P・W・シンガー『子ども兵の戦争』

P・W・シンガーの本を読む企画第3弾にして最終回。
『ロボット兵士の戦争』『戦争請負会社』→『子ども兵の戦争』と読んできた。実際の刊行順は、『戦争請負会社』→『子ども兵の戦争』→『ロボット兵士の戦争』である。
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本書は、先に読んだ2冊とは多少雰囲気が異なっていた。
無人兵器やPMFには、どこかワクワクさせるところもあるというのは否めない。ワクワクまでしなかったとしても、そこまで悲惨な話に直面するわけではない。一方、子ども兵の話は、読んでいて楽しくなるようなものではない。
本文中には、匿名で多くの子ども兵や元子ども兵たちの言葉が引用されている。そこに添えられた年齢と、彼らの言葉には何よりも胸をしめつけられるだろう。
それから、シンガーによる提言により多くがさかれている。
『ロボット兵士の戦争』ではほとんどなかったし、『戦争請負会社』でもそれは全体から見ればわずかであったが、こちらでは本書のおよそ3分の1が、子ども兵をなくすための提言となっている。
無人兵器やPMFについて、シンガーはそれらに対する断定的な価値判断は避けている。むしろ、価値判断をするよりも前に、そのための知識が圧倒的に不足しているがゆえに、まずは出来る限り記述を行うことが目指されていた。
それに対して本書では、やはり子ども兵についての事実が知られていないことを問題視して、それについての記述もなされているが、子ども兵の存在が避けられるべき事態とあることも同時に述べられている。PMF無人兵器は、その問題点も様々に指摘されているが、その存在自体を否定するほどの主張はなかったと思う。


PMFについていえば、企業形態による軍事組織というのこそ現代的な状況ではあるけれど、軍事組織が国家に独占されている状況の方こそが人類史から見ればイレギュラーであることが書かれていた。
一方、子ども兵についていえば、人類史・戦争史の中でも類の見ない事態だとされている。
つまり、子どもが戦争に関わるということはこれまでなかったし、避けられるべき、忌むべき事態だとも考えられていた。
では、何故子ども兵が生まれたのか。
冷戦崩壊やグローバル化といったことがまず背景にはある。それは戦争の大義を失わせ、戦争というのが経済的な動機で、つまり略奪などを目的として行われるようになり、基本的なモラルを失わせてしまった。
また、カラシニコフが大量に市場に出回っていることもあげられる。
過去において戦争に子どもが動員されなかったのは、それが忌むべきことであるということだけでなく、そもそも子どもの体格では戦うことができないということがあったからだ。しかし、カラシニコフの登場はそのような条件をあっさりと覆してしまった。
また、軍事組織(国家も非国家も含む)にとって、子ども兵を使うことのメリットは大きい。それは安上がりの軍隊を作ることができるからだ。徴集しやすく、また従わせやすい子どもは、兵士にするのにうってつけである。
子どもを使うことのデメリットは、せいぜい道徳的な批判を受けることくらいであり、既にイデオロギーやら大義やらが有名無実化してしまったような場所では、ほとんど問題にならない。
大人を集めるとすると、広く支持を集めるような主張や大義を抱える必要があるだろうが、子どもを集める場合、ほとんどその必要が無い。そのため、狂信的な組織が大規模な軍隊をかまえることができるのである。
実際、リベリアでは単なる犯罪者が子ども兵を軍隊として、首都を制圧、大統領になってしまった例がある。
そしてこの事実が、さらに多くの独裁者や犯罪者に子ども兵を使うメリットを感じさせることになっている。


