倉田タカシ『あなたは月面に倒れている』

筆者の初のSF短編集。2010年代各所で発表された作品8編*1と書き下ろし1編を収録している。
あとがきで作者自身が述べているが、前半と後半とで作品の雰囲気というか作風がずいぶんと違っている。前半の5編は設定やプロットがちゃんとあるが、後半4編は、奇想というかナンセンスというかそういうものになっていく(うち1編は話の内容そのものよりもタイポグラフィが主眼になっているし)。
正直、前半の方が好きだし、後半はよくわからんのだが、しかし「生首」はわからんなりに結構面白かったりする。表題作である「あなたは月面に倒れている」なんかも全体的にはなんだかよく分からないのだけど、個別の文章は面白いし。
前半で収録されている作品は、スパムが歩いてやってくる「二本の足で」だったり、アトミックパンクの「トーキョーを食べて育った」、猫としりとりをする「おうち」だったり、その惹句やタイトルがわりとコミカルで軽い感じに見えるのだが、読んでみると、実は内容は結構重たいというシリアスで、SF設定やガジェットもしっかりしていて、そのあたり、タイトルとギャップありすぎでは、とも思う。
あとがきで筆者は、いずれもエイリアンについて書いた作品なのかも、と述べているが、文字通り地球外知的生命体が出てくる作品もあるが、ここでいうエイリアンは、人工知能など人間以外の知性体だったり、人間であっても移民だったり、価値観のあわない者だったり、異邦人・よそ者という意味で、理解できないが共存するということの困難さとしかしそこへ向かうための希望がこめられているように思う。そうやって一言でまとめちゃうと、なんかうまく言えない感じになっちゃうんだけど。
「二本の足で」「トーキョーを食べて育った」「再突入」「天国にも雨は降る」が特に面白かった。
「二本の足で」と「再突入」は、いずれもAI技術の話で、その点で、今現在の現実に起きている問題と地続きのものとして読んでいける。「天国にも雨は降る」は究極のメタ・ユートピアというか何というかそういう感じ。「トーキョーを食べて育った」は核と二本についての話。


倉田作品は、本書に収録されている短編のうちいくつかと、長編倉田タカシ『母になる、石の礫で』 - logical cypher scape2を読んだことがあって、この短編集はマストだなあと思っていた。

二本の足で

移民を受け入れた未来の日本で、3人の大学生が人間スパムと対峙する。
人間スパムとはなんぞやという話だが、その前に、この未来世界では、ロボットがスパムメールとしてやってくるようになっている。簡素な二足歩行ロボットで頭部に顔を表示する画面がついているだけのお粗末ななりだが、それによってドアを開けさせてあとはひたすらメッセージを垂れ流し続ける。
主人公の一人であるキッスイは、そうしたスパムボットを収集して解析するバイトをやっていた。すると、あるとき、明らかに人間(同世代の女性)がやってきたのである。
キッスイは、彼女が何らかの技術で自分の意志を奪われ、AIの制御下で行動させられていると考えている。
キッスイがそんなバイトをしていて家から出ずに音信不通となっていたために、彼のもとを訪ねてきた友人が2人。
1人は、顔面にダズル迷彩を施しているので、ダズルと呼ばれており、もう1人は、ゴスリムファッションをしているので、ゴスリムと呼ばれている。2人とも移民2世である。
一方のキッスイは日本人で、親が反移民系の政治家か何かで、彼は親とは考えが異なるが、彼の映像は親の政治団体に勝手に使われている。
キッスイとダズルとゴスリムは、ストリートで出会ったので、それぞれ異なる大学に通っているのだが、人間スパムは、「私たち4人とも同じ学校の友達だった」「友だちじゃないふりゲームをしているんだよね」という設定で話しかけてくる。
キッスイは彼女は操られているだけなので助けたいと考えている。ダズルは、AIが制御しているということに対して疑っていて、それ以上に、スパムボットというものを深く憎んでいる。というのも、このスパムボットは移民1世を散々食い物にしてきたからである。
ゴスリムの父親がそうした洗脳を解除する技術を持っているので、4人は車に乗って向かうことになる。
ダズルとゴスリムは、移民の子としてそれぞれに重たい過去を背負っている。一方のキッスイはそうした過去とは無縁だが、親との関係を切るために、身分を捨てようとしており、ダズルはそれに反対している。
人間スパムは、存在しない4人の楽しかった思い出を語っていて、ゴスリムはそれに少し惹かれたりもしている。
最後、人間スパムがすっと別の車に乗り移って走り去ってしまうシーンが、なんともいえずよい。
大森望・日下三蔵編『行き先は特異点 年刊日本SF傑作選』 - logical cypher scape2で一度読んだことがあって、この作品から倉田タカシにはまった。

