『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その3

『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その1 - logical cypher scape
『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その2 - logical cypher scape
久々に読める機会があったので続きにとりかかる
今度は新しい方から逆順に読むことにして、川上弘美から小川洋子まで13編
さすがに作家としてはほぼ知ってる人ばかりなのだが、知ってるだけで読んでなかったりしてる人も結構多いので、なんかこうまとめてつまみ食いさせてもらってる感
川上、藤野、長野はスリップストリーム的な感じだし、
筒井、松浦は、パロディというか改変ものというかだし(以下の個別感想でネタバレしてるのでご注意を)、
まあ当たり前なんだけど、やっぱり現代的な作品が並んでいる。
実は、町田康って(たぶん)初めて読んだんだけど、この年になって読んだせいか何なのか、なんか全然受けつかなかった
それを除けば、どれも結構面白かったが、やはり、川上、藤野、長野がよかったかな。そういう系(?)じゃなければ、津村がよかった。
川上、本谷、竹西の方は、前半はやや退屈なとこがあるかもだが、後半でこの話のメインのとこが見えたところで、おおってなる。

〈座談会〉「群像70年の短篇名作を読む」辻原 登、三浦雅士、川村 湊、中条省平堀江敏幸


三島由紀夫「岬にての物語」(1946年11月号)
太宰 治「トカトントン」(1947年1月号)
原 民喜「鎮魂歌」(1949年8月号)
大岡昇平「ユー・アー・ヘヴィ」(1953年5月号)
安岡章太郎「悪い仲間」(1953年6月号)
庄野潤三プールサイド小景」(1954年12月号)
吉行淳之介「焔の中」(1955年4月号)
圓地文子「家のいのち」(1956年9月号)
室生犀星「火の魚」(1959年10月号)
島尾敏雄「離脱」(1960年4月号)
倉橋由美子「囚人」(1960年9月号)
正宗白鳥「リー兄さん」(1961年10月号)
佐多稲子「水」(1962年5月号)
森 茉莉「気違ひマリア」(1967年12月号)
深沢七郎「妖術的過去」(1968年3月号)
小沼 丹「懐中時計」(1968年6月号)
河野多惠子「骨の肉」(1969年3月号)
瀬戸内晴美「蘭を焼く」(1969年6月号)
三浦哲郎「拳銃」(1975年1月号)
吉村 昭「メロンと鳩」(1976年2月号)
富岡多恵子「立切れ」(1976年11月号)
林 京子「空罐」(1977年3月号)
藤枝静男「悲しいだけ」(1977年10月号)
小島信夫「返信」(1981年10月号)
大江健三郎「無垢の歌、経験の歌」(1982年7月号)
後藤明生「ピラミッドトーク」(1986年5月号)
大庭みな子「鮭苺の入江」(1986年10月号)
丸谷才一「樹影譚」(1987年4月号)
津島佑子「ジャッカ・ドフニ――夏の家」(1987年5月号)
色川武大「路上」(1987年6月号)
山田詠美「唇から蝶」(1993年1月号)
多和田葉子「ゴットハルト鉄道」(1995年11月号)
笙野頼子「使い魔の日記」(1997年1月号)
小川国夫「星月夜」(1998年1月号)
稲葉真弓「七千日」(1998年2月号)
保坂和志「生きる歓び」(1999年10月号)
辻原 登「父、断章」(2001年7月号)
黒井千次「丸の内」(2003年1月号)
村田喜代子「鯉浄土」(2005年6月号)
角田光代「ロック母」(2005年12月号)
古井由吉「白暗淵」(2006年9月号)
小川洋子「ひよこトラック」(2006年10月号)
竹西寛子五十鈴川の鴨」(2006年10月号)
堀江敏幸「方向指示」(2006年10月号)
町田 康 「ホワイトハッピー・ご覧のスポン」(2006年10月号)
松浦寿輝「川」(2009年1月号)
本谷有希子「アウトサイド」(2012年3月号)
川上未映子「お花畑自身」(2012年4月号)
長野まゆみ「45°」(2012年5月号)
筒井康隆「大盗庶幾」(2012年12月号)
津村記久子「台所の停戦」(2012年12月号)
滝口悠生「かまち」(2013年4月号)
藤野可織アイデンティティ」(2013年8月号)
川上弘美「形見」(2014年2月号)


〈評論〉
「群像」70年の轍  清水良典
「群像」で辿る〈追悼〉の文学史  坪内祐三
名物コラム「侃侃諤諤」傑作選
〈創作合評〉奥泉 光+大澤信亮滝口悠生

川上弘美「形見」(2014年2月号)

