ラッセルはこんなにすごい奴なんだぜ、ってことがよく分かる本。
哲学にそこそこ興味があるという程度の人にとっては、ラッセルとは、名前はやたら有名だが、漠然と「ウィトゲンシュタインによって乗り越えられた哲学者」といった消極的な意味づけを与えられたキャラクターかもしれない。
と第一章に書いてあるのだけど、まあ似たような認識だった(^^;
まずは、集合論から始まって、いわゆるラッセルのパラドックスを解くために、タイプ理論というものが作られる。そして、このタイプ理論に、さらにオーダーという概念を組み合わせた、分岐タイプ理論というものが作られる。
続いて、ラッセル哲学としてもっとも有名な記述理論である。固有名は、実は確定記述の束であった、というあれである。
ラッセル哲学は、基本的には大きくこの二本柱によって成り立っている。
今で言うところのいわゆる言語哲学だ。
しかし、ラッセル自体は、この「言語論的転回」には批判的だったらしい。
「言語論的転回」というのは、哲学上の様々な問題は、言語的表現を分析することによって解決できる、という考え方だ。まさにラッセル自身も行っていることだし、さらにはウィトゲンシュタインなんかによって徹底されていくわけだが、ラッセルの哲学は言語哲学という領域に収まらない。
というよりも、独特の存在論(形而上学)によって支えられているのである。
言語論的転回というのは、形而上学を文の分析によって解体する試みともいえるから、確かに完全には噛み合わないだろう。
さて、ラッセルの存在論に入る前に、タイプ理論や記述理論のあたりを読んでの感想を。
ラッセルの言語哲学は、日常言語を徹底的に分析して理想言語を作り出すことを目指している*1。
三浦は何度か、日本語にも、その理想言語の特徴が表れていることを指摘する。
このことは、実は日本語とは論理的な言語だった、ということを示すのではなくて、ラッセルの考えた理想言語が、ヨーロッパ系言語だけに当てはまるものではなく、日本語にも当てはまるという普遍性を持っていることを示している。
これは、単なる思いつきにすぎないのだけど、ラッセルの目指した理想言語というのは、普遍文法とつながったりするのだろうか、と。
タイプ理論は、文、語の階層構造を示しているわけだけど、チョムスキーの普遍文法にこういう階層構造があるかどうかは知らないけど、ピンカーは範疇論みたいなものも生得的なんじゃないかと言っていた気がする。もちろん、範疇論とタイプ理論は別物ではあるけど。
記述理論は、固有名が本当に確定記述の束かどうかはわからんと個人的には思うけど、否定辞や副詞句のかかりを分析するのに役立っている、というのはなるほどと思った。そういうのは、普遍文法的なことだったりしないのかなあ。
上記のラッセルの言語哲学は、いわゆる論理学の議論であるのだが、ラッセルの中では論理学と認識論と存在論が重なり合っていたという。
記述理論によって、固有名を確定記述の束へと分析してしまったラッセルだが、いわゆる固有名とは別に論理的固有名というものを発見する。もはや分析することのできない要素としてあらわれるのが論理的固有名であり、「これ」とか「あれ」とかである。
そしてこの論理的固有名は「センスデータ」を指示している。「センスデータ」は「直知*2」によって得られる。
そして、言語がこのような「センスデータ」を指示する論理的固有名から成り立っている以上、根源的には私秘的なものである、としている*3。
さて、こうして論理学と認識論が繋がった。ラッセルの「センスデータ」は認識する側ではなくされる側にあるとされるので、存在論ともつながる。
この本では以下のように図式されている。
論理的原子(存在)−直知によって知られた実体(認識)−論理的固有名(文法的範疇)
論理的虚構(存在)−記述によって知られた論理的構成物(認識)−不完全記号*4(文法的範疇)
「これ」とか「あれ」とか指されるものだけが、実体として存在しており、それ以外のものはそうした原子から構成されたものである、というのがラッセルの存在論である。
「これ」とか「あれ」とか指すことのできるものは、例えば「白い」とか「長方形」とかいった、非常に瞬間的な知覚である。「机」とか「椅子」とか「私」とかは構成物である。最終的にラッセルは「個物」*5も「普遍」*6によって構成されていると考えるようになったらしい。
