「佐伯祐三 自画像としての風景」展

最終日に滑り込んできた。
東京ステーションギャラリー地味に初めてだったような気がする。
佐伯祐三は、近代美術館にある「ガス灯と広告」が結構好きだったものの、それ以外について何も知らない状態だった。
かなり充実したボリュームの展示で、予想以上に見応えがあった。
直前に秋田麻早子『絵を見る技術 名画の構造を読み解く』 - logical cypher scape2を読んでいたので、そのメソッドを意識しながら見てたら、「構図のバランスとれててすげー」って思うことのできた作品もあったし「この線の位置をどう考えればいいか分からん」という作品もあった。
自分は、抽象画とかから美術見るようになったので、逆に静物画とかに苦手意識(?)があったのだけど、そういうのも見方が分かるようになった気がした。
佐伯祐三についていうと、想像以上にすごかった。
まず活動期間の短さ
30歳で結核で亡くなっており、その活動はおおよそ渡仏した1924年から1928年の4年間に集中しており、その4年間で画風を著しく変化させている。
パリの街並みを描いた風景画からある種の抽象の道を辿っていく様には感動する。
そして、奥行き感のある絵と平面的な絵を行き来することとか、構図や色のバランスの取り方の巧みさとか

プロローグ自画像

1919年~1923年の学生時代の頃のもの。1923年の東京美術学校の卒業制作もあり。
《パレットを持つ自画像》(1924)
セザンヌの影響が見られる作品
《立てる自画像》(1924)
パリに着いてヴラマンクのもとへ裸婦画を持っていったら「このアカデミック」と罵倒されたというエピソードがあり、そののちに描かれた作品。自画像というが、顔の部分が消されていて云々というのもあるが、赤と緑の補色が使われていて、なるほど色のバランスを取っているのだなと分かる。この赤と緑の組み合わせは、佐伯作品の中では何度となく使われている。ところでこの作品ちょっと面白くて、カンヴァスの裏側に《夜のノートルダム》という別の作品が描かれていて、両面が見えるように展示されていた。

1-1 大阪と東京:画家になるまで(1918~1923)

《勝浦風景》
和歌山の海。個人蔵。遠景に水平線、中景に筆触の荒い波、近景に岩場と船があり逆三角形の構図
《目白自宅付近》
林を描いている作品だが、木の1本が画面の横幅横3分の1あたりを区切る縦の線となっている。この木の上下が画面により見切れるように配置されているのが、なかなかかっこよろしい

1-2 大阪と東京:〈柱〉と坂の日本―下落合と滞船(1926~1927)

本展覧会は、時系列順と見せかけて微妙に時系列順ではない。
佐伯は、2度渡仏しており、1度目の渡仏と2度目の渡仏の間、帰国していた際には下落合に住んでいた。
電柱などへの注目は、パリ経験を東京の景色を描くのに応用したもの?(なんか、そんなような説明が書いてあった気がする)

  • 《下落合風景》

全く同じ場所を描いた絵を複数枚展示されていて、見比べるのが面白い。
ここでは《下落合風景》という作品が2点展示されている。タイトルが同じなので、展示番号の17と18で区別する。
《下落合風景》(18)は、近景の画面半分より少し左に電柱があるのだが、構図的にこれがよく分からない。カンヴァス自体はやや縦長の長方形。
《下落合風景》(17)の方が構図がすっきりとしていてバランスがよく感じられる。横長長方形のカンヴァスで、18にあった近景の電柱はない。右の赤い家と左の白い街灯でもバランスを取っている。17は和歌山県立近代美術館蔵、18は個人蔵である。
しかし、眼をひかれるのは18の方ではないか。空のグレーの塗りが好きなのと、道の奥行感(遠近法)が強い(?)感じがして、眼がひきつけられる。先ほどの近景の電柱も、奥の電柱とあいまって遠近法に寄与しているのかもしれない。
《看板のある道》
秋田麻早子『絵を見る技術 名画の構造を読み解く』 - logical cypher scape2でいうところのジグザグ型のリーディングラインか。左奥、消失店に向かって伸びる道があり、そこから右手前の看板へと縦方向のジグザグ。なお、看板の文字がそのまま描かれている。佐伯作品といえば、パリの看板の文字を描いた作品のイメージが強いが、日本で描いた作品で文字を描いている作品はあまりないようだ。
《ガード風景》
奥行が深い。遠近法を強調して、道の奥まで描く作品がたびたびある。
《下落合風景(テニス)》
横長の構図だが細い電柱と木で縦へのラインが入っている。右上の絵具感ある雲と左手前の選手のシャツがともに白で、やはりバランスをとっている。
《雪景色》
以前、近代美術館で見かけて気になった奴。放射状の構図。近景(画面下)は真っ白。坂道らしいが、あまり立体的には描かれておらず、坂道だと分からない。しかし放射状の構図により、坂道が向かう方向性は出ている。
《目白の風景》
横長の建物を画面上・奥に配置するのと手前がぼけているのが《雪景色》と似ている
《滞船》(37)
《滞船》というタイトルの作品はたくさんあるのだが、37番の作品は特に平面的。マストの織りなす線が描きたかったらしい。

