ほとんどそのタイトル通り、同人音楽についての研究の本。
自分は、同人音楽といってもニコ動やネットレーベルで触れているだけなので、普通に勉強
音楽学系の本もほぼ読んだことないのでそういう意味でも。
第1章 同人音楽への招待
そもそも同人音楽とは一体どういうようなものなのか、ということで、同人音楽即売会*1M3を例に、紹介される。
この章は、「同人音楽とは何か」ではなくて、あくまでも同人音楽の雰囲気の紹介という感じ。即売会が一体どういうような場所なのかということのレポートとなっている。
第2章 概念としての同人音楽とその射程
同人音楽とは何か、山田晴通がポピュラー音楽とは何かを論じたのに倣いながら論じていく。
「ポピュラー」という語が、それが何に対置されるかによって意味を変えていくのと同様、「同人」という語もこれという1つの意味に限定することはできない。ここではその複数の意味を見ることで、多角的に同人音楽とは何かについて考えていく。
例えば、「同人」ということで意味されるものとして、「自主制作」「流通形態」「信念」といったものがあげられる。そうした個々のスケールにてらして、「これは同人ではない」とか言われたりするのだが、同じ作品でもどのスケールで見るかによって同人であるのかないのかというのは変わってしまう。
また、同人音楽を可能にした環境要因にも注目している。
第3章 同人音楽「と」ジャンル
「同人音楽」というのはジャンルなのか。そもそも、ジャンルとは一体何なのか。
同人音楽という言葉がジャンルと絡めて言われる時、どのように使われるか、ここでは3つの用法があげられている。
1つは、「同人音楽」はジャンルであり、商業音楽と対置されている用法。もう1つは、同人音楽の中に、テクノやロックなどのジャンルがあるという用法。最後は、「同人音楽」はジャンルであり、テクノやロックなどと対置されているという用法。
さて、そもそもジャンルとは何かということでいうことで、作品の特徴を分類したもの、というものに加えて、その作品の体験に関わるものという考えがある。後者の場合、ジャンルは集団とも深く関わっている。どちらに注目するとしても、ジャンルというのはその境界が変わりやすいものでもある。
ここでは、同人音楽共同体と既存のテクノ共同体やロック共同体との混在について、同人音楽の特徴を見ている。
また、同人音楽共同体における「オタク」ということについて、「スティグマ」と「エンブレム」というキーワードを通じて論じている。
第4章 同時音楽批評は可能か
ここでは同人音楽の「語りにくさ」として、アレンジ系同人音楽をあげている。
ここでは東方が例に出されているが、東方に限らず、1つの曲に対して無数のアレンジが発生する。そして、それらの全てを聴くこともおそらく不可能だ。
そうしたアレンジ曲の「群体」に対して個々のリスナーの聴取体験はそれぞれバラバラになる。このズレを「うごめき」と称し、この「うごめき」にどう向き合うかと筆者は問う。
ここでは、私的な聴取体験の報告にとりあえず可能性を見出そうとしている。
プロムナード
M3創設者である相川宏達、寺西慶祐両氏へのインタビューがそれぞれ掲載されている。実は本書で一番読み応えのある場所かもしれない。
M3がどういう経緯で作られるにいたったか、M3のコンセプト、何故「音系」なのか、M3以前の「音系」サークルの実体など
第7章 純愛者であることの困難
アマチュアという言葉の中にある、損得から離れて音楽なりスポーツなりを純粋に愛しているといった含意について、その歴史的変遷をたどるもの。
終章 ふたたび、同人音楽
もともと、別々の場所に掲載された論文をまとめなおしている本なので、第二部の3つの論文はそれぞれ面白いのだが、ややバラバラな感があり、ここで「妨げられないこと」をキーワードにまとめなおしている。