トーキョーを食べて育った

倉田作品は、タイトルから内容が推測できないことが多い気がする。
「二本の足で」もそうだが、こちらは、核戦争後の日本を描いたポストアポカリプスものになっている。
最初、パワードスーツ的な何かを装着した子どもたちが、駐車場の自動車をどこまで遠くまで飛ばせるかとか、戸建て住宅をひっぺがして「ドールハウス」にするとか、そんなことをやっている。一方、遠景では、アトラスとかトライデントとかソユーズとか、ロケットやミサイルの名前で呼ばれる巨大建機ロボットが稼働している。
なお、筆者曰く、アトミックパンクで、彼らの装着しているスーツには全て核反応炉が搭載されている。
最初はどういう状況なのかがさっぱり分からないのだが、どうもかつて核戦争が起きて北半球は住めなくなった時代で、一度オーストラリアに逃れた人々が、再び北半球の国に戻ってきてシェルター建設をしている未来世界が舞台のようだ、ということが次第に分かってくる。
子どもたちは何かを探しているのだ、そのさいちゅうで、生き残っていた日本人の老人と出会う。子どもたちの大半は日本以外にルーツをもつが、1人だけ、タイチという日本にルーツがいる少年がいる。しかし、実はタイチは一度死んでいて、人格をデータ化してロボットとなっている。彼らは、死者の人格のストレージへのデバイスである「仏壇」を探していたのだった。
これも最初は何やっているのか分からないのだが、分かってくるとなかなかヘビーな世界観と物語になっていて、「二本の足で」とはまた違う形で、日本への移民についての問題を扱っているともいえる(移民というのとも違うのだが)
『母になる、石の礫で』や「二本の足で」と本作は、子どもたちが侃々諤々している雰囲気が似ているような気がする。
「東京は夜の七時」がでてくるのだが、歌詞が全く違う別物がでてくる
これは未読だと思っていたのだが、ブログを検索していたら、『NOVA10』 - logical cypher scape2で読んでいた。しかし、この感想を読む感じ、内容を理解できていなかったようだ。

おうち

「二本の足で」や「トーキョーを食べて育った」が、わりとゴリゴリなSF設定やガジェットが出てくるのに対して、こちらはSF成分薄め。
猫屋敷になっているかつての家に、探し物を探しにやってきた主人公。
本作のSF設定は、猫が長寿化しているということ。長寿化によって、一部には人間の言葉を話せる猫もいる(正確にいうと、会話アプリを使うと鳴き声が日本語に翻訳されて聞こえるというもので、単語をいくつか言うだけではある)。長寿化技術ができてしばらくたった頃、猫が原因とされる火事が起きたことで、猫離れが起きて、そんな猫たちを保護する活動によって猫屋敷化している。
主人公は、親戚の家で育った。その家の「ばぁば」は彼女によくしてくれたが、彼女が亡くなった後は、形見の狭い思いをして暮らし、独立できる年になるとすぐに離れた。その後、その家族もばらばらになり、この家自体は他の人の手に渡り、今は猫保護活動家が管理している。「ばぁば」が昔描いた絵で、主人公にくれるという約束をしてくれたものの、曖昧になっていたのを、主人公は探しに来ていた。
主人公が、自分と育ての家族の関係を、猫と人間の依存関係に投影してしまいながら、過去との決別を図ろうとする話。
猫まわりの設定がまあSFなんだけど、やろうとしている話自体は別にSFではない(悪い意味でなく)。つまり、養子だった自分のわだかまりをどのように解消していくか、という話なので。

