ティエリ・グルンステン『マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか』

フランスのマンガ研究書。サブタイトルにあるとおり、コマについての話で、物語論記号論なども踏まえつつ、マンガの原理を明らかにしようとする本。
マンガ批評、ではなく、マンガ研究であり、基礎的な概念を明らかにして名前を付けていくというような作業をしている。実際のマンガ作品からの引用もそれなりにあるし(ただし、図版の数は少ない)、決して分かりにくい話をしているわけではないが、とはいえそれでも抽象的・理論的な話も多く、またフランスのマンガ事情を背景としているので、なかなか一読して「よし、わかった」という感じの本ではなかった。
フランスのマンガ(バンド・デシネ(BD))を僕は一冊も読んだことがないし、そもそも有名な作家や作品の名前を知らないし、ましてやフランスにおけるマンガ批評・研究の文脈も全く知らないわけで、なかなか頭に入ってくるものも入ってこない読書だった。もったいない感じ。


【シンポジウム】第1回国際学術会議「世界のコミックスとコミックスの世界――グローバルなマンガ研究の可能性を開くために」 | 講演会・研究会 | 京都精華大学国際マンガ研究センター
ここで論集のpdfが読めるようになっているのだが*1、グルンステンの文章などを読んでおくと、フランス(あるいは海外)におけるマンガ批評・研究の雰囲気が多少は分かるかもしれない。
ちなみに、グルンステンは「カイエ・ド・ラ・バンド・デシネ」という批評雑誌の編集長を長く務めていた人らしい。


この本は、まずコマの連なりというものをマンガの基礎的なものとして捉えようとしている。
まあ一見して、当たり前のような話だが、ここでグルンステンが退けようとしているのは、記号論に見られるような基礎的な単位を見つけようとする試みである。
もうひとつ、グルンステンが退けようとしているものとして、文学理論を応用してマンガを捉えようとする考え方である(また、本書では映画理論からの引用もたびたび見られるが、そこでも映画との違いを強調しているように思われる)。


本書は大きく3つに分けられている。
「空間=場所のシステム」「部分的関節論理――シークエンス」「全体的関節論理――ネットワーク」
これらをもう少し言い直すと、ページ構成、コマ割り、編み組みとなる。
さて、ここでちょっとややっこしいのが、一般的に「コマ割り」と言われて思い浮かぶものは、どちらかといえば「ページ構成」にあたるということである。
読みながら、それに気付くのがだいぶ遅くなってしまったのがまた、読みにくかった原因かもしれない。
で、今このブログを書き始めるまですっかり忘れいたのだが、以前のユリイカで、本書の訳者である野田謙介によってこの「コマ割り」という語についての文章が寄せられていたのだった。
『ユリイカ6月号』特集「マンガ批評の新展開」 - logical cypher scapeの「コマ割りは「何を」割っているのか」である。
これによれば、フランス語の「デクパージュ」と「ミ・ザン・パージュ」という語が、日本語におけるコマ割りにあたる語のようである。
デクパージュはそもそも映画用語でもあり、本書ではこちらが「コマ割り」とされているようである。これはシナリオを割っていることを指す。物語というのは時間的に連続しているわけだけれど、マンガは静止画の集まりであって、いくつかシーンを抽出してこなければならない。例えば、人が立ち上がるシーンを描く時は、座っている絵が描かれているコマと立っている絵が描かれているコマが並べられるかもしれない。このとき、中途半端に腰を浮かしているところの絵などが省略されている。一連の動作の中での、どの瞬間のポーズをコマに描くのか、というのがここでいう「コマ割り」だと考えればよいのではないかと思う。
しかし、わりと普通に「コマ割り」と言われて思い浮かぶのは、1つのページをいくつの、どのような大きさ、形をしたコマで割っていくのか、ということのように思う(もっとも、日本でもこの「コマ割り」という語は多義語として用いられているらしいし、またこの2つははっきりと分けられるものでもないだろうことは、グルンステンも認めるところだ)。このようなページ上のレイアウトのことを、「ミ・ザン・パージュ」といい、おそらく「ページ構成」と訳されている語だと思われる。
この野田論文によれば、グルンステンは、『マンガのシステム』において「ミ・ザン・パージュ」について様々に検討した結果、この語では充分ではないと考えて、「ミ・ザン・パージュ」も含むより広い概念として「空間=場所のシステム」という語を使うようになったらしい。


ところで、この野田論文にも触れられており、最初の本書を読んでいて戸惑うのは「ストリップ」という語かもしれない。
これはフランスの方では割と当たり前に使われているようだが、コマが横に並んでいる並びのことを指している。
日本では、コマ>ページ>本というふうに考えるのが一般的だと思うが、フランスでは、コマ>ストリップ>ページ>本というふうに考えるようだ。


「空間=場所のシステム」
コマの面積、形、ページの外枠や余白、コマ枠、吹き出し、嵌め込みと呼ばれるコマの配置、ページ構成といったものが順に考察されていっている。
「部分的関節論理――シークエンス」
こちらは、どちらかといえば物語論に属する。
並べられているコマと絵を見て、どのように物語を読み取っていくのか。
「全体的関節論理――ネットワーク」
先の「部分的関節論理」は、基本的に隣り合ったコマとの関係性が問われるが、こちらは離れたコマとの関係性
各ストリップ、あるいはページの裏表の同じ位置に、同じ絵やモチーフが描かれていたりして、物語とは別の形でコマ同士の繋がりが作られていることをいう。この作業を「編み組み」と呼び、それによって作られた系列をセリーと呼んでいる。
空間=場所のシステムや部分的関節論理が、マンガの基本的なリテラシーであるのに対して、こちらは、これが分からなくてもマンガが読めないということはないのだけれど、マンガを面白く読むためのリテラシーだといえる。


うーん、前置きばかり長くなって、肝心の本書の内容の方が全くまとまらなかった……
とてもピンクです

マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか

マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか

*1:自分はまだほとんど読めていないが