リシャルト・カプシチンスキ『黒檀』(工藤幸雄・阿部優子・武井摩利・訳)

アフリカについてのルポルタージュポーランドのジャーナリストである筆者が、1958年からおよそ40年に渡って取材してきたアフリカ各国でのルポ29篇からなっている。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」におさめられた1冊である。文学というとつい小説を思い浮かべてしまうし、実際、この世界文学全集に収録されている作品もほとんどが小説だが、ルポルタージュもまたれっきとした文学作品である。
また、筆者のカプシチンスキは日本ではあまり知られていないが、存命中は、ノーベル文学賞候補にもなっていたそうだ。
また例によって、以下のブログで知ったのだが、この記事で書かれている通り大変面白い。
vladimir.hatenablog.com


上で「ルポルタージュもまたれっきとした文学作品である」と知ったようなことを書いたが、僕自身、ルポルタージュというジャンルについてほとんど読んだことがない。頭に思い浮かんだのは『深夜特急』くらい。あと、強いて言えば森達也『下山事件』 - logical cypher scape2くらいだろうか。
そして、アフリカというのもまた全然知らない世界である。
アフリカならではの話というのが色々出てくるのだが、一方で、1960年代とかの話でもあるので、時代的なことがどれくらいあるのかというのはちょっと気になったところ(同じ日本でも1960年代だと現代だとずいぶん違うだろう、と)。
なお、アフリカには現在55の国があるらしいが、本書に出てくるのは17カ国(すでになくなった国を含む)である。サハラ以南から赤道以北くらいの範囲に集中している。なので、これだけあってもアフリカのごく一部である。それでも、これでもかという程知らない世界が広がっている。


いくつか全体的に共通しているようなことについて。
まず、暑さについて
「アフリカが暑い」というのはさすがに誰もが知っているようなことではあるが、それでもとにかく暑さの描写がこれでもかと続く上に、土地によって暑さの質が異なることが分かる。砂漠、サバンナ、熱帯雨林と気候が異なるのだから当然だが、いずれにせよ、命の危険のある暑さだな、というのがよく伝わってくる。
そんなわけで、日中は日陰にうずくまって何もしないという生活パターンが結構出てくる(この逆に朝になったら即座に移動開始する遊牧民もいるが)。
何もしない、というのは暑さによるものだけではない。仕事にありつけていない人々も無数にいる。本書では、アフリカには何をしているのか分からない人たちがたくさんいる、という記述が度々出てくる。
定期的な雇用がほとんどないので、かろうじてありつけた日雇いの仕事をして、それがなければただただ何もせずに過ごす。あるいは仕事をしていたとしても、定期の雇用がないので、とにかく色々なことをしている。何か特定の職についている人、というのがほとんどいない(おそらくその例外が軍人)。
また、食事は日に一度だけ、というところも多いようだ。そういう場面も何度も出てくる。特別な日とか、特別なお客さんがいると朝食もある、とか。
そして、当然財産などなくて、持ち物が非常に少ない。しかし、だからこそその持ち物を大事にしているというか執着しているというか。貧しい故に泥棒も当然いるのだが、貧しいが故に泥棒への敵愾心も非常に強い。
それから、マラリアが多いということも分かる。
筆者自身がマラリアに一度感染しているのだが、それ以外にも、マラリアに感染した人がよく出ている。大抵は、町並や民衆の描写の中で記述されている程度なのだが、逆に言うとそれだけ、周りを見渡した時にマラリアで震えてうずくまっている人を見かけることがあるのだろう。
また、アフリカの人々の祖霊信仰の強さ、目に見えない世界を近しく感じていることなども度々触れられている。

始まり、衝突、一九五八年のガーナ(ガーナ編)

筆者の初アフリカの話
ンクルマのもと独立したばかりのガーナ。
当時32歳で最年少の閣僚である教育情報相のアバコについて

クマシへの道(ガーナ編)

ガーナの内陸の町クマシへ
バスでの旅だが、アフリカの時間感覚についての話がされている。西洋では、人間が時間に従うが、アフリカでは時間が人間に従う。バスはいつ出発するのかといえば、バスが満員になったらだ、と。そしてそれゆえに、アフリカ人は「待つ」姿勢がある。ただひたすら何もせずに座っている。寝ているわけではなくて目を開けているが、何を見ているのか分からないような状態でずっと待っている、と。
最後に、バスの横で乗り合わせた若い男が、ガーナ独立に喜んでいる様子が描かれている。彼は、教育によってアフリカ全土が自由で平等になるのだ、という理想を語っている。1950年代というのは、独立への期待・理想が抱かれていた時代だったとのことである。

氏族(クラン)の構造(ガーナ編)