後期のラッセルは中性一元論というものを唱えるにいたる。
センスデータは、誰かに感覚されないと存在しないが、感覚器官があればセンスデータとして感知されえただろうものをセンシビリアとラッセルは名付けた。
そして、物体も心もこのセンシビリアによって構成されている、と考えるのだ。
共存したセンシビリアの集合をパースペクティブと呼び、さらにそれらのパースペクティブを「類似性」によって集めたものをパースペクティブ空間と呼ぶ。
この「類似性」は、様々な法則をあてはめることができる。
例えば、「ある人の感覚器官で感覚されている」という「類似性」でパースペクティブを集めれば、それはその人の心というパースペクティブ空間を構成する。
あるいは、「ある物が様々な方向から感覚している場合にあらわれるだろう」という「類似性」でパースペクティブを集めれば、それはその物というパースペクティブ空間を構成する。
これは、「私」や「個物」を解体し、全てをセンシビリアのネットワークとして構成してしまう、という考え方である。また心脳問題に対しては、どちらもセンシビリアから構成されている、という心脳同一説という立場をとる。
また、「時間」や「空間」といったものも、センシビリアのネットワーク(いわば関係)として構成できると考える。この考え方は、マッハ的といえるのかもしれない。
あるいは、このパースペクティブ空間は、ライプニッツのモナドと類似しているかもしれない、と三浦は指摘している。
ただしこの考え方には、そもそもそれらのセンシビリアを集めるためには、やはりその中核となる「私」や「個物」が必要なのではないか、という問題がある。
こうした中性一元論は、ラッセルのもっとも根源的な原子はランダムなものである、という確信を基礎としている。
宇宙というのはとてもランダムなものであり、かつあらゆる可能性を論理的必然として内包しているのである。そこからある配列(=類似性)でもって、様々なものが構成されているのだ。
この考え方は、とても面白いし、とても同調できると思った。
また、三浦もそこにラッセルの魅力、ひいては哲学の魅力を感じているのではないか、と思う。というのも、この最後の結論部分の印象は、三浦の『可能世界の哲学』の結論部の印象と非常によく似ていたからだ。
可能性としての基礎的な要素がずらーっと並んでいて、それらの要素をある配列によって構成することで、この「私」や「世界」ができあがった、という考え方は、例えばイーガンやボルヘスとも連なってくると思う。
三浦は、可能世界論においてもこの本においても、だから「私」という「意識」が生まれたのは奇跡のような偶然的出来事ではなく、必然的出来事だと主張する。ランダムな原子の中に予め埋まっているのだから必然なのである、と。逆人間原理といえるかもしれない*7 *8。
個人的には、この世界観、この哲学には、本当に共感しうるし説得されるのだが、しかしだからこそ「この私」の特別性をどこかに探求してしまう、というところもある。
同一性とは、ある任意の決まり事でしかないのだから、特別なものではない、しかしだからこそ、その同一性とは何なのか気になって仕方がない。
データベースによって同一性を徹底的に要素に解体したとしても、なお何かがあるのではないか*9。
ラッセルという哲学者のすごいところは、何も彼の哲学的業績だけではない、というところが彼のすごいところだろう。
この本には彼の略歴が年表になっているのだが、この年表を眺めるだけで驚きの声をあげてしまうだろう。
1872年に生まれ、4歳までに両親が亡くなり、祖父に引き取られているが、この祖父がイギリスの首相を二度務めている伯爵である。
1次大戦勃発と共に反戦運動に身を投じ、労働党員になるも、46歳の時に禁固6ヶ月の判決を受けている。その2年後、革命ロシアを訪問、レーニンと会見。さらに中国訪問、改造社の招きで日本訪問。73歳の時、世界政府運動を開始。76歳で、核兵器拡散防止のため、対ソ予防戦争を唱える。83歳で、かの有名なラッセル・アインシュタイン宣言を行い、86歳で核兵器廃絶運動の初代総裁となる。89歳で、国防省前に座り込み、懲役2ヶ月の判決、減刑されるも禁固1週間。91歳で、ラッセル平和財団創設。95歳のとき、ストックホルムで第1回国際戦争犯罪法廷を開く。