親しい人々の肖像

タイトル通り、肖像画が集められているセクション

静物

静物画セクション。
パリで、天候が悪くて屋外に出られないときに描いたもの。
《薔薇》
中心の赤いバラがフォーカルポイントとして、その上に薔薇の花によって斜線が構成されている。この斜線、秋田麻早子『絵を見る技術 名画の構造を読み解く』 - logical cypher scape2的にはどういうことになるのかなあというのが分からなくて気になった。
《人形》
1か月の生活費分の金額を衝動買いしたという人形
テレピン油のある静物
水色の油缶(?)に文字が! 机による斜めの線、静物が3か所にあってバランスをとっている感じ
《ポスターとローソク立て》
やはり文字があり、《テレピン油のある静物》より平面的な感じの絵。普段の自分だとこっちのほうが好きな気がするのだが、今回は《テレピン油のある静物》の方が好きだなあと思った。

2-1 パリ:自己の作風を模索して(1924)

《パリ遠望》
セザンヌ風の作品
セーヌ川の見える風景》
1回目の渡仏時、パリの南西に居を構えたらしい。おそらくその方向からパリを見ている絵。右手前の近景にある白い橋がフォーカルポイントっぽいが、画面の真ん中に小さなエッフェル塔があり、画面全体のバランスをコントロールしている。それより上半分は空
《パリ郊外風景》
緑色が《立てる自画像》で使われていたのと同じ緑色。家の傾き。ヴラマンクの影響で固有色を使い始める
《パリ雪景》
なんとなく動き、というか揺れているような感じるのは、手前の家がでかいからだろうか?極端な遠近法というか。雪道の白さも印象的。

2-2 パリ:壁のパリ(1925)

1度目の渡仏時は、次第に建物の壁というモチーフを発見していく。そして、壁だけを描くようになる。
《パリ15区街》
色のバランス。左右の明暗、赤と緑
《運送屋(カミオン)》
同上
《コルドヌリ(靴屋)》
雑誌の表紙写真のような絵。靴屋の入口のある壁を描いている。ラバットメントパターンのところに「靴屋」という文字が来ているのではないか。
《レ・ジュ・ド・ノエル》
画面のど真ん中に、左右対称、平面的な構図で描かれている。緑とオレンジのコントラストも鮮やか。なお、同じ建物を描いた別作品があるが、そちらは建物の奥行が描かれている。こちらの真正面な方が断然よい。和歌山県立近代美術館蔵。別アングル作品は中之島美術館蔵
《壁》
サインには完成日も描かれていて本人にとって特別だった作品らしいが、色味が地味なこともあって、最初見たときはあまりピンと来なかった。むしろ、《コルドヌリ(靴屋)》や《レ・ジュ・ド・ノエル》の方がかっこよく見えた。その後、少し離れてから見るとハッとするものがあった。
《パストゥールのガード》
これもなかなかいい作品。真ん中にまっすぐ横一直線のガードがあり、その下には、道路が曲線で描かれている。ガードの上の、オレンジ色の看板、その横の鉄骨の構造物、そして汽車の煙……

2-3 パリ:線のパリ(1927)