ベルリン会議によるアフリカの分割からパン・アフリカニズムについてざっと解説したあと、知り合った地元紙の記者から聞いたアフリカにおける氏族についての話
初対面でのあいさつが肝要で、お互いに勢いよく笑いあって、それぞれの親戚について尋ねる、というのが面白かった

ぼくは、白人だ(タンガニイカ編)

アフリカでは独立が果たされると、植民地行政を担っていた白人の特権が、すっかりそのまま新政府の役人にうつされる(「アフリカ化」とよばれ、そしてこれはその後の権力闘争、相次ぐクーデターへとつながっていく)
ただ、氏族の伝統も強いので、そうやって出世した人が一人行くと一族がみなやってくる。そういうしがらみを嫌がって逃げるアフリカ人もいるが、一方で、そういう親戚のつてをたどって都会へやってくる人も多い。
アパルトヘイトは南ア特有のものではない、と
また、ここでは、筆者が白人ではあるものの、ポーランドというほかの白人国家から支配を受けていた国の人間であるというポジションが確認される

コブラの心臓(タンガニイカウガンダ編)

ウガンダでの独立を取材するため、ギリシア人の男と車でタンガニイカからウガンダへいく話。
サバンナが広がっていて、途中で道がなくなる。というか、道はあるらしいのだが、どこに行けばいいか分からない状況。
途中で小屋を見つけて泊まろうとするが、コブラがいて、2人で必死になってコブラを殺す。

氷の山のなかで(ウガンダ編)

マラリアにかかった時の話
マラリアにかかるとものすごい寒気に襲われるとのこと
医者から聞いた人食いライオンと象の墓場の話

ドクター・ドイル(タンガニイカ編)

ウガンダからタンガニイカへと戻ってきても体調が芳しくないと思ったら、マラリアの次に結核にかかっていたという話
タンガニイカに戻ってきたら、部屋が虫たちに占領されていたという話があったが、その後もたびたび虫の話が出てくる。

ザンジバルケニア/タンガニイカザンジバル編)

アフリカ東海岸の島国ザンジバルでクーデターが発生。「ぼく」をはじめとする各国のアフリカ駐在ジャーナリストたちは、どうにかしてザンジバルに行けないかを画策する
コネ(?)を利用してなんとか着陸許可をえて、飛行機を飛ばす
が、実際行ってみると、クーデター下で大した取材もできていない。そして、イギリスの特派員が本社から今度は別の国でクーデターが起きたという連絡を受ける。
どうやったらザンジバルから出られるか。
モーターボートでの脱出行とそのオチは、冒険小説さながら。

クーデター解析(ナイジェリア編)

1966年1月にナイジェリアで起きたクーデターを時系列でまとめたメモ

ぼくの横町、一九六七年(ナイジェリア編)

ラゴスで住み始めた話
白人とアフリカ人は住む地域が分かれており、アフリカ人が白人居住区に住むことができないのはもちろん、白人がアフリカ人の住んでいる地区に住もうとするのも難しい。
たまたま使用人の部屋を手放す予定だったベルギー人から部屋を借りるが、少し離れているとすぐ泥棒が入る。
守衛とかしてたという男のアドバイスで呪符をかったらピタリと泥棒が来なくなったというオチ。
ここでは、田舎の貧困層が少しでもよい生活を求めて都会に来たが、結局貧しいままで食うや食わずの生活をしている様子が書かれている。

サリム(モーリタニア編)

トラックでモーリタニアの砂漠をすすむ。
運転手は現地人のサリム。ところが、途中でトラックが故障してしまう。エンジンをあけるサリムの手つきは明らかに素人。水の残量も気にかかる。
という九死に一生ストーリー

ラリベラ、一九七五年(エチオピア編)

アミン(ウガンダ編)

ウガンダの独裁者アミンについて。
貧しさから逃れるため田舎から都会に出てきたが、都会にも職はなく、教育も受けずに育ったバヤイェの1人としてのアミン
職にありつく方法の一つが軍人になることで、アミンも軍に入り、命令に忠実な兵士として出世していく。
独立運動が活発になるなかで、宗主国イギリスから来ていた軍の士官は、命令に忠実な現地人兵士をとりあえず将官などに任命していく。そうやって出世することになった1人としてアミンがいる。
アミンはクーデターを起こすが、そのときの手法は、とにかく手っ取り早く急襲して殺すこと。アミンは権力奪取後もずっとその方法をとり続けることになる。
アミンは自分の居場所を次々と変えていく。自分でトラックを運転してたりもする。
政府高官がアミンに呼び出される時は殺される時

祭日がやってくる(ウガンダ編)

これは、どうも90年代頃の話っぽい。カンパラで知り合った記者に生まれ故郷へ連れて行ってもらう。

ルワンダ講義(ルワンダ編)

