パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』

既に巷で話題沸騰の本書*1
上巻の帯を見るとなんと「『ニューロマンサー』以来の衝撃! グレッグ・イーガン、テッド・ちゃんを超える〜」といった感じでビッグネームを並べて比較しているが、とりあえずここらへんは忘れてよいw
あとまあ、正直タイトルも忘れた方がいいかもしれないw
これは決して本書をおとしめているわけではなく、というかむしろ本書の面白さを伝えるにあたっては、ちょっとこの帯は方向性間違えてないかーということである


疫病が世界的に大流行→遺伝子改造穀物企業大勝利
石油枯渇→エネルギー源の多くが何故か人力や動物力(というか遺伝子改造された象)に移行→やっぱり穀物企業大勝利!
という世界で(作中では穀物企業ではなく、カロリー企業と呼ばれる)、独自の遺伝子プールを保持することで、カロリー企業からの独立を保った国、タイが舞台。
タイの独立を守ったのは、環境省環境省が誇る検疫部隊「白シャツ隊」である。
とはいえ、そうした栄光も今は昔。
時は、収縮時代を終え、再び拡張時代を迎えようとしていた、あるいは新たな拡張時代を夢見る者たちの台頭を許しつつあった。
かつては誇り高き部隊であった白シャツ隊にも、賄賂がはびこるようになって久しい。
タイには、投資先を探して怪しげな白人(ファラン)達が多く入国するようになり、また、環境省通産省の間では政治闘争が次第に激化しはじめていた。


とまあ、こういった設定だけでも、なかなか盛り上がれるのではなかろうかと思うが、この作品の肝は実際のところそこではない。
時代の潮目において、それぞれがそれぞれの思惑を持ちながら奮闘しながらも、それでもその流れや運命(めいたもの)には逆らえないという様を描いた群像劇なのである。
SF作家の上田早夕里はtwitterで以下のように述べている。正直、これ以上にうまくこの作品を紹介できそうにはない。

『ねじまき少女』の場合、どう考えても、一般文芸寄り(近未来を舞台にした万人向けの普通の小説)のSFというよりは、ノワール小説の手つきで書かれてあるSFと読んだほうが、わかりやすいような気がするわけです。そして、ノワールとして読むならば、道徳や倫理を軸に読んでいくことにはまったく意味がない。ノワールというのは、苛烈な環境や状況の中で、個々人が「自分自身を生き延びさせること」に執着していく過程を描いた物語なのですが、この形式は『ねじまき少女』の物語構成とぴったり一致する。
ノワール作品で描かれるのは、個人が「自分の意思以外何も信じない」という状況です。この目的達成のために如何に情熱を注ぎ込めるか、どれほど馬鹿げたことをやり抜けるか、愚かで醜いものに成り果てることすら厭わないか、非道徳的・非倫理的行為にも手を染められるか。その過程のひとつひとつを味わい、登場人物の行動と決断がもたらすドライヴ感に身を委ねていくのがノワールを読む楽しみです。
『ねじまき少女』に登場するほとんどの人物は、先に書いたような衝動に突き動かされています。物語が始まった頃には一見最大の被害者に見えてしまうエミコですら例外ではありません。そしてこの物語は、ほとんどの登場人物に対して、彼らが焼けつくような思いで望んでいるものを決して与えてやろうとはしない。常に破滅と絶望を突きつける。彼らは常に負け続けるのです。
しかし、負け続けているにもかかわらず彼らは生きることをやめようとしない。まるで、いずれは滅びることがわかっていても生き続けることをやめようとしない私たち――人類そのものの象徴であるかのように。
パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』感想について、上田早夕里先生によるtweet、リツイートを中心にまとめ。 - Togetter


登場人物それぞれに思惑があって、それをもとに各人それぞれに最大に合理的な行動をとるのだが、しかし状況が彼らにその思惑を遂げさせることを許さない。
とこういう話はなかなか好物なので、楽しく読んだ。
下の方に、自分用メモとしてあらすじをまとめるつもりだが、明らかにこの小説の場合、ネタバレは興を削ぐところがあるので、読む予定のある人は見ない方がよいかと思う*2


