宮下誠『20世紀絵画』

パウル・クレー研究などで知られる著者による、入門的な本。
ところで、著者名でググって、09年に亡くなられていたことを知った。クラシック音楽についても造詣が深かったよう。


基本的なフォーマットとしては、著者の選んだ20世紀の絵画作品それぞれについて、解説していくというものになっている。なので、別に美術史の本というわけではないのだけど、しかし当然のことながら読み進めるうちに、筆者の美術史観が背景にしっかりとあることが分かり、20世紀美術史としても読める。
話の導入としては「具象絵画はわかるけど、抽象絵画はよくわからない」というよくある感想に対して、わかる抽象/わからない具象を示すのがこの本である、ということになっている。
構成としても、前半が抽象絵画編、後半が具象絵画編となっている。
この前半と後半のあいだに、筆者がライプチヒ旧東ドイツの現代絵画を見た際の体験がエピソードとして挿入されている。このエピソード自体は短いものなのだが、この体験が筆者にとっては強い印象を残したものとなり、後半に強く影響している。


抽象絵画編について
筆者の提示している図式は、「周囲を抽象に囲まれ絶えず脅かされてきた西欧の具象」というものである。
つまり、紐模様や卍模様で神を描いた北方ケルト文化、スペインに残るイスラム文化、ロシアのビザンティン文化、南には二次元的な造形のエジプト、あるいは偶像禁止のユダヤ
そもそも「具象絵画がわかる」という時に分かるとされるのは、何が描かれているのが分かるということである。そしてそれは、人間の視点から見えているように描かれていることが前提になっている。しかし、ルネサンス以前の絵画は、神の視点から描くことが前提であった。近代になり、神の視点が追放され、遠近法が作られるようになった西欧という限定された時代・地域において、具象絵画は成立している。
僕は、例えばピカソだと分析的キュビスムの時代とかが好きで、その後、再び具象絵画へと戻っていくというのが何だかよく分かっていなかったのだが
一度抽象への道を進んでしまえば、ある意味、抽象になっていく方が楽で、またそこから行き着く先というのはある程度決まっていて、むしろ抽象に脅かされる具象を選ぶということの方に、面白みがあるのかもしれない。


マネ『オランピア
シーツが「絵の具の染みにしか見えない」ことに注目する。絵の具の物質性。
モネ『陽を浴びる積み藁』
同じく絵の具の物質性に注目。カンディンスキーがショックを受けたという逸話。絵画に時間を導入しようとしたモネ。
ゴッホ『黄色い家』
19世紀と20世紀をわける絵画。それは、「ゴッホの見たままに描いた」という点による。
ゴーガン『タ・マテテ(市場で)』
後期印象主義と呼ばれるが、ゴッホもゴーガンも印象主義とは目指すものが異なる。主観の拡張。厳粛な正面性によって描かれる宗教的世界観。
セザンヌ『大水浴図』
セザンヌもまた自己の内面を描く。絵を描くのではなく画面を「こしらえて」いく。
ピカソアヴィニョン街の娘たち』
ギリシア人であるエル・グレコ、イベリア彫刻、アフリカの仮面、エジプト絵画など、ヨーロッパの「周縁」が引用されている。舞台が娼館であることも含めて、ヨーロッパの中心からの「疎外の論理」
セザンヌから影響を受けた、遠近法以外による、三次元を二次元画面にする方法がとられる
ブラック『ヴァイオリンと水差し』
「描かれた釘」に注目。前衛絵画への省察キュビスムを経て、ブラックは具象絵画へと戻る。
マティス『河辺の浴女たち』
キュビスムへのマティスなりの応答。装飾性が抽象性を和らげる。
カンディンスキーコンポジション*1
抽象絵画であるこの作品に何が描かれているかを説明する。そのような解釈はどこか本末転倒ではないか。そして同様の自作に対する解説をカンディンスキー自身も行っており、筆者はカンディンスキーの絵画観が保守的、古典的であることを指摘する。
抽象絵画とは、「何を描いているかわからない」「対象を持たない」絵画ではない。あらゆる絵画が多かれ少なかれ対象を「抽象」して描いているし、いわゆる抽象絵画と呼ばれる絵画にも必ず何か対象がある。
クレー『チュニジアの赤と黄色の家』
クレーは抽象絵画という様式を選択し引用することで、芸術世界へと参入しようとした
マレーヴィチ『黒い正方形』
『黒い正方形』は「黒い正方形」ではなく「黒い正方形を描いた絵画」である。その限りにおいて、対象をもたないとか観念や概念を描いたということはできない。しかし、絵画が絵画であることに踏みとどまろうとした作品であるともいえる。
モンドリアンコンポジション
世界の構造化というだけではない、生の肉声が聞こえるような、人間的なものがある
シュビッタース『メルツビルト三二』
ダダ、コラージュ、アッサンブラージュ
ポロック『ラヴェンダー・ミスト』
具象と抽象との葛藤、それが交差した作品
ロスコ『ロスコ・チャペル壁画』
厳粛な重苦しさ。西洋絵画を非西洋的なイディオムで打開するプロジェクトの完成。
ステラ『恐れ知らずの愚か者』
支持体に関する試み(フォンタナやジャッド)、ステラのオブジェクト絵画は、西欧絵画への帰還
クリスト&ジャンヌ=クロード『包まれたライヒスターク』
風景や建物を包装するという作品。絵画において、支持体は「隠される」ものだが、この作品では対象が「隠される」ことで支持体が主題化する。
レト・ボラー『無題』
美術館の壁から床にかけて、まるで黄色い絵の具をぶちまけたかのような作品。


