チューリヒ美術館展――印象派からシュルレアリスムまで

オルセー美術館展 印象派の誕生――描くことの自由―― - logical cypher scapeに引き続き、はしごした。
どっちも新美術館
オルセーは、混雑っぷりもあって、決して悪くはないけど、ちょっと疲れの方が大きい、という感じになったけれども、チューリヒは、よかった。混雑についていえば、オルセーよりはまし程度で、こちらもそれなりに混んでて、ところどころ人だかりのできている絵はちゃんと見れないところもあったけれど。
やっぱり自分は、20世紀の絵が好きらしくて、満足度は高い
今まで、印象派展とかシュルレアリスム展とかでは見てきたけど、オルセー展も含めて、19世紀からずーっと流れで見れたのがよかったのかな、という気もする。
あと、鈴木雅雄編著『マンガを「見る」という体験』 - logical cypher scapeを読んでたから、シュルレアリスムの見方がまた少し変わったところもあったかも

1 セガンティーニ

北イタリアの分割主義の画家。表現主義に影響を与えた、とか
うん、まあそんな感じだった

2 モネ

部屋に入った瞬間、目の前に「睡蓮の池、夕暮れ」でかい!
夕暮れなので、結構色々な色が。やっぱ、画面全部が水面ってのすごい
あと、「陽のあたる積み藁」と「国会議事堂、日没」
「国会議事堂、日没」は名画だなー。自然と目がいくし、ずっと見てたくなる
積み藁も、ピンクとか青とかエメラルドグリーンとか、そういう色が見えてくるのがいい
ドガ「競馬」
競馬っていうのは、近代的なモチーフだったらしい。マイブリッジの連続写真の影響も受けているとか。オルセー展の方にあった馬の絵は、はっきりとは分からないけど、脚が4本とも地面から離れていたようにも見えた。

3 ポスト印象派

ゴッホゴーギャンセザンヌ、ルソーと人気のある画家ばかりが並んでいたので混んでいたが、逆に自分はあまりゴッホとかがわからないので、あまりちゃんと見なかったとこだ
セザンヌの「サント=ウィクトワール山」は見たけれど、特にメモが何も残っていない

4 ホドラー

スイスの象徴主義の画家
全く知らない状態で見たんだけど、よかった
パラレリズムという平行とか左右対称とかを描く
人物を描いた大きめの作品と、風景を描いた小さめの作品。どちらも油彩だけど、前者はべたっとした塗り方で輪郭線も太い感じだけど、後者は水彩っぽいあわい色合いですーっとした塗り、はっきりとした線が何本か描かれているけど輪郭をくっきり描いてる感じではない。
最初は、風景画の方が気に入った。
「ケ・デュ・モンブランから見たサレーヴ山」は、シンプルな線で描かれた水色で塗られた山と、手前はちょっと緑かかった色で塗られて、水鳥みたいなのがちょんちょんと
「日没のレマン湖」は、雲、地平線、湖、湖の水面が平行に何本も描かれていて、「これがパラレリズムか」と。自然の中の秩序、みたいな感じで、ロバート・ローゼンブラム『近代絵画と北方ロマン主義の伝統』 - logical cypher scapeの話を思い出す
最初見たときは風景画に気を取られていたけど、あとでもう一回見たときには、風景画よりも人物画の方に目がいった
特に「真実、第二バージョン」は、すごくでかくてしかも完全に左右対称になっていて、これもなかなか変な絵だけど、なんかすごい
左右対称とか平行とかを描くことで、宗教的なもの、超自然的なものを描こうとしているのかもしれない

5 ナビ派

うーん、なんか自分が思ってたナビ派と違う
もともとナビ派ってあんまりよく知らないけど、過去に別の展覧会で見かけて、なんとなくこんな感じかなと思ってたんだけど、それとはまた違っていて、よく分からなくなった。
ヴァロットン「アルプス高地、氷河、冠雪の峰々」はモチーフは好きかも

6 ムンク

「冬の夜」は、手前の木のあたりになんか丸いうねりみたいなのがあって、いかにもムンクという感じの絵
「ヴィルヘルム・ヴァルトマン博士の肖像」がよかった
わりとカラフル。筆触とか輪郭線とか構図とかが、左上方向に向かっているような感じがあって、描かれている人物自体は静かに立っているのだけど、絵の雰囲気としては動きがある

