「公共性とエリート主義」@新宿紀伊国屋サザンシアター

なんか、筑波批評メンバー総出(6人)で行ってきたw
会場に着くなり、「会場限定、東先生と北田先生のダブルサイン入り思想地図!」が売られていた。
客席には、思想地図関係の有名な人たちが結構いた感じ。
司会者が時間通りに始まらないことを詫びる。まあ、イベントなんてそんなもんだろうと思うが、理由が
「打ち合わせが盛り上がっていて」
会場から苦笑が漏れる。


真面目なレポートは既に沢山書かれているので、僕は不真面目なレポートを書こうかと思います。
まずは北田が報告を行い、それに対して鈴木、宮台、姜がコメントするという形で進む。
鈴木のコメントが終わったところで、東が
「北田さんがまとめて、それをさらにチャーリーがまとめて、僕が話すと、それをさらにまとめるという、三重の整理になってしまうんですよね」みたいなことをいう。
時々あるよね、みんな、まとめしか言わないことって。
とはいえ、今回は続く宮台が、北田と鈴木のまとめを「そうではない」と否定し、姜が別の視点を入れる、という感じで進む。
基本的には、東と鈴木が宮台に食ってかかるのだが、宮台がそれをさらに上回る勢いによって言い返すという応酬が何回かあり、その度に、「今日の宮台さんはなんか怖いよー」と思ったところで、姜の美声によって癒されるという展開でした。
そして、北田さんは最初と真ん中と最後しか喋っていない!
僕は、姜尚中のことよく知らないけど、何というかわりと彼に共感するところとかもあったなあ。あと、全然話噛み合わないのではないか、とか思ったけれど、決してそんなことはなかった*1


あとは、色々思いついたことを書いていくことにする。

モダンとポストモダン

鈴木が、最初のコメントで、同じ技術やインフラに対しても、モダン・アプローチとポストモダン・アプローチがあると言っていた。
宮台は前者、東は後者。
結局、その対立であったように思う。
id:klovが、シンポが終わったとに、「東の考えは面白くて好きだけど、SF。現実的には宮台的な考えにならざるをえない」と言っていた。
そしてこれはおそらく、宮台自身の考えにも近いはず。
ポストモダン的な世界を作るにしても、モダン・アプローチに迫るしかないのだ、何故なら現代はモダンだから。
そういえば、同じく鈴木のコメントで、科学技術(モダン)による国家超克(ポストモダン)なる話もしていたなあ。
問題は、どっちの方が実効性や力みたいなのがあるのか、ってことだろうなあと思う。
モダン・アプローチの方が、まだ力がある、のか
モダン・アプローチだってもうぐずぐずになっているのは確かで、意外とポストモダン・アプローチの方が、力がついてきちゃっているのか。

近代国民国家リージョナリズム・<帝国>

姜が、主権というものが、国家だけでなく、G11やIMFといったコンプレックスにもあるようになってきている現状を指摘する(ネグリの議論を受けながら)。
あるいは、もしアジア通貨危機が再び起こったのであれば、その際に決断しなければならないのは、国家という範囲ではなく地域という範囲なのではないか、とか。
これは、シンポが終わったとに、id:Muichkineid:klovと話していて、頭が整理された感じがしたのだが
近代的国民国家ポストモダン・グローバリゼーション的<帝国>があって、現状ではどちらも共存していて、どちらの論理にも対応しなければいけなくて、なかなか大変なのではないか。
そうであるならば、リージョナリズムというのは、一体どのように機能するのか。
国際政治ってさっぱりわからんので、よく分からない話だが。


姜は、アルゼンチンが破綻したときにアルゼンチンに行っていたらしい*2
通貨危機とか起こったら、自分たち*3も食えなくなる、というような話をしていて、そういうリアリティを持っている人なんだなあと思った。

ネグリをめぐって

ネグリの議論は薄っぺらではあるけれど、という前置きをおいた上で、姜はネグリの<帝国>的主権の話をする。
これに対して、宮台がムフによるネグリ批判を紹介する。
シュミットを用いたムフによるネグリ批判に関しては、「αシノドスVol.4」にムフのインタビューが載っている。これ読んでなかったら、ムフとか分からなかったのでよかった。
さてそれに対して、東がさらに返す。
すなわち、言ってみれば、シュミットとは政治「神学」であり、ムフは政治「否定神学」であり、ネグリとはデリダ脱構築なのではないか、ということ*4
シュミット−ムフが考える、友敵理論は、全体性(友の範囲)を想定するような主権=コントローラブルな国家主権についてである。
一方、ネグリの考える、<帝国>的な主権は、全体性を想定しないアンコントーラブルな主権で、もしかすると郵便的主権と言ってもいいかもしれない。
というのである。
東は、シュミットの「友敵」に対して、デリダの「歓待」をぶつけていた。「友敵」は境界を引くこと、「歓待」は境界を壊すこと*5だ、と。
こんなところで、こんなふうに話が繋がっていくとはなあ。

