『ゴジラ-1.0』

いや、悪くない映画だったと思いますよ。
とりあえず見終わった後にはそう思った。
ただ、ブログに感想書こうと思って、言語化しようとすると、短所がぽこぽこ浮かびあがってくるんだよなー
とりま、よかった探しからしましょう。

ゴジラとか特撮とか

山崎貴作品を映画館で見るのは初めて(と思ってたんだけど、山崎貴Wikipedia見てて『寄生獣』があるのに気づいた。記憶から抹消してたわ……)
ジュブナイル』と『リターナー』はテレビ放映された時に部分的に見ていて、わりとよかったという記憶がある。
まあ、そんなわけで山崎作品については、お噂は色々聞いてはいるけれど実際に視聴してどうこうというのはなかった(いや、忘れてただけで『寄生獣』があったけど)。
一方、ゴジラ映画ということで、やはり劇場で見ておきたいなあという気持ちはあった。
そんな中、感想『ゴジラ-1.0』 山崎貴監督が語る「ゴジラとはなにか」。東宝の映画スター、その価値が最大化される銀幕にて - ジゴワットレポートで「「ゴジラと海」という一点においては、シリーズ過去作の追随を一切許さないクオリティである」という一文を見て、やはり見ておこうと思いが固まった。
実際、海を泳いで襲いかかってくるゴジラはよかった。
自分はサメ映画を全く見てきていないので、サメ映画としてのゴジラ、という観点からこの作品を語ることができないのだけど、まあ確かにそういうことなんだろうなあと思った。
機雷掃海艇(というにはあまりにもお粗末な木造船なのだが)でゴジラと相対するシーンは、実際かなりよかったと思う。
というか、近い!
これはなんというか、日米問わず最近のゴジラ作品にある傾向として、CGであるがゆえに、人間と怪獣の距離が近い
その距離でゴジラに遭遇したら間違いなく死ぬだろ、みたいな距離にいて、「いや、死ぬってw」と思わずツッコミ入れてしまうんだけど、あの迫力には敵わないものがある。


また、サメ映画的なのかどうかは自分にはわからなかったけど、『ジュラシック』的だと思うところはあった。
冒頭、ゴジラがまだ放射能で巨大化する前、とある島に襲い掛かってきて、主人公以外がバンバン食われていくというところから、この作品から始まるのだけど、とりあえず開幕シーンでモブが食われる、というのは『ジュラシック』感があった。
しかも、放射能で巨大化する前とはいえ、ティラノサウルスよりでかいので、その恐ろしさたるや、である。ばくばく人間を食っていく怪獣、というのは、意外と今までなかったのではないか、と。
ゴジラが出てくるの早すぎなんじゃないか説もあるが、あれはあれでよかったと思う。とりあえず冒頭にさっと出てきて、さっとモブ食うっていうのは『ジュラシック』シリーズっぽい。ゴジラという名前が出てくるのもあっさりしすぎだな、とは思ったけど。


で、ゴジラが出てくるシーンとしては、あとは銀座襲撃シーンがあり、これもまたよかった。
怪獣映画なら怪獣が街を蹂躙していくところが見たいよね、という期待に完全に応えてくれるシーンだった。
投擲された電車が吹っ飛んでいく様もよかった。
何より背びれのギミック!
今回のゴジラの一番よかったのは、あの背びれがガチッガチッと跳ね上がっていくギミックだった。
放射熱線を撃つ前のタメ、というのは、ゴジラの決めシーンだと思うのだけど、あの背びれギミックは前代未聞のアイデアだったのではないか。


