川畑秀明『脳は美をどう感じるか』

神経美学の一般向け紹介の本。
似たタイトルの本として、セミール・ゼキの『脳は美をいかに感じるか』があるが、ゼキは川畑の師にあたるらしい。
筆者の専門は心理学であるとのこと。
神経美学とは、脳科学的アプローチによって芸術鑑賞や制作について迫るというもの。芸術として扱われるものは、本書においては、基本的に絵画。
各章ごとにテーマが分かれていて、ちょっと雑学集っぽくなっている。心理学で知られている○○効果が、絵画の鑑賞や制作においてはこういうところで見られるというようなことが、いくつも並んでいる感じ。

第一章 アートの脳科学とは何か

ロスコ・ルームでの筆者の体験の話から。ロスコの絵と、トロクスラー効果
ゼキ「優れた芸術家は、優れた神経科学者である」(脳の振る舞いを生かした表現をしている)
絵画鑑賞時の視線の動き
視線方向についての実験(視線方向にあるものにより注意が向かう、また、より好ましく感じるようになる)
風景画、肖像画静物画を見るとき、それぞれ異なる脳の部位がそれぞれ活動を高める。風景写真、肖像写真、商品写真でも同じことが起きる(脳の活動というレベルでは、絵と写真は区別されず、そこに描かれている・映されているもので区別される、というのは当たり前のようにも思えるけど、美学の方から考えると面白いのではないかと思う*1
抽象画については、とくにそういう部位はない。
神経美学について
ティンバーゲンの四つのなぜに、美や芸術を当てはめて考える。
実験美学についてもちょっと触れられている。
キネティックアートの鑑賞には、V5の機能が不可欠

第二章 脳の中に美を探して

絵画のオークションの話から。
報酬系の話
依存について、選好について、脳機能の部位の話。
単純接触効果、カスケード現象、認知的不協和の実験。
美術作品の好み。パーソナリティ特性と、好む絵画(印象派キュビズムルネサンス日本画か)の関係についての実験
(本書における)美の個別性=色や動きといった視覚の要素ごとに個別の美があるのではないか
美の共通性=美しいという体験には、個人差を越えて共通の脳の働きが反映されているのではないか
絵を見せて「美しい」「醜い」「どちらでもない」の判断をしてもらい、その時に働いてる脳の部位を見る実験→美しいと思うときに反応する部位と醜いと思うときの部位はそれぞれ別でトレードオフになっている、美しいと思うときに反応する部位は報酬系と関係、醜いと思うときの部位は運動と関係、どの絵を美しいと思うかは人によって違うが反応する部位は同じ、肖像画か風景画で反応する部位が異なる
類似の実験、美しいかどうかの判断と図形の形についての判断でも反応する部位は違った
芸術療法→ペインクリニックで使われている
身体的反応と情動とのループ(ダマシオのソマティック・マーカー仮説と絡めつつ)

第三章 アートの進化をたどる

動物美学
人間以外の動物と美や芸術との関係
ニワシドリ
絵の種類を見分けるハトの実験
見分けるだけでなく絵に好みがある(長く立ち止まる)ブンチョウの実験
絵を描く大型類人猿
150万年前、左右対称の石器:社会的コミュニケーションの産物
南ア、ブロンボス洞窟から見つかった7万5000万年前の、幾何学模様が刻まれたオーカー片、巻き貝のビーズ
洞窟壁画は、地形を利用しているまたは地形からイメージが引き起こされている
ピンカー:アートは進化の副産物
ディサーナーヤカ、ダットン、ミラー:進化の産物。特にミラーは性淘汰
トゥービーとコスミデス:適応の副産物と考えるには複雑すぎる。架空の体験や過去の体験を追体験するものとしてのアートの機能を重視
遺伝子とアート:言語に関わるFOXP2遺伝子、音楽に関わるAVPR1A遺伝子

第四章 創造性の源泉――脳の発達と病

美術に関わるサヴァン
ゴットフリート・マインド、山下清、ナディア*2、ウィルトシャー*3
脳障害による変化
デ・クーニング、認知症の進行により作風に変化
マクヒュー、くも膜下出血で倒れた後、それまで興味のなかった絵画や彫刻の創作衝動が抑えられなくなる
視覚性感情欠乏:何かを見てもそれに伴う感情が持てなくなる。音楽を聴けばその感情は持てる。視覚と聴覚が逆になっているものもある。
ゴッホと躁鬱症、ムンク統合失調症
アウトサイダー・アートと脳。病気と表現とを結びつけるのは複雑で容易ではないが、医学や心理学において研究は色々行われている。感覚や認知の違いが独創性や創造性に繋がっているのではないか。
絵画の鑑賞とは、画家の行為の追体験ではないか。
ダットン「芸術作品の価値は創作の背景に人の行為があること」
芸術=作家の感覚を映し出す行為の記録