東浩紀の一貫性

パートタイムムーゼルマンとかパートタイムエリートとかの話をしていた。
これは別に、彼が最近言い始めたことではない。
動物化するポストモダン』から言っていること。
東のことを、それほど懸命にフォローしていない場合は、デリダについてやったり、オタクについてやったり、ギャルゲーについてやったり、情報社会についてやったり、国家についてやったり、訳分からん奴だなーと思われるかもしれないが、
ものの考え方のシステムというか基本的な発想とかリアリティみたいなものは、怖ろしく一貫している。
あとはそれを、オタクに応用したり国家に応用したりしているだけ*6
さっき、モダン・アプローチとポストモダン・アプローチと、どっちが実効性や力があるか、ということを書いたけれど
多分、東にとっては、ポストモダン的主体とかそういうのは、理論的可能性とかではなくて、日常的なリアリティをもったものなのだと思う。彼は、(自分でも悪い癖だとシンポで言っていたが)抽象的に話して、具体的な例を示さないので、「SF」のように見えてしまうわけだが。
僕の周りでは、「東の話ってSFじみているけどわかりやすいなあ」という感想が多かったのだけど、なんで「わかりやすい」かというと、そういうリアリティを共有しているからじゃないのか、とも思ったりする。

パートタイムエリートはアマチュア

東のパートタイムエリートという言葉を受けて、姜がアマチュアという言葉をくっつけたのだけど、アマチュアという言い方が正しいのかどうかは微妙。
東の考えているパートタイムエリートってむしろエキスパート、スペシャリストだと思う。
マチュアっていうのはむしろゼネラリストで、ゼネラリストがトータルなエリートだよなあとか。
でも、多分姜が言いたかったのは、アマチュア政治家、アマチュア市民みたいなものかなあと思う。
いわゆる「プロ市民」というのに対する意味で。
日本の旧来的な市民運動がうまく機能しないのは、それらに全く実効性が伴わなくなってしまったことだと思うのだけど、それとは別に問題点として、人数が絶対的に少ないので同じ人が複数の問題を処理しようとしちゃっていることがあると思う。
つまり、Aについてのデモがあって、それとはまた別にBについての勉強会があったとして、AとBは別の問題なので集まる人も別かと思いきや、メンバーは全く同じ、ということ。

設計主義・コミットメント・適切性

僕からコメントは特にないが、この3つが結構、大事なキーワードなんじゃないか、と思う。
あと、モチベーションとか。

シンポへ行った方へ

チャーリーがコメントしてた中で出てきた、ユナ・ボマーのドキュメンタリー映画って何か分かりますか?
あと、その映画の中に出てきたという、40年代のアメリカで行われていた会議の名前、教えて欲しいです。
ウィーナー、ミード、ノイマンらが参加していて、のちにLSD実験なんかとも繋がるというので、ちょっと気になっています。

他のレポート

議事録っぽくなっていて、詳しく内容が載っているのは
思想地図シンポジウムレポート(the deconstruKction of right)
だと思います。
あとは、トラカレさんが、リンクをまとめているのでそちらを参照してください。
http://torakare.com/archives/920

シンポのあと

id:kingworldくんが色々と声をかけてくれて、ゼロアカ道場参加者の人たち*7と飲み会をすることができました。
筑波組の都合*8のために、場所とか時間とかの制約がついてしまいましたが、楽しい飲み会でした。

まとめ(?)

今回、「全体性」という言葉がずっと言われ続けてきたのだけど、自分のレポートを見返すと全然その言葉を使っていないなあと気付く。
というか、まあ実効性の問題で、本当に社会とか変えることができるのかっていう話で
否定神学的に全体性を設定するモダン・アプローチと
全体性を脱構築するポストモダン・アプローチの
どっちが、その力を持っているのか、という話だと思う。
モダン・アプローチを実現するためには、社会の厚みが必要で云々とかいうことになる*9
ポストモダン・アプローチが、力を持つかどうかというのは、結局のところ、インターネット的なものが今後どのように展開していくか、ということなのではないかなあと思っている。
ただ、姜の話を聞いて思ったのは、それまでの移行段階としてリージョナリズム的なものが何か機能したりするのかなあ、ということ。

*1:東・北田がなるべく姜に振っていたというところもあるが

*2:確かに、テレビで見たような記憶があるようなないよう。いや、分からない

*3:多分、大学教授というポストに位置する、つまりある種のエリートたる自分たちのことだと

*4:宮台によるシュミットの解説を聞く感じでは、シュミットもまた「否定神学」的であるように思えるが、この際、シュミットが「神学」か「否定神学」であるかはどうでもよい

*5:全てを「友」の側に入れる、ということではない。そもそも「友」とか「敵」とかいった概念を無効化すること

*6:いや、「だけ」って言っちゃうと本人は嫌がるかもしれないが

*7:藤田直哉氏やid:mine-oくんなど

*8:終電

*9:そこで、トグヴィル主義がどうのこうの、という話になるんだな、なるほど。参照:http://d.hatena.ne.jp/klov/20080617/1213680741 中間層とか中間団体とか俺は必要だと思うんだけどね