哲学以外の著述業としての仕事は、55歳のころからビーコン・ヒル・スクールを始め経営資金稼ぎのために増え始める。教育論、結婚論、幸福論などで、1929年57歳の時に書いた結婚論によって、1950年にノーベル文学賞を受賞。しかし、この結婚論は当時はとてもラジカルだったため、1940年、ニューヨーク市立大学の教員として招かれるも市民の反対運動によって取り消されている。また、81歳の時に初の小説も出版している。
リベラルかつラジカルな結婚論を唱えていたわけだが、彼は恋多き男でもある。22歳の時、アリス・スミスと結婚するも、39歳でオットライン・モレルと恋愛関係になりアリスとは別居。だが、1920年の中国訪問の時に一緒に行ったのは愛人ドーラ・ブラックで、彼女とは49歳の時、アリスと離婚して結婚している。同年、長男ジョン誕生。51歳で長女キャサリンが誕生。彼女は後に『わが父ラッセル』を書く。63歳でドーラと離婚、翌年にはパトリシア・スペンスと結婚している。
哲学者として、平和運動家として、著述家として生きたラッセルは、1970年、97歳の時、インフルエンザによって亡くなる。
基本的には、いい本なのであるが、三浦俊彦のクセもそれなりに強い。
ラッセルを絶賛するのはまだいいとして、その裏返しとしてポストモダニズムや分析哲学以外のいわゆる現代思想に対する攻撃が激しい。
批判内容自体はある程度理解できるものの、しかしこの本の中で、そうした批判を展開しなければならない必然性は見当たらないように思う。
デリダの名前を出してきたあたりなどは、本当によく分からなかった。
また、これは『可能世界の哲学』にもあったが、彼のいう「ポップ哲学」が一体何を指しているのかがよく分からない。
ポストモダニズムあるいは現代思想というのは、確かに批判されるべき点は多くあるのだと思う。しかしそうであるならば、一方で三浦の依拠する分析哲学にも批判されるべき点はあるはずで、このあからさまな態度の違いは腑に落ちない。
例えば、『可能世界の哲学』の時は、まだ戦略的にそう振る舞っているのかと思っていたのだが、2005年に出版されたこの本の中で、こうも声高にポストモダニズムなどを攻撃していると単に感情的に嫌いなのだな、と思わざるを得ない。
「ロジカル・ハイ」という体験を称揚して、論理を重視する一方で、こういう感情的な嫌悪をあからさまに出されるのは何だかもったいない、というか残念なところだと思う。
僕は読んだことないのだが、三浦は小説家でもある。しかも、非常に実験的な小説を書くことで知られている。ということは、文芸評論の世界とも何らかの繋がりはあるはずで、そこでポストモダニズム系の議論というのもかなり読んでいるのではないか、と想像できる。
自然科学系の人間がポストモダニズムを批判するのとは、またちょっと異なるのではないか、と勘ぐりたくもなってしまうのだ。
*1:その過程で、固有名を確定記述へと分析してしまうわけだ
*2:今やっている授業では「見知りによる知識」と訳しているので、「直知」っていう言い方はちょっと馴れなかった
*3:ウィトゲンシュタインの言語ゲームとはあからさまに反対
*4:記述のこと
*5:説明としては不適当だが、分からない人は物体のことだとでも思えばよい。
*6:上に同じく、属性のことだとでも
*7:そしてこの「意識」や「宇宙」を特別だと感じてしまうのも、まさに「この」世界に「この」人間がいるから、という意味で逆「人間原理」なのである
*8:世界のもっとも基礎となるものを探求するという点で現象学との似ている。もちろんそんなことを言えば、大方の哲学はそれを目指しているわけだが、論理学の基礎づけから始まり構成主義的な存在論にいたるあたりは特に似ていると思う。しかし、最終的に辿り着いたところは真逆といってもいいかのかもしれない
*9:パースペクティブ空間が抱える問題、つまり各センシビリアを構成するための核が必要なのではないか、という問題とも通じる。あるいは、東いうところの「固有名のリアリティ」、伊藤いうところの「「キャラ」が持っている現前性」