『思想2016年4月号』(特集:神経系人文学――イメージ研究の挑戦)

神経美学に対して、ドイツを中心に、神経科学を取り込んだ美術史研究、文学研究等が生まれ、実験美学、経験美学として研究が進められているという動向について
一応、「神経系人文学」と銘打たれているが、他にも色々名前があって、そこらへんはまだあまり整理されていないっぽい。
神経美学は、「美学」と名前がついているけれど、美学の一分野というわけではなく、むしろ神経心理学の一分野であって、神経心理学者たちが、研究対象として芸術を取り上げたもの。大雑把にいえば、理系が文系を取り込んだもの。
神経人文学は、もともと美学、美術史、文学などを専門としていた研究者が、研究手法として神経心理学などを用いるようになったというもの。大雑把に言えば、文系が理系を取り込んだもの。
なので、神経美学と神経人文学は、どうもちょっと違うもののようだが、この特集の中では、神経美学側の記事も1つ掲載されている。

〈研究動向〉神経系人文学序説 坂本泰宏
〈インタビュー〉思考手段と文化形象としてのイメージ ホルスト・ブレーデカンプ
一瞬の認識力――ホグレーベの場景視と一望の伝統―― ホルスト・ブレーデカンプ
皮膚,そして微小表象への旅 坂本泰宏
神経美学の功績――神経美学はニューロトラッシュか―― 石津智大
驚きを生む瞬間を観測する――実験装置としての映像表現―― 菅 俊一
神経美学の〈前形態ゲシュタルトカール・クラウスベルク
言語と文学の経験美学――旧来の文学研究よりうまく処理できること,そしてできないことは何か?―― ヴィンフリート・メニングハウス
〈書評〉触知性と作曲のイマジネーション――G.リゲティ&G.ノイヴァイラー『運動する知性』―― 北川千香子

〈研究動向〉神経系人文学序説 坂本泰宏

1990年代初頭にイギリスを中心に神経美学が繰り広げられ、もともとこの動向に対して消極的だったドイツが、しかし2013年に、メニングハウスを初代所長として、マックス・プランク実験美学研究所を設立する。
マックス・プランク研究所! 実験美学までやるのか!
この論文、マッピングがついているのだが、そのマッピングでは「観察の系譜」「経験科学の系譜」「創造者の系譜」にわけている
「観察の系譜」では、フンボルト大学の各研究所や、ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ文化技術研究所(キットラーや、本誌に寄稿しているブレーデカンプ、坂本らの名前が連なっている)などが一番大きなエリアとなっている。
「経験科学の系譜」では、ゼキら英国、あるいは各国の神経美学グループと、マックス・プランク経験美学研究所、さらにウィーン大学美術史研究所・経験イメージ学といったグループがマッピングされている。また、A・ノエから、神経美学批判という矢印が伸びている。
「創造者の系譜」では、ナム・ジュン・パイクらの名前が連なるZKM&カルスルーエ造形大学や慶応の佐藤雅彦研究室などがマッピングされている。

神経美学は、あくまでも芸術作品をトリガーとして発生する脳の中の世界を論じているにすぎない。このような議論を異端のものとして人文学の端に追いやってしまうか、それともその見地を土台として芸術作品の本質への扉を開く鍵の一つとして使うかは人文学者次第であり、その乱用誤用も人文学者たちの経験科学リテラシーに懸かっている。(P.10)

前向きに神経系人文学の課題を総括するのであれば、(中略)知覚を脳における活動領域との関係で観察するのではなく、その相関や違いをもたらす地学条件ごとの時系列の処理過程をより注意深く観察することである。そのような実験は時間分解能の関係から脳波計、あるいは(中略)脳磁図を用いて遂行されることが多い。(中略)「(脳の中の)どこ」という形でしか回答できなかった状況が、この変化によって「(いつどこで)どのように」という回答を提示することが可能となる、というように変化する。これにより、知覚対象と知覚表象、そして脳の活動の関係性まで議論できるようになるため、人文学的な関心と経験科学的な関心を橋がけとなることが期待される。(p.12)