ルワンダの虐殺がどうして起きたのかの背景説明がされている。タイトルに講義とある通り、他の章とは文体も変えている。
ツチとフツのあいだの民族紛争だと思っていたのだけど、ここでは、ツチとフツはカーストに喩えられていた。ツチは富裕階級で、フツは農民階級のことを指しているらしい。
ルワンダで富裕層というのは、牛をたくさんもっていることを指す。ツチは牛を所有し、フツはツチから牛を借りる。牛は神聖な動物なので食用にはしない。
ルワンダは非常に小さい国で、アフリカとしては珍しい山岳国
ベルリン会議ではドイツ領とされ、後にベルギー領となるが、内陸で植民地経営のうまみがないので宗主国もほとんど何もしていなかったらしい。が、その後、ベルギーは統治にツチを利用する。しかし、ツチが独立を要求するようになると、今度はフチを取り込み、ツチとフツの間に対立が生じてくる。
独立後は、さらに独裁政権が生まれることで話が複雑化してくる。
大統領の妻とその兄弟を中心とするアカズ一派が、虐殺を正当化する思想を生み出す。
ルワンダでの虐殺は、民衆が手を汚し、見える場所で行われたため、誰もが復讐される恐怖を抱く。

夜の黒き結晶(ウガンダ編)

妖術師の話

あの人たちは、いまどこに?(エチオピアスーダン編)

エチオピアにある、スーダン内戦による難民キャンプを訪れる話。
緒方貞子さんがこの難民キャンプを視察するにあたり同行取材の申し出があり、一も二もなく同行した、と。というのも、難民キャンプというのは、普通非常に辺鄙なところにあり、なおかつ取材が許可されることがほとんどないから、だという。
スーダン内戦に至るスーダンの歴史についても触れられている。
20世紀で最も長い戦争かもしれないスーダン内戦だが、ほとんど顧みられることがない。
さて、タイトルの「あの人たちは、いまどこに?」だが、実際に難民キャンプを訪れたところ、数日前までいたはずの数万人の難民が忽然と消えていたのだという。わずかに残っていた者たちに聞くと、スーダンに戻るよう指示をうけて去っていったのだという。

井戸(ソマリア編)

ソマリア遊牧民の話。
ソマリアに住んでいるのはみな同じ民族だが、細かい氏族に分かれている。ほとんどは遊牧民で定住していない。
気候の厳しい地域であり、干ばつがあると一族ごと死んでしまうこともあり、そういう伝承が多く語り継がれているらしい。そして、彼らは最期までラクダとともにいて、ラクダから決して離れようとしない。

アブダラーワロ村の一日(セネガル編)

闇の中で立ち上がる(エチオピア編)

冷たき地獄(リベリア編)

リベリアの内戦について
ここまでも、アフリカ諸国のクーデターや内戦について書いてあったが、リベリアがこんなヤバいと知らなかった。
まず、冒頭で空港に降り立つやいなや、人だかりができて、パスポートや帰りの旅券やワクチン接種証明書を次々と取られていくシーンから始まる。
その後、案内役となった者から話を聞くと、どれかを持っていなかった場合、それを種に金を払わせるし、また、取られた書類も買い戻しする場所があるとのこと。
さて、リベリアについてだが、話は19世紀に遡る。アメリカ合衆国で黒人奴隷の帰還が計画され、リベリアに解放奴隷が「帰還」することになる。彼らは自由の身となり独立国を作ることになるのだが、奴隷として生まれ育った彼らは、奴隷制度しか社会制度を知らなかった。そのため、元奴隷たちは、自分たちが主人で、先住民の黒人たちを奴隷とする社会制度を組み立てる。市民権は元奴隷たちだけが専有した。
しかし、1980年に、先住民出身で曹長だったドゥがクーデターを行い、この制度は崩壊する。だが、このドゥがわりととんでもない、というか、そもそも彼はクーデターの意図はなく、賃金未払いについて詰め寄るつもりが大統領殺害に至ってしまったというもの。彼はいきなり最高権力者となり、一族を招き寄せるが、政治などわからないわけで、ギャングの支配と変わらない状態になる。
ドゥの部下が反乱を起こし、さらに別の部下も反乱を起こし、三つ巴の内戦に突入。
ナイジェリアが介入することになる。ナイジェリア軍が港に来たと聞いて、ドゥは何故かのこのこと港へ行く。が、これが罠で、戦っていた相手であるジョンソンに拿捕され、拷問にかけられる。この拷問も、お前の銀行口座を教えろっていう内容で、その上、口を割らないと耳を削ぐというもので、完全にただのギャングであり、その上この拷問・殺害は全て録画された上に市場に出回っているとか。
首都だって、空港についた途端に各種書類をもぎ取られるとかいう訳分からん地域だが、首都以外は完全に治外法権のような状態になっているらしい(各地の有力者がウォーロードという軍閥化している)。
呪術信仰も根強く残っているようで、度々、大統領に銃を撃っても弾丸がよけていくと信じられている旨書かれている。