子ども兵の存在は、悪循環を引き起こす。
国や地域の将来を支える世代が、若い頃に暴力にさらされて生きることによって、彼らが大人になった時、それ以外で身を立てる方法を知らず、仮に平和が訪れたとしても、再び暴力に頼ってしまいがちになる。
また、子どもは大人よりも残虐な行為をしがちであり(大人のような善悪の判断ができないということに加えて、麻薬を摂取させられるなどしてハイになってしまっていることもある)、そのことが益々地域や家族との繋がりを傷つけてしまう。
子ども兵は、紛争が終わってもまた別の軍隊に属するなどして、長い間兵士を続けていることもある。
そのようなベテランの子ども兵は、普通の大人の兵士よりもよっぽど有能な兵士になっている。
(兵士として有能が故に残虐になっているような子ども兵もいれば、完全にただパニック状態になって身を隠すこともできずに撃ちまくるような子ども兵もいる。これは後の章でも出てくるが、子ども兵と戦う場面に陥った場合、事前にどのような徴集がなされているのかも把握しておかなければならないとシンガーは提言している。)
また、そのような不安定な社会構造をもたらすものとして、エイズがある、というのは知らなかった。
エイズは、年齢が高い方が死亡率が高いらしく、社会の人口ピラミッドのバランスを崩してしまうらしい。
子ども兵は、レイプなどの被害(あるいは加害)を受けていることが多く、そのことによってなおさらエイズの感染者を増やしている、という悪循環がある。


本書に多く出てくる事例としては、まずはシエラレオネが挙げられるだろう。アフリカで多いという印象があるが、もちろんアフリカにとどまらず全世界的な現象である。
コロンビアなどの中南米もそうだし、また、本書で特に言及が多かったのは、スリランカのタミルイーラムの虎である。子ども兵の教化方法であったり、使い方であったりという点で、タミルイーラムの虎は先駆者的位置にいるらしい。
アジア・ヨーロッパ地域であれば、テロ組織に使われる子どもの事例が多い。イスラム系テロ組織やフセインがいた頃のイラク軍において、子ども兵が徴集されて教化されていた。このような地域においては、自爆した子どもの家族に対して優遇措置がなされたり(これもやはりタミルイーラムの虎が行っている)するために、家族からの後押しもあるという。


教化というのは、要するに洗脳で、基本的には虐待することによって逆らう気力を奪ってしまったり、殺人を行わせることで道徳的な感覚を奪ってしまったりというようなことである。
徴集方法としては、誘拐が多い。村や学校を襲撃したり、ストリートチルドレンをかき集めたり等があるらしい。
子ども兵をなくすためには、子どもたちが集まる場所を重点的に警備することも挙げられている。


シンガーは子ども兵に関する提言として、
子ども兵を使う指導者などを厳しく罰することによって、子ども兵を使うデメリットをメリットよりも大きくしなければならないと述べている。
道徳的によくないことだとアナウンスするだけでは、そのような指導者たちを動かすことは出来ない。実際に裁かれる必要があるとしている。
また、そうした国や組織へと間接的にでも援助を行っているような企業に対しても、圧力を強めるべきだとしている。
現実には、欧米の軍隊は子ども兵と戦わなければいけない事態に陥るわけで、そのことに対する対策も考えなければいけない。
また、紛争が終わったあと、十分なケアがなければ根本的に子ども兵をなくすことはできない。それは、子どもたち自身へのケアだけでなく、紛争地域の社会や家族の繋がりも再び元に戻せるようなものでなければならない。
子ども兵が生まれるプロセスとそれによって生じる悪循環と見比べたとき、子ども兵をなくすプロセスの困難さは想像に難くない。こうした提言を読んでも空しさを覚えるほどだ。実際、シンガーは足りないところをいくつもいくつも挙げているし、彼が求めているようなもの(例えば、残虐な行為をした子ども兵を地域住民が許すようなプロセス)が本当にうまくいくだろうかとも思ってしまう。しかし、彼はうまくいった、うまく行き始めている事例を数少ないながらも挙げている(これもまたシエラレオネの事例であった)。

願わくば、これまでの戦争における多くの慣行と同じく、子ども兵を使う慣行も近い将来、消え去って欲しいものだ。ひょっとすると、子どもの兵士が使われていた時代は歴史上の例外、道徳規範がほんのつかの間崩壊したがすぐに回復した時代、とみなされるようになるのかもしれない。戦場には子どもたちの出る幕はないと、昔から信じられてきた。それをもう一度現実にするには、悪事を働こうとする人びとの意志に、善を成そうとする意志をもって対抗するだけでいい。
p.297


子ども兵の戦争

子ども兵の戦争

*1:戦争系の本としては、かつてデーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』 - logical cypher scapeも読んだ。これと『戦争請負会社』は人から薦められていたこともあって、結構長いこと、読まなきゃなあと思っていた