今月の文芸誌というか中原昌也と鹿島田真希(『すばる』『文學界』『群像』1月号)

今日は図書館でずっと雑誌を読んでました。
1月号だからなのか、何か沢山読むところがあったような。
読んだもの一覧
『すばる』
「誰も映っていない」中原昌也
「カブを抜く」円城塔
特集「ナゴヤ文学革命」「名作リッパケージ現象」
文學界
ケータイ小説は「作家」を殺すか」中村航鈴木謙介、草野亜紀夫
「事態は悪化する」中原昌也
「川でうたう子ども」鹿島田真希
月評、書評
『群像』
「舞城小説粉吹雪」舞城王太郎
「ゼロの王国」鹿島田真希
「新売春組織「割れ目」」中原昌也
瀧波ユカリのエッセー
書評

『すばる』2008年1月号

すばるを読むのは初めて。初めてのところは馴れません。

「誰も映っていない」中原昌也

中原の新境地?
ちゃんとストーリーがある!*1
昔の友人が小説を出したので買って読んでみたところ、以前その友人から聞いたことのある話だった。しかし、小説とはいえ、自分の聞いた話とは内容が異なっている。そのことを電話で友人に尋ねてみたところ、多少脚色はしているけれど、そんなに大きく変えてはいない、という。
前田累が以前、中原作品を表象=代行*2に対する批判として読んでいたけれど、これもまたそのように読めるだろう。
小説というrepresentationと記憶というrepresentationとの差異。
とまあ、このように説明すると何だかありがちな感じだけれども、最後に中原的な唐突で暴力的なオチが待っている。

「カブを抜く」円城塔

創作を、カブを抜く話に喩えたエッセー?
指輪をしていてそれをよくなくすんだけど、その指輪は実は別の世界と繋がっていて引っこ抜かれてしまうからよくなくなるんだ、という話。

特集

が3つある。
「「ナゴヤ文学革命」、始まる!?」「五輪前夜、世界が注ぐ中国へのまなざし」「名作リパッケージ現象」
名古屋のでは、諏訪哲志と清水義範が対談していたが、ほとんど読み飛ばす。諏訪哲志の写真がさわやかでよかったw
二つめの特集は全部スルーして、3つめは、最近相次いでいる、外国文学の新訳ブームについて。
永江朗が、『カラマーゾフの兄弟』を「カラキョウ」と略していた。何でもかんでも略せばいいって(ry)と思うよりも早く、『空の境界』を連想してしまう。永江は分かってやったのか、天然なのか。
ここでリパッケージと呼ばれているのは、例えば村上春樹の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』とか、『カラマーゾフの兄弟』の光文社古典新訳文庫*3とか、それ以外にも角川ビギナーズクラシックス*4岩波現代文庫*5池澤夏樹個人編集世界文学全集、ちくま日本文学あたりが挙げられていた。
あと、小畑健インタビューがあったけど、あんまり面白くなかった