登場人物について簡単に紹介しておくと
まずは、表向きは新型ゼンマイ工場への投資家で、その実、カロリー企業からタイに遺伝子プールについての潜入調査で送り込まれた白人(ファラン)、アンダースン。彼が、ンガウという見たこともない果物を市場で見つけるところから物語は始まる。その果実の由来、タイ政府が隠し持っている種子バンクを探しだそうとする。
彼の工場で働く、イエローカード難民、ホク・セン。イエローカード難民というのは、マレーシアから逃げてきた中国人。マレーシアである時、中国人排斥運動が起き、資本家であったホク・センは一族郎党皆殺しの目に遭い、這々の体でタイのスラム街に逃げてきたのである。今は、かろうじてアンダースンの工場における職を手にしているが、いずれはその工場で生産している新型ゼンマイの設計図を奪い取り、往事の栄光を取り戻そうとしている。
娼館で働くねじまき少女、エミコ。ねじまき少女というのは、日本で作られた秘書用アンドロイドのことであり、人口の激減した日本では非常に重用されているが、タイではそもそも所持が禁じられている。また、隣国の戦場では戦闘用ねじまきが投入されていることもあって、国民にも忌避感情が強い。日本人は特権を持っていてねじまきをタイに持ち込めるのだが、エミコはそのままタイに置き去りにされてしまったために、娼館に置かれることになってしまったのである。肌をきれいにみせるため、汗腺がほとんどなく、タイの気候にはあわない。アンダースンから、ねじまきだけが暮らしている村があると聞き、そこへ行きたいという想いを強くする。
白シャツ隊隊長にして、「バンコクの虎」の異名を持つジェイディー。賄賂を全く受け取らないその高潔さから、「バンコクの虎」と呼ばれヒーロー扱いされているが、実際には、厄介者扱いされてもいる。彼は彼なりの正義を貫こうとして、通産省との対決姿勢を強めていくのだが、これが問題となっていく。
そして、ジェイディーの副官を務める、笑わない女カニヤ。ジェイディーの良きサポート役を務めているが、ジェイディーの強硬なやり方を必ずしもよく思っているわけでもなく……。


本作は、SFの設定上の魅力よりもむしろ、こうしたキャラクター達の魅力の方が大きい作品だろう。
いや、SFガジェット的にいうと、ゼンマイ銃はわりと好きだけどw 弾丸じゃなくてディスクを飛ばすの
あとは、後半の方で、ほぼ現代と同レベルのコンピュータが出てくるところとがあって、これにどんだけ石炭が使われているのかーと登場人物の1人が感慨をもらすシーンとか
「カロリーをジュールにする」という言い回しや、人力エレベータとかもなかなかいいし、航空機は飛行船になっているところとかも燃えるけど、まあそこがメインというわけでもなし。
キャラクターの魅力というと、上で引用したtogetterの中では、「カニ原理主義者」を名乗る人がいて、上田さんが「わたしはジェイディーの方が好き」と返していたりしたけれど、最初はジェイディーが好きだったけど、後半になるにつれてカニヤがーとなってくるんだよなあ、これw
キャラ議論についてはこちらの感想も面白いw ねじまき少女読了 « Supper’s Ready
ああ、そういえばチェシャ猫ってのも出てたな。いや、これは非常に頻繁に出てきて、タイの街路の雰囲気を怪しくするのに一役買っている動物なんだけど


あらすじ(結末まで含む)

