ゴールデンカムイ

最終章開始記念ということで、最新話(285話)まで全話無料公開されていたのでまとめて読んだ。
アニメで見ていた部分は飛ばすことにしたけれど、アニメでやってたのが原作で何話か分からなかったので、70話くらい(江渡貝くんと夕張炭鉱あたり)から読んだ。なお、自分がアニメで見ていたのは、138話あたり(網走監獄襲撃)まで。なので、結果的にアニメで見た部分も読んだことになるけれど、アニメ化されていない箇所も結構あった(北海道版ボニーとクライドとか獣姦シートンとか)。
ここでは、樺太編以降の感想を書く


なお、アニメ見た時の感想はこちら

アイヌ文化を描いている作品として有名になり、実際そのようなところが見どころとなっている作品なのは間違いないが
ストーリー上の大きな枠組みとしては 、近代国家明治政府に対するオルタナティブを北海道に作ろうとする勢力同士の争い、というものになっていた。
アイヌもよく出てくるが、作品を通して多く出てくるのはむしろ軍人で、日露戦争のおりに何らかの形で傷ついた者たちという印象がある。
(中略)
アニメの1クール目は、アクの強いキャラクターの脱獄囚たちが次々出てくるという筋立てだった。この三つ巴の構図自体は当初からなくはなかったけれど、より強まったのは2クール目からかなあという気がする。
(中略)
(中央なんてどうとでもなると言って「暴走する軍部」として見るなら、鶴見は明治よりも後の時代から明治を攻撃しているともいえるし、そして当然ながら、土方は明治より前の時代から明治を攻撃している。で、監獄が近代=明治を象徴している、と)
ただ、大きな枠組みでいえば、この3つ巴の話だが、少なくともこの2クール分のアニメの中では、この構図が動くことで物語が動いているわけではなくて、物語の背景にとどまっている。
(中略)
この作品は、戦争によって(殺人者になってしまったことで)元の世界に戻れなくなってしまった元兵士が、どうやってその心の傷をいやすのか、という物語なのだろうと。
sakstyle.hatenablog.com

色んな囚人たちが出てきた前半から変わって、鶴見の部下たちや、あるいはキロランケやアシリパの父ウイルクの過去が明らかになっていく展開が続く



鶴見中尉について


鶴見中尉の目的は、前半の方では下記のように語られている。
つまり、彼は日露戦争に従軍していたが、無理な攻撃作戦を命じられ、戦後も冷遇されたために、こうした事態を打開するために北海道に軍事政権を樹立しようとしている、と。
ところで、のちに彼がアシリパとソフィアに語る構想として、他国から日本への侵略に対する防衛拠点としての北海道国家が語られており、また、満州や極東ロシアを領土として考えているふしも見られる。ただし、独立した北海道国家の領土というより、日本の領土としてということのようだが、いずれにせよ、彼は満州や極東ロシアの確保を重要視しているようである。
満州については、そこに戦死した部下が眠っているからであり、極東ロシアというかウラジオストクについては彼の亡くなった家族が眠っているからという理由が語られているが、一方で、自分は個人的な目的のためだけに動いているわけではない旨も同時に語っている。
また、彼は若い頃に、ロシアにスパイとして潜入しており、陸軍の対ロシア戦略の一端を担う活動をしていたと考えられる。
以上より、満州、極東沿海州、北海道・樺太を対ロシア防衛線と位置付け、そのための軍事拠点を北海道に展開する構想を持っているのではないか、というようなことを何となく妄想させてくれるのである。
そこまで考えると石原莞爾みが出てくるのだけど、twitterで試しに「鶴見中尉 石原」で検索してみたら、何人か鶴見中尉と石原莞爾を絡めてツイートしている人がいたので安心(?)した。
なので、石原莞爾めいた謎の世界史イデオロギーを持っていたら面白いのにな、というのが上のツイートへとつながる。
ただ、物語上、彼がそのようなイデオロギーを語る機会はあまりなさそう。
鶴見中尉自身には、そうした思想的バックボーンを持ち合わせるだけの知的リソースがあるのではないかと思うのだが、一方、彼の「人たらし」はイデオロギストとしてのカリスマからくるものではない。というのも、彼はあくまでも中尉で、彼が部下として集めている人員は下士官や兵卒なので、そういうので集まってくるタイプではなさそうだから。
いわゆる「鶴見劇場」と称される手の凝った手段を用いて、リクルーティングしてきたというのが、樺太編以降明らかになる。躊躇なく銃を撃たせるためには「愛」が必要なのだ、という鶴見の考えがその背景にはある。でも、それは鶴見中尉にとって手段であって目的ではないのではないか、とも。


