前田富士男・宮下誠・いしいしんじ『パウル・クレー絵画のたくらみ』

クレー展行く前のお勉強用。
いしいしんじは冒頭にエッセーを寄せていて、本書の大半は、前田と宮下の対談による解説。


クレーは、1879年に生まれて1940年に60才で病没している。国籍はドイツでドイツで活動していたが、生まれたのも亡くなったのもスイス。
まだ画家として売れない頃は主夫業をやっていたらしいが、彼は男性の方が能動的でーといったような考えの持ち主だったようで、この時期はかなりきつかったらしい。
1914年、34才の頃、チュニジア旅行で色彩に目覚める、と普通のクレー理解ではこれを重要なポイントと見るが、前田・宮下対談では、むしろ27才の頃から通い続けてきた石切場で1915年頃が、一つの契機だったのではないかと見ている。同時期に青騎士展に参加。ピカソマティスの作品からの影響も受ける。
戦後は、バウハウスに着任。
ナチスが政権を持ってからは、ユダヤ系ではなかったにもかかわらずユダヤ系であると疑われ、スイスへと亡命。ただし、スイスでも国籍の申請手続きは認められず
晩年は病気を患うようになるが、制作ペースも加速する。


対談ではまず、クレーがいかに、動き・時間・光を描いたかが触れられる。
次に、文字について。漢詩のドイツ語訳を絵にしたものなどがあげられたり、あるいは《証書》という作品の、創作文字やそのタイトルの意味合いについてなど。
クレーは画材や技法なども様々なものを試していて、新聞紙に描いたりもしている。大きいサイズのものは、新聞紙に描いたからだったりする。あるいは、広告の裏に描いて文字が透けるようにしたり、ハサミで切ってバラバラにしてまた貼り直してみたり。
それから絵の上下左右もぐるぐると変わるように描かれていたりする。このことについて、同時代のコルビジェのピロティ、ブランクーシジャコメッティが台座を使わなくなったことも触れられている。
それから、《グラス・ファサード》という作品。この作品には、「ひとりの少女が死に再び成る」というクレーの言葉が残されていたのだが、死後半世紀経った後、画面裏側の石膏が剥がれ落ちて、そこから少女の絵が姿を現したんだとか。このエピソード、読んでいるだけで鳥肌ものだった。
クレーと音楽。楽譜っぽい絵とか。《かつてのピアニスト》や《かつてのティンパニスト》といったシリーズ
シュールレアリスムとの比較。クレーの仕掛けは、シュールレアリスムのそれよりも複雑でわかりにくい。一方、本人はシュールレアリスムと呼ばれることについては「ノーコメント」。そういう評価をつけてもらって売れるのであれば、それに越したことはないというスタンス。
ナチズムの時代に描かれまくった「顔」
前田と宮下の好きな作品を何点かずつ。「生命感そのものを描く」「魚という存在の融通無碍さ」など
晩年の天使について。
「まだ天使になりきれていない」存在も結構いて、「まだ」が強調されている。「ポケモンのキャラクターにいそう」なのもいる。


最後は、ベルン案内がついている。
スイス行ってみたい。

パウル・クレー 絵画のたくらみ (とんぼの本)

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