7 表現主義

ベックマンが3枚
「女優たち」は、なんというかザ・表現主義みたいな絵なんだけど、描かれた年を見ると1946年で一枚だけ戦後*1
「スヘフェニンゲンの海岸の散歩」がよかった
表現主義的な絵っていままでそれほど好きではなかったんだけど、なんかポストカードを買ってしまうほど気に入った*2
街灯の立ち並ぶ道が真ん中から奥に向かって延びている。左側、馬車か何かの後部がフレームに切り取られる形で入っている。一番手前には少年。車の中の女性と少年はそれぞれ反対の方向を見ている。右上には入道雲、右側には波の高い海。
この構図の切り取り方がなんかすごい。少年と女性の交錯の一瞬なんだけど、街灯によって強調された遠近感と、入道雲と海という風景の組み合わせが、それだけでない広がりを持たせている、というか何というか。
キルヒナーというのは、ホドラーからの影響を受けているらしい。その「小川の流れる森の風景」というのは、ピンクと水色をした木が垂直に何本も並んでいる絵で、色合いがちょっとサイケトランス的な感じがしないでもない。

8 ココシュカ

オーストリア表現主義の画家、ということらしいけど、これまた全然知らなかったので、どういう人なのかよく分からない
そして、絵もよく分からなかったのだけど、分かったら面白いんじゃないのかこれは、という雰囲気はあった。
「騎士、死、天使1」もなんというか、ザ・表現主義みたいな感じの絵かなあと思った。
一番特徴的なのは「プットーとウサギのいる静物画」で「うねるような筆致」と説明されていた。
その3年後に描かれた「恋人と猫」は、「安定した構図になった」と説明されていて、確かに見やすい。「プットーとウサギのいる静物画」はすごくぐちゃぐちゃしている。「モンタナの風景」は、構図はある感じだけど、なんか複雑な感じがした

9 フォーヴィスムキュビスム

ヴラマンク「シャトゥーの舟遊び」は、青い画面に白い帆と点々とした朱色が映える
マティス「バルビゾン」マティスっぽい塗り方の緑
ピカソは、裸のマハをモチーフにしたという「大きな裸婦」で、これはこの中では唯一戦後、1964年の作品。戦後のピカソはもうなんでもありな感じになっちゃって、まあすごいけど、「はいはい」って感じにもなってしまうんだよなあ
1924年の「ギター、グラス、果物鉢」の方がやはり好み。机と壁が一体化してしまっているようなキュビスムな絵。色がとてもくっくりしてわりと明るい。グラスは、白く塗ったところに輪郭線だけ描いてある。画中画っぽいフレームが後ろに。
ブラックが2点。一次大戦に従軍後で、色が暗い、との説明

10 クレー

で、クレーが相変わらずよくわからん
1920〜30年代の絵が4枚。同時期っていうとやっぱシュルレアリスムか。シュルレアリスムの絵を見た後にみると、何となく通じるものがないでもないところはあるのだけど、しかし何というか、1910年代から20年代にかけてはキュビスム抽象絵画があって、30年代にシュルレアリスムがあって、その間にいるような感じだけど、クレーはなんかどっちとも違っていて、なんか浮いている
他の運動は、抽象絵画とかも含めて、こう流れの中で見ていくことができるんだけど、クレーはなんでこうなったって思ってしまう
こいつだけやけにコンセプチュアルというか、実験的というか、頭で考えて描いているというか、そのせいで、表面上はどれも全然違う見た目をしているし
しかし、一方で、自由な線と柔らかい色のせいなのかどうか、素朴に人気だったりするよね、クレーって。それがますますよく分からないんだけど。
象形文字のイメージとかを使ったという「狩人の木のもとで」。これ、タンギーとかミロとか見た後に見ると、何となく「形象」ということで繋がるのかなと思って、最初見たときは全然よく分からなかったのだけど、一応了解した
「深淵の道化師」は、厚塗りしたにひっかき傷のような線で、子どもが描いたような絵を描いてあるというもので、この中で一番実験的な絵だと思う
「操り人形」は、植物のエネルギーが云々と説明されていた
「スーパーチェス」は、格子模様の絵。モンドリアンのようでいて、見ているとブロックが積み重なった立体的な絵にも見えてくる。

