藤野もやむ『忘却のクレイドル』

藤野もやむセカイ系キターという感じで読み始めた『忘却のクレイドル』の最終巻が発売されたので、ブログで紹介することにした。
とはいえ、このマンガは結構難しい。
僕は、藤野もやむは今まで『ナイトメア・チルドレン』と『はこぶね白書』を読んでいて、ナイチルは普通に名作でありストーリーなどもわかりやすい*1のだが、『はこぶね白書』は難易度があがったというか、いまだにこういう話だと説明ができない。
ところで、伊藤剛藤野もやむに注目しているのだが、やはりいいあぐねている、というか難しいと感じている様子がある。

絵は繊細で、たいへん可愛い。いくつかの謎とサスペンスで読者を幻惑するストーリーが、実にタイトなプロットで構成されている。省略を効果的に効かせた科白まわしも上手い。子供たちの親密な感情が、慈しむような繊細さで描かれていることもいい。だが、私はひどく不穏な気持ちになる。どうして肌が粟立つような戦慄を覚えてしまうのか。おそらくは作者の、そして彼女のマンガを愛する読者たちの不興を買うであろうことを承知で言う。おそろしい。
おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』 NTT出版Webマガジン -Web nttpub-第13回『はこぶね白書』藤野もやむマッグガーデン

セカイ系やそのポストといった、時代の反映などの文脈ではとらえきれないものがある。おそらくそれは普遍的なものだが、逆にいえば、同時代性で語りにくい分、読者を選ぶ面があるかもしれない。単純な言葉では薦めにくいのだ。藤野もやむ『忘却のクレイドル』
http://twitter.com/GoITO/status/83002657219944448

先のツイートについて補足しておくと、『忘却のクレイドル』は、いかにも同時代の反映である「かのように」読める。たとえば、物語中の日本とおぼしき国が「茶番のような戦争」に「戦わずして負けている」だとか。しかしこれは寓話だ。むしろこのような設定はある種の「偽装」のようにすら思える。
http://twitter.com/GoITO/status/83004383863906304


絵の可愛らしさと物語のハードさのギャップが、まず読む人を戸惑わせるかもしれない。
物語は、孤島に少年達が集められるところから始まる。そこでは、軍事教練のようなことが行われている。そして、彼らがある日目覚めると、施設は廃墟となり教官達はいなくなっており、島に無秩序が訪れる。
全く背景の明かされない戦争というのはセカイ系を思い起こさせるし、無人島での少年達のサヴァイバルものというのも、ある種の流行りのように捉えられないこともない*2
とはいえ、実のところ、この作品はそのどちらともいえないところへと進んでいく。
彼らは、自分たちが普通の人間ではなく、なかなか死なない身体を有した兵器として作られたということを知る。
自分たちの秘密、島の秘密、自分たちが眠っていた間に何が起きたのか、あるいはそもそも島で生き延びるためにどうすればいいのかをそれぞれに明かそうとする。


その過程で、登場人物たちが次々と死んでいく。その死は、亜人間としての死である。
『忘却のクレイドル』は、伊藤が『テヅカ・イズ・デッド』の中で指摘した亜人間の問題を取り扱っている。
それは自分たちの何もかもニセモノであるということを自覚した者たちの物語である。
最後に主人公が死ぬシーンで終わるが、「ジョン、ぼく、人間だねえ」という耳男の死の間際のセリフを重ねたくもなる。しかし、それは人間の死ではなくて、亜人間の死なのだ。
伊藤は耳男の死にキャラの隠蔽を見たわけだが、『忘却のクレイドル』のラストシーンは、そのような隠蔽がないままに死を描こうとしたともいえるのではないだろうか。
亜人間が亜人間だけで取り残された時、彼らは一体どのようにして自分たちを意味づけるのか。
ところで、http://book.akahoshitakuya.com/b/4861278651なんかを見ると、最後が駆け足気味であったことが気になっている人が多いみたいだが、この問いかけに対してはきっちり着地をしているわけで、終わりの説得力はすごいある。
ただし、確かに最終巻でたたたーっと明かされる設定がはっきりとした像を結ぶ前に終わりを迎えるので、そちらに気を取られると、「あれ、終わっちゃった」っとなってしまう。最初に読んだ時は自分もそうだった。
ここらへんの設定の中にも、掘り下げると面白そうなものが混ざっていて、そこらへんのバランスを藤野がどう考えていたのかはちょっと気になるところではある(カバー裏にも描かれたなかった設定が色々と載ってるしw)。
閑話休題、最後のところはナイチルのラストを思わせるところもあって、あとでナイチルを読み直したりして考えてみたいところでもある。しかし、視点がぐるっと変わっているわけで、そこらへんの迫力がまた違うよなあとか。
それから、上で「亜人間だけで」と書いたが、それは正確ではなくて、人間も残っている。
亜人間の生を意味づけるのはやはり人間であって、まさにそのようになってるのだけど
例えばこういう亜人間ものというと、『テヅカ・イズ・デッド』で取り上げられた『ガンスリンガー・ガール』のような、戦闘美少女ものが多い中で、これは男女の性別が見事に逆になっている。
亜人間の少女と人間の男性という組み合わせ。今自分の念頭にあるのは『最終兵器彼女』『ガンスリンガー・ガール』「シュピーゲルシリーズ」なわけだけど。『忘却のクレイドル』では、亜人間の少年と人間の少女である。
もっともここらへんは媒体の差とかがありそうだし、探せばもしかしたら他にもあるかもしれないわけだが。
ただ、少女が物語の後半まで口がきけない、とかは気にしてもいいかも。
あー、男女に関して言うと『スパイラル』も絡めて考えていいのかもしれない。というか、あれって「人間」いないとも言えるしな。というか、歩はクローンで亜人間といってもいいのだけれど、それ以上にひよの(というかひよのですらない名前のない女)こそが、まさにキャラ=亜人間であって、歩は「ひよの」(キャラクター)のことをは信じていないけれど、そのひよの以前の女性(キャラ)のことを信じていたのではないだろうか、とかは考えている。
そう考えてみると、『忘却のクレイドル』のひかりちゃんだってだいぶ謎な存在ではある。


こうした話は、まあほとんどが最終巻に集中していて、全5巻の物語の大部分を駆動させているのは、孤島における少年達の闘争なわけだけれど、そしてもちろんその執着として最終巻があるわけだけれど、ここではそちらの紹介までは手が回らないので、ここで終わり。


忘却のクレイドル(1) (BLADE COMICS)

忘却のクレイドル(1) (BLADE COMICS)

忘却のクレイドル(2) (BLADE COMICS)

忘却のクレイドル(2) (BLADE COMICS)

忘却のクレイドル(3) (アヴァルスコミックス)

忘却のクレイドル(3) (アヴァルスコミックス)

忘却のクレイドル(4) (アヴァルスコミックス)

忘却のクレイドル(4) (アヴァルスコミックス)

*1:ちなみにナイチルはセカイ系とかキミボクとかの系譜だと思う

*2:流行をこえて、連綿と繋がる伝統のあるジャンルでもあるけど