ゴジラのデザインとしては、確かに顔はよかった。
しかし、海の中で泳いでくるゴジラ、つまり背びれだけ見えている状態とか、顔がどアップで迫ってくる状態とかはよかったんだけど、地上で引きのショットで見た時のゴジラ全身のバランスが個人的にはあまり好みではなかった。
平成ゴジラで育ったから平成ゴジラのバランスが一番好きで、本作だけでなく、『シン・ゴジラ』のも、モンスター・ヴァースのも、なんかちょっと違う感がある。まあ、これは完全に個人的な好みの問題か。なんかマッチョすぎないかっていうか。
本作の場合、全身ショットの時に、全体に比して顔が小さいような感じがして気になった。だから逆に、海中シーンだとそれは気にならなかったのでよかったんだと思う。
一方で、昼間シーンで怪獣の全身がちゃんと見えるというのは、隔世の感があるような(画面が暗いと散々言われた過去作色々あったような)。
皮膚の質感とかも結構よかったなあと思う。
基本的にVFXだけれど、電車はミニチュア特撮だったな。
個人的には特にミニチュア特撮への思い入れがないので、「ああミニチュアだなあ」というくらいの感想しかないし、ノルマ的に入れてないかという気がしないでもないが、しかし、使い方としては悪くなかったし、ミニチュア感が悪目立ちする感じもなかったと思う。
そういえば、上述の「距離が近い」話に通じるけど、銀座でゴジラを生中継しているテレビスタッフのシーンもよかった。


アクション面でいうと、あとは震電
自分は、ミリタリー知識があまりないし、旧日本軍や第二次大戦中の兵器には疎いのだが*1、まあ一応、ああいう変な戦闘機があったことは知っていた。
というか、荒野のコトブキ飛行隊で見たのだった。コトブキ見たときに、一応Wikipedia読んだりくらいのことはしたはずなんだけど、もうほとんど忘れてしまったな。
そういうわけで、「震電キター」とかにはなりようがなかったのだけど、しかしまあ、あの独特のフォルムの戦闘機が飛んでいるところは、面白かったといえる。

あらすじ

終戦間近に特攻を命じられた敷島少佐(神木隆之介)は、しかし機体の故障と偽って大戸島の基地に不時着する。その夜「ゴジラ」が現れる。整備兵から、機銃で攻撃してくれるよう頼まれた敷島だったが、恐怖に身がすくんでしまい、結果として、整備兵部隊は1人(青木崇高)を残して全滅する。
終戦を迎え実家に戻るも、両親は空襲ですでに亡く、1人で暮し始める敷島。そこに、若い母娘(母(典子):浜辺美波)が転がり込んでくる。その母娘も血のつながりはなく、空襲で肉親を失った者同士、見捨てることもできずに共同生活を始めることになる。
敷島は、機雷除去の仕事をすることになり、艇長(佐々木蔵之介)、学者(吉岡秀隆)、小僧(山田裕貴)と出会う。
ビキニ環礁の水爆実験により巨大化したゴジラが日本へと接近する。
ソ連を刺激することを恐れたアメリカは軍事行動をとらず、敷島らが、海上ゴジラと戦う羽目になる。
一度姿を消したゴジラだったが、政府は特に対策をたてず傍観。再出現したゴジラは、銀座の街で破壊の限りを尽くし、典子は爆風に飛ばされ姿を消す。
元海軍の人たちが集い、学者の発案した作戦によって、ゴジラを倒す計画が立てられる。


「戦争を終えることのできなかった者の物語」というテーマ設定自体はよかったと思うが、それがちゃんと達成できてはいなかった。
生き残ってしまったことという形而上の罪とどう向き合うかという話なんだけど、あんまりゴジラと噛み合っていないような。*2
あと、血のつながりがない疑似家族というモチーフも悪くないけど、全然扱えきれていない。子役はよかったけど。
他人の距離感を維持したいのか、家族になっていく過程を描きたいのかがはっきりしないというか。
「寝りゃいいってもんじゃないけど寝ないのかよ」的な感想を見かけたけど、実際それなんだよな。わざわざ律儀にカーテンで寝床を区切ってたりするんだけど、それがどう変化するのかみたいなことは描かれないわけで。