物憂い川(カメルーン編)

カメルーンで、ポーランド人の司祭を訪ねる話。
アフリカでは、神を信じているかと聞かれることが多いという。ここでいう神は、具体的にどの宗教の神とかではなくて、なにか高次の存在。アフリカでは宗教への尊敬の念が強くて、土着の信仰、イスラムキリスト教各派が多数受け入れられている。
カメルーンの〈大いなる森〉は、非常に樹高が高い木々が生えているそうで、ヨーロッパの森とも赤道の熱帯雨林とも様相が異なると述べられている。

マダム・デュフ、バマコに帰る(セネガル/マリ編)

ダカールからバマコまでの列車の旅
筆者は、スコットランド人のカップルと、マダム・デュフと名乗る黒人女性と同じコンパートメントに乗り合わせる。
途中の駅には果物売りなどがたくさんいて、列車は数日に1回しか来ないというのに、一体誰に対して商売をしているのだろうと筆者は思うが、マダム・デュフは、バマコの5倍安い、ダカールの10倍安いといって買い込んでいって、コンパートメントを圧迫していく。
スコットランドカップルは、初めてのアフリカ旅行なのだが、もう誰とも会わないのだと決めている。筆者は、白人と黒人の経済格差、そして慣習の差から来る齟齬があったのだろうと想像する。アフリカは互酬の文化がある。何かしらのお世話になったらそれに対してお返しをするのが当然である。
一方で、どんどん膨らんでいって、筆者やスコットラン人カップルの座る場所を圧迫していくマダム・デュフに対して、筆者はアフリカも変わったなあと感慨にふける

塩と金(マリ編)

トゥアレグについての話
トゥアレグベルベル系の遊牧民で、特定の国ではなくサヘル一帯に広がって居住している。干ばつに襲われるとトゥアレグは農耕民のいるエリアに入ってくるので、定住する農耕民と古くから対立している。近年では、政府がトゥアレグに対して「対処」しており、またトゥアレグは隊商を襲撃して金銭を得ているが、隊商の武装化によりそれも難しくなり、トゥアレグは衰退している
「塩と金」は、かつて行われた遊牧民と農耕民との間の沈黙交易のこと。
最後に筆者は、廃れたトンブクトゥへと辿り着く。

見よ、主は速い雲を駆って(ナイジェリア編)

ポートハードコートの教会での話
あるキリスト教会派のミサを見学した時の様子が書かれているが、アフリカ人にとってのキリスト教が書かれている。
まず、ここに出てくるアフリカ人は、アフリカの中でも裕福な層で、欧州の価値観に触れている人たちで、近代化にあたってキリスト教も受容したいと考えている。
司祭が執拗に「お前たちは真のキリスト教徒か(いや、そうではない)」ということを迫ってくる(バックにオケもいて音楽面での演出もあるらしい)。
ここでアフリカ人には、そもそもキリスト教的な「罪」の概念がないということが説明される。アフリカにあるのは「悪」で、これは露呈した際に初めて成立する。他人にばれなければ悪にならない。そして、ばれればその時点で罰せられる。なので、悪と罰は同時に訪れる。なので、罰せられていない状態で内心、罪の意識を抱える、というのが分からない。
教会での司祭の説教は、そういう罪概念をアフリカ人に教える、植え付けるものなんだろうなあ、という話

オニチャの大穴(ナイジェリア編)

アフリカには、建物に店を構えている形態とは別に、青空市場というのがある。
ただ、筆者曰く、この青空市場というのは、実際にそこで商売をしているというよりは社交の場なのだという。そこに出ている商品というのは申し訳程度のもので、隣同士でずっとおしゃべりしているのが常だ、と。
で、オニチャにはアフリカ最大の青空市場ができると聞いて、筆者は是非見たいと出かけるのだが、途中で渋滞に巻き込まれる。
渋滞のもとを見に行くと、なんと道に大穴が空いている。迂回することもできないので、一台ずつその穴のなかに突っ込んでは、引き揚げてもらうというのを繰り返している。
これではとてもじゃないが、オニチャにはたどり着けそうもない。
しかしそこで筆者は、この大穴のまわりに人々の活動が起きていることに気付く。
物売り、自動車の修理業者、はてはホテルの客引きまで。
アフリカではお店に人が出向くのではなく、人が集まるところに物を売りに行く。まさに今ここで、それが起きているのだ、と。
後日、筆者は知り合う人に興奮してこのことを話すと、「オニチャならいつもそんなんだよ」と言われるというオチつき。

エリトリアの風景(エリトリア編)

内戦が終わり独立したばかりのエリトリア
高地と低地に分かれる国

木蔭にてアフリカを顧みる