一瞬の認識力――ホグレーベの場景視と一望の伝統―― ホルスト・ブレーデカンプ

「一望coup d’oeil」という概念についての系譜を追うもの
ここでいう「一望」とは、一瞬で全体を認識し、判断するような能力のこと
これだけ読んでも何のことだがよくわからないし、何が神経系人文学なのかもわからないのだが、これの次の坂本論文を読むと、「一望」と知覚処理の話がかかわってくる。
ダヴィンチやライプニッツから、フリードリヒ大王やクラウゼヴィッツといった軍事の話にもつながっていく

皮膚,そして微小表象への旅  坂本泰宏

これが一番面白かった。
ただ、内容は難しくて、この論文の全体の構成はいまいちよくわからないでいる。話題が多くて、それぞれの話題の関係が。


まず、神経美学についての話から。
芸術作品を被験者に見せるという実験を行うわけだが、一点物の芸術作品を実験に使うのは、刺激のコントロールができないという難点がある。*1
フェルメール作品について、描かれている部屋や光の条件について3DCGシミュレーションで調整できる「メタ・フェルメール


実験の設計が可能になったとして、次は美的知覚のモデルを考える必要がある
これまで、初期知覚の考察が軽視されてきた
初期知覚と審美判断の関係について
時間分解能を考えると、fMRIよりMEG


初期知覚から「一望」が発生する
ゲシュタルト知覚の発生(100ミリ秒前後)は考察するための一つのきっかけとなる
→知覚のブラックボックス
「上から」の知覚論(人文学的)でも「下から」の知覚論(経験科学的)でもなく、「中から」の知覚論(作り手と作品から)
→「一望」が発生するような外と内が出会うところとしての、ヒューネの「皮膚」


ライプニッツのペンタグラム
→「網膜像」(外部)と「知覚表象」(内部)、そのあいだの「認識論的直観」
→視覚における直観は聴覚においては雑音・噪音


「一望」について考えるにあたって、知覚のブラック・ボックス、「皮膚」、ライプニッツの「ペンタグラム」


ヒューネの音響彫刻「テクスト・トーンズ」
展示室の中に金属パイプが何本かおいてあって、パイプを叩いた音と展示室の音の録音が鳴らされる。
部屋の中に共鳴する場所があって、鑑賞者はそれを探す。
「音とイメージに関わる本能的な知覚の発見装置」


知覚表象と物理現象が接する場所(皮膚)によって生じる一望は時間軸ゼロの現象なのか
主観的認知の過程がどの段階で生じるのか
→後期過程で起きるのであれば、ゴンブリッチが主張したようにイリュージョン
→初期過程で起きるのであれば、「微小表象の生起の仕方にこそ主観的判断の根源が宿る」
仮現運動の知覚実験
呈示刺激の時間間隔が、30ミリ秒以下では同時に知覚され、60から160ミリ秒で運動が知覚される
30ミリ秒と60ミリ秒の間の時間窓において、どちらでもない状態を経験する
この時間の刺激だと、運動を知覚したか同時と知覚したかの回答が毎回異なる
MEGで測定

(実験参加者の)報告からも当初は、回答の不確定性は全くの偶然であるか、運動か同時かの判断はより遅い時間帯で下されている可能性が高いと考えられた。しかし後頭葉視覚野付近のセンサから得られたデータに焦点を当てて解析した結果、実験参加者は全く同じ視覚刺激を見ているにも拘わらず、遅くとも180ミリ秒の段階で回答の違いに関連する有意な差が出ていることが明らかになった。
(中略)
同じ視覚刺激であっても、我々の脳が常に同じように知覚処理しているわけではないこと、そしてその違いはより高次認知処理が行われているという時間窓、例えば300ミリ秒以降ではなく、視覚野の早期知覚応答のゲシュタルト成立過程、つまり全体と微小表象が混在するとも考えられる時点に現れるということを示唆している。