キャスト・キャラクター

神木隆之介*3についていうと、敷島の苦しみなり怒りなり恐れなり決意なりが示される、よい表情は何カ所かあったと思う。
ところで、感想を見てるとよく指摘されている、叫びすぎ問題なんだけど、演技や演出が悪いというよりも、そもそも敷島がどういう人物なのかというキャラクターの一貫性の構築レベルで失敗しているというか。キレ方が唐突すぎて違和感がある。
ところで、キャラクターの描き方という点では、吉岡秀隆演じる「学者」がよかった。
「学者」と呼ばれているが、もともと海軍で兵器開発をしていたという人で、アカデミアの人間だったわけでもなさそうな、現場とインテリの中間みたいな人。
敷島との距離感の取り方もよかったし、自分がたてた作戦についてのプレゼンの様子と、その後気心しれた人間と飲むシーンでは、自分がたてた作戦への不安を吐露する様子などのバランスがとれていた気がする。
彼については唐突感がなく一貫性が保たれている一方で、彼についていうと結構「戦争を終えることができなかった者」とか、形而上の罪への向き合いを感じさせるところがあったかなと思う。彼の内面のドラマは表立って描かれてはいないけど、何かしら感じさせるところがある。
佐々木蔵之介は、佐々木蔵之介が悪いわけじゃないんだけど、キャラクターがなー。彼もキャラクターの一貫性みたいなものは保たれているが、逆に言うと、彼にいうと一貫性が保たれすぎていて、ドラマ性がないというか。
あと「やったか」2回はやりすぎ

演出とか

細かい話でいうと、位置関係がなんか分かりにくいな、という印象があった。
ミクロなところでいうと、大戸島でゴジラが上陸してきた時の、ゴジラ・敷島・整備兵の位置関係が分かりにくかった。
整備兵がゴジラを見上げてるショットのあと、敷島がゴジラを見上げてるショットに切り替わるんだけど、海からゴジラが来たはずなので、陸地側にいる敷島と整備兵は同じ向きを向いているはずでは、という想定に反して、敷島と整備兵の向きが相対する向きになっていて、違和感がある。整備兵と敷島が同じ画面におさまるショットがその後にきて、イマジナリーラインを越えてたわけではないことが分かるので、どうもゴジラの位置が素朴に想定される位置と違ったっぽい(ゴジラー敷島-整備兵が一直線上にいたわけじゃないんだろう、きっと)。
あともう少しマクロな話だと、品川への上陸が予想されます的なセリフがあったあとに、銀座に上陸しましたって報告が入ってくるので、なんか混乱した。
それと、最後の作戦の時も、震電の整備場どこにあるんだっていうのが気にかかった。震電の整備場と港との位置関係が。別に映画なんで、地図とか地名とかを具体的に出す必要はないし、現実の地理と違っていても構わないんだけど、「そうか、全然離れた場所で作業してたのか」みたいなことが不意に気にかかってしまうというか。
そういうのに近い話としては、ゴジラが海に戻ったり、姿を消したりするシーンがないのも気にかかった。
機雷掃海艇での海上遭遇のシーンのあとと、銀座襲撃のあとで、それぞれ海に舞い戻っているはずなんだけど、明示的に描かれていない。ゴジラでは確かに上陸してから海に戻ってまた上陸してくる、みたいな展開自体はよくあるので分かるっちゃわかるんだけど、「あ、あのあと、ゴジラ海に戻ってたのか、そうか……」とちょっと分かりにくくなってた気がする。
本作、説明台詞が多い、という指摘が結構多くて、「だからよくない」というのと「だから話が分かりやすかった」というのと評価は分かれるんだけど、しかし個人的には、物語上説明してほしいところの説明は全然なくて分かりにくかったような、という印象がある。


色々物議をかもしてそうな敬礼シーンだが、敬礼がいいかどうか以前に、敬礼シーンの演出にタメがなさすぎる気がした。もっと、感動的に演出することもできたでしょ、あれ。
最後の最後は展開が早すぎて、典子生存とゴジラ生存も、まああの2つは、予定調和に過ぎないから別に時間かける必要ないといえばないんだけど、それにしたって、感動も驚きもなさすぎでは、と思った。


