マグリット展

新美術館
マグリッドオンリーで100点以上、初期のものから晩年までおおむね時系列にそってずらっと並べられている。ところどころ、マグリッドの手がけた商業デザイン、マグリッドの絵が使われた書籍等も展示されている。
各ブロックごとの説明文は当然あったけれど、それぞれの作品ごとの説明キャプションはなく、ところどころにマグリッド自身の回顧録(?)からの引用が添えられていた。
個人蔵の作品が多いなあ、という印象も。


ここ最近、美術関連から遠ざかっていた(直近では古生物関係の本を立て続けに読んでいたし、このブログのアートタグを検索すると、去年10月が直近の記事だった)こともあって、自分の目や頭が美術モードにあまりなっていなかったかなあ、というのはある。
全体的な感想として、悪くはなかったけど、まあまあかなという感じ。
どうもマグリッドは、実物を見ても「うん、知ってる」と思えてしまってなかなか。
一方、伝記的事実はあまり知らなかったし、こんなに一挙にマグリッド作品を見るということもないので、その点勉強になったかなー、と。


繰り返し現れるモチーフが色々あって、鈴とか鳥とか空とか魚とか石とか大砲とかその他諸々、同じようなものをひたすら何十年も延々と描いていたのだなあという印象ももった。
むろん、画家って同じものに拘り続けてたりするものだし、また一方で時期によっての違いというのもあるのだけど、それにしても30年間ずっと鈴を描いてた画家、ともいえるんじゃないか、とも。
っていうか、あの球体が鈴だって初めて知ったけど。


マグリッドは、筆致とかも、初期はある程度筆の跡が見られるけど、ある時期からそういうのなくなっていくし、サイズもそれほど大きくなくて、だから、実物だからこそ、というのがあまりないなあという感じもあるけど。
『自由の入り口で』(1937)という作品と『無知な妖精』(1956-57)という作品はかなりサイズの大きいものだった。それから、これらの2作品は、わりとマグリッドのよく使うモチーフまとめ、みたいな作品になってる。


初期は、キュビスム未来派の影響を受けていたという。確かに、そんな感じの絵を描いてるけど、この頃のはあんまり面白くなかった。
パリに渡ってから段々マドリッドっぽくなってくる、というか。それこそ、鈴のモチーフが出てきたり、絵の中に文字を書いてたり。ちょっと変わった作品としては、目だけ描いた部分を円形に切り出した絵とか、透明なガラス板に5枚くらいの絵(それぞれ裸婦の部分になってる)を縦に並べてる作品とか
1930年代、ブリュッセルへと戻る。画業一本では食えなくなって、商業デザインの仕事を再開する一方、画風としては達成に至る。窓とキャンバスを組み合わせた風景画とか。
戦争が始まって、43年〜46年のあいだ、ルノワール風に描く時期がある。描いている内容はそれほど変わってないけど、ルノワール風の筆触分割で描いてる。その時期に、結構もろ反戦画っぽいのもある。戦争中でも、ベルギーだとわりとシュールレアリスム的な絵も描き続けられたのかなあ、と。
1950年代、再び30年代の頃に回帰して、マグリッドらしい絵が沢山描かれる。30年代との違いは、浮遊するように描かれるのが多くなったりしたこと。


マグリッドって、描かれているもの自体は写実的・立体的であるけれど、その組み合わせがおかしい、というものが多いかと思う
一方で、有名な「これはパイプではない」のように、文字を使って絵に対して自己言及するタイプの作品もあるけど、絵が平面であることを強調するような作品はないように思っていたのだけど、いくつかそういうのもあった。
『喜劇の精神』(1928)は、描かれているオブジェクトの影が壁に映っていないせいで、オブジェクトが壁とくっつているように見えて、絵の下半分は(影があるので)立体的に見えるけど、上半分は平面的に見える絵だった
白紙委任状』(1965)は、木と乗馬してる人が交互になっていて、平面的に見える。ただ、これにはマグリッド自身の言葉のキャプションがついていて、「隠されているもの」というテーマとして描かれていたらしい。「隠されているもの」というテーマは、窓とかキャンバスとかを使った風景画と通じているテーマ。あれもあれで、絵というものに自己言及しているタイプの作品ではあるけれど、写実的・立体的という要素は維持されているように思う。
『ジョルジェット』(1935)は、壁に鍵とか手紙とか卵とかが描いているのだけど、それがあたかもGUIのアイコンのように見えた。



あと、ダリに影響を受けた時期にちょっとダリっぽい、建物やろうそくの形が変になっている絵があったり
それから、戦後に開かれた個展の直前に一気に描き上げたという作品が、全然これまでと違う絵を描いている。ただ、世評としては黙殺されたらしい。実際、あまりピンとくる絵ではなかった。


『ゴルコンダ』(1953)は、人がたくさん浮いていることによって、空に奥行きがあるように見えるのがちょっと面白いなあと思った。


『光の帝国』を見ていた小学生が「すげー」って言ってて、「『光の帝国』を見てすげーって言えるのすげーな」って思ってしまった。なんか、こっちはもう、「あー『光の帝国』ね、知ってる知ってる」みたいになっちゃってるからw