11 抽象絵画

カンディンスキー「黒い色斑」
やっと、カンディンスキーが少しわかってきたかもしれない。続いて、モンドリアン「赤、青、黄のあるコンポジション」もあったのだけど、カンディンスキーモンドリアン、つまり抽象絵画って、本当に「抽象」であって、何かを描いているわけではない。
ということで、もはや「絵」ではない。
ウォルトン抽象絵画も「ごっこ遊び」する「再現」だって言ってる*3けど、カンディンスキーモンドリアンは、そういう「ごっこ遊び」もギリギリ成り立っていないような気がする。クレーの「スーパーチェス」は、ブロックが積み重なっているように見える分、十分「ごっこ遊び」性がある。
カンディンスキーなんて、上も下もないような絵を描こうとしていたらしいし、記号っぽいというか、なんなんだあれ、図形というか線というか。
狭義の抽象絵画と言われる絵を除くと、やはり絵とは何かを描写したり再現したりしようとするもので、それを色々こねくり回す中で、自然に見えるのとは全然違う形や色になったりはするけれど、再現は再現。抽象絵画は、もうただ色と線の配置。
個人的には、1920年抽象絵画に到達しつつも、結局抽象絵画で絵画史は終了、とはならずに、また何かを描くという方向へ行くっていうのはなんでなんだろうと思ってたけれど、そこまでいっちゃうとやっぱもう絵じゃなくなってしまって、その先には進めないから、そっちに進むのはやめろってことになったのかな、と思った。
キュビスムなりシュルレアリスムなり、パッと見で何描いてるのか分からない絵でも、見慣れてくると、「あーあの部分が何かな」とか思えるけど、抽象絵画はもうそういうのがなくて、カンディンスキーモンドリアンはそれぞれ音楽にたとえられるけど、まあやっぱり音楽だなって思う
カンディンスキーは、ビバップとかビッグバンドとかで、モンドリアンは、ピアノ曲なイメージ。ピアノなのは、構成要素がきっちり分節されているから。
レジェは、第一次大戦に従軍してから武器に魅力されて、灰色のグラデーションでメタリックな質感出して「機械」を描くようになったらしい。こちらは「機械」というモチーフがある分、カンディンスキーモンドリアンと比べると、多少「再現」っぽいところあるけれど。「機械的要素」は、灰色のグラデーションの部分はともかく、なんとなく8bitサウンドのイベントとかのフライヤーに使えなくもないんじゃないかというデザインだった。でも、あとで気付いたんだけど、多分それ、真ん中に描いてある操作盤みたいなアイコンが、mograのマークに似てたから、だと思うw


これらの抽象絵画が「絵」じゃないのは、「再現」じゃないから、だけでなくて、テクスチャの問題もある気がする。特にモンドリアン
絵って大抵、実物を見ると、印刷物とは違って見える。それは色々な理由があるけれど、例えば筆触とか、絵の具が盛り上がっている感じとかだったりする。モンドリアンは、明らかにそういうのを消そうとしてる。カンディンスキーは、筆のあととかはあるんだけど、実物を見ることによってわかるテクスチャっぽさは、実はあんまりない気がする。
同様の感じするのは、抽象絵画じゃないけど、マグリット。彼は、商業イラストレーターをやってたはずなので、そういうとこもあるかもしれない。
印刷物であっても、鑑賞に事足りるのではないか、という感じがある。


アウグスト・ジャコメッティ「色彩のファンタジー
ジャコメッティが抽象画? と思ったのだが、彫刻家アルベルト・ジャコメッティの親戚らしい
1914年の作品でこれは油彩画だけど、パステル画で他の画家に先駆けて抽象に至っていた作家らしい
非常に明るい色合いなんだけど、黒の入れ方とかが、ポロックっぽいかな、と思った
ちなみに、ポロックとかは、抽象だけどテクスチャはある。あの大きさのこともあるし、印刷物と実物が明らかに違う

