北村紗衣『批評の教室』

サブタイトルは「チョウのように読み、ハチのように書く」(もちろんモハメド・アリの言葉が元ネタ)。批評を書くための方法を分かりやすく解説している。
ここでいう批評はかなり広い意味で使われていて、何らかの作品について分析して説得的に論じた文章、というくらいに捉えればよいだろう。
例えば、何らかのメディアで書評やそれに類する記事を書くことになったライターとか、自分のブログで好きなドラマ・アニメや音楽について感想を書いているがもう少し人に読まれる文章にしたいと思っている人とか、あるいは、文系の大学生で授業のレポートとして批評を書くことになった学生とか、そうした人たちが対象読者になるのかなと思う。
もちろんこれ以外の人でも、何らかの形で批評に興味のある人にとって、面白い本であると思う。


かなり実践的な内容で、「作品で起きた出来事をタイムラインにしてみる」とか「まずタイトルを決めてから書き始める」とか、そういったことが書かれている。
また、第4章では、筆者と筆者のところの学生の2人が、実際に批評を書き、お互いにコメントし、さらに対談したものが収録されている。これは筆者が、批評を通じてコミュニティを形成していくことを重視していて、それの実践例として示しているものになっている。


なお、出た当初から気にはなっていたのだが、twitterで著者が「分析美学を実用的に悪用している」と述べていたのが、最後の一押しになった。
https://twitter.com/Cristoforou/status/1444951738839027720

プロローグ 批評って何をするの?
第1章 精読する
第2章 分析する
第3章 書く
第4章 コミュニティをつくる―実践編

プロローグ 批評って何をするの?

キャロルの『批評とは何か』が引用されていたが、価値付けが批評に必須かどうかという問題には関心がないとした上で、特に初心者は、価値付けまでやろうとするのは大変だろうと述べている。
それから、批評するというのは作品の楽しみ方の一つであって、批評せずに何も考えないで鑑賞するのもまたありだ、ということを述べている。どちらも作品の楽しみ方の一つであって優劣はない、と。だから、批評しない人たちを下に見てはいけないと述べる一方で、「批評とかしないで何も考えない方が楽しいじゃないか」と言われた場合は「これが私の楽しみ方なんだ」とちゃんと言いましょう、ということも書かれている。
とても穏当な立場だし、「何も考えずに楽しめよ」派に対するスタンスがはっきり書かれているのもよい。

第1章 精読する

精読は、ニュー・クリティシズムから出てきた概念

精読するのににやるべきこと
  • 辞書を引く
  • 何度も繰り返し読む・見る
  • 正しい解釈はないが、間違った解釈はあることを意識する

ここで、ウォルトンが引用され「虚構的真理」が紹介される。つまり、物語世界内の事実というのはあって、これを間違わないにしましょうという話

  • 作品のやろうとしていることを理解する

ポジティブなものとして出しているのか、ネガティブなものとして出しているのか、どちらでもないのかちゃんと把握する

  • フィクションには、意味のないものはない
    • 複数回出てきているものに注目する
    • しつこく時間をかけて描写されるものに注目する
    • 通常であればそこに出てこないはずのものに注目する
    • 登場人物が誰かに親切にする場合は深読みする

現実世界では特に何の意図もないということもあるが、フィクションの世界では登場人物の行動には何か意図があると考えるようにするということ

これは、あまり類書には出てこないと思われるし、筆者自身もなかなか普段の授業では言えないことだと述べつつ、説明している。
つまり、自分の性的な好みが作品の評価に影響してしまうことがあることを自覚すべし、という話で、確かになかなか大事な話だと思う。
好みの俳優が出演した作品は、そうでない作品よりも面白いと思ってしまう、という身も蓋もない話なんだけど、自分のバイアスのせいで読み間違えてしまうことがあるよという注意であると同時に、
逆に、それを利用した批評を書くこともできるよ、というアドバイスにもなっている。例えば、BL的観点で批評することで、今までとは違う解釈を提案するとか。

精読するのにやるべきではないこと
  • 登場人物を信じる(べきではない)

信頼できない語り手や、語り手ではない登場人物が嘘をついてるケース
信頼できない語り手はよく知られた技法でもあるので気付きやすいが、登場人物の嘘の方が気付きにくい。あと、最後まで嘘だったのかどうか分からないこともある。
注目ポイントは、どこそこに行くと言ったのに実際に行った描写がないとき。具体的な作品が2つ挙げられている

  • 作者の意図を探る(べきではない)

作者の意図が現れているとは限らないし、意図とは違うことが表現されてしまうこともある
作者と語り手の区別

  • 歴史的背景を無視する(べきではない)