けものフレンズだった
千年後の世界。子どもも食料もすべて工場で作られている。夫婦は工場で作られた子供を育てるがすぐに育って独り立ちする。死ぬのも早く、一生の間に4人も5人も夫ないし妻が変わる。
この世界にいる人々は、動物の遺伝子から作られた人間。しかし、何の遺伝子から作られた人間かは教えてもらえない。死んだ時、焼いた骨から分かる。
人間の遺伝子から作られた人間もいる。

藤野可織アイデンティティ」(2013年8月号)

人魚の話。
猿と鮭の死骸をつなぎ合わせて乾燥させて人魚を作る。
主人公(?)のそれは、他の人魚と違って人魚としてのアイデンティティが薄い。お前は誰だと聞かれて「猿です」「鮭です」と答えてから「に、人魚です」と答える。
他の人魚たちには人魚だったころの記憶が芽生えてくるが、それにはなかなか芽生えない。猿や鮭だった頃には感じることのなかった不安や恐怖に苛まれる。
しかし、出荷される頃には人魚としての自覚が生まれ、無事、海外へと売られていくことになる。

滝口悠生「かまち」(2013年4月号)

主人公夫婦が引っ越してきた家の向かいの家では、かまちで1人高座をしている女性噺家の井澤さんがいる。
彼女は、アマチュアながらも区民センターなどで噺をかけたこともあるくらいだったが、夫が亡くなってから、家のかまちで1人延々と話すようになった。彼女自身の記憶や感覚の細部を詳しく言語化していき、脈略もなく話がとんでいき、もはや落語からは離れた独特の話芸となっており、今では誰も聞いていない。
猫の話、夫婦の話、妻の弟の話。
山田かまちの話も少し出てくる。

津村記久子「台所の停戦」(2012年12月号)

60を過ぎなおフルタイムで働く母と、小5の娘とのそれぞれの母娘の関係
母からされて嫌だったことを娘に受け継がないとする最後の部分で、母もまた祖母から何かを受け継がないことにしたのだろうかと思うに至る

筒井康隆「大盗庶幾」(2012年12月号)

怪人二十面相前日譚
少年探偵団シリーズは子どもの頃に何冊か読んでいるのだけど、あんまり内容覚えていないので、読み終わった後にWikipediaで設定確認してしまったw
二十面相が実は男爵家の子息だったという話。幼い頃から、こっそりサーカスに通って、その女装・変装を活かしてサーカスにも出るようになる(Wikipediaによれば、二十面相はこのサーカス団の曲芸師、遠藤平吉だが、この「大盗庶幾」では平吉は偽名だったということになっている)。
それ以外に、
団子坂の時に明智小五郎を見かけており、その時から気にくわなかった。
実家が破産し、父親のコレクションが売られてしまう。それを取り返すために盗賊になる。
のちに明智の妻となる文代に一目惚れしており、ますます明智を嫌うようになる。
というような理由から、彼が二十面相になっていった経緯が描かれている。
エノケンとかも出てきて、虚実入り交じる感じも。

長野まゆみ「45°」(2012年5月号)

駅前で遅い昼食を食べていた雨宮は、後ろの席から聞こえてきた2人の会話につい耳をそばだててしまう。
30年前、とあるビルで起きた出来事を思い出してほしいという内容だった。
頼まれた方は、かつてアドバルーンの浮揚員(屋上でアドバルーンを監視する仕事)のアルバイトをしていた。
頼んでいる方は、30年前に働いていた会社の3階から転落し、それ以前の記憶を失っていた。
アドバルーンや駅の掲示板の話をはじめ、30年前の東京が語られるのも面白いのだが、30年前に一体何があったのか、いやそもそもこの話は本当なのか嘘なのか、といったサスペンス感がある。
聞き耳を立てている主人公自身、この会話は何か新手のパフォーマンスなのではないかと疑う。
45°というのは、強風でアドバルーンを下げるときの基準となる角度だが、一方で、主人公が45°自分の席の角度がずれていたら後ろで会話している人の顔が見えるのに、と思う角度でもある。
もしかして幽霊が話しているのでは、というホラー展開もあり、
実は、精神病患者の独り言なのでは、という謎解きの可能性も残しつつ、
いやそもそも、主人公がありもしない会話を聞き取ってしまっただけなのでは、という読みも可能で、不思議な話。

川上未映子「お花畑自身」(2012年4月号)

