『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その2

『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その1 - logical cypher scapeの続き
瀬戸内晴美「蘭を焼く」(1969年6月号)から林 京子「空罐」(1977年3月号)までの5編
死刑囚について書かれている「メロンと鳩」、長崎について書かれている「空罐」が、テーマ的にハードで心に残るが、その間に置かれた「立ち切れ」が年老いた落語家の話で比較的軽妙。

群像 2016年 10 月号 [雑誌]

群像 2016年 10 月号 [雑誌]

〈座談会〉「群像70年の短篇名作を読む」辻原 登、三浦雅士、川村 湊、中条省平堀江敏幸


三島由紀夫「岬にての物語」(1946年11月号)
太宰 治「トカトントン」(1947年1月号)
原 民喜「鎮魂歌」(1949年8月号)
大岡昇平「ユー・アー・ヘヴィ」(1953年5月号)
安岡章太郎「悪い仲間」(1953年6月号)
庄野潤三プールサイド小景」(1954年12月号)
吉行淳之介「焔の中」(1955年4月号)
圓地文子「家のいのち」(1956年9月号)
室生犀星「火の魚」(1959年10月号)
島尾敏雄「離脱」(1960年4月号)
倉橋由美子「囚人」(1960年9月号)
正宗白鳥「リー兄さん」(1961年10月号)
佐多稲子「水」(1962年5月号)
森 茉莉「気違ひマリア」(1967年12月号)
深沢七郎「妖術的過去」(1968年3月号)
小沼 丹「懐中時計」(1968年6月号)
河野多惠子「骨の肉」(1969年3月号)
瀬戸内晴美「蘭を焼く」(1969年6月号)
三浦哲郎「拳銃」(1975年1月号)
吉村 昭「メロンと鳩」(1976年2月号)
富岡多恵子「立切れ」(1976年11月号)
林 京子「空罐」(1977年3月号)
藤枝静男「悲しいだけ」(1977年10月号)
小島信夫「返信」(1981年10月号)
大江健三郎「無垢の歌、経験の歌」(1982年7月号)
後藤明生「ピラミッドトーク」(1986年5月号)
大庭みな子「鮭苺の入江」(1986年10月号)
丸谷才一「樹影譚」(1987年4月号)
津島佑子「ジャッカ・ドフニ――夏の家」(1987年5月号)
色川武大「路上」(1987年6月号)
山田詠美「唇から蝶」(1993年1月号)
多和田葉子「ゴットハルト鉄道」(1995年11月号)
笙野頼子「使い魔の日記」(1997年1月号)
小川国夫「星月夜」(1998年1月号)
稲葉真弓「七千日」(1998年2月号)
保坂和志「生きる歓び」(1999年10月号)
辻原 登「父、断章」(2001年7月号)
黒井千次「丸の内」(2003年1月号)
村田喜代子「鯉浄土」(2005年6月号)
角田光代「ロック母」(2005年12月号)
古井由吉「白暗淵」(2006年9月号)
小川洋子「ひよこトラック」(2006年10月号)
竹西寛子五十鈴川の鴨」(2006年10月号)
堀江敏幸「方向指示」(2006年10月号)
町田 康 「ホワイトハッピー・ご覧のスポン」(2006年10月号)
松浦寿輝「川」(2009年1月号)
本谷有希子「アウトサイド」(2012年3月号)
川上未映子「お花畑自身」(2012年4月号)
長野まゆみ「45°」(2012年5月号)
筒井康隆「大盗庶幾」(2012年12月号)
津村記久子「台所の停戦」(2012年12月号)
滝口悠生「かまち」(2013年4月号)
藤野可織アイデンティティ」(2013年8月号)
川上弘美「形見」(2014年2月号)


〈評論〉
「群像」70年の轍  清水良典
「群像」で辿る〈追悼〉の文学史  坪内祐三
名物コラム「侃侃諤諤」傑作選
〈創作合評〉奥泉 光+大澤信亮滝口悠生

瀬戸内晴美「蘭を焼く」(1969年6月号)

不倫してる男が相手の女性の部屋で夜を過ごしてる時の話。
そろそろ帰る時間じゃないのかと言われても帰らずに、なんかブローチの話をしたり、過去の恋人の話をしたりしている。

三浦哲郎「拳銃」(1975年1月号)

いよいよ体調が悪くなってきて身辺整理をしはじめている80を過ぎた母親から、相談をうける。
それは、とうに亡くなっていた父親の残した拳銃の処分についてだった。
戦前に商売をしていた父が護身用だとどこかから買ってきた拳銃で、買ったものの全く使わずにしまい込まれていて、形見分けの時に出てきたのだが、その後もそのままになっていた。

吉村 昭「メロンと鳩」(1976年2月号)

主人公は、死刑囚と面会をして、彼らとの話し相手になったり、要望された品を差し入れたりする民間人の委員
メロンと鳩は、それぞれ差し入れをしたもの(食べたことない果物、飼いたい動物)
死刑執行後に残された手紙に書かれた「希望」と、殺された鳩

富岡多恵子「立切れ」(1976年11月号)

かつて落語家をしていたが、今は男やもめとして一人暮らしをしている老人の話
落語家としては50代ですでに辞めていたのだが、最近になって学生が頼みにきて、風呂屋で郭話をしている。ちょっと話題になって雑誌に取り上げられたりもして、前の前の妻が訪れる。彼女も芸人でお囃子をしていて、30代の頃に一緒に暮らしていた。
風呂屋での噺も最後になったので、一緒に「立ち切れ」をするという話なのだが、主人公のひねくれ者具合というかすね者具合というか、頼まれて噺をしているのは気にくわなくて、子供がおぼれているところをみて機嫌をよくしているとかそういうのが書かれてる。

林 京子「空罐」(1977年3月号)

60年代くらいから戦争の話はなくなっていたのだが、ここで長崎の話。
母校が廃校になるということで、久々に集まった女学校時代の友人たちが、空っぽになった学校の講堂で、講堂の思い出などを語りある。講堂の思い出=原爆被爆時の話なのだけど、例えば一人だけ戦後に転校してきた者があり、弁論大会のことを思い出したりしている。
その日、ガラスを背中から取り出す手術で一人来られなかった友人がいて、彼女が同じクラスだったか「私」は思い出せないのだけど、他の人から空罐のエピソードを聞き、確かにその子は自分のクラスにいたと思い出す。両親の骨を入れて学校に持ってきていた。
5,6人いて結婚しているのは一人で、他は独身者や離婚経験者。教員をやっていて長崎市外への転勤の話がそろそろ来そうだが、原爆病院がある長崎市から離れるのは不安だという話なども。
体内に脂肪に包まれて残されているガラス。