2度目の渡仏。看板の文字、木、電線などの細い線をたくさん描くようになる。
佐伯祐三といえばこれ、という画風を確立させていく。
《ピコン》
木なのか電線なのか、線が踊る。ピコンの看板のオレンジも目を引く
《オプセルヴァトワール附近》(95)
和歌山県立近代美術館蔵。部屋の窓から、道を見下ろした景色。枝や電線を描くような線で道行く人も描く
リュクサンブール公園
マロニエの並木によって縦長のV字型に切り取られた空
《オプセルヴァトワール附近》(99)
中之島美術館蔵。右手の並木や左手の道が遠近法による奥行感をもって描かれているのに対して、枝の細かな線や壁のポスターは平面感がある
《街角の広告》(102)
遠近法が強め
《広告(アン・ジュノ)》
坂の手前の家
《ガス灯と広告》
ガス灯が3分の1で画面を区切る。ガス灯の左までは文字ポスター、すぐ右は絵のポスターで色も違う。左には緑と赤の人。
ごちゃごちゃ感もあるのだが、右斜め方向から見るとかっこいい!
《ラ・クロッシュ》
左右の色バランスがいい。《ガス灯と広告》よりもいい絵に見えた気もするのだが、上述の通り、右斜め方向から見た《ガス灯と広告》のよさが勝った
《新聞屋》
第1次パリ時代風のお店の壁を描いた作品。一方、たくさんの新聞がかかっており、文字もたくさん描かれている。
《門の広告》
第1次パリ時代にも描いていた広告の貼られた門が、より平面的に、というか平面化の極致みたいな感じで、立体感がないので、門を描いたものだと分からないほど。また、門以外の背景も描かれていない(空なんだろうけど、全く空っぽさがない)。
《共同便所》
左右対称ど真ん中構図。便所の真ん中部分には、縦に並んで、白背景の文字や青背景の文字が描かれている。
説明書きによると、独特の形をしたパリの共同便所は、絵に描かれることもなくはなかったが、教会かのように描いたのは佐伯くらいだったのでは、と。ところで、秋田麻早子『絵を見る技術 名画の構造を読み解く』 - logical cypher scape2を読んでいたので、なるほどこの左右対称構図が、教会っぽさ(宗教画っぽさ)を出していることなのね、と説明に理解がいった。
《テラスの広告》
椅子やテーブル、パーテーションの曲線が画面を彩る。赤や緑を背景にした文字
ガラージュ》
建物の屋根が右上から左下にかけての斜めの線で、道が右下から左上への斜めの線になっていて、右から左への三角形になっている。三角形の頂点にある門がフォーカルポイントか。そこから壁に向けて文字が描かれている。
《工場》(1928)
幾何学的な図形を平面に敷き詰めたような絵で、線がごちゃごちゃと傾いていて、一体どうやってバランスをとっているんだ、と。
1927年にはとにかく文字を描きまくっているのに、1928年以降の作品からは、文字が消え去っている。短期間で色々なことを試している感がすごい。

3 ヴィリエ=シュル=モラン(1928)

パリを離れ、ヴィリエ=シュル=モランという田舎へ一時、居を移していた。
《モランの寺》(127)
モランにある教会を何枚も描いている。127番の絵は輪郭線が太く、デフォルメされたタッチ。
《モランの寺》
128番の絵は、教会の尖塔を右手に描き、建物と併せて右寄りの十字になるように描かれている。

《村と丘》(134)
《カフェ・レストラン》
後景には柵?梯子?の直線。前景には椅子やテーブルの曲線。描かれている人物は3人ともメガネ。赤
《煉瓦焼》
線の強さと簡素さ。赤と緑のバランス。正面・左右対称・直線と曲線。レンガの平面性というか、絵具そのまま感。佐伯の色々な要素が凝縮されているような作品

エピローグ 人物と扉

時期的に絶筆であろう作品をいくつか並べている(正確にどれが最後に描いた作品かは分からない)

略歴

大阪生まれで大阪の旧制中学を出た後、東京美術学校
そこで結婚し、娘も生まれる。一方で、父親と弟を相次いで亡くしてもいる。
実家の援助もあって妻子とともにフランスへ。なお、出発直前に関東大震災があって、荷物が焼けてしまったりしたとか。
健康状態を家族から心配され、一度帰国するも、再びフランスへ
弟も結核で亡くしているが、本人も結核で、しかし雨の中でも外で絵を描いていたりしたために病状が悪化し、30歳で亡くなる。
さらに、6歳の娘も結核になっていて、数か月後に父親の後を追うように病死。
夫人は、夫と娘の遺骨を抱えての帰国となったらしい……。