この論文は、従来、知覚→認知→判断と、脳の中での処理は低次のものから高次のものへと時間的に進んでいくと考えられていたことについて、実はかなり初期の段階で高次の処理が起きているのではないか、ということを論じていて非常に面白い。
なおかつ、それはブレーデカンプが着目している「一望」なのではないかとか、あるいは「一望」は一瞬だと考えられてきたけれど、神経科学的に補足可能な時間的な幅をもった現象なのではないかとかいった話ともなっている。
序説にもあったが、単に脳の「どこで」という話ではなく、分解能の高い計測装置を使うことで「どのように」という形で答えられることになったことで、面白くなってるのかな、と。


「メタ・フェルメール」やヒューネの音響彫刻については、個々の作品紹介としては興味深かったのだけど、論旨がどういうふうに繋がっているのか把握できなかった……
ライプニッツのペンタグラムは、モナドに実は窓があるみたいな話に使われたりしているらしい……

神経美学の功績――神経美学はニューロトラッシュか―― 石津智大

ゼキとの共同研究も行っている石津による、いわゆる「文系」から寄せられる神経美学批判へ応えるもの。サブタイトルの「ニューロトラッシュ」とは、神経美学に対する悪口。
この論文では神経美学を、便宜上、「分析的神経美学」と「機能的神経美学」とに区分している。おおよそ、前者は初期の神経美学、後者は近年の神経美学にあたる。
分析的神経美学は、「芸術表現で用いられるヒト認知の仕組みを、実験心理学認知心理学の手法と理論で調べる」
機能的神経美学は、「脳機能画像法を用いて(中略)脳と主観性との関係を検討する研究」
ここでは、絵画や音楽、さらには道徳的なよい行いに対する「美しさ」について、美しいと感じたときに、「内側眼窩前頭皮質(mOFC)」という箇所が活動がするということなどを取り上げている。
ここらへん、結構いろいろな実験結果が紹介されていて興味深い。
後半は、神経美学への批判に応えるというものだが、批判の中でも特に神経美学の目的を誤解しているものに対しての反論
最後に、形状の歪みを見ることによる脳の反応と、フランシス・ベーコンの絵画について
歪んだ画像を見ると反応する箇所があるのだが、人工物について何度も見せている順化して反応しなくなるのに対して、顔については順化しない。視覚認知について、先天的テンプレートと後天的テンプレートがある。ベーコンの絵画に対するショックは、これと関係しているのではないか、と

驚きを生む瞬間を観測する――実験装置としての映像表現―― 菅 俊一

筆者は、NHK教育テレビで放映されている「2355」において、映像作品を制作している。
「2355」で、いわゆるアイキャッチとして使われている映像作品を、どのような過程で制作していったのか、考え方について書かれている。
最初は、何をあらわしているのか分からない図形などが、動いたりすることによって、2355という数字となる。そういうアイキャッチ

神経美学の〈前形態ゲシュタルトカール・クラウスベルク

20世紀前半のゲシュタルト心理学について

言語と文学の経験美学――旧来の文学研究よりうまく処理できること,そしてできないことは何か?―― ヴィンフリート・メニングハウス

冒頭に、訳者解題が書かれており、メニングハウスの紹介がなされている。
もともと文学研究やってて、心理学、神経科学との共同研究への道へ進んだ人
マックス・プランク実験美学研究所所長
『美の約束』という著作において、ダーウィン種の起源』を精読し進化美学を展開しているらしい。
性淘汰の話とフロイトを結び付けているらしいが。

ダーウィンの天才を賞賛しつつ、その後継者たちの「厳密な経験科学とは言いがたい」学説を鋭く批判する。人文系の学者が理系の学説の矛盾を次々に指摘するのを見るのは、文部科学省に対する日頃の鬱憤をため込んだ読者にとっては爽快な経験になるかもしれない。

とあって、いやいやそれでいいのかとは思ってしまったが。
メニングハウスが特に専門としているのは、ベンヤミンとカントらしい
この論文本体のほうは、
美学と文学は分裂状態にあるが、しかし美学は文学の基礎であるという話
また、読解においてどのようなプロセスが起きているのか、経験的な探求もなされるべきだという話
コーパスの研究などしているデジタル人文学とは違う


思想 2016年 04 月号 [雑誌]

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