文學界』2008年1月号

ケータイ小説は「作家」を殺すか 中村航×鈴木謙介×草野亜紀夫

中村航ケータイ小説賞の審査員になった関係で読み始めて、なんか注目してるみたい
チャーリーは、あんまりケータイ小説は読んでないっぽい
草野というのは、魔法のiらんどの中の人。
最初は、チャーリーが草野に、魔法のiらんどケータイ小説を利用している層の年齢や性別や地域を尋ねる。
地域に関しては、(読んでいて、土地の匿名性が高くて)東京じゃないっぽいという話。
流通に関しても、コンビニとTSUTAYAを重視したとのこと。
ケータイ小説の舞台も読み手も書き手も、コンビニとTSUTAYAしかないような街にいる。
この状況を中村は、むしろ羨む。文芸書は大都市にしか置かれない。ケータイ小説は郊外でも読まれる。また、1000円という値段設定も売れ行きに影響を与えたのではないか、といい、やはり羨む。
ケータイ小説は、読者からの影響を受けやすい*6。コメントによって結末をハッピーエンドに変えた人がいるということに中村は驚く。また、読者もまた別のケータイ小説の作者であることを鈴木は指摘し、自分の書きたい(読みたい)ものを読みたい(書きたい)という影響関係があるのではないかと考える。
草野によると、ケータイ小説の書き手は「オリジナリティ」に非常に拘っていて、向上しようという意識も強いらしい。
「影響を受けて似るのが嫌なので人のは読まない」人もいるらしい*7。また、コメント欄で誤字の指摘などもお互いにしているということで、「文芸部みたいだ」と中村と鈴木が盛り上がるw
鈴木は、ケータイ小説は「感動」ではなくて「共感」という。
前者は未知のものに対する感情で、後者は既知のものにたいする感情。
また、ある少女マンガ*8を例に出す。そのマンガでは、主人公が古代エジプトに行ってしまい、そこの王子と恋に落ちるのだが、その王子と性的に理不尽な関係を求められる。読者は「彼氏にそういうこと求められたらどうしよう」という不安を、主人公と共感する*9
で、かつての少女マンガであれば、古代エジプトという比喩(?)があったのだが、そういう比喩的部分もとっぱらって、より直接的に「共感」させるのがケータイ小説だろう、と分析。
最近では、古代エジプトみたいな極端な設定のケータイ小説も出ているらしいが、鈴木と中村はそういう方向にはあまり向かわないで欲しいと考えている。
また、ケータイ小説の本には著者のプロフィールがほとんど書いていない。
受賞者、作者と実際に会っている中村によると、作品のイメージと本人のイメージにほとんどズレがないという。

「事態は悪化する」中原昌也

3誌に掲載された中原作品の中で、もっとも中原作品っぽかった。
同じシーンの繰り返しなど。
田中という男が、公園で見知らぬ男に延々と何かを話しかけられるのだが、田中にはその男が一体何を喋っているのか全く分からない。
だが、人は人を貶めることでしか幸福になれないのであって、その男もどうせ自分のことを貶めているのだ、と田中は考える。
タイトルにもある「事態は悪化する」というフレーズが何度も繰り返されるのだが、最後に田中が死ぬことで、事態の悪化が止まる。

「川でうたう子ども」鹿島田真希

鹿島田がデビュー以来追求し続ける「聖なる愚か者」
そんな「聖なる愚か者」を巡る寓話的/神話的な物語。
出てくるのは「(知恵遅れの)女」「娘」「女(少女)」「老人」「男」あるいは「上流」「下流*10などといった感じで、固有名詞は一切出てこない。
上流で暮らしていた「(知恵遅れの)女」が生んだ「娘」が捨てられ、下流の者たちに拾われるところから物語は始まる。「娘」は、恋人に捨てられた「女(少女)」に育てられる。成長した「娘」は、上流へと向かい、下流とは全く異なる生活をするようになる。
虐待、自罰、売春、宗教といったことが描かれている。
例えば、「娘」の育ての親である「女」は、彼女への教育と虐待を繰り返すのだが、それは自分が元の恋人である男にされたことであった。「女」は、「娘」に対して母親であり父親である両性具有の存在として振る舞うことで、親や男に頼らない家庭を作ろうとしたともいえるし、自らを罰していたともいえる。
また、「娘」の生みの親である「(知恵遅れの)女」は、知恵遅れのために不特定多数の男と交わっていた。
その後、上流へと戻った「娘」もまた、娼婦として生活することになる。
下流にいた頃の「娘」は、母親から様々なことを教えられ、頭もよかった。また、一切男との交わりを持たなかった。
ところが、上流では、そのような知識は役に立たないこととパンを得るためには何をしてもいいことを知る。そのことを彼女に教えた男は、乞食のようで働いている様子はなかったがパンをもらえていた。上流は、労働とパンとの関係が下流とは違う。
娼婦として暮らしていた彼女は、生みの親である女の墓を見つけ、次第に娼婦というよりも宗教家然としていく。上流に、宗教のようなものを生み出すにいたる。
基本的に、この「娘」ないし「女」の視点から語られ、男性の視点から語られることは、冒頭に出てくる「老人」を除いて、ない。この「老人」と「女」の元恋人である「男」を除くと、ほとんどの男は、「男たち」という群集としてのみ描かれているように思える*11
また、血や汗などあらゆるものを吸収するものとして「大地」が描かれる。
あるいは、人間からは受動的なものと思われている「木」などが、能動的なものとして描かれる。
最初に書いたとおり、寓話というのが一番当てはまる作品。
文章も読みやすい。朗読したら、わりと気持ちいいのではないか、と思いながら読んだ。
砕けた言い回しも硬い言葉も出てこないし、ある娘の生まれてから死ぬまで、という物語の筋もはっきりしているので、鹿島田作品の中でも最も読みやすい作品の一つかもしれない。

