『哲学の探究』第35号

伊佐敷隆弘「反実仮想とフィクション――実在する物個体をめぐって――」

反実仮想とフィクションの違いについて
細部の確定性(不確定なのがフィクション)
変更明示の原則(伴わないのがフィクション)
履歴への追加の不可能性
これらから、フィクションには実在する物は登場しないと結論づける。
仮に「ロンドン」など実在する地名と同じ地名が出てきたとしてもなお、それは実在するロンドンというわけではない。

柏端達也「いったいここに何人いるのか――分離脳患者と心的な多者の問題をめぐって――」

猫のティブルスの問題を意識にも敷衍するという話。
意識の質的な同一性と数的な同一性って別かもねとかいう結論だったと思う

加地大介「現代的実体主義の諸相―実体の独立性をめぐって」

途中で分からなくなった。

河口丈志「『意味の論理学』入門――フッサールドゥルーズ

意味というのを、言語に関わるものとは捉えない(知覚においても意味はある)という点で、従来の意味概念を書き換えるものとして、フッサールドゥルーズの意味概念はある。
ドゥルーズは、そのことを効果としての意味と呼ぶ。
フッサールが、意味を捉える契機として超越論的主観性をおいたのに対して、ドゥルーズはそうした超越論的領野もまた、生成されていくものだと考える。

中西豊「人格の同一性と質的連続性:ノージックの外在説の検討」

パーフィットの構成的還元主義(内在主義)と
ノージックの至近的連続体説(外在主義)との比較

野内玲「科学的実在論の論争と最良の説明への推論」

フラーセン(構成的経験主義)、ラウダン(悲観的帰納法)による実在論批判に対して、
シロス、ウォラル(構造実在論)、レディマン(構造実在論・改)による実在論からの応答が紹介される
論者は、実在論の方が旗色が悪いと判断している模様。

矢田部俊介「曖昧さ:真理値の確定性、境界不在性と縮約原則」

途中で分からなくなった。

土屋陽介「懐疑論の自然化とその帰結」

クワインによる「自然化」とそれに対するスクラウドの批判についての検討。
クラウドは、『君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか』の著者で、土屋陽介はその訳者の一人*1
クワインのいう「疑い」とスクラウドのいう「疑い」は異なっており、それが彼らのあいだのすれ違いのもとになっているとする。
前者は、「可謬主義」の疑いであり、後者は「懐疑論」の疑いである。
前者は理論の改訂可能性についての疑いであり、経験的証拠によって変わりうることのことだが、
後者はそもそも経験的証拠によって変わったりするようなものではなく、科学的理論全体を一気に疑うようなものである。

成瀬尚志「スクラウドクワイン

こちらは、両者の違いを両者の考える「知識」の違いに見る。
クワインは、知識とは投射のことだとみなしているが、スクラウドは、知識を投射以上のものとみなしている。

上野修ライプニッツスピノザ

ライプニッツは、現実世界があるのは最善世界選択のためと考えたが、スピノザは、他の可能世界は不可能であって、この世界は必然的であり、必然的である神のうちにあると考えた

松田毅「ライプニッツ的「合理性」をめぐって」

ライプニッツにおける合理性の概念を認識論的に解明する

山内志郎「ライプニッツにおけるアヴィセンナの声――共通本性の系譜――」

ライプニッツにおける中世哲学からの影響・系譜

*1:また土屋姓の哲学研究者だなあ。ちなみに件の本は永井均の監訳