アンダースン、色々調べているうちに、エミコからギ・ブ・センという名前を聞く。「奴め、まだ生きていたのか」みたいな感じで、以後、ギ・ブ・セン探しがメインになっていく。
一方、アンダースンとホク・センの間が、新しい物資の調達の件でギスギスしはじめる。もともと互いに大して信頼関係もあるわけでなし。アンダースンとしては、表向きの顔を維持するために最低限稼働させつづけなければいけないし、ホク・センとしては、ファランのご機嫌取りながらチャンスをうかがっている。
と、そこでジェイディーは、空港(みたいな場所)を襲撃して、通産省の連中の賄賂を根こそぎにして、ファランが密輸入に使っている飛行船とその物資も燃やしてしまう。
この件で、投資で一発当てようとタイにやってきたファラン達は大損害。もちろん、通産省環境省に苦情を入れるが、新聞はジェイディーをヒーロー扱い。
工場の方はこの件で滞りが出始める。ホク・センとアンダースンの仲は険悪になり、ホク・センの、象使いとスラムを牛耳る糞の王との交渉も上手くいかなくなりはじめる。さらに悪いことに、工場で疫病が発生。
アンダースンは、ひょんなことからエミコを街路で助けたことから、次第にエミコ自身に惹かれ始め、エミコもまた、アンダースンを新たなご主人様と思うようになっていく(ねじまきは遺伝子レベルで人間に従うようにでてきている)。
また、カーライルというファランが、アンダースンに接触し、通産大臣アカラットとの交渉ルートを提案する。
ジェイディーの妻が誘拐され、ジェイディーはアカラットへの屈辱的な謝罪と出家を受け入れる。
しかし、妻は帰らず、通産省へと殴り込みをかけたジェイディーは、逆に殺されてしまう。
ジェイディーの遺品を整理するべく、彼の家を訪れるカニヤ。彼女はそこで、彼女が実は通産省のスパイであったことをジェイディーが知っていたことを知る。
カニヤは、かつて自らの村を白シャツ隊に燃やされ、そこを通産省に拾われて、スパイとして白シャツ隊に入隊していたのだった。ジェイディー亡き後、白シャツ隊の隊長として抜擢された彼女の心は、通産省に対する忠誠心とジェイディーに対する忠誠心との間で揺れる。カニヤを嘲るように、ジェイディーのピーがカニヤにつくようになる。
そしていよいよ、バンコクに混乱が訪れる。
アンダースンの工場で発生した疫病が徐々に広がりはじめ、新型であることが判明する。カニヤは、ギ・ブ・センのもとへと会いに行く。彼は、カロリー企業側からタイへと寝返った、一種のマッドサイエンティストであった。
一方で、ジェイディーの死を受けて、白シャツ隊は、今までにない強権的な取り締まりを行うようになる
アンダースンは、カーライルを通して、アカラットとの約束を取り付けることに成功する。来たる日に向けてカロリー企業の部隊をタイに送り込むのと引き替えに、ギ・ブ・センと種子バンクへのアクセスを認めて貰うことだ。その際に、エミコを紹介していたのだが。
ホク・センは、工場で起きた疫病を隠しつつ、かつてマレーシアで起きたことを教訓に、次こそはと準備を始める。
アカラットと共に、エミコを紹介されていた摂政とそのボディーガードが、軒並みエミコに惨殺されて、エミコは逃亡するという事件が起こる。
アカラットの部隊が動き始め、アカラットから密命を受けてカニヤもまた調査を開始する。
アカラットの部隊によって捕縛されるアンダースンとカーライル。
通産省の攻撃を受ける環境省
そのあいまを縫って、アンダースンの工場へと戻り新型のゼンマイの設計図を奪おうとするタク・センだが、糞の王の部下達によって阻まれる。
軍の大部分が環境省側から通産省に寝返ったため、戦力で圧倒的に劣る白シャツ隊は次々と倒れていく。
アカラットは、アンダースンとカーライルを解放するが、アンダースンとの約束は反故にする。
自宅に戻ってきたアンダースンは、やはり戻ってきたエミコを匿うも、自らは疫病を発病する。
そして通産省バンコクを制圧し、カロリー企業が入国する。アンダースンに代わり新たなエージェントが姿を現す。種子バンクを彼らに見せるその時、カニヤは彼らを撃ち殺し、バンコクを守っていた運河の閘門も破壊するのだった。
水没したバンコクで、しかし水がまわりにあるおかげでオーバーヒートせずにすむエミコは、逆に安定した生活を送っていた。そこに、ギ・ブ・センが現れる。終わり。


ホク・センとマイ、ギ・ブ・センとキップ、エミコが何で人を殺したりできたかという話を書き損ねた。
あと、上巻と下巻のバランスが悪い!
それから、順番もあってないような気がする

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)

*1:話題沸騰なんて日本語あったっけ? ググったら一応ヒットしたけど

*2:ところで最近、twitter上ではネタバレについての美学的議論が熱いようだ。ネタバレは美的価値と関連しているのか。していないとしたら、ネタバレが忌避されるのは何故かといったところが話題っぽい