集合体のアイデンティファイについて

twitterで真面目な話をつぶやくと、klovくんがたんぶらってくれて便利*1
そこで、まとめてくれた話というのが、2006年頃にこのブログで書いていたことと非常によく関わっているので、まとめてリンクをはっておく。


まずは、今日呟いたことのまとめはこちら。

正しさには、2種類ある。一つは、理念・目的の正しさ、もう一つは手段・手続の正しさ。僕は基本的に、集団には後者の正しさしか守ることができないと思う。手続を共有するのは簡単だが、理念を共有するのは困難だから、というシンプルな理由による。
(中略)
「理念」と「手続」を、「直接性」と「間接性」に翻訳してもよい(「間接性」ゆえに「手続」を要する / 「直接性」や「理念」を欲する)。「内包」と「外延」にも、頑張れば翻訳できるかもね。

http://d.hatena.ne.jp/klovlr/20080615/1213531646


SACの話はこちら

では、集団における不変量とは何なのか。
SACではそれは「正義」として提示されたのだろう。
荒巻という男の、類稀なる精神的高さを維持した「正義」

http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20051215/1134641480

集団については
「集団の取り扱い」
「集合は実在するか」


外延とアイデンティティに関しては
総検索社会と外延化するアイデンティティ
他者と触れあうことが出来るのは
まっしゅるーむの世界2005/ギートステイトハンドブック
ゲーム・データベース・キャラ/キャラクター


今の自分だったら使わないような言葉遣いをしているが、基本的なアイデアはずっと同じだな
ただ、方向性とかは、その時々によって多少ぶれている感じはするけど


集団だろうと個人だろうと、いいたいことは同じ
アイデンティファイする際に、目に見えないが中核となるような何か(本質)によるか、目に見える雑多な要素によるか。
雑多な要素のかき集めによる定義は、必ず何かを取りこぼしてしまうので、本質みたいなものをつけられるものならばつけたい。
しかし、そんなものは目に見えないのだし、多分ないので、雑多な要素によってアイデンティファイするしかないよね、個人にしろ集団にしろ、という話。パラメータやスペックやそういうものに還元してしまって計算可能にしてしまおう、という話でもある。そういう計算可能なアイデンティティのあり方が、「動物」という奴だろう。
ちなみに、仮想敵となるのが、ベルクソンだったりクリプキだったりする。僕は個人的には、ベルクソンとかクリプキとか好きなんだけどね。
逆に、ウィトゲンシュタインは強力な味方なんじゃないか、と思ったりもする。

*1:いつもありがとう