何故こんなに鶴見中尉のイデオロギーにこだわっているのかというと、そういう悪役が見たいというだけの話なんだけど
個人的には、るろ剣の志々雄真実とか、彼なりのイデオロギーに殉じた悪だったのではないかと思っている。彼の強さ・カリスマは彼の思想に由来しているので。
鶴見中尉は、当初からわりとある種の狂人として描かれているけれども、狂気的なまでに突き進む行動力の源泉に、理路整然とした思想がある方が、かっこいい(?)のではないかと。単に、戦争で気がちがってしまった軍人です、というよりも。
ただ、鶴見中尉の動機が思想に還元できるのかどうかは謎。
彼は情報将校で、元スパイで、鶴見劇場という人を動かすためのとんでもない芝居を打てる人間で、下手すると、彼の過去(家族の死)すらも鶴見劇場という芝居の一環であり、「思想」に対してもアイロニカルな態度を取りそうという気はする。
一方で、彼は元スパイで、ここでいう彼の死んだ家族というのは、あくまでも潜入先でできた妻子で、そこに本当に愛はあったのかとかそういう話もあり、仮に愛があったとしても、スパイであらんとする限りはアイデンティティの拠り所にできないわけで、スパイがスパイとして潜み続けるためには、身近な人間ではなく所属する国家なりなんなりを拠り所として持ち続けないといけないわけで、そのためにイデオロギーなるものがあったりするわけで。
(ところで、ウイルクもまたある種のイデオロギーを実現するために北海道に渡ってきてそこで家族をもった人間なわけだが、そこで彼は元々持っていたイデオロギーを曲げて家族を重視した(とキロランケは思っている)わけで、そこで対照的なキャラクター配置となっているのではないか、とも思ったり)
というか月島が、鶴見中尉が個人的な感情で動いていないことに喜ぶシーンがあるけど、個人的な感情以外のところで動く際の背景にあるのは、やはりイデオロギー的な何かではなかろうか。


ところで、鶴見中尉っていい年齢のはずなのにまだ中尉という低い階級にいる謎とかいろいろあるのだけど、完全に体制に反旗を翻すために一連の行動をやっているのではなくて、中央とのつながりというか、中央のことをどうこうできる何かがあるのではないか、というようなことも妄想できたりする。
陸軍の中の少数派に位置していて、派閥争いの一環としての北海道での金塊探しなのか、ということもちょっと考えてみたりもする。
正直、そこらへんのことは全然よく分からないけれど、薩摩閥だったりするのかな、とか。
鶴見中尉自身は新潟出身らしいけど。

パルチザンについて

アニメを見ていたときは、キロランケやアシリパの父の出自がまだあまり明確に語られていなかったので「パルチザン?」という感じだったのだが、樺太編でこのあたりはかなりはっきりと示されてきた。
キロランケは沿海州タタール人で、アシリパの父であるウイルクは樺太アイヌポーランド人のハーフで、いずれも北海道の出身ではない。2人はともに北東アジア先住民族の独立を志し、その資金源とするべく北海道アイヌの金塊に目をつけた。
彼らは、貴族階級の出身でありナロードニキの運動家であったロシア人のソフィアと手を組む。ソフィアは、大衆が反帝政運動になびかないのはロシア正教のためと考え、ロシア正教の及んでいない先住民族と手を組むべきという立場だったので、互いに利害が一致した形になる。アレクサンドル2世暗殺に、ソフィア、キロランケ、ウイルクが関わっていたという話になっている。
さて、キロランケは、沿海州樺太(サハリン)・北海道等を領土とした多民族連邦国家を志向していたのに対し、ウイルクはまずは北海道のみを独立させ希望者を移住させるという考えに心変わりした、とされる。