12 シャガール

シャガールって広い意味ではシュルレアリスムなのかもしれない
シュルレアリスムについては、最近、鈴木雅雄編著『マンガを「見る」という体験』 - logical cypher scapeを読んだから、自分の中で「形象」とか異なる視点の共存とかががキーワードになっているんだけど
ヴィテプスクの上で」
雪におおわれた街の風景の遠景に、巨人となった老人が立っている。道に延びる雪のかいた跡と思われる線とあいまって、幻想的。
「窓から見えるブレア島」
窓枠をフレームとして、緑の多い町を描いている。窓や町は、シャガールっぽいにじんだような色彩で描かれているのだけど、上空に、絵の具をそのままぼてっと置いたような水色が塗ってある。フレームの中に、明らかに異質な存在が配置されている。絵の具をそのまま絵の具だとわかるように置くっていうの、マネの「オリンピア」から続く、絵画のメディウムをあらわにする近代絵画の云々という、よくある奴なんだけど、シャガールの絵の中にあるとなかなか面白い
「婚礼の光」「パリの上で」
これらは、明らかに、マンガ的な、異なる視点の共存みたいな絵
「婚礼の光」は、シャガールアメリカに亡命し、そして妻が亡くなった翌年に、妻との婚礼を思い出しながら描いたという、そういうエピソードをもった作品なのだけど、絵を見てみると、空中にシャンデリアが浮かんでいるという謎空間が広がっている。視点が混在しているというふうに考えれば、マンガだったり観光ポスターだったりで、「近代人」には見慣れた空間かもしれないけれど、絵画として出されると、やっぱなんだこれはってなる。
「パリの上で」は、やはり亡命したアメリカで描かれている作品だけど、セーヌ川の上に抱き合った恋人が赤いオーラみたいなのをまとって飛んでいて、河辺に巨大な花瓶がどんと置いてあるという、これまたマンガ的な絵である

13 シュルレアリスム

まず、キリコの「塔」という縦長キャンパスで描かれている絵
エルンストの「都市の全景」は、近景の細部まで描かれた植物、中景のフロッタージュ(?)か何かで描かれた遺跡、遠景の巨大な月、の構図が秩序だっている
形象だ、形象だってここまで繰り返し書いてきたけど、それを一番思ったのは、タンギーとミロ
具象でも抽象でもない、絵の世界にしかありえないような対象としての「形象」
タンギーは、ちょっと『寄生獣』のミギーの精神世界っぽくもある。あと、一昔前のCGイラストくささある

14 ジャコメッティ

彫刻っていうのが全然分からなくて、ジャコメッティも、細いなーしか今まで感想がなかったんだけど、この流れだとなんか、「おおそうか」って気になってくるw
1930〜34年までシュルレアリスムに参加、1947年からあの細長いフォルムになっていったらしい
で、「広場を横切る男」とか「森」とかが、小田ひで次とか弐瓶勉とかに見えたんだな
あと、唯一、彫刻じゃなくて絵の作品で「矢内原伊作の肖像」というのがあったんだけど、これもサイバーSFの挿画みたいな、というか、やっぱ弐瓶だよねみたいな絵で
なんでもかんでも、弐瓶勉に喩えるのいい加減やめたいんだけどw でも、やっぱ弐瓶だ、みたいなw
「森」は弐瓶っぽくないけど。
「広場を横切る男」とか「森」とかも形象なんだと思うけど
彫刻っていうのは何なのか
彫刻に限らず、立体物(ジオラマ模型とか)って、絵画と同様に1つの世界を作っているんだと思うけど、絵画と違って、当たり前なんだけど、前後左右いろいろなアングルから見える
絵画と映画の違いについて、バザンが「マスクかフレームか」ということをいっているというのを三輪健太朗『マンガと映画』 - logical cypher scapeで読んだけど、そういう意味で、彫刻っていうのは一体何なのか、と。
ところで、「スケフェニンゲンの海外の散歩」とか、まさに車が通りすぎて、少年が歩いてくるという、映画的な、ある一瞬のマスクのようにも見えるけど、背景の雲と海と街灯が、フレームを1つの閉じた世界にしているんだよなあなどと思う。

*1:チューリヒ展、全体的に見て20世紀前半(大体30年代まで)のものがほとんど。19世紀のもの、戦後のものもあるけど

*2:表現主義については、宮下誠『20世紀絵画』 - logical cypher scapeを読んで興味がもてた

*3:マレーヴィチを例にあげて、色のついた長方形が別の色の長方形の上にのっているように想像するでしょって言っている