家作り、庭作りに精魂込めてきた専業主婦が、夫が経営する会社の倒産によって、家を手放さなければならなくなる。
若い女性(作詞家らしい)に買われてしまう。何故こんな目に遭ってしまったのか納得できない主人公は、作詞家の女性が不在時に侵入し、庭の手入れをするが、女性と鉢合わせてしまう。
基本的に、家を失ってしまった専業主婦側の視点で書かれていくのだけど、若い女性の方がぐう正論を繰り出してきて、「うん、まあそうだよね」としか言えない状況に追い込まれるあたりが面白い。
で、若い女性の方もずっと正論言ってたのに、じゃあ家への未練を断ち切るために、庭に埋まってみるのはどうかって提案してくるのがやばいw
ところで、「怪盗なんとか」というアイドルグループの名前が出てくるのだが、これは元ネタはももクロかなんかか? そして、阿部和重

本谷有希子「アウトサイド」(2012年3月号)

主人公は、幼い頃からピアノを習わされているけれど、全くやる気がなくむしろ反抗的で、既にいくつものピアノ教室を追い出され、それでも娘にピアノを習わせたい親によって、個人でやっているピアノ教師のもとへ通うこととなった。
そこでも全く態度を改めなかったのだが、ピアノ教師が突然鉛筆をつきたてるレッスンをはじめて、その時から急にピアノの腕をあげはじめ、あと少しで200曲覚えるというところまでいく。
主人公には、高校生や大学生と付き合いあまつさえ妊娠してしまった友人がいて、2人でつるむことによって、何でもできると考え、大人たちへも反抗的だったのだが、そのレッスンから不意にそうしたことがばかばかしくなる。
ピアノ教師の方というのも、音大を出た後、プロにもなれず結婚して家でピアノ教室をしていて、主人公に対しても温和な態度で接していたのだが、主人公の態度が悪いために他の生徒がやめ、また家族からはピアノ教室をやること自体厭われていて、そうしたことが重なっての鉛筆だったのだが、200曲間近でピアノ教室を続けられなくなる。

松浦寿輝「川」(2009年1月号)

平岡という老人が、若い編集者がブックフェアでスコットランドに行くというので、気まぐれ「連れていってくれ」と言って、初めて海外旅行としてスコットランドを訪れるという話。
スコットランドの風景、旅行者の自分にとって「記憶のない」風景に触れて感動する。
平岡という名前、かつて建てた家の話、収監されていた等から、おそらく自決せず逮捕されてしまった三島由紀夫なのではないか、と思われる。

町田 康 「ホワイトハッピー・ご覧のスポン」(2006年10月号)

フリーターっぽい若者が、「俺たち最高だよねー」とか「感謝感謝」とか言いながら仲間とつるむ日々を過ごしていたところ、仲間のうち1人が死んでしまい、葬式へいく話。
「最高」とか「ポジティブにいこう」とか軽い言葉を並べつつも、ところどころ、ネガティブな要素が漏れ出す、という作品

堀江敏幸「方向指示」(2006年10月号)

理髪店で、修子さんと客の老人の会話
「鮮魚の松本」を「仙女の松本」と聞き間違えるところから始まる。
松本さんが行方不明になり、自転車に乗って、手で方向指示をしていたという目撃談と、修子さんの母親の自転車事故

竹西寛子五十鈴川の鴨」(2006年10月号)

学校も会社も違うが、同業の研修で度々出会ううちに親しくなった岸辺。
ある時、見知らぬ女性から、岸辺からのことづてがあると連絡がくる。
話のあう友人であったが、自分から誘ってくることもなくプライベートについてもさらりとかわす人であった。
女性の話によれば、岸辺が亡くなってしまったということであった。
ことづては、かつて遊びにいった神社でのことだった。五十鈴川の何気ない平穏な風景に「いいなあ」と彼が言ったことを、主人公も覚えていた。
実は岸辺は広島の出身であり、原因の分からぬ病気を抱えていた。女性は、彼に思いを寄せていたが、そういった理由で断られていた。

小川洋子「ひよこトラック」(2006年10月号)

50歳のホテルマンである主人公は、老婆と幼い少女が暮らす家で下宿している。
子どももいない主人公は、当初、少女への対応に困っていた。特に、彼女が親を亡くしていらい言葉を話さなくなり、小学校にも通っていないことを知るとなおさら。
だが、彼女は主人公に、セミの抜け殻や蛇の抜け殻などをプレゼントするようになり、次第に2人は、その抜け殻を一緒に眺めるようになる。
その家の前を、時折、夜店で売られるカラーひよこを満載したトラックが通る。
ある時、そのトラックが事故を起こして、ひよこが道に。