樺山三英『ゴースト・オブ・ユートピア』

古今東西の文学作品10作品をモチーフにした10の章が、様々な形式で展開されていく。
樺山作品の感想を書くと毎回、わからないけど面白い、みたいなことを書いてしまうのだが、まあ今回もやっぱり、わからないけど面白いw でも、リーダビリティは高くなっていると思うし、なんか前よりも分かるような気もしたような*1
文学作品やSF作品が元ネタになっているけど、どっかにマンガ・アニメ系をパロった一節とかも混ざってたように思うけど、具体的にどこに何ネタがあったか覚えていない。
各章の初出はSFマガジンで2008年2月号から2010年12月まで、大体3〜4ヶ月おきに掲載されていた連作シリーズで、各章の独立性はそれなりにある(後半は結構繋がりがある)。
共通点としてユートピアを扱っているというのが挙げられるが、まあメタフィクション的なことが各所にあって、後半は特に、書くことを巡る話になっていく。
各章ごとの要約。またいつものようにネタバレ配慮なし。とはいえ、読んでない人にはさっぱり分からんって箇所も結構あるかと。

一九八四年

「一九八四年」から「無可有郷だより」までの5つの章は、目次ではnowhereという括りになっていて、「きみ」という二人称で進んでいく。
バルセロナにやってきた「きみ」は、ジョージ・オーウェルにそっくりな男と出会う。一方で、正体不明の「敵」に追われる。そして、神となってしまったアントニオ・ガウディの語りも挿入される。
『一九八四年』という作品のルーツは一体どこにあったのか、そしてオーウェルバルセロナに一体何を見たのか。

愛の新世界

「きみ」は、《愛の新世界》という何もかもが愛でできた愛のホテル(ラブホテル)へとやってくる。そこはかつて、幸福な男が経営する《愛の世界》というホテルであった。だが、そこにすばらしい男性の一行があらわれ、幸福な男の妻と娘は陵辱され、最終的に、《愛の世界》は焼失する。
しかし、その後、幽霊ホテルとして《愛の新世界》が現れる。幽霊が出るホテルではなくホテルの幽霊としてほ幽霊ホテル。
そのホテルは拡大を続け、そして犬と呼ばれる、幸福な男の娘とたくさんの謎の少女たちと犬たちがいた

ガリヴァー旅行記

戯曲風の形式で、「きみ」とガリヴァーらの会話が進んでいく。
馬の国から帰って以来、馬の姿になっているガリヴァーと従者ヤフー。そしてそこに、小人、巨人、アリス、ツァラトゥストラマルコ・ポーロディオゲネス、名づけえぬ者が次から次へと現れては去っていく。ガリヴァーは彼らや「きみ」と会話しながら、自分が一体何者であるのかを探ろうとする。

小惑星物語

断章形式で、小惑星パラス星とそこに住むパラス人について。彼らが、如何にして「塔」を建設し、そしてついにどうなったのか。
注釈がたくさんつけられており、そこにはパラス人からブルーノ・タウトベンヤミンモーパッサンなどへの影響について触れられている。
何となく、カルヴィーノを想起した。

無可有郷だより

「きみ」から送られている6つの手紙。それぞれにおいて、「きみ」は全く別の存在になっているが、どれも「川」をめぐる物語となっている。ウナギだったり、詩人だったり、やらせドキュメンタリーのハンターだったり(神獣を倒しにいき神獣になりかわる)、精子だったり。それはいわゆる川であったり、干上がってしまった川であったり(川が死んでしまいそれを復活させるためにダムに向かっている話)、先祖代々受け継がれた遺伝子の流れを「川」と呼んだり。
そして、「きみ」からの手紙は来なくなる。「きみ」は「ぼく」になり、「ぼく」が「きみ」になったから。

すばらしい新世界

すばらしい新世界」から「華氏四五一度」までは、now hereという括りになっており、「ぼく」という一人称で進む。
Q&A方式で、「先生」という謎の人物に率いられた組織のメンバーであった「ぼく」が、先生と組織のことについて話していく。
ハクスリーの『知覚への扉』やLSDとCIA、陰謀論の話などが展開し、組織が崩壊する顛末までを話しているはずのこのQ&A自体が組織による工作の1つだというオチに至るまで、阿部和重的である。

世界最終戦

塹壕戦の話、無差別爆弾テロに巻き込まれて建物の瓦礫に埋まった話、彼女が幼い頃に庭で見つけた小さな兵士の話。

収容所群島

「ぼく」は気付いたら、収容所へ向かう列車の中にいて収容所へ連行される。強制労働の挙げ句死んだはずの「ぼく」だったが、何故か再び収容所へ向かう列車の列車の中で目が覚める。看守たちは怖れ戦き、「ぼく」を拷問するが、結果的に死んでしまい、再び収容所で戻ってくる。3度目の収容所では、「ぼく」は看守側の仕事につけられ、所長から手記を書くように言われる。この章はその手記である、という形式である。
「ぼく」は、冷戦の末、社会主義陣営が勝利し、ソビエトとなった日本というパラレルワールドへと迷い込んでいたらしい。

太陽の帝国

この章でついにメタフィクションへと達する。「ぼく」は、《ユートピア的想像力》をテーマにした、古今東西の名作を扱った連作を第八回まで続けてきた作家である。
上海生まれの作家であるバラードの『太陽の帝国』を扱うことになった頃、上海万博も開幕した。
バラードSFとは、彼の上海時代を投影させたものなのではないか、と考えるうち、「ぼく」と上海の関係も話へと混入してくる。「ぼく」の祖父は上海にいたことがあり、父はそのことを調べていた節がある。「ぼく」は再び上海を訪れなければならないのではないかと考えながらも、優柔不断のままずるずるしていたら、世界の中国化、東京の上海化が進行していった。

華氏四五一度

『華氏四五一度』の序文という形式で書かれている。『華氏四五一度』を題材にしながら、書籍・メディア論が展開され、この作品における「火」が両義性を担っていることが論じられる。
だが、この論じたいが、2040年に書かれたことになっていて、本論中に出てくる現代の状況への言及によってそれが知れる(電子書籍化が全面的に進行しているなど)。
読者への呼びかけによって、本章と本書は閉じられる。


ゴースト・オブ・ユートピア (Jコレクション)

ゴースト・オブ・ユートピア (Jコレクション)

*1:とはいえ、そもそも、取り上げられている10作品のうち読んだことのある元作品が1つだけという時点で、だめですね、すみません。