長谷敏司『あなたのための物語』

タイトルはテッド・チャンっぽくて、設定はイーガンっぽくて、病や死といった身体性をテーマにするあたりが伊藤計劃っぽいとなれば、そりゃもう読むしかないw
とはいえ、読んでみての感想は、(ある意味当たり前だけど)そのどれでもない感じである。というか、正直なところ感想を書くのが難しい。

『あなたのための物語』を評価するのは結構僕自身は両義的である。「純文学」としては文章や描写が殺伐としている。「エンターテイメント」としては、展開などがフラットすぎる。しかしそのフラットさが、作中にもある「平板化」とあわせて、ある意味を持っているところが、評価の迷うところ。
http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20091028/1256730069

これは、id:naoya_fujitaの感想だが、確かに文章の上でもストーリーの上でも、言ってしまえば退屈なところがある*1。余命半年を宣告された研究者、サマンサ・ウォーカーの、病気による苦痛の描写がほとんどを占めている。痛い、苦しい、怖ろしいという感覚が、特に技巧的描写が凝らされるわけでもなく、直接的にひたすら書かれ続けている。
というわけで、正直言うと、小説としては面白くなかった(ただまあ、後半で結構いいシーンがあったりするので、一概に全部が全部つまらないとはいえないけど)。
ただし、上の引用で「平板化」と関係させているけど、確かにこのつまらなさは意図的なものがある。この小説では、人工知能に小説を書かせる実験が中心となっているが、その人工知能が書いた小説というのが明らかにつまらないらしい。そしてその欠点が、この『あなたのための物語』の文章自体に反映されている*2。そうなると、この小説自体が、人工知能が書いた作品っていうことなのかっていう推測が出来そうだが、ちょっとその推測自体を確証するような証拠は特にない。


と、小説としては面白くないと書いたけれども、しかし、この中で書かれている内容については、色々考えさせるところが詰まっている。
で、これはイーガン的なアイデアに対する一つのアンサー。
イーガン的なアイデアというのは具体的に言うと二つ*3。つまり、脳内インプラントとデータ人格。
この作品では、ITPという脳内の経験や感情を直接伝えることの出来る言語というのが中核的なアイデアを担っている。最初、イーガンのTAPのようなものかと思ったけれど、(TAPも脳内インプラントの一種だが)イーガン作品に多く出てくる脳内インプラント一般のようなものと見なしてよい。ただし、イーガン作品のように既に実用化されているというよりは、実験開発段階。一部が商品化されている、という感じ。
これに対しては脳内インプラントなんてそうそう簡単には実装できねえよみたいな話なので、詳しいところは置いておく*4
もう一つは、データ人格。
ITPは、神経回路の結合パターンの法則のことで、人間の脳内で起こっていることが完全に読み取り可能になったという技術で、じゃあ人間をデータ化できるんじゃないのか、また、その技術使って人工知能が作れるのではないか、という両方が試されている。
イーガンは楽観的で、こうしたデータ人格を新たな人間の姿として許容された未来を描こうとする(『順列都市』や『ディアスポラ』)。
これに対してこの作品は、データ人格ってやっぱり人間じゃないじゃんって結論へと進んでいく(「人間」と「人格」の分離)。
人格というものを、人間という特権的な存在者とさせている根拠は、「死」だよねという話。
死、あるいは理性を吹き飛ばしてしまうような苦しみの中で、人間は人間ではいられなくなる。様々な条件が整った時に、一時的に「人間」たりえるのであり、その背景をなしているのが「死」や「身体」である。
では、データ人格による人工知能とは一体何なのか。人間の神経回路パターンをもとに作られているわけだが、作中において人間とは異なる異種知性体であるとされる。
さて、そのような人間とは異なる「人格」というものに対して、人間は一体どのように接し、受け入れればよいのか。
この問いに対する、主人公サマンサの態度は、ある意味で非常に冷酷である。しかし、話が進むに連れて(つまり人工知能との交流を通して)、その態度にある変化が生じることになる。とはいえそれは、冷酷な態度から温厚な受容的な態度への変化と一概にいえるものではなく、このデータ人格へのサマンサの両義的な態度が、一つの答えとなっている。が、なかなか難しい。
というわけで、最終的には、個人的に「亜人間の生と自由の問題」と呼んでいる問題*5にまつわる小説だと思った。
そしてそうだとするならば、その装いとは裏腹に、実は伊藤計劃的でもイーガン的でもなかったのだなと思う。亜人間の問題は、伊藤やイーガンでは全然主題ではなくて、むしろ他のSFやらマンガやらを挙げるほうが適切だろう*6


他のテーマも入り混じっていて、
新旧の価値観の衝突、特に科学と信仰との関係。あるいは、科学とは一体どういうものかということについても書かれていたりして、そこらへんもなかなか面白かったりする。
(追記091115)
それから、物語とか意味*7とかの話もなされている。人工知能が書く「物語」や、上にも書いた新旧の価値観の衝突というのとも絡んでいる。あんまり興味がなかったので吹っ飛ばしていたけど、そこらへんに注目して読む人もいるかもな、と思ったので追記。
サマンサの物語観があっさりしていて、サマンサという人物をよく表していると思う。つまり、出来事がシーケンシャルに起こるから(あるいは人間はシーケンシャルにしか把握できないから)、物語があるように見える、意味があるように思えてしまうだけ。それは錯覚。