さて、先のツイートでこの作品のよいところと悪いところと述べたが、
まず悪いところについてだが、和人によるアイヌ差別・搾取や同化政策がほとんど描かれていないという点がある。
政治について言及しないことが政治性の発露となっているという意味で、「ノンポリ的「政治性」」とでも言うべきだろう。むろん、ノンポリ的な立場をとることが、即座に悪いことだというわけではないが、アイヌ、しかも近代におけるアイヌを扱う上で、気にかかってしまう点ではある。
また、この作品は、主人公たちがアイヌの金塊を探し回るというのがメインプロットであり、その金塊がアイヌ独立運動と関わるものであり、また主人公の1人であるアシリパが、そのままの形ではないにせよ、父親の意志を引き継ぐことを決意していく以上、和人との対立に触れないのは、本来不自然なことであろう。
しかし、既に述べた通り、ウイルクとキロランケはそもそも北海道アイヌではなく、また、彼らの独立運動は反帝政ロシア運動として組織されている。そのため、本作でのアイヌ独立運動の直接の対峙者として和人や明治政府をことさら挙げなくても物語としては成立するようになっている。
また、アシリパが近代的な民族アイデンティティに目覚めていくのは、あくまでも樺太樺太アイヌニヴフやウイルタと交流したためであり、アイヌ民族としての危機として具体例として描かれるのは、差別ではなく環境破壊であった(開拓・開発による森林伐採なので和人の北海道進出の影響ではあるが)(この点、現代の読者が感情移入しやすいものが選ばれている感じがあり、エンタメ的には正しいとも言えるが)。
アイヌと和人との対立、和人による差別を描かなくてもいいようにするための設定ともとれ、つまり、単に差別を描いていないというだけでなく、描かなくても不自然にならない設定をわざわざ作っているとも言える。
その点で、この作品の「政治性」は批判されてしかるべきところがあると思う。これが悪い点である。
一方で、よい点は、この設定がめっぽう面白いという点である。
この設定は、キロランケやウイルクの構想が、単なる北海道アイヌの独立ではなく、ニヴフやウイルタ、そしてそれ以外の民族も含む北東アジア諸民族の独立構想となっている。
北東アジアの諸民族というのは古くから交易圏を形成していて、北海道アイヌもそうした交易圏の中での地位を占めていたと考えられている。その意味で、単に北海道アイヌだけでなく北東アジア圏の問題として描いているというのは、ある程度「政治的に正しい」と思われるし、そもそもエンタメ的に面白い
そして、既に述べた通り鶴見中尉についても、どうも北海道だけの独立ではなく、満州や極東ロシアでの日本の権益を守ることを考えているっぽい節があるぞ、というところがあり、北海道を巡る争いではなく、北東アジアを巡る争いという絵図が背景に浮かび上がってきている。
アニメを見た際の感想として、明治政府へのオルタナティブを掲げる勢力が争っていると書いたが、北東アジアにおいてロシアに対立する勢力同士の争いであったともいえるかもしれない。
(多民族連邦国家を作ってロシアから独立する構想と、日本によるロシア防衛のための日本人による軍事政権を作る構想の対立)
エンタメ的にはでっかい風呂敷広げた方が面白いよね、という話で、それはこの作品のよいところとして挙げてもいいように思う。
ただし、これから最終章で、最終決戦の地は五稜郭なので、こういう話が本当に展開されるか謎といえば謎。

最終章について

ついに金塊の隠し場所を探り当てた杉元・アシリパらと土方陣営は、五稜郭へとやってくるが、金塊の半分が土地の権利書に変わっていたことを知る。
ところで、北海道におけるアイヌ同化政策の一つとして土地政策があり、もともと土地の所有権という概念を持たないアイヌが土地を奪われてしまったことがアイヌの窮状を招いたところがある。
本作が和人のアイヌ差別や同化政策に触れていない点は、批判されるべき点であるということを先に述べたが、土地の権利書云々の話は、もしかしたらそのあたりについて切り込んでいく可能性もあるのかな、と思わせるところがある。
また、ここで出てきた権利書について、明治政府が引き継ぐべき内容だという話をしはじめており、そもそも舞台が五稜郭であり、また、鶴見中尉って本当に政府から離反してるのかという疑いもあるので、最終章でそろそろ明治政府が何らかの存在感を出してくる可能性はあるかもしれない。

