シルヴィ・パタン『モネ――印象派の誕生』

ターナーに引き続き、知の再発見双書。
まあ、伝記だが、そういえばモネの生涯ってどんなんだったか知らなかったわ、ということで読んだ。


パリで生まれてるけど、すぐに田舎に引っ越ししていて、生涯を通じてもわりと田舎暮らしを好んでいた人っぽい。若い頃は結構パリにもいるのだけど。
あと、若い頃はかなり貧しい。奥さんが体壊してしまうくらい。最初の奥さんは衰弱で亡くなっている。
仲間の画家(モネとか)からも結構経済的支援を受けている。
絵の値段も数百フランとかなのだが、それが次第に売れるようになっていって、晩年は1枚4,5万フランにまで値上がりしている。
青年時代は、ルノアールと画架を並べて絵を描いていたりもしたらしい。
印象派の人たち、分裂とか対立とかも色々あったようだが、なんだかんだつるんでいるというか、親しい間柄だったのかなーと思った。印象派という「グループ」は早々と崩れているっぽいけど(後の印象派展とか、モネはあまり出す気ないところ「裏切り者」と思われないためという理由で出してたりしているようで)。マネが早くに亡くなった後、マネの絵画を複数人で買い取って、ルーブルに収蔵するように働きかけたりしている。
ロダンと一緒に、モネ・ロダン展とかやってる。
後年、政治家で美術評論家のクレマンソーとも親しくなっている。


最初の奥さんが亡くなった後、子どもと一緒に他の家族のところに厄介になっていて、そしてそこの奥さんといい仲になり、旦那が亡くなった後に再婚している。これって不倫だよなーと思いつつ、この本だとそのあたりの機微というか事情というかそういうのには触れていない。単に、2人が親しくなってそういう関係になっていったということだけ書いてある。そこの家の子どもとも親しくなっているし、「愛している」って書いた手紙送りまくっているわけだが。
(追記:20140120)
人から教えて貰ったり、ググったりしたところ、アリスの前夫は破産して1人夜逃げしていたらしい。で、モネがアリスとその子どもも養うことになった、と。


1840年:パリに生まれる
1857年:コローが「空の王者」と呼んだブーダンと出会い、影響を受ける(絵の道へ進むきっかけ)
1862年:グレールのアトリエへ(バジール、ルノワールシスレーがいたみたい)
1865年:官展入選
1867年:のちに妻となるカミーユをモデルにした『庭の女たち』が官展落選
1874年:官展から独立した展覧会を開くために会社を設立。第一回印象派展。『ひなげし』『印象・日の出』など。しかし、酷評され「会社」は解散
1877年:パリで「サン=ラザール駅」に取り組む
1879年:カミーユ死去。『死の床のカミーユ
1881年:のちに妻となるアリスとその子らと転居
1883年:ジヴェルニーへ転居。ここが非常に気に入ったらしく永住することになる
1889年:モネ=ロダン
1890年:連作「積みわら」を制作しはじめる。本格的な連作はこれが初めてだが、シヴェルニー転居後から、連作に至るような試みはなされていた。
1892年:『ルーアン大聖堂』、アリスと結婚
1899年:ロンドン滞在、『ロンドンの国会議事堂』。シヴェルニーの庭の睡蓮をモチーフに絵を描き始める
1908年:ヴェネツィア旅行
1927年:シヴェルニーで死去

モネ:印象派の誕生 (「知の再発見」双書)

モネ:印象派の誕生 (「知の再発見」双書)