以下、余談。
ところで、ITPは「言語」と言われていて、感情や経験、技能をITPで記述する、というような言われ方がされているのだけど、読んでみて思ったのは、ITPは「言語」といえば「言語」なんだけど、でもその言い方は必ずしも適切ではないということ。
というか、イーガンのTAPと比較してみると、ちょっと面白いかもと。
イーガンのTAPの最も面白いところは、「スキャン」と「プレイ」という二つのモードを有している言語だということだと思っている。そしてこの二つのモードというのは、「言語」とか「理解」とかいうことを考える上で、非常に有用なモデルではないかとも。
「スキャン」は、その言葉の意味を理解するというモードで、「プレイ」は、その言葉が意味する状態を体験するというモード。
例えば、「楽しい」という単語があったとして、それを「スキャン」するというのは、「「楽しい」とは、ワクワクしたりウキウキしたりするようなポジティブな感情のことである」というように、理解するということである。
一方で「楽しい」という単語を「プレイ」すると、実際に楽しくなる。
普通の自然言語にはこのような「プレイ」というモードはなくて、「楽しい」という単語を読んでも別に実際に楽しくなったりはしない。
ただし、「楽しい」という単語を理解するためには、実際に「楽しい」という感情を体験している必要はある。つまり、上のように「ワクワクしたりウキウキしたりするようなポジティブな感情のこと」だと理解していたとしても、実際に「ワクワクしたりウキウキしたり」したことがなければ、「楽しい」を理解したとはいえない。
イーガンのTAPという言語は、例えば「楽しい」という単語を「プレイ」モードで読めば、実際に「楽しい」を体験できてしまうというものである。
それゆえに、TAPは、今まで言語では記述できなかった類の感情や体験も記述できる言語であるとされている。
『あなたのための物語』に出てくるITPも、言語化できなかった感情や言語を記述できるという意味でTAPによく似ているが、ちょっと違う。
ITPは、人間の脳神経回路の「プログラム言語」(作中では一回だけOSという表現がされているが)のようなもので、実際にはITPで書かれた疑似神経回路を脳内に再現することによって、感情や体験を追体験することになる。
つまりITPには、「プレイ」モードしかない。これが上で、ITPはTAPというよりも脳内インプラント一般のようなものである、とした理由である。
ITPで記述された「テキスト」を人間が読むためには、そのテキストを実際に「プレイ」してみるしかないのである。
「スキャン」モードにあたるものもないわけではないが、それはITP端末上に表示される神経回路の興奮を表した映像で、ソースコードに当たるものになる。そういうわけで、ITPは言語は言語でも、プログラム言語。一方、TAPは自然言語たりうる。
TAPが慧眼だなと思うのは、「スキャン」というモードを明確にしたことだと思う。
ここに言語の特質というか、何で人間は色々なものを言葉でもって説明したがるのか、ということの一端が現れているような気がするからである。
○○というジャンルがあると、○○論という言説もまたあるわけだが、○○論を読めば○○が理解できるかというとそういうわけではない。○○を直接やっている人たちからは、時に○○論というのはむしろ嫌がられることすらある。
それでも何故○○論はあるのか。
○○論は、○○を「スキャン」することに当たるのだろうなあと。
しかし、○○を「プレイ」しているわけではないので、○○を「プレイ」している人からすると、実際に○○を理解しているようには思えない(ので嫌がられることが多い)。
でも、人間にとって「理解」というのは、「スキャン」と「プレイ」の両軸によって成り立っているのではないか。TAPでは、TAPという言語の有用性を、他の言語が持ち合わせていない「プレイ」ではなく、「スキャン」にこそあるとしている。
言語で表されていないものを、言語によって記述する・説明する、とは、その何ごとかを「スキャン」によって理解するということではないだろうか(そしてそのことにはおそらくちゃんと意味がある)。
そういうふうに考えると、ITPは神経回路の言語というか文法なんだろうけど、「感情や経験を記述する言語」ではないのかと思った次第。


余談の方が長いw


あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

TAP (奇想コレクション)

TAP (奇想コレクション)

*1:ところで、脱字や衍字がちょこちょこ見られた。これはまだ初版だし仕方ないのかな。それにしても目立っていたような気がするのだけど。このシリーズは、『虐殺器官』で「パノプティコン」が「パプティノコン」になっていたりしたことがあったよなあ

*2:具体的に言うと、不要と思われる情報が書き込まれている場所があること、つまり情報の重み付け、取捨選択がうまくできていないこと。作中で「平板化」と言われている現象

*3:こうしたアイデアのオリジナリティがイーガンに帰するのかどうかはよく分からないけど、自分ではイーガンのイメージが強いのでイーガン的としておく

*4:というかその実装しにくさの理由のいくつかが下の話に繋がっていくのだけど、実際どう繋がっているかは読んで下さい

*5:宣伝すると、次の文フリにはそれに関する論をだします

*6:例えば、「あなたのための物語」 - 万来堂日記3rd(仮)では、『ハーモニー』が言及されているけど、自分は『ハーモニー』と繋がりうるとはあまり思わなかった。このことは、この作品が様々な読み方を可能にしている豊かさの証左かもしれない

*7:「価値」という意味での「意味」