第五章 アートに習熟する脳

練習と脳の可塑性
プロと素人でものの見方の違い(素人はバイアスがかかる)
プロは全体を見回す、素人は自分の気になる部分をよく見る
右脳と左脳の関係
アートや創造性に右脳が重要なのは確かだが、右脳だけの働きによるものではなく、右脳と左脳との間のやりとりが関係
言語隠蔽効果
言葉にすることによって記憶が歪むこと
ワインを飲まない人、ワイン好きの素人、ワイン製造に関わるプロに、ワインの味について言語化してから記憶させる実験。ワイン好きの素人のに言語隠蔽効果が現れる。(これはなかなかどきっとさせられる実験だと思った。)
型と守破離
モンドリアンの画風の変遷と守破離

第六章 アートの法則と美の行方

ラマチャンドランのピークシフト仮説
動物行動において反応すべき刺激の特徴が極端化していくこと
脳が敏感に反応する特徴としての対称性
ピークシフトとしてモンドリアンを考える
モンドリアンの作品を見ると、V1とV4が特に反応する。どちらも色に関係する。また、V1は斜めの線よりも垂直・水平線に反応する(モンドリアンは斜めの線を嫌悪していた)。
ポロック作品とフラクタル
フラクタルには複雑さの度合いがあり、中程度の複雑さの時、人はリラックスする。ポロック作品は、中程度よりも少し大きい度合いの複雑さ。
黄金比
竜安寺の石庭のフラクタル
規則性とランダムの中間
アルンハイム「視覚的思考」
知覚による知識や思考
視覚的思考の具体例としてのモネとセザンヌ
モネは構図を変えず色調を変えることで「瞬間」を描こうとし
セザンヌは色調は変えず様々な視点から描き抽象化することで「対象」を強調した→視覚的思考による曖昧さの解決
印象や感情を調べる方法=SD法→形容詞ペアを因子分析する→芸術を見直す方法として使えないか。

感想

脳科学*4についての、現状の問題点みたいなものは、坂井克之『心の脳科学』で触れられているのだが、脳のどの部位が反応するかということは色々分かっているのだが、そうした反応が一体どうなって「意識」なりなんなりになったりするのかまではよく分かっていないということ。
本書においても、脳の話をしている場合は大抵、どの部位が反応しているかというものになっている。
そうした記述を、美や芸術についての科学的説明だと考えてもよいか否か。
自分は、できれば物理主義でいきたいなあと思うので、こういう神経美学的な路線自体は全然ありだとは思うけれど、しかしやっぱり、V1がよく反応したから一体何なんですかと思ってしまうし、また、黄金比は客観的な美と書いているところがあって、そこは飛躍があるだろうと思ってしまった。
例えば、道徳的な行為と脳の活動についてもおそらく関係はあると思われるので、道徳的によい行為をしている場面を見せると反応する脳部位を見つけましたという実験とかはありそうな気がするんだけど、じゃあその脳部位が反応することが道徳的によいことであるということですねと言われれば、それはちょっと違うだろう。
というか、ゼキ・川畑の主張って、ちょっと同一説っぽく見える。痛みとC繊維の反応は同一である、というあの同一説。美的性質は、物理的性質に置き換えることができるという前提があるのではないか、と。黄金比のところで特にそう思ったのだけど。
でも、今の哲学者や美学者で、物理主義を取るにしても、同一説をとるような人はもういなくて、スーパーヴィーニエンスなのかなあと思う。なので、神経美学に対する分析美学によるフォロー、あるいは分析美学が神経美学の知見を取り入れること、なんてことがあり得ると思うんだけど、それはどうなってんのかなというのが気になったりした。


芸術と脳の活動の間に何らかの規則性みたいなのはもちろんあるだろうし、個別に色々と新しい発見はあるだろうと思う。
特に、進化美学や制作に関わることについては、結構いいんじゃないかなあと思う。
ただより謎が深まるというか、色々なことは分かったけど肝心なことは結局分からない、みたいな部分も現時点だとあるよなーという感じ。


この本、ぽんぽんと話題が切り替わっていくので、ちょっとまとめにくかった。
連想が働いての雑談みたいなのが結構あって、神経美学というジャンルに興味を持たせるという点ではよいのだろうという一方で、体系的という感じではない。だから冒頭、一般向け紹介の本と書いたけど入門書とは書かなかった。


脳は美をどう感じるか―アートの脳科学 (ちくま新書)

脳は美をどう感じるか―アートの脳科学 (ちくま新書)

*1:絵と写真の違いについて議論があるから

*2:ラマチャンドランの研究

*3:オリバー・サックスの著作

*4:という呼び方は、確かあまり正しい言い方ではなくて、神経○○学とかが色々あって、それらを一般向けに分かりやすく言うときに「脳科学」みたいな言い方がなされているっぽい。本書でも、さらっと注意が向けられていたはず