作者は死なせても歴史的背景は死なせてはいけない

第2章 分析する

批評理論についての簡単な紹介と、実際の分析手法について
批評理論については、個々の理論について紹介するということはほとんどやらず*1、むしろ、批評を書くに当たって批評理論をどのように使うか、どのように付き合うかということが書かれている。
「巨人の肩の上に立つ」ためのもので、批評というゲームに勝つ*2ための戦略の一つであり、また、批評を書く際のアティチュードになるようなものだ、というようなことが述べられている。

タイムラインを起こしてみる

具体的な作品を例に出しながら、実際に筆者が書いた図付きで解説されていて、とても実践的
作品内で起きた出来事を時系列で並べてみよう、ということ
すごく短い期間の出来事だったり、あるいはかなり期間にわたってのお話だったりということが分かったり、あるいは、話の順番と実際の時系列が違うということが分かったりしてくる。

図を書いてみる

人物相関図を書いてみる
詩もイメージを図にしてみる
物語を、棒人間を使った簡単なマンガにしてみる
抽象化した物語の要素をあげてみる(昔話の形態分析みたいな奴)
モチーフ早見表を作ってみる
→ある作家や監督の作品にでてきたモチーフを一覧にして、そのクリエイターに共通したモチーフや、あるいは作風の変化を見つけられるようにする

価値付けする

再びキャロルの『批評とは何か』から、作品には「成功価値」と「受容価値」がある、と。
成功価値は、その作品が何を達成したか
受容価値は、受容者側がどのような経験をしたか
キャロルは前者を重視するのに対して、筆者は後者も大事だと述べる。
作品としての出来は悪いのだけど、嫌いになれない作品がある場合、どの点に惹かれるのか、自分にとってどんな受容価値があったのかを明らかにしよう、と。

  • 作品の「友達」を見つける

影響関係のある作品や、原作と翻案の関係にある作品、直接の関係はないがモチーフに類似性がある作品など、関わりのある作品をどんどん書き出していって、作品のネットワーキング作業を行う

  • 白いウサギは全て追いかける

分析段階においては、手がかりになるものは全て追いかけて、調べるべし
ある作品を批評したい時、その作品を見るだけでなく関連するような作品も全て見るようにする
ここらへんは、個人的には耳が痛い話だった……w

第3章 書く

実際に批評を書く方法について。
批評を書くための方法ではあるが、このあたりは、批評以外の文章を書くことにも応用が効く内容が含まれていると思う。
この章の前半では、筆者が実際に『ごん狐』をうなぎという観点から批評した文章を書いていくという形で進められるので、やはり実践的な内容になっている。

  • 切り口を決める

分析する際にはあらゆる手がかりを集めるのに対して、書く際には、切り口を一つに絞って、関係しないことは書かないという決断が必要。これまた、個人的には耳が痛い話だった

  • タイトルをまず決める

文章の書き方指南において、タイトルを最後につけるというのが一般的な気がする*3のだが、最初に決めるようにすすめている。切り口を決めて、それにそったタイトルをまずつけることで、それが縛りになる、ということが述べられている

  • 書き出しは作品情報
  • 切り口の提示と巨人の肩にのる

ここでいう「巨人の肩にのる」は、関係する文献をひたすら調べること。ここでは、『ごん狐』をうなぎという観点から書いているので、『ごん狐』が書かれた当時のうなぎに関する新聞記事などを調べている。文献の調べ方の勉強にもなる。

  • 書けない時は照明を褒める
  • 作品の様子を把握できるように書く
  • 感動した理由を書く
  • ターゲット層を想定する
  • 好きな書き手をロールモデルにする
  • 時にはルールを無視する
  • 型にはまる
  • 人に好かれることは諦める


ところで、うなぎについて色々調べているが、最後に実は私はうなぎは嫌いです、というオチがある(批評は好きだから、嫌いなものについても調べられるのだ、という話になっている)
それは全然構わないのだけど、北海道だとうなぎを食べないので好きにならなかった的なことが書いてあったので、同じ北海道出身者として、子どもの頃うなぎ食べてたし好きですが、ということを一応表明しておこうと思ったw*4

第4章 コミュニティをつくる―実践編

フィッシュの解釈共同体モデルについて説明したあとで、実際に批評を通じてコミュニティを作る例として、指導学生の1人と互いに批評を書いて議論しているところを掲載している。
具体的には、『あの夜、マイアミで』と『華麗なるギャッツビー』(2013年の映画版)の2つの作品について、筆者と学生が書いた批評文とそれに対する相手のコメントと、紙上ゼミと題した2人の対談が掲載されている。

*1:ポストコロニアルフェミニズムクィアについては簡単に触れている

*2:ここでの「勝つ」は誰かと戦って勝つというわけではなく、自分がより面白いと思えることをするという意味で使われている

*3:あまりその手の本などを読んでいないので分からないが

*4:ただ、ある時期からは食べていない。絶滅危惧種なので……。完全養殖はやく実現して