あと、黒い雨の使い方雑すぎ問題……
確かに、ゴジラというのは、放射能によって巨大化したという設定で、体内にはたぶん放射性物質があってそれをもとに熱線を吐いている、というのがおおよそシリーズに共通する設定だとは思うのだけど、一方、じゃあ実際にゴジラに近付いたり、熱線で攻撃されるとどれくらい「被曝」するのか、というのはあえて触れられてこなかったところだと思う。
普通のゴジラ作品で被曝可能性は無視されてきたと思うし、シンゴジの場合は、放射能が消える設定みたいなのを最後出すことで、放射能は気にしなくてもよくなりましたっていうことにしていたと思う。被曝云々に踏み込むと、エンタメとして成り立たなくなってしまうのだろうと思う。
ガイガーカウンターで接近を察知するというのは便利アイテムに過ぎないのでまあいいとして、「黒い雨」出されるとやはり被曝の可能性が無視できなくなるわけで、そうすると、最初にゴジラに接近して戦った敷島たちヤバいじゃんってところに連想がいってしまう。
あのシーンって、主人公の慟哭には雨降らせておけというクリシェでしかなくて、それ自体は百歩譲ってよいとしても、それを「黒い雨」という強く被曝を連想させるものにしてしまうのは、いただけなかったと思う。
原爆表象を気安く使うなという外在的な意味ででのいただけなさももちろんあるんだけど、それやっちゃうと、物語的にも本来収拾つかなくなってしまうのではないか、という内在的な意味でのいただけなさがある。瞬間的な絵のそれっぽさを優先して、作品全体のバランスや物語世界の整合性を無視しすぎではないか、ということ。
なんだろうな、そもそもテツガク的なテーマが展開されているとか、よく考証されていてリアリティがあるとかそういった作品ではなくて、ゴジラが暴れてるところが怖くて、最後に大団円迎えてハッピーエンドになって泣ける、という、何も考えずに見られるエンタメ作品なのだからこそ、必要もないのに黒い雨入れて変にシリアス度上げるな、と。ここでいうバランスとか整合性とかいうのはそういう意味。

「民間」について

シンゴジが政府だったのに対して、ゴジマイは民間だ、みたいな話は、事前にも目にしていたんだけど
民間っつうか、要するにあれは義勇兵だよな。
政府と民間という対立軸をもとに何か読み込める程の何かはなかった気がする。
それはそれとしてだ
個人的に、特撮作品によって、ある種の組織萌えみたいなものを持ってしまった者としては、物足りなさがあった。つまり、シンゴジにおける「巨災対」みたいに、なんかこう架空の組織でっちあげてもよかっただろう、と。
いや、本作の雰囲気にはそぐわないのは分かるけど、特撮映画には必要だろ、そういうの!
なんだろ、震電とか出す割に、そういうところのオタクっぽさがないんだよな。

