今月の文芸誌他

『新潮12月号』

舞城王太郎「すっとこどっこいしょ。」

私立の中高一貫校に通う男子の、中学の修学旅行から高校までの、恋愛と友情を描いた作品。
なにこれ、舞城作品の紹介じゃないみたいだw
うーん、いやほんと、さらさらっと読めるし、まあまあ面白いんだけど、いわゆる舞城的な面白さはほとんど感じられなかった。

東浩紀ファントム、クォンタム」第四回

今度は、風子の方の話*1
未来日本の風景を描いているものとして、面白い。
人口が少なくなっていって限界集落が崩壊。で、その廃村を「聖地巡り」することが密かにブームになっている。
それから、わりと簡易な成長する人工知能アプリケーションができている。
なんか『ギートステイト』は中断してしまったようだけど、とりあえず東浩紀の近未来予測小説は、こっちで読むことができる。
サマー/タイム/トラベラー』がやっぱり近未来もので、色々なネタが各所に散りばめられていて面白かったけど、「ファントム、クォンタム」もやはり同様。科学技術や社会状況に関して、必ずしも進歩しているばかりでもなく。

『群像12月号』

青木惇悟「ワンス・アポン・ア・タイム」

初めて、彼の小説を最後まで読み通せたw
まあ短かったからなんだけど。
1999年の新聞を読んでいくという話。新聞の見出しなどが次々と引用されていく。最初は、台風の話だったのが、途中から小渕政権の話になり、経済状況の話になったところで2008年現在の経済状況の話が交じり、最後は新聞広告の話で終わる。
いつもの青木作品の如く、小説といえるのかどうか判断に迷う作品ではある。
しかし、新聞というのを、1年間区切りでテーマ毎に見出しだけ並べて読むということもあまりない。
情報をいかに切り出すか、並べるか。
何らかの思考のあり方。

中島義道「『純粋理性批判』を噛み砕く」第九回

今回で、第一アンチノミーが終わった。
第一アンチノミーとは、「世界は有限である」というテーゼと「世界は無限である」というアンチテーゼ」との関係である。
ディティールまで完全に理解しているわけではないが、まあ何となく分かった。
世界というのは、何か物であるわけではない。世界というのは、理念、観念である。
だから、「有限である」と「無限である」はアンチノミー(反対)ではあるけれど、矛盾であるわけではない。
前回と今回で、テーゼとアンチテーゼのそれぞれが、背理法を用いて成立することを示す。
つまり、世界は無限であるとは言えないから「世界は有限である」と
世界は有限であるとは言えないから「世界は無限である」の両方を示す。

福嶋亮大「神話社会学」第4回「新しい社会性」(『ユリイカ』11月号)

神話社会学には、意味論的な主題、環境的な主題、配分的な主題の三つがあると言って、それぞれについての説明。
ところで、最後の配分的な主題について、ある素材が神話として構成されるかどうかは偶然的であるとして、それについてゴッフマンの「焦点の定まった相互作用」と「焦点の定まらない相互作用」というのを挙げている。前者は、公共性みたいな。前者も偶然的なんだけど、後者は別の意味で偶然的。コミュニケーションの成立自体が偶然的。
これがちょっとtwitterみたいかなあと思った。ようわからんけど。

シャドボルド/バーナズ=リー「ウェブサイエンスの誕生」(『日経サイエンス1月号』)

2006年11月、MITとイギリスの大学の研究者が集まって、ウェブサイエンスの研究会を立ち上げて、ウェブサイエンスなる学問領域が立ち上がった。
どのような進化パタンで成長するのか? 限界は? 転換期は? その時期を変えられるか?ということを目標にして研究している。
ネットワークの研究、セマンティックウェブの研究、生物学や生態学との 比較、法学や社会学からの検討が行われている。
記事では、ネットワークの研究とセマンティックウェブの研究がそれぞれ1ページずつ紹介されていた。
セマンティックウェブは今、主語・述語・目的語のトリプルで指定するという仕組み(RDF?)が作られているらしい。で、それをURIにするとか何とか。で、それがタクソノミーやオントロジーとも関わるとか何とか。

新潮 2008年 12月号 [雑誌]

新潮 2008年 12月号 [雑誌]

群像 2008年 12月号 [雑誌]

群像 2008年 12月号 [雑誌]

ユリイカ2008年11月号 特集=パブロ・ピカソ

ユリイカ2008年11月号 特集=パブロ・ピカソ

*1:第二回あたりで書かれていた設定がうろ覚えなのだが、風子は確か別世界にいる娘