再突入

人類最後の芸術家を描く芸術SF
AIの発展により、人間の創作活動が停滞していく中で、事実上、最後の芸術家となった男(「巨匠」と呼ばれている)の話で、彼は、色々なものを大気圏再突入させることで作品とする〈再突入芸術〉を作風としていた。
2146年、巨匠の遺作の発表かつ葬送セレモニーとして、衛星軌道上に浮かべたピアノで「4分33秒」を演奏し、大気圏再突入させるというパフォーマンスが行われる。
本作は、このパフォーマンスの〈奏者〉の物語と、その2年前に、〈奏者〉と巨匠が初めて出会った時の話が交互に展開されていく。
作中で起きた出来事を時系列にすると、まず、AIによる創作活動が人間のそれを圧迫し始めた頃、それに抗うように人間の芸術家を育てる学校がつくられた。その学校の卒業生で実際に芸術家になったのは2人だけ。それが巨匠と幻視者であった。
巨匠は他のライバルを蹴落としながら、芸術家としてのキャリアを着実に歩んでいった。一方、幻視者は、人の認知をハックするような作品を発表していく中で、芸術家という枠におさまることを拒み、人間とは何かというテーマへ迫っていく。
巨匠や学校あるいは人間の芸術家を支援する人々にとって、芸術とはあくまでも人間による営みであった。幻視者は、であるならば、人間という枠組みの方を変えてしまおうと考えて、遺伝子操作を推進するコミュニティとも接触していくが、支援者を失っていく。
幻視者が亡くなり、彼が晩年にいたコミュニティ出身の若者が、巨匠のもとへと訪れる。
巨匠と若者の会話は、AI以前・以後の世代の価値観の相違をあらわにしていく。
この若者が奏者となり、巨匠の遺作でピアノを「4分33秒」を演奏する。演奏後、ピアノは落下し、奏者は母船へと戻ろうとするのだがその際にトラブルが起きる。母船は無人のはずが、宇宙服を着た何者かがいる。
それはかつて、幻視者が遺伝子操作技術で生み出そうとした、人間以外の知的生命体「かしこい毛皮」だった。
最後、かしこい毛皮の視点になり、彼らが表現活動を生み出そうとしているところで終わる。
つまり、この作品では創作活動を行うものとして、人間、AI、かしこい毛皮の3者がいることになる。
巨匠にとって芸術は、人間の営みであり、それは他者から評価されるものであり、その評価によって権威が生じるものであった。
が、若者=奏者にとって、創作活動の評価はAIによれば十分であり、さらにそこには実に無数の価値観による評価がなされており、他の人間ましてや多数の人間による評価は必要としていなかった。巨匠から見ると、若者の作品はそれゆえに稚拙なものにしか見えないのだが、若者からすると、巨匠が何に拘っているのかが実感としては理解できない。
若者は、芸術は人を動かすものだ、と巨匠は思っているだろうけど、もうそんなことはなく、しかしそんなものはなくなっても、創作の喜びは残っているのだと述べる。
ところで、最後に出てくるかしこい毛皮たちは、マイノリティである自分たちが人間を動かすために、表現活動をなしとげようとしているように見える。
人工知能学会編『AIと人類は共存できるか』 - logical cypher scape2で読んでいた。