個人的な態度についての注記

ここまで、この物語の背景にあるかもしれない大きな絵図についての話を主にしてきた。
しかし、そもそもこの話は、狂った軍人鶴見中尉一派と幕末の生き残り土方歳三一派と主人公である杉元らが、隠された金塊を巡って、これまた奇人変人変態揃いの脱獄囚たちを追いかけ回すというクライムサスペンスであり、アクの強い悪党たちがいかに協力しいかに裏切りいかに戦い抜くかという物語である。歴史ものクライムサスペンスだけど、ポリティカルフィクションものってわけではないので、その背景に渦巻いているかもしれない政治思想はあくまで背景であって主題ではない。
ただ、個人的にそういう話をしたり妄想したりするの好きなのと、キャラクター個々についての話をするのも得意ではないので、上のような感想がまず出てくる。
一応注記しておくと、アイヌ差別や同化政策を描いていないのは問題なのではないか、という意味での政治性は、現実世界における政治性
一方、鶴見中尉のイデオロギーとかキロランケの連邦国家構想とかは、フィクション世界内での政治性
自分は、前者について注意しつつも、後者について萌えてるみたいな態度をとっていて、自分はまあ左翼なので、前者に関しては「差別とかについてもちゃんと配慮して描けるのがよい作品だよね」という価値観をもつけど、後者に関しては右翼的な政治思想でもある程度までは楽しめる。というか、明らかに作者自身が右翼っぽいなと思ったらひくけど、鶴見中尉が仮に右翼思想を持っていたとしてもかっこよく描かれてれば「かっこいいー」ってなります。
もう少しいうと、現実におきた満州政策とか石原完爾とか別にかっこいいとは思わないが、それをモデルにした、極東ロシアを含めた日本の防衛線を引くために北海道に軍事的橋頭堡を作ろうとする狂気の軍人とかは、フィクションの登場人物としてかっこいいと思えたりする
パルチザンの話についていうと、アイヌ独立とかいうなら抗日運動として描くべきだったのではという気持ちと、極東沿海州も含んだ多民族連邦構想かっけーみたいな気持ちの両面がある。読んでいる最中は、正直後者の気持ちの方が大きい。
でも、後者について楽しむのであれば、前者についても指摘しておかないといけないだろうとも思うのでそれについても書いている。
どちらも「政治」の話ではあるけれど、属しているレイヤーはだいぶ違うのだ、ということも念のため注記しておきたい。

杉元と尾形とか

で、ここまで作中の政治の話をしてきたけれど、繰り返すようにそこは主題じゃないので、もう少し物語に関わる話をすると、それぞれの登場人物の動機の話になる
で、ナロードニキのソフィアや民族独立運動家のキロランケは、やはりイデオロギーの人であったと思うし*1、鶴見中尉はまだ全然分からないけれど、個人を超えたところに動機を置いている気配はある。土方歳三はその点、最後まで戦って散りたいという個人的な感情を動機としていそうだなとは思うのだけど、戦う理由は欲してそう。蝦夷共和国にそこまで強い関心はないけど、蝦夷共和国のために戦う自分でありたい、みたいな。これは少しうがった見方かもしれないが。
で、ここらへんは登場人物の中では年長者世代にあたる。
一方、主要登場人物の多くは、個人的な人間関係の中に動機があることが多い。
谷垣はそれがかなり前半の方で明かされた人物だった。
なかなか複雑なのが尾形で、彼は過去編が何度もあって、その度に新情報が明らかにされていき、どういう立場の人間なのかがどんどん複雑になっていくが、勇作のような人間がいていいわけがない、というようなことが根本にあるということはほぼ確実だろう。
尾形は、アシリパに対しても同様のことを考えているのだが、ここでアシリパに対する態度としてネガポジの関係にあるのが杉元だ。
つまり、2人ともアシリパが無垢な存在だと捉えており、そのアシリパに人殺しをさせまいとする杉元と人殺しさせようとする尾形
尾形と杉元の関係はそれだけでなく、杉元がかつて勇作の代役をしていたという(本人たちはまだ預かり知らない)過去からのつながりもある。
彼らはイデオロギーや思想を背景には持っていないだろうが、その一方で、何か人間に対する信念のようなものが背景にあって、今後の物語の中でそれらが展開していくことになるのではないだろうか。

*1:キロランケがウイルクを殺した動機は、ウイルクの思想的転向というよりは、ウイルクの素質が変わってしまったことにあり、個人的感情ではある