『1789 バスティーユの恋人たち』

帝劇でやっている東宝ミュージカル
タイトルで分かるとおり、フランス革命を描いた物語
ロックテイストの音楽やインスト曲を用いた群舞などが迫力のある作品だった。
(ちなみに、元テニミュ、元宝塚のキャストが多い舞台でもあった)

農民であるロナンは、父親を税金の取り立てにきた国王軍に殺され、パリに出てくる。
パリでロナンは、三部会の召集を求めるロベスピエール、ダントン、デムーランと出会い、互いに兄弟と呼び合う友情で結ばれるようになっていく。
一方、王宮では、マリー・アントワネットが豪奢な生活を送っていた頃で、王太子の養育係であるオランプはアントワネットの信頼をうけ、アントワネットとスウェーデンの貴族フェルゼンとの密会を手引きすることになった。
当時のパリで、浮浪者や売春婦のたまり場となっていたパレ・ロワイヤルで、アントワネットとフェルゼンは密会するのだが、たまたまそこで野宿していたロナンを起こしてしまい、軽い一悶着が起こる。そこにアントワネットのスキャンダルを探っていた秘密警察が現れたため、オランプは、ロナンに濡れ衣を着せることで、アントワネットとフェルゼンを逃がすのだった。
農民で革命家と親交のあるロナン、王妃に仕えるオランプ、2人は全く立場が異なるし、出会いも最悪に近いが、次第に惹かれ合っていく。
三部会は召集されるも、平民の意見はきかれず、平民の生活は益々苦しくなっていき、物語はパスティーユ襲撃でクライマックスを迎える。


サブタイトルも「バスティーユの恋人たち」だし、ロナンとオランプの恋愛模様が一応プロットの主軸ではあるのだけど、どっちかというとフランス革命の初期の様子が描かれている感じで、恋愛要素はそれほど強くない。
というか、ロナンとオランプが何でお互いに好きになったのかが、いまいち判然としない。
まあ、恋愛というのはそういうものだとも言えるのだけど、何か唐突に「あなたのことが忘れられなくて」とか言い出した感じはある。


さて、メインキャスト陣はWキャストとなっており、実は、その両方を見る機会を得た。
(1)ロナン=加藤和樹、オランプ=夢咲ねね、マリー・アントワネット花總まり
(2)ロナン=小池徹平、オランプ=神田沙也加、マリー・アントワネット凰稀かなめ
この2パターン


ロナンは、農民として革命に身を投じるという面と、オランプとの恋に落ちるという面があるのだけれど、どちらかといえば、加藤は前者寄り、小池は後者寄りの印象を受ける。
まあ、見た目の問題もあるけど、どちらかといえばワイルド系のイケメンである加藤は、荒い気性の出てくる前半がよく似合っていたが、先に挙げた、恋愛パート突入への唐突さはかなり高い
どちらかといえば小柄で優男系のイケメンである小池は、逆に前半はちょっとあってない。ちょっと無理して乱暴なセリフ言っていたか、みたいなw(まあこれは加藤を先に見たからであって、小池の回だけを見ている分にはそう思わなかったかもしれないが) 一方で恋愛パートの違和感は少ない。あと、一番最後のロナンのソロは、加藤の回を見た時から、声質的に小池はよくあうだろうなーと思ったらその通りだった。
夢咲と神田のオランプでは、個人的にはそこまで強い印象の違いはなかったけれど、神田の方が「美少女」感は強かった。なんというか、ツンデレのツン感のある声というか、ちょっとアニメっぽい雰囲気を持っているのは神田の方かな、と。個人的には、夢咲の方が「可愛らしい」感じがあったけど。
かなり印象が違ったのは、花總と凰稀のマリー・アントワネットで。というのも、凰稀は元々宝塚の男役*1で、女性を演じるのは初めてだったらしい。
マリー・アントワネットは、王太子が死んでからは、フェルゼンと逢うのをやめ、また次々と貴族が亡命を始めるなか、フランスの王女として国にとどまることを選ぶのだが、凰稀の場合、まるで何年も前から覚悟が決まっていたかのような覚悟完了っぷりだったw
花總の方が、ふわふわとした感じがあって、個人的には好きだったけど。


Wキャストによる印象の違いを鑑賞できたのも面白かったけれど、キャストで一番印象に残ったのは、ソニン
ソニン、エモい!
見終わった後、ずっと言ってたw


ミュージカル鑑賞は妻の趣味で、まあその付き合いで見に行ってるんだけど
妻は、子供の頃から民放テレビを見ていないので芸能界について疎く、ソニンのことも、近年のミュージカル女優としてしか知らないのだけれど、
こっちは逆に、EE JUMP時代のことしか知らないし、ミュージカル女優に転身していたことも知らない(ああ、そういえば確かに『ミス・サイゴン』に出てたねってくらいで)
だから、別に当時ソニンのファンだったとかいうこともないんだけど、「おお、ソニンじゃん!」って思うし、確かにこの人はミュージカルにあうのかもしれないな、と思ったりもする。
で、ソニンは、ロナンの妹役なのだけれど、
父親が殺され、兄はパリに行ってしまい、結局彼女もパリへと出てくる。しかし、金もないので、売春婦になるしかない。ダントンに気に入られたところ、兄と再会する。兄は、ダントンらの革命思想に共鳴しはじめていたが、一方の彼女は、インテリの言ってることなど現実を見ない理想論だと嘲笑う。
しかし、彼女も次第に、人権思想などに理解を示すようになる(兄のロナンが、革命家たちと自らの境遇の違いから革命に対して迷いを持ち始めるのと並行して)。で、ある時、小麦の高騰でパン屋からパンが消えたのをきっかけに、女性たちを組織して行動を起こす。
この時の歌がとにかくエモいんだなー
ソニンのあのハスキーな声質と、パワフルな声量があいまって
あと、帝劇でミュージカルとなれば、生演奏が多いと思うのだけど、今回は録音物をかなり使っているらしく、このソニンの歌では、アンサンブルではなく、どうもソニン本人の声をコーラスに使っていたっぽい。