天国にも雨は降る

アーマゲドン以降の世界が舞台。
人々は狭小住宅に暮らしているが、AIによる自動制御で色々組み変わったり効率的に配置されたりしているらしい。そして、隣人にどんな人が住んでいるかというのが直接分からないようになっている。
爆弾の爆発で一時的に吹っ飛ばされて、救助を待っている間に他の住人たちの姿を見て、AIからこの世界の真実を知らされる話になっている。
主人公は、アーマゲドン以降の世界は、人々が多様性を受け入れて寛容な世界になったと信じていた。が、実は、価値観の異なる人々が直接接触しないように巧妙にコントロールされていただけだった。主人公は、かなり極端な身体改造を行っているが、まさにそのような人体改造を許容する人たちだけが出会うことを許されていた。彼女は、多様な人々と社交していたつもりだったが、その価値観を許容する人たちの中での多様性だったのである。
そして、AIからは、あなたのような身体改造を受け入れている人たちのグループは、むしろマイノリティだと聞かされる。
主人公は、救助を待っている人たちの中に明らかに人間ではない姿をした者を見つけるが、AIはあっさりとそれが地球外知的生命体だと認める。AIは、人権と人間性は相容れないのだという。人権の考えは、地球外知的生命体までも社会の構成員として受け入れるが、人間性の中には排斥感情などが必ず含まれている。先人たちは、だからこそ、コミュニティごとに完全に隔離される社会を作り出したのだという。
なお、書き下ろし。

夕暮にゆうくりなき声満ちて風

タイポグラフィ作品
文が、ページ上でぐるぐると円形に配置されており、それらの文が他の文とも途中で接続していたり分岐していたりしている。
地図や時間についてのことが書かれているようだが。

あなたは月面に倒れている

「あなたは月面に倒れている。」という文から始まる二人称小説
月面に倒れているあなたは、自分が何者で一体どういう経緯で月面に倒れているのかの記憶が全くなくなっているが、とにかく月面に倒れていることだけは分かる。
そして、謎の存在に話しかけられ続けている、という話
地球外知的生命体とのコンタクト、科学と呪術など
このネタでこの分量は長いな、と読みながら思ってたけど、あとがきで筆者自身が長いと思われる分量を書いた的なことを書いていた

生首

生首が落ちてくるようになる話
かなりストレンジ系の話だが、あらすじらしきものをまとめようとすると
主人公は、ごとりと音がして、音がしたほうに見に行くと生首が落ちていて見に行くとしばらくしてその生首は消える、という経験をするようになる。当初、幻覚だと思ったが少なくとも音は他の人にも聞こえている。自宅内だけかと思ったら、外でも起きるようになる。さらに、自分の好きなタイミングで生首を落とすことができるようになる。
が、突然これができなくなる。その後、主人公は、生首を探す夢を見るようになる。
かつて、祖母は鰐の話をしていた。
あるとき、普通の家庭料理だと思っていた料理が珍しいものだと分かり、友人たちから教えてほしいと言われて、その料理を教えるようになる。自分でもレシピが言語化されていなかったので、料理している様子を友だちが撮影してそこから書き起こした。
生首をまた落とせるようになる。
かつて鰐に悩まされていたが、それが生首とトレードオフだったことに気付く。
生首を落とすさいの身振りのようなものを友達に撮ってもらう
以前、『Genesis 一万年の午後』 - logical cypher scape2で読んだことがあった。

あかるかれエレクトロ

あとがきによると、筆者はtwitterでナンセンスな小説を書いていて、本書に収録されている作品は全てそれがもとになっているらしいが、その中でとりわけ、ナンセンスさがそのまま残っている作品。

駅に見えるけど、それは鬼です。
猪猿公園
タクシー運転手が語る
犬が亀になる
苔は馬を食べる
自動販売機からのメッセージ
マジックテープが宇宙施設での生活に役に立つ
たぬきが語る屋敷の話
村はダムの底


あとがき

2010年代、twitterと自転車が生活の中で大きなウェイトをしめていて、本書の収録作品もそこから生まれてきている、と。

*1:うち1つは2022年の作品だが