具象絵画編について
こちらで何度なく言われるのは、絵画とはダブル(鏡像)であるということ。それは作者のダブルでもあるし、見る者のダブルでもある。
表現主義の話から始まって、ドイツのナショナル・アイデンティティの話へと繋がっていく。


ベックリン『死の島』
イタリア受容をドイツ的、ロマン主義的心情によって内面化した作品。アルプスを隔てた北と南のせめぎあい。
20世紀絵画は、具象と抽象の対立ではなくせめぎあい
ムンク『叫び』
自己のダブルとしての具象と装飾による抽象との微妙なバランス
クリムト『公園』
クリムトとその後続であるココシュカ、シーレは、同時代の美術が抽象に向かう中で、抽象とは無縁のまま、その装飾性によって具象を描いた
デ・キリコ『街の神秘と憂鬱』
ベックリンの引用。ギリシアの乾燥した空気感に由来する不思議な非現実感。
キルヒナー『ベルリン、フリートリヒシュトラーセ』
ドイツ表現主義によるキュビスム受容。画面の構造化ではなく、心理状況を描くために選択されたキュビスム
マルク『動物の運命』
「夜の森」を舞台にすることで、キュビスム由来の三次元的イリュージョンの削減を行いながらも、動物を抽象化せずに描くことを可能にした。
ベックマン『夜』
新即物主義。拷問する側と拷問される側に感情のネットワークがない。シュルレアリスム新即物主義の違い=謎が一切存在しないこと
デュシャン『おまえはわたしを(Tu'un)』
絵画の極北。ガラスという支持体について。
マティス『装飾的人体』
1920年代、戦後の保守性などから具象絵画が回帰する。また、そのような社会的要因に左右されない名声をすでに持っていたピカソマティスもまた、具象へいと回帰する。
裸婦の背中が直線に描かれていることから、装飾性によって平面的に描かれた部屋と、立体的な裸婦とのせめぎあいを見て取る
ディックス『戦争』三連画
オールドマスター(ルネサンスの巨匠)風の様式で描かれた作品。ディックスなりの祈念画なのではないか。また、この絵を描いたこともあって、ナチスが拡大するドイツから亡命することになるが、彼の参照する様式は非常に「ドイツ的なもの」でもある。
ダリ『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』
「かつては一体であったもの」へのノスタルジー。実はオーソドックスな風格をもち、オールドマスター風な作品もあり、崇高で宗教的
ピカソゲルニカ
具体的な出来事を描いたというよりも、普遍的、神話的なものとなっている
クレー『泣く女』
クレーとしては珍しい、自分以外の作家を引用した作品。多義的であり、悲劇性のアイロニーによる異化がみられる
藤田嗣治アッツ島玉砕』
ナショナリズムとコスモポリタニズムによる鋭い対比。
ところで、この作品だけは図版がない。しかも、あえてページの一部を空白にすらしている。ネットで検索してみたところ、藤田の絵画は著作権について厳しいのでそのためなのではないかとのこと。文中では、図版がないことに言及しながら、戦争画存在論が云々と書いている。
エルンスト『聖アントニウスの誘惑』
モチーフ元となった、ドイツ・ルネサンスの画家グリューネバルトの『イーンゼハイムの祭壇画』と共に、空間恐怖、ドイツ的な過剰があるとされる。本書では、手仕事的な精巧さは、ここに限らず繰り返し「ドイツ的」と指摘されている。
ウォーホル『六〇の最後の晩餐』
『最後の晩餐』という、欲望(食欲)を聖化した作品を複数化することで、卑近な日常へと反転させる。ウォーホルの自意識の屈折した鏡像。
バゼリッツ『帆のある自画像・ムンク
旧東ドイツから西側へと亡命した、ポルケ、リヒターと並ぶ巨匠バゼリッツ。彼らは、(既に克服されたと見なされていた)表現主義的でドイツ的であったために、西側にとって衝撃であった。
キーファー『リリト、紅海を渡る』
ドイツの神話的過去


終章では、現代のドイツで『ニュルンベルクのマイスタージンガー』がどのように演出されているか、2つの異なる上演に触れて、ドイツにおけるナショナリズムの複雑さ*2に触れ、さらに旧東ドイツの絵画や、現代のドイツの作家にも触れて終わっている。

20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す (光文社新書)

20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す (光文社新書)

*1:本当はギリシア数字

*2:同作において避けられないナチズム的なものをどのように演出するか