ゴジラの倒し方

さて、「学者」が立案した作戦だが、史上もっとも地味な対G作戦だったのでは?
フロンガスゴジラの身体にまとわせると、浮力を失い深海へ沈下、水圧による圧死をもくろむ。圧死が失敗した際には、バルーンによる急浮上を実施し、減圧による死をもくろむという二段作戦。
いやまあそりゃ、普通の生き物なら死ぬだろうけど! 相手ゴジラですよ?!
それで殺せるのか?! っていうのは、作中の人物も気付いていて、佐々木蔵之介がツッコミ入れてたりするんだけど、まあ、そもそも他に策もないんだから、これでやるしかないだろう、と。
まあ実際に始まってみると、無人艦を激突させたり、フロンガス装置をガチャンガチャンと投下させたり、駆逐艦駆逐艦が互いに接触しながらすれ違ったりと、見所は色々あった。
装置ガチャンガチャン投下シーンと駆逐艦すれ違いシーンだけでも、この作戦やった価値はあると思う。
でも、ほかの船がたくさん来るところは笑ってしまった。みんなの力を合わせれば勝てる! 的な奴なんだけど、絵的にはちょっと笑ってしまうよ、あれは。
というか、浮上させれば減圧で死ぬっていう話にいまいち説得されていない観客側としては、みんなで必死にゴジラを引っ張り上げようとしているのも、「みんなで引っ張り上げたところでどうなるんだ? みんなちょっとハイになりすぎていない?」って感じであった。もっとメタに立てば、引っ張りあげたところを、神木隆之介震電でやっつけるんだよなってのは分かるし、逆に登場人物レベルまでいけば「学者が引っ張り上げれば死ぬっていうんだから引っ張り上げるしかないだろ」ってのも分かるけど、やっぱりこう「で、なんでみんなでゴジラを引っ張り上げようとしてるんだっけ?」って思っちゃうんだよな、あそこ。
特攻賛美なのか特攻批判なのか、みたいな話もされているみたいだけど、ゴジラ映画としては、そもそもゴジラは人間によって倒せる存在なのか、というのが大きな問題なのではないかと思う。
基本、ゴジラは通常兵器で倒すことはできず、何らかのスーパー兵器の開発が要請されるか、もしくは、他の怪獣との格闘によって決着をつけることが多いだろうし、あるいは、ゴジラが自分の目的を達したので勝手に海に帰っていくという展開も多いと思う。
その点、シンゴジの結末はかなりユニークなものだったと思う。
エメリッヒゴジラは、ゴジラをミサイルで倒せるわけないだろと散々批判されていたと記憶している。
今回、終戦直後の日本ということでスーパー兵器開発は無理だし、他の怪獣も登場しないわけで、そんな中で水圧で圧死させるのは、絵的に地味すぎるとは思うけど、アイデアとしては面白いといえば面白かった。
で、震電の攻撃は通常の爆弾による攻撃だけど、口内で爆発させれば効くという前振りと、頭部がふっとぶという絵によって、一応の説得性は持たせてはいた。
とはいえ、あっけなかったという感想。
というか、やはり前半に比べて、終盤は色々と物足りなさがあったかと。
っていうか、前半のゴジラは海では泳いでるのに、何で相模湾では「歩いて」いるのか、というか、立ち泳ぎ姿勢なのか、と。あの姿勢のまま沈んでいく絵にしたいのは分かるし、そもそもフロンガス装置を巻き付けるのには、立ち姿勢でいてくれた方が都合がいいけど。でも、やっぱあの泳ぐゴジラの方が、ビジュアルはよかった。


うーん、というわけで、言語化すると悪いところばっかり出てくるし、実際に悪いところは多かったと思うんだけど、しかし、劇場で見たことを後悔する映画ではなかった。
前半の、『ジュラシック』的な惨劇、海で襲いかかってくるゴジラ、銀座襲撃はやはり大画面で見てよかったなあと思うし、人間ドラマパートも、吉岡秀隆演じる「学者」というキャラクターがよかったし、疑似家族ものとしては客観的によい出来だったとは言えないが、子役に素直に感心してしまったので、そこまで点を辛くできないなあという感想。
絵的に地味だとか、それで殺せるのかとか言ったけど、ゴジラを網でぐるぐる巻きにしてみる、というのは面白いっちゃ面白いし、駆逐艦すれ違いシーンはよかったと思う。

*1:じゃあ現代の兵器に詳しいのかといえばもちろんそんなことはない。戦闘車両が何でも戦車というわけではないとか、戦闘機と攻撃機の違いとかは知ってるけど、具体的に写真見ても、見分けられないレベル……

*2:他の人の感想を検索していたら、ゴジラアメリカであり、銀座のシーンは「これがお前たち(アメリカ)のやったことだ」で、最後の震電によるゴジラへの攻撃は「これがやりたかったことだ」になっていて、右翼の溜飲を下げる作りになっている、ということを書いている人がいて、いやまあ確かに言われてみればその通りだなあとは思った

*3:内容と全然関係ないんだけど、自分があまりにも普段実写映画やドラマを見てなさ過ぎて、神木隆之介が主演だということを知っていたにもかかわらず、スタッフロールで神木隆之介の名前見たときに驚いてしまった。子役のイメージから離れられていない。同様に、吉岡秀隆でも驚く。吉岡秀隆についても、30歳くらいのイメージでとまっている