石川博品『耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳』

これまた、久しぶりにラノベ読んだという一作。
こちらは

どう見てもポストモダン文学。こんな傑作がラノベ畑から出てくるとは思ってもみなかった。素晴らしい。
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/8918547

というLianさんの感想を見かけて手を出したので、「ラノベを読むぞー」という感じで買ったわけではないけれど。
これはしかし、見事なまでにラノベなのだが、どこかで明らかにラノベから逸脱している。
主人公が一人称の地の文で過剰に喋りまくり、その中で色んな引用ネタがちりばめられている、という点で、最近のラノベは読んでいないけれど最近のラノベってこういう感じなんじゃないのか、と思ったのだけれど、すごく大雑把にネットの感想を見た感じだと特徴的な文体と見なされているみたい。
あと、骨格も王道ラノベっぽい(これは結構指摘されている)。
つまり、学園もので、主人公はちょっとエキセントリックな女の子や個性豊かな生徒たちとクラスメイトになり、わいわいとした日常を過ごしているのだが、学園の自治組織絡みの事件が起こって巻き込まれる。その事件によって、その女の子との距離がちょっぴり縮んで終わる、と。
ただし、舞台は旧ソ連をモデルにした活動体連邦の学校で、連邦内で自治を許されている各国の王族の子弟が学ぶ寄宿制の高校である。そうした王国民に対して、連邦の中心に位置する本地民も通っており、本地民によって構成される自治組織と王国民によって構成される自治組織の対立が背景にある。
主人公のレイチは父親のコネで入学した本地民で、ヒロインは、シャーリック王国の王位継承者であるネルリである。
ネルリの「ナラー」という感嘆詞がかわいい
本地は、中央委員会というのが、自由・調和・博愛というスローガンの下、統治しているらしい。
王国は、奇抜な風習が色々あるところっぽい。「ナラー」っていうのも、その一つとして描かれているが、まあ可愛い方で、正直、ここらへんの本地と王国の関係についての設定とかにどういうスタンスで言及すればいいのか分からない。


この作品のおかしいところは、作品世界と主人公の語りである地の文が乖離しまくっているところにある。
まあ、旧共和制語とかシャーリック王国その他の国々の風習等にもネタは仕込まれているのだが、まあそれはともかくとして
『耳刈りネルリ御入学万歳万歳万々歳』読了: 積読を重ねる日々で指摘さているのだが、「地の文で嘘をついている」。
嘘というか、作品世界と語りのレイヤーが分離してしまっている。
これは中盤以降、話がシリアスになってきた時にようやく気付かれるのだが、そこから翻ってみると前半の日常シーン的なところでも同様のことは起きている。
レイチの地の文の語りと、実際のセリフの雰囲気に違いがあって、おそらく読者がレイチに抱く印象と作中人物がレイチに抱く印象にはかなりのギャップが生じている。
語りが過剰であるために、ひたすらパンチラの話とかしているので軽く明るいノリに見えるが、世界設定的にはかなりダークにも出来てしまう話である。
レイチは中央委員会の統制めいたものに表向き従順で、しかし最後に少しばかり抵抗するという話なのだけど、そういう内面や事情など全くなくひたすらパンチラの話とかをしている。
また、明らかにこの作品世界内には存在しない、日本のネットスラングなども地の文には組み込まれていて、よりいっそうレイチの語りと作品世界が別々のところに属してしまっている感が出ている(もっとも、旧共和制語の中にもそういうネタは入っているのだが)。


あちこちにギャグが仕込まれているので、かなり笑いながら読んだ
だから、笑いながら読めばいいんだと思う
あと、ネルリルートとイ=ウルートとナナイルートとカミレルートのどれがいいかなあとか考えながら読めばいいと思う
そして、読み終わったときに思い返して、語りと作品世界の分離について思い悩んで、わけわからんかったなーとなればいいと思う。
Lianさんの感想によると、続刊は普通の小説になってしまうらしいので、なんだか残念だが
まあ全3巻らしいので読んでもいいかなと思う。


耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳 (ファミ通文庫)

耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳 (ファミ通文庫)