新人小説月評

二人とも、月評に加えて、今年のベスト5を選んでいる。
中村は迷った末の5作目として、佐藤は次点として、円城塔つぎの著者につづく」を挙げていた。
あと、福永信の評価が高い

書評

星野智幸『無間道』(陣野俊史
「死んでも死ぬことが出来ない」ということをテーマに、自殺を描いた作品。
デビュー10年という区切り*12もあって、星野の新境地的作品という。
星野は、デビュー当時は、3人程度の共同性を描こうとし、その後、サッカー、ポリティクス、植物というモチーフを描くようになった。この作品は、さらにその後。
青来有一『てれんぱれん』(佐々木敦
黒沢清『映画のこわい話 黒沢清対談集』(樋口泰人
「おれが映画だ」

『群像』2008年1月号

いま、どこかの美術館でやっている「文学の触覚」の写真が冒頭にある。
まあまあ面白そうだけど、行こうという気にはならないかな。

「舞城小説粉吹雪」舞城王太郎

恋愛の話。
両思いなのに付き合おうとしない二人の話。
主人公の高校時代の初恋の話。
主人公の夢の中に現れる、雪ん子ルルルが主人公に想いを寄せている話。
まあまあ面白かった。

「ゼロの王国」鹿島田真希

貧乏と病弱であることをエクスキューズに、今まで女性とお近づきになることを望んでいなかった吉田青年が、女性から告白された。
さて、どうする吉田くん。
この作品にも、虐待についてちらっと書いてあった。

「新売春組織「割れ目」」中原昌也

3誌の中で一番面白かった。
ずっとしょぼーんとしているイサムという男から何かを聞き出そうとする主人公。
コンビニで何か好きなものを買ってやろうとするのだが、何にも興味を示さない。だが、以前たまたまテレビで見ていた「かわいい隊」というアイドルグループ(それを見たときは、むしろかわいそうだとイサムは感じていたのだが)のDVDを欲しがる。
部屋に戻ってきて、酒でも飲みながらDVDでも見るか、と思ったら、イサムはそのパッケージだけ持っていて中身はどこかになくしていた。
しかし、なぜか機嫌を良くしたイサムは、紙に主人公の知りたがっていたこと(地図)を書き始める。
書き終わった後のイサムは再びしょぼーんとなるが、主人公はやっとイサムから情報を引き出せたことを喜び、その紙を破って捨てる。

瀧波ユカリ

なぜか、エッセイ書いてた。
ファミレスで仕事してたら、男がめんどくさそうな女に絡まれていたので、それをずっと観察してたって話で、この人が文章書いたらこんな感じだろうなあという感じだった。

書評

『無間道』星野智幸中島一夫
星野論を用意していたところ、この書評を頼まれたとのこと。
カフカ入門』室井光広(円城塔
カフカ円城塔=よくわからない
侃々諤々は、『犬身』ネタだったけど忘れた

*1:酷い感想だ

*2:representation

*3:永江はこのレーベル名が勝因と推測している

*4:同じく永江はカタカナにしちゃったからよくないと推測している

*5:光文社が古典というギャップと同じく、岩波が現代というギャップが、と永江は(ry)

*6:ただし、それも人それぞれと草野は言う

*7:逆なのにね、と中村か鈴木が苦笑していた

*8:タイトル忘れた

*9:さすがチャーリー。この下りは、まんま宮台だなあと思った

*10:川の上流、下流が、地名として使われている

*11:そんなこといえば、「女たち」という群集もあるわけだが

*12:芥川賞候補から外れるという趣旨で「脱新人」宣言を星野はブログでしたらしい