応との関係など、色々と研究が進展しているなあと感じた。また、上記の本を読んだ際に「これは、まさしくクオリア論みたいなものだと思うけれど」という感想を書いているけれど、本記事でも、意識研究との関わりが触れられていた。


共感覚についてクオリア構造学的に構造化できるんだろうか?
1と青が共感覚しているとしても、1と青が似ているわけではないだろうし、例えば1が青、Lが藍色に見える人にとって、1とLは似ているだろうけど、非共感覚者にとっても1とLは似ている……。まあ、共感覚者独特の類似構造もあるかもしれないけど、共感覚なのかどうか分からなさそう。
というか、現段階でのクオリア構造学は、異なるモダリティ間の比較をどうするかはまだこれからの課題みたいだから、まずそれの解決策待ちか。


監修者が、長田典子/濱田大佐となっており、「「だいすけ」って読むんだろうけど「たいさ」ってすごい名前だなあ」と思った。なお、ググってみたら、やはり「だいすけ」なのだが、サイトのURLはhamada-taisa.comだった。
2人とも共感覚についての研究者なわけだが、長田さんの方は自身も共感覚者らしい。

世界の都市図鑑

タイトル通り、世界各地にある特徴的な都市が、空撮写真とともに紹介されている。
都市には、計画的につくられた幾何学的な都市があるが、そうした都市の多くは碁盤の目状となっていることが多い。
ちょっと特殊なタイプとして、ルーマニアのペリソル、アルゼンチンのラ・プラタ、イタリアのグランミケーレがあげられる。
ペリソルは、円形広場に放射状に道が延びている。ダイヤ型の街の様子は空撮写真でみると美しいが、交差点の角度がそれぞれ異なるということで、実際に生活するとくらくらしそうである。
ラ・プラタは、基本的に碁盤の目状の街だが、斜め45度に十字状の道が延びている。これ、また空撮写真で見るには美しいのだが、実際に生活するにあたり、斜め方向の道に貫かれているのって不便だったりしないのだろうか。
グランミケーレは17世紀に地震が起きた際に作られた都市で、六角形を基盤としている。中心に六角形の広場があって、道路もそれを取り囲むように敷設されている。六角形都市というのも、空撮写真で見る分にはいいが……実際生活するとどうなんだろうか。
なんか、似たような感想ばっかりになったが、最近都市を六角形タイル状にすれば事故へるのでは?→つくば市の一部で採用され、全ての人の方向感覚を破壊している - Togetterを見たせいかも。まあ、実際に生活すると一応慣れはするが、ちょっとわけわからないよな。でも、つくばよりも、都内の街で、隣り合ってる道が並行じゃないことの方が歩きにくい。


イタリアのアルベロベッロは、白い土壁と三角屋根の家々が立ち並ぶ街だが、この家がすごく壊れやすく作られているらしい。領主が取り立ての際に壊したり、逆に徴税人が来たときに逃げるのに住人が壊したり、していたらしい……。
ポルトガルリスボンは、家が非常にカラフル。写真みて、これ彩度すごいなと思った。漁師が海から見て自分の家が分かりやすいため、らしい。
イタリアのチェントゥーンリペは、山の尾根の上に作られていった町で、星型というかヒトデのような形をした町。これはもう、空撮写真のインパクトがすごい。
最後に、計画都市といえばブラジリア。

数式いらずの数学入門 暗号

暗号というのは、平文を鍵によって暗号文にする、そして暗号文を平文に戻す仕組みのことだが、この鍵は、関数と捉えることができ、暗号は数学的に考えることができるそうだが、暗号と数学の結びつきが明らかになったのは20世紀のことらしい。
まず、もっとも古くからある暗号は、シーザー暗号というもので、x文字ずらすというもの。
この暗号は、頻度分析によって解読されてしまう。
頻度分析に破られない暗号としてヴィジュネル暗号というものが作られたが、バベッジがこれを解読する方法を編み出す。
第二次大戦中はエニグマがその複雑性によって連合軍を悩ませたが、これをチューリングが解読したのは有名な話。そのために用いられたチューリング・ボンベというのが、いわば計算機であって、ここに、暗号とコンピュータの結びつきが生まれる。
暗号と数学が結びつくことを明らかにしたのが、シャノン
シャノンは、暗号が安全であるとはどういうことかについて考えた。
AからBにメッセージが送られた際、そのメッセージの内容について、暗号文が与えられる前の事前確率と、暗号文が与えられた後の事後確率とが、変化しないことが、暗号の安全性である、とシャノンは考えた。
(例えば、BがAに対して「天気は何か」と聞いていてそれへの返信というシュチエーションだとすると、AがBに「晴れ」と答えるのが事前確率では60%だとする。「ひろ」という暗号文を見た後だと100%「晴れ」だなと分かるだろう。事後確率が100%に変化していてこれは全く安全ではない。逆に事前確率と事後確率が変化しないというのは、暗号文によって、平文の可能性が絞り込まれない、ということ)
これを情報理論的安全性という。
そして、情報理論的安全性を保つには、鍵が平文より長くなることを証明した。
バーナム暗号というのが、この情報理論的安全性を満たす暗号である。
しかし、バーナム暗号は、鍵をどうやってやりとりするのか、という問題があった。
鍵をどうやって運ぶかということについて、ディフィとヘルマンが公開鍵暗号方式を考案する。公開鍵暗号をつくるためには「一方向的な関数」が必要であった。
素因数分解が、まさに一方向的な関数であり、それを利用して、リベスト、シャミア、エーデルマンが新たな暗号を発明。3人の名前の頭文字をとってRSA暗号と呼ばれる。
素因数分解による暗号の安全性は、実際にそれを解読するためにかかる計算が膨大で、現実的な時間内には解けないというもので、情報理論的安全性とは質的に異なるものだという。
さらに、楕円曲線暗号というものもある。
さて、量子コンピュータが実現すると、このような暗号の安全性は脅かされる。
現在、耐量子計算機暗号の研究が進められており、格子暗号はその候補である、と。

ドローンが見た 野生動物

ドローン撮影された野生動物写真
真上から撮影されたアングルは、従来の野生動物写真には見られなかった珍しいもので、目を引いた。
特に、泥浴びをする水牛が印象的だった。
他に、横になって眠るゾウとか、打ち上げられたジンベイサメを海に戻すところとか
一頭で歩くシロクマ、産卵後海に戻るウミガメなんかも、構図がよかった。