ミュージカルなんて、普段全然見ていないので、ミュージカルっぽい曲って実際どういうものかわからないけれど、何となくイメージされるミュージカルっぽい曲と、『1789』の曲はちょっと違っていて、結構ロックテイストな曲が使われている。アコギの入ってる曲も多かったかな
四つ打ちインスト曲があったり、何故かスクラッチ音が突然挿入される曲もあり、クラブテイストなものへの目配せも感じなくもないものもあった(ただしEDM以前って感じ)
いかにもミュージカルっぽくて個人的には苦手だなあという曲調のものもあったけど、全般的には、音楽がよかった。
パレロワイヤルでの、マリー・アントワネットとフェルゼンとの密会の時の歌とか、歌詞の符割りの感じと、シンセとの絡み方がわりと好きな感じだった。


それから、ダンス
ミュージカルなんだけど、インスト曲が2曲くらいあって、歌なしダンスだけというものがあって、その群舞が迫力あって楽しかった(テニスコートの誓いあたりの奴)。
ダンスの教養が全くないのでテキトーなことを言うが、振り付けの人が複数いて、違う系統のダンスが混ぜられているような感じがした。タップダンス系というかモダンダンス系というか。
あとなんか、体育大学の新体操部の人たちがアンサンブルで入ってたらしくて、バク宙だけじゃなくコークスクリューとか抱え込み軸ズレ宙返りみたいなのとかやってるのが見れて、それも面白かった。
あと全然関係ないけど、ミラボーというおっさんのダンスがかっこよかった



文フリを挟んで2回行ったので、どうしても「分離された虚構世界」のことを考えずにはいられなかったのだけど
そもそもミュージカルはやはり、ハイブリッド芸術なので、そもそもミュージカルにおける「虚構的真理」とは何か、というのが難しい。
いや、ミュージカルにおける虚構的真理自体はさほど難しくないのだけど、何を鑑賞しているのかという点が結構難しい。
自分の考えでは、「歌っている」ことや「踊っている」こと自体は、虚構的真理ではない(だから、歌や踊りは分離された虚構世界ではない)。歌や踊りは、それ自体で何かを表現していて、それを鑑賞している。一方で、同時に「演劇」が行われていて、これが(役者の演技や大道具・小道具などにより)虚構的真理を生成していて、これも鑑賞している。そして歌や踊りによる「何か」が、さらに虚構的真理と関わり合っているとは思う。そもそも、役者の「歌」や「踊り」と「演技」をどのように区分するかといえば、理屈の上で確かに別ものだけど、実践上は(役者側としても鑑賞側としても)かなり難しい。
「分離された虚構世界」は、あくまでも虚構的真理の中での区分
ミュージカルはどちららかといえば、虚構的真理ではないもの=フィクション以外の芸術形式によって生じるものと、フィクションとの、ハイブリッドな芸術であり、そこが面白さの源泉になっているのだろう。
だから、ミュージカルを分析する上で、「分離された虚構世界」は使いどころがない、というのが個人的な雑感。
ただ、このハイブリッドは、フィクションを考える上では避けがたいところでもある気がする。
非ミュージカルな作品の方を多く見慣れている身としては、ミュージカルって特殊な形式のようにも見えるけど、原理的にはそんなに違ってないと思う。程度の差があるだけで。直接的には虚構的真理を生成していない表現が、別の経路を介して虚構的真理と関わりあっているという点において。


あと、ミュージカルないしこの作品の面白さを分析するにおいて、「分離された虚構世界」に使いどころはないと思うけど、「分離された虚構世界」が作中に使われてないわけではない。
自分のみるところ、ロナンとオランプが歌っている時に、マリーとフェルゼンも出てきて、4人で歌うことになるシーンは「分離された虚構世界」だし、バスティーユ襲撃のあたりで、国王達が上から出てくるシーンとか、あと最後のロナンだけ1人で上に腰掛けてるシーンとか。
まあここらへんは、どんな作品にもよくあるような奴だよねってだけで。それをわざわざ「分離された虚構世界」と名指ししたところで、特にそれほど面白みもない。
面白いなと思ったものはあと二つあって。
一つは、わりとステージの前方に一列になって歌うシーンが多いこと。第四の壁的な話と関わってくるのではないかなと思うんだけど、もしかしたら、ミュージカルではよくあることなのかもしれない。
もう一つは、三部会のシーン。秘密警察が、人形劇を使って説明するのだけど、途中から人形じゃなくて、実際の役者を操り人形に見立てて解説を始める。あそこでは、役者が人形であるというフィクションがまずあって、その上で、人形がそれぞれの国王なり貴族なり平民なりであるというフィクションが成立している。

*1:英伝のラインハルトとか