『文學界2016年10月号』『新潮2016年10月号』(「カブールの園」「眼魚」他)

文學界

宮内悠介「カブールの園」

アメリカで暮らす日系三世で、IT系ベンチャーを大学時代の友人と立ち上げた女性の話。
かなり直球に、三世のアイデンティティを巡る物語となっている。
彼女は、小学生の頃にいじめにあっていて、その頃のトラウマがもとで、VRを使ったセラピーを受けている。また、母親がいわゆる毒親っぽいタイプで、母とも距離をおいている。恋人は、ナチュラリストVRセラピーをあまり快くは思っていなくて、タイトルのカブールの園とは、彼がVRセラピーのことを呼ぶ呼び名である。
半ば無理矢理休暇を取らされて、一人自然公園へ向かう途中、戦争中に日系人が収容されていた収容所跡の歴史博物館へと赴くことになる。
彼女の祖父母は、まさに収容所にいた世代で、彼らは自分の娘(つまり主人公の母親)に日本語を教えようとしたが、娘世代はこれを拒む。女性消防士を目指すが、しかし人種の壁に阻まれてしまう。
主人公は、仲の悪かった母と祖母との間を取り持っていた近所の男性の息子から、収容所の人々が作っていた日本語の文芸誌を渡される。そして、久しぶりに会いに行った母の部屋に、日本語がわからないはずなのに、その文芸誌に収録されていた日本語の詩が飾られているのを見る。
そうして、自分のとらわれていたトラウマが、小学校時代に人種差別にあっていたことだということに気づく。
日本語の文芸誌を読んでいるあたりで、会社のボス(大学時代の友人でほぼ同僚みたいなものだが)から電話があって、「日本人の目をしているぞ」と言われるのとかがなかなかおもしろかった。主人公も、その文芸誌を渡された男性のことを「日本人の目をしている」と言っている。日系人と日本人との間に、目の違いがある、と。
最終的に彼女は、自分の人種的ルーツのことを認めたことで、戻ってきて日系人の目に戻って、会社の仕事に復帰していく。
会社は、クラウド上で音楽制作ができるソフトウェアを作っていて、世界中にメンバーが散らばっていても、音楽を共同制作できる、というもの。実はコンセプトは後付で、学生時代に音楽をやっていて、遠隔地で作業するのに作ってみたソフトウェアだったが、リリースしてみたら、本当にパレスチナとインドかどこかのミュージシャン同士が共同制作をしはじめたりして、後付のコンセプトが実現していった。
それをさらに改良して、プレゼンをするシーンで終わる。

石原慎太郎×斎藤環 「死」と睨み合って

なんか面白い組み合わせの対談だったので、パラパラと眺めた。
体を動かしたいのだけど、なかなか思うように動けなくなってとか、頭の手術して字が書けなくなってるとか、何より、死について色々考えることが多くなっているとか、そういう話をしていて、しきりに斎藤環が、一般に思われている石原慎太郎のイメージとは違う姿なんじゃないでしょうかと言っているのだけど、まさにステレオタイプ石原慎太郎像しか持っていなかったので、結構面白いなあと思った。
死後の世界は全く信じてはいないのだけど、宗教的な、スピリチュアルな人を求めていて、でもそういう人もいなくなってしまったなあ、どうしようなあ、みたいな話もしてたりする。
あと、今の天皇より1,2歳年上なんだね、石原。天皇と会ったときにスキューバダイビングを勧めたみたいなことも書いてあった。

新潮

星野智幸「眼魚」

何を見てもぽろぽろと涙をこぼしてしまう病気が流行しはじめた世界
その病気になった男が、魚の目玉のような花(エリカ(ヒース))を買って育て始める。最後の方になると、他の人には見えない魚が出てきて言葉を食べるようになっていくという、ちょっとファンタジーな話。
男の息子が、兵役につこうとしたりする架空の日本を部隊にしている。
おそらく、震災以後をテーマにした作品。架空の日本なので、東日本大震災は直接描かれないけれど、別のことがあって知人の家族が亡くなっているのだけど、その際に男がした失言を息子から咎められるシーンがある。