問いの整理2(個人的なメモ)

以下、超個人的なメモ。
公開しているブログに書くことでもないのだけど、ブログというのは自分でもよく目にする場所なのでここに書いておく。

twitterから転載

インターフェイスについての問い。自分と世界との間のインターフェイス。自分と自分との間のインターフェイスなど。インターフェイスというとわかりにくいが、具体的には、科学と物語がそれに相当するのではないかと。
宗教というのもあるけれど、僕個人にとって宗教は大きなウェイトを占めないのでパス。
物語ないしフィクション。その手のアート。これについての探求は、言語哲学、美学、文学、映画理論、マンガ研究などから行う。
科学の方は、もちろん科学哲学。で、最近、エピステモロジーやってる人のブログを読んだり、現代思想ドゥルーズ特集を読んだりして、フランス哲学が気になりだした。フランスの哲学史とか実はちゃんと知らない。
とりあえず、バシュラールベルグソン。それから、実在論の議論を通して、最近のアメリカとフランスの哲学ってのは繋がったりしないのか、ということとか。
うーん、大雑把な枠組みについて、頭を整理しようと思って書いても、大雑把なことしか書けないので、実際に書いてみるとあまり面白くないな
大雑把な話ついでにいうと、科学にしろフィクションにしろ、「リアリティ」というものについてどう考えるかということを巡って、考えてたり、考えたいなあと思っている
ここでいう「リアリティ」というのは、現実とか実際の世界とか経験とかではなくて、インターフェイスなりメディアなり何なりの方が担っている性質
理論的措定物のリアリティとか、フィクションに出てくる登場人物のリアリティとか。直接経験されるものじゃなくて、何かを媒介にしてしか経験されないものについての、性質
そういうのは、何かこの世界とは別の世界にあるわけではなく、そもそもまったくないわけでもなく、この世界から生成されたり構成されたりするものなんでしょう、きっと。
ああ、なんかグッドマンだなw一世界でも多世界でもなくて、世界に複数のヴァージョンがある、とw

あとは、「体験」とか「自己」とかを絡めたいけど、さらに大雑把になるのでパス。
今後、何を勉強していくかの方向性の話。
フィクション方向と科学哲学方向の二つがある、というだけの話。
フィクション方向に関しては、分析美学やらグッドマンやらのあたりと、映画理論あたりを勉強してみたい、と。
フィクション作品を体験する際の、その体験の性質みたいなことに興味がある。それがリアリティと呼ばれるもの。
そういったフィクション作品についての体験ということと、「自己」とか実在性とかは関係してくると思う。これはまあ、マトリックス的な話になるけど。


科学哲学方向は何かいろいろ。
科学哲学+知識・認識の哲学。
ひとつは知識論・情報論。ドレツキとか? 
それから、科学史・科学哲学で、ハッキングとか?
あと、哲学史。20世紀初頭ウィーン周辺*1。これに関しては最近、『分析哲学の起源』を少しだけ読んだ。分析哲学現象学がどこで分かれたという話。

分析哲学の起源』はこの前、ざっと眺めた。フレーゲフッサールの違いは、意義とノエマの違いじゃなかったかな。フレーゲは言葉に拘ったので、知覚との関係がうまくいかなかった。フッサールは、思いっきり一般化したので知覚は説明できたけど、言語がうまく説明できなくなった。そんな感じ
http://twitter.com/sakstyle/statuses/1043399796

分析哲学現象学の両方の起源があるし、あとマッハ周辺とかって物理学との繋がり*2があるし、フロイト精神分析もあるし。現代哲学・現代思想って大体ここらへんに集約できそう。
でもあと、新カント学派がある。これがまだあんまりよくわかってない。
によると、新カント学派(への批判)から、論理実証主義ハイデガー、フランス科学認識論(エピステモロジー)が出てきているらしい。
それで、上にも上げた20世紀初頭のフランス哲学。
エピステモロジーバシュラール、カンギレム、カヴァイエス、ダゴニェ、ルクールとか。名前は知っているけど、中身は知らない。アルチュセールフーコーもこの系統にいる。
フランス現代思想は、構造主義とかポスト構造主義ポストモダニズムと整理されるけど、それとは別に、現象学実存主義系とエピステモロジー系という分類もある。こっちの分類の方がわかりやすいところもあるんじゃないかなーと思ったりする。
エピステモロジーに関して、http://retrosection-lesimage2.blog.drecom.jp/archive/284を読むと、科学的実在論との関係の話をしている。
で、今読んでいる『現代思想2008年12月号 特集=ドゥルーズ』の中でデランダ「ドゥルーズ存在論」というのが、やはり科学的実在論との関係の話でドゥルーズを位置づけるもので、ドゥルーズ実在論者なのだけど、実在性というのをすごく動的に捉えている感じ。まあ、これはあとでエントリ立てるか。同一性よりも差異性が先立つという話で、例えば生物学の種概念とか、プラトンイデアみたいなもので決まるようなものではなくて、進化によって生成されていくものだよねみたいな感じ。
フランス現代思想を、実存主義系とエピステモロジー系に分類するといったけれど、ドゥルーズベルクソンの系統なので、またそれとはちょっと違うのかな、と。バシュラールは確か、ベルクソン批判している側だったはずだし。フランス哲学の中で、ベルクソンってどういう位置なのだろうか。
で、科学的実在論の話を、エピステモロジードゥルーズがしているのであれば、それはアメリカの科学哲学とも接続可能なのではないか。『科学哲学』ドミニック・ルクール - logical cypher scapeによれば、ハッキングやパトナムの主張とバシュラールの主張は重なっているところがあるとか。
現代哲学は、英米系と大陸系で分かれていると言われ、それはある意味で正しいけれど、多分ある意味では間違っているのではないだろうか。科学系と政治・文学系で分かれるのかな。カルチュラル・スタディーズとか脱構築批評とかジェンダースタディーズとか英米系だけど、分析系とは別ものなわけだし。
哲学史は本格的に勉強するのは、大変だろうなあと思う。しかし、そういう研究の蓄積は今進んでいるのではないかと思うので、それに期待。
近代では、ライプニッツとヒューム。
ライプニッツとヒュームは面白そうだなあと思って。本当は、カントとかなんだろうけど、カントはあまり面白そうに思えない。まあ、合理論と経験論から1人ずつということで。
それから、サイエンス・コミュニケーション論。科学によって理解することって一体何か、的な。個人的には、「意識のハードプロブレム」ってこの中に入るのではないかとか思う。
説明上のギャップとか呼ばれているもの。
もちろん科学そのものもある程度。認知科学とか情報科学とか?
以上、これから勉強したいことの整理。


リアリティというのはきっと、構成されたり生成されたりするものなのだろうと思う。
瀬名秀明編著『サイエンス・イマジネーション』 - logical cypher scapeで、橋本さんという人は、それこそ構成的リアリティということを言っていたけど。


大雑把な話+大名行列にしかなってないエントリだけど、まあメモということで。

*1:ブレンターノ、フッサール、マッハとか

*2:ボルツマンと